許可
東京都の麻布は富豪の邸宅が多い。その一区画に、製薬会社大手、京浜製薬の社長の屋敷がある。その屋敷の一室で社長令嬢の片平美香は国際電話をかけていた。
「…というわけで、一応、父の方から連絡が入っているかと思うのですが、念のため、もう一度、博士に許可を取っておこうかと思いまして」
「…私としては、それは、本人の意志で決めるべきことだと思うが。まあ、東京に呼び出すくらいは別に構わない。ああ見えて、旅行は結構好きみたいだからな」
「ありがとうございます。では、迎えの者を派遣します」
美香は部屋の後ろで待機している黒服の男に手をあげた。男は軽く礼をすると、そのまま部屋を出た。美香は電話を続ける。
「…しかし、そんなことのために、よくまあ、わざわざ電話をかけてきたね。そっちはまだ、朝早くだったと思うが……」
「そちらは夜でしょう。あまり遅く電話しても、失礼になりますわ」
相手のいる場所の時差を考えると、朝にかけなければならない。美香はあくびをこらえながら、さらに話を続ける。
「まあ、別に構わないのだが、父親である私よりも、そういうことは理津子に話を通した方がスムーズだ。霧矢に連絡を取るなら、二度手間になるのでは?」
「私は別に構いませんわ。二度手間など大して苦ではありません」
三条淳史、霧矢の父親であり、海外の大学で創薬の研究をしている。仕事柄、父親を通して美香は何度も会ったことがあり、お互いに顔見知りだった。
早朝と深夜しか連絡が取れない以上、三条家では家族間の連絡はほとんどメールで済ませており、肉声で会話することはほとんどない。そのため、淳史は霧矢についての情報が理津子よりも少なかった。
「それにしても、霧矢のどこが気に入ったのか、私にはわからないな。ひねくれていて、ぶっきらぼうで、いつもどこかしら不機嫌な顔をしている。君はそれでいいのか?」
少し砕けた口調で話す淳史に、美香もまた明るい口調で返した。
「ええ、結構興味があります。年末に会った時から、どうも……」
最後に口ごもった美香の反応を見て、淳史の口調は焦りに変わった。
「まさかとは思うが…霧矢が、君に手を付けたとか…ではなかろうね……」
美香はプッと吹き出した。淳史は、困惑したような唸り声をあげた。
「博士、ご自分のご子息にそんな疑いをかけるのですか? 私の父じゃあるまいし」
最後の美香の台詞を聞いて、淳史も吹き出した。一通り笑うと、淳史は言う。
「確かにね。霧矢を君の父親と同列に並べては、父親失格だ。霧矢の前でそんなことを言ったら、きっと憤慨されてしまうな」
美香は女癖の悪い父親の姿を思い浮かべると、苦笑いを浮かべた。
「とりあえず、霧矢さんがどう言うかは、私にはわかりかねますが、博士としては、別にそれでもよろしいということでよろしいですね?」
「ああ、私は別に構わないよ。霧矢がそれでいいのなら。ただ、今時珍しいとは思う」
「新しいとか、時代遅れだとかは、私は気にしません。要は、ただの順番ですから」
美香の言葉に、淳史は感心したように声を上げた。
「…それでは、そろそろ切らせていただきます」
「うん。それでは、霧矢がどう言うかわからないけど、いい結果を祈らせてもらうよ」
美香は電話を切った。後ろを振り向くと、使用人である大崎礼子が立っていた。
「どうなったのかしら?」
「…浦沼駅で待機中の班に連絡しました。もうそろそろ着いている頃でしょう」
「と言うことは、まだ、彼の身柄を確保したわけではないということかしら?」
彼女は無言のままうなずいた。美香は少し失望したようにため息をついた。
「霧矢のことだから、きっと抵抗するでしょうね。多少手荒な真似をしてもいいとは言っているけれど、正月の戦いぶりを見る限り、怪我をするのは隊員の方かしらね」
先月に起きた火事騒ぎでの霧矢の活躍ぶりを聞く限り、戦いのスキルは正月のそれよりも更に上がっていると考えるべきだろう。
(特別手当をあげるべきかしらねえ……それとも、労災になるのかしら)
一人考えていると、美香の机の上の電話が鳴り響いた。受話器を取り上げると、派遣したチームのリーダーの困惑した声が流れてきた。
「申し訳ございません。三条霧矢様は現在ご不在とのことです。薬局にはおられません。行方を聞き出そうとしたのですが、知らぬ存ぜぬの一点張りでして……」
「誰がそう言ってるの?」
「復調園調剤薬局の店員です。長い黒髪の女性です。年は十代半ばほどかと」
美香は眉を吊り上げた。その特徴を持った人間の心当たりは一人しかない。しかも、その女性に対して、美香は正月に宣戦布告をしている。
「とりあえず、次の指示を待ちなさい。それまで、もう一度駅で待機すること」
受話器を戻すと、美香は携帯電話を引っ張り出す。非通知で三条霧矢に電話をかけた。
しかし、霧矢の携帯電話は、非通知を着信拒否するので通じなかった。仕方なく、美香は、身元が割れることを覚悟で、普通に電話をかけた。
「…ただ今電話に出られません。ピーッと鳴ったら、メッセージを……」
美香は電話を切ると、レイをにらみつけた。そのまま彼女は了解の意を示すように一礼すると、部屋を出た。
(……京浜製薬をなめるとどうなるか。とくと思い知るといいわ)
とても人には見せられないような顔だった。