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Absolute Zero 5th  作者: DoubleS
序章
2/86

呼出

「そう言えば、明日って、西村君の退院日だったよね?」

「……そう言えばそんな気がするな。まあ、僕にはどうでもいいが……」

 三月もそろそろ下旬に差し掛かろうとしているが、雪国は四月になっても雪の姿は消えない。そんな雪深い山奥の町に復調園調剤薬局という調剤薬局がある。

 三条霧矢はそこの御曹司だった。

 春休みにはまだ早い時期だが、霧矢はもうすでに一月近く休みを堪能していた。来月からは高校二年生だが、学校が復旧する目途はまだ立っていない。

 散歩で学校の近くを通りかかると、グラウンドにプレハブの仮校舎を建てている重機を見ることができた。それでも、積雪が邪魔してなかなか作業は難航しているようだった。少なくとも、新学期までには登校できるようになってほしいというのが、霧矢の願いだったが、この状況を見る限り、その望みは薄そうである。

 そのため、ただひたすらに、家で自主勉強を繰り返している日々が続いていた。そのような中で、霧矢は薬局のカウンターで店番ついでにノートを眺めていた。その脇には、店員である北原霜華が座っている。

 昼の時間帯のため、隣の診療所が休診中になっているが、そのため、この時間帯は客もほとんど来ない。そのため、カウンターで勉強をしていてもまったく問題ない。そもそも、この薬局に来る人間は、町内の住人がほとんどで、それも全員霧矢の知り合いばかりなので、文句を言われることなどまずないのだった。

「ところで、霧君」

「……何だよ?」

「……その計算問題、間違ってる」

 霧矢はノートの文字の羅列を指でなぞりながら追った。三行ほどなぞったところで、自分でも何でこんなミスをしたのかわからないような、意味不明な数式があった。

「……どうして、虚数を二乗したらプラス三倍になったなんだろう……」

「…私に聞かないでよ。とにかく、その問題は間違ってるよ」

 霧矢は頭を掻き、隣の薄着の小柄な女の子をちらりと見て、消しゴムをつまみ上げた。いずれにしても、数学は自分ではまだわかっていない箇所が多かった。

 間違った計算問題を消すと、霧矢はケアレスミスに気を付けながら、問題を解き直していく。人気のない薬局の中、ノートにペンを走らせる音が響いた。

「……やっと、終わった……」

 気の抜けたようにつぶやくと、その時、カウンターの上に載せておいた携帯電話が突然鳴りだした。

「メールじゃなくて、通話なんて珍しいな。最近は特に……」

 ぶつぶつとつぶやきながら、霧矢は携帯電話の画面を見た。画面に表示されている番号と相手の名前を見た途端、霧矢は気分が急に萎えた。

「……もしもし……」

「はいはい、お久しぶり。私よ。最近どう?」

「……まだ、暇だ。学校の再開の見通しは立ってない。そっちこそ、どうなったんだ?」

「…無事、株価が元の水準に戻ったので、お父さんは京浜製薬の代表取締役として残ることができそうです。私個人としては微妙な気持ちだけど」

 電話の相手は片平美香だった。しかし、霧矢はあえて相手の名前は呼ばない。もし、この場で美香の名を口にしようものなら、隣の半雪女の機嫌が悪くなることを、霧矢は経験的に理解しているからだ。

 霜華に電話の相手を悟られないように言葉を選びながら、霧矢は続ける。

「…まあ、僕としてはそれでいいと思う。用件はそれだけか?」

 話をさっさと打ち切ろうとするが、美香は話をやめるつもりはないらしい。霧矢の問いに対して否と答え、さらに話を続ける。

「まだまだ、話すことがあるわよ。それはもう、たくさん」

 霧矢は抗議の意も込めて、不愉快な響きの唸り声で相槌を打ったが、美香はまったく意にも介さない。平然とした口調で続ける。

「…明日から、東京に来てほしいんだけど」

「……電話切ってもいいか? 冗談に付き合っているほど暇じゃないんだが」

 呆れたように吐き捨てると、美香は不機嫌な声で「ダメ」と言い放った。霧矢はそのまま電話を切れない自分の軟弱さを情けなく思った。相手のペースに乗せられる形で、霧矢は無言のまま、相手の話を聞いていた。

「用事は、会ってほしい人がいるから来てほしいってこと。まあ一言で言うとそうなる」

「………もしも、嫌だと言ったら?」

「……無理やりにでもあなたを連れてこさせるわ。浦沼に直接人を派遣するわよ」

 霧矢は予想外の答えに黙らざるを得なかった。しかも、美香のこの口調は嘘や冗談を言うときのそれではない。しかし、それは、そこまでするという必要があるということも示唆している。必然的に、美香の下で何らかのトラブルが発生したということになる。

「……何が起きたのか、説明してもらおうか」

「それは、会ってから話すわ。この場で話すには長すぎるわ」

「…概略だけでも話してもらおうか。行くか決めるのはそれを聞いてからにする」

 ぶっきらぼうに告げた霧矢に、美香は上機嫌になった。しかし、言ってきた言葉は、霧矢に対して非常に無礼なものだった。

「だったら、説明する必要なんてないわね。だって、あなたに選択権はないんだから」

「……僕に拒否権はなしとでも言うつもりか」

 はらわたが煮えくり返る感覚を押し殺して、霧矢は低い声で返答する。しかし、美香は非常に楽しそうな声色を浮かべていた。

「よくわかってるじゃない。というわけで、東京まで来てもらうわ」

「……金がない。時間もない。答えを言おう。無理だ」

 霧矢はそのまま電話を切った。脇をちらりと見ると、霜華が不思議そうな表情をしていた。機嫌が悪くなっていたわけではないので、おそらく、美香と話していたということには気付いていないはずだが、それでも、不審に思われたことは間違いない。

 霧矢はカウンターから立ち上がると、ノートや問題集を閉じた。しかし、断ってしまったことで、また新たな問題が生じていた。

(……どうすべきだろうか……)

 彼女の言葉が正しく、しかも本気であるならば、明日、京浜製薬か片平家の人間が家に押しかけてくる可能性が高い。しかし、霧矢としてはそのような事態は避けたい。

 居留守を使うにしても、理津子が話を聞けば、容易に応じてしまうことは間違いない。かといって、どこかに出かけるにしても、あの粘着質の持ち主がその程度であっさり引き下がるとは到底思えなかった。ずっと家の前に張り込んで、帰ってきたところを直撃するくらいはやりかねない。

 結局のところ、東京行きは避けられないように思えた。

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