会合
この作品は、Absolute Zero シリーズの第5部です。前作をお読みになっていない方は、まず先に、前作をお読みになることをおすすめします。
三月十八日 月曜日
日本の社会の治安を守っているのは主に警察だが、それは表からの話。裏から治安を守っている組織も数多く存在している。
主にそれらの組織は、あるものは探偵、あるものは流通業者、あるものは警備会社など、いろいろな職種に扮しながら、仕事を行っている。そして、日本に点在する彼らを集めた会合が、時折、日本の各地で開かれていた。
「……終わりましたか?」
黒いスーツを着込んだ背の高い男性が、ホテルの会議室から出てきた老人に声をかけた。身の丈は軽く百八十センチに達しており、年は二十代半ばといったところだ。一方で老人は白髪交じりの低身長ではあるものの、威厳の感じられる男性だった。
「…ちと、まずいことになったかな」
老人はしかめ面をして答えた。その老人の後ろから、ぞろぞろと裏社会の要人が出てくる。青年は彼らに対して会釈をしながら、廊下の隅へ移動した。
「…それで、相川さん。まずいこととは?」
相川と呼ばれた老人は青年に対して、首を横に振った。
「…第一級危険人物のリストに、ある人間の名が追加されることになった」
青年は考え込むようにして腕組みをすると、相川の目をじっと眺めた。そして、彼なりの答えを出すと、ゆっくりと口を開いた。
「おそらく、魔族、あるいは異能者がらみの何かですね? ここ最近で最も派手な騒ぎを起こした、表向きは詳細不明の事件と言えば、言うまでもなく……」
青年はそこで言葉を切った。何者かの気配を感じたからだ。相川も同様で、話をやめると近づいてきた人影に注意を向けた。
「やあ、二人とも。最近元気かね」
眼鏡をかけた年配の男性が手を振って二人に愛敬を振りまく。相川は少しの微笑を浮かべると、会釈を返した。
「これは、これは、青葉さん。私は元気ですとも」
「塩沢君、君も元気かね?」
塩沢は、相川の後ろの位置を保ったまま、ゆっくりと、ただ一言だけ、はい、と答えた。青葉と呼ばれた年輩の男は、後ろに立っている塩沢と同じくらいの年の男に目くばせをした。相川と塩沢もそれを察し、塩沢は前に一歩出た。
「塩沢君。私は相川と二人で話がしたい。どこかで時間を潰してきてほしいのだが」
「構いませんが……」
「では、内野。塩沢君のことは任せたぞ」
内野と呼ばれた後ろの男は、了解の意を込めて青葉に礼をした。青葉は満足そうな顔をすると、相川と二人でそのまま歩き出した。
残された若者二人組はしばらくお互いをにらみつけていたが、やがて内野の方が負けて、くすくす笑いを始めた。
「なあ、塩沢。相変わらずだな。そんな怖い目をしないでくれよ」
「俺はそこまで人相が悪いのか? 別に意識して怖い目をしていたわけじゃないんだが」
塩沢はうんざりしたようにつぶやくと、廊下に置いてある椅子に腰を下ろした。内野も同じように塩沢に向かい合うようにして座った。
「青葉警視も結構忙しいみたいだな。お前の仕事も増えたんじゃないのか?」
「警視はね。ただ、僕にしわ寄せなんか来てないさ。まあ、今年度中はね。誰かさんのステキなお年玉のおかげで、来年度以降は忙しくなるかもしれないけどね」
内野の皮肉を込めた口調に、塩沢はその真意を察した。
「俺のお年玉は、警視庁での評価額はどれくらいだったんだろうな」
「少なくとも、ペーペーだった僕を警部補に昇格させる位の価値はあったみたいだね。今年の春の人事異動でめでたく昇進だ」
彼は、今年の一月一日に大規模な違法薬物取引の摘発に貢献したことで、昇進することになった。しかし、実のところは、塩沢が捕らえた犯人の後始末を任されただけであり、彼自身が犯人を捕まえたわけではない。
「それでも、配属部署は変わらないだろうさ。所属は青葉警視の直属のままだろう」
「当たり前だ。魔族や異能者がらみの仕事で、お前以上の適任者が今の桜田門にいるとでも思ってるのか?」
「…まあ、そうだね。採用される前から魔族のことを知っていたのは僕くらいか。まあ、相川さんの推薦状がなきゃ、警視庁になんて採用すらされなかっただろうけどね。ところで、古町は元気かい?」
塩沢は苦々しい顔を浮かべると、内野をにらみつけた。
「カード片手に、あちこちでなぎ倒して回っている。それは高校から変わっていない」
「彼女らしいや。まあ、君たちみたいな人材がいる限り、相川探偵事務所は安泰だろうな」
内野はポケットから缶コーヒーを二つ取り出すと、そのうちの一本を塩沢に投げた。塩沢は器用にキャッチすると、缶のデザインを眺めて低い声で唸った。
「…この銘柄は甘すぎる。俺はブラック派なんだが…」
「苦いものが好きすぎるだけだろう。君の性格と同じくね」
内野はにやりと笑い、塩沢の目を見た。塩沢は仏頂面になると、苦い顔でにらみ返した。
「お前も人のことは言えないだろう。高校時代から、そのいかれた味覚も性格も何も変わっていない。唯一変わったと言えば、オカルトグッズの収集をやめたことくらいだろう」
「…あれは、僕の黒歴史だ。忘れてくれ」
内野は顔を真っ赤にすると、コーヒーを自棄酒のごとく、ものすごい勢いで飲み干した。その姿を見て、塩沢は少し小気味よくなり、嫌いな銘柄ではあったが、コーヒーを飲む気になれた。そのまま、プルトップを開けた。
「それで、人材の話の続きだけど、相川探偵事務所にエースがまた新たに二人入ったみたいじゃないか」
塩沢は缶をテーブルに置き、内野の目を疑いの眼差しで眺めた。そんな事実は初耳であり、それは間違いなく、警視庁がガセネタに踊らされていることを意味する。
「誰もニューフェイスなんてうちに来ていないぞ。そんなガセネタに踊らされるなんて、警察も落ちたものだな。下らない」
塩沢が侮蔑的な口調で言うと、内野は心外とばかりに、真顔で言い直した。
「…言い方が悪かったかな。絶好の協力者を得たと聞いた、の間違いだ。何でも、規格外の水の魔力の持ち主と、これまた規格外の喧嘩の達人」
内野の言葉に、塩沢はうんざりした口調で答えた。塩沢としては、後者はともかく、前者を事務所の協力者にされるのは、不愉快でしかなかった。
「……喧嘩の達人の方は確かに協力的だ。作ってきた報告書はとても整理されていて信憑性も高い。事務所にとって非常に有益な存在となるだろう。だが、もう一人はだめだ。殺しというものをまるで理解していないし、事あるごとに、俺に突っかかって文句を言う」
とげのある塩沢の口調に、内野はけらけらと笑った。
「君だって、事務所入りたての時は、殺しを理解していなかったし、古町やクリスに突っかかってばかりだったじゃないか。自分のことを棚に上げちゃって」
塩沢は笑った内野に向けて拳を突き出した。しかし、あえて命中させず、内野の顔にぶつかる直前一センチのところで止めた。だが、内野は平気そうな顔だ。塩沢は凄む。
「裏社会の人間を甘く見るなよ。表社会のボンクラ刑事」
「…おお、怖い怖い。でもそれじゃ八十点だ。そのベルトについている愛用のソーコムピストルを取り出していたら、百点満点をあげられたんだけどなあ。いやあ、残念」
「お望みとあらば、喜んで使わせてもらうが」
「まあ、相川さんの顔を潰したいなら構わないけど、無用な血を流すのは感心しないね」
平然とした口調で答えた内野に、塩沢は苦笑いを浮かべて拳を収めた。
「まったく、お前は相変わらずだな。警視庁もお前ほど度胸のあるやつが、もう少し多ければどんなに助かることやら」
「…市民をこんな感じで挑発したら、余計にバッシングが激しくなるだけじゃないか」
二人とも顔を見合わせる。そして、二人は大きな声で笑った。
しばらく笑うと、やがて内野が真顔に戻り、塩沢も笑いを止めた。
「…さて、話を本題に戻すけど、君のところの喧嘩の達人―雨野光里―が作った例の事件に関する報告書は僕も読ませてもらったよ」
「まあ、お前らが割り込んできたから、相川さんは最後まで言えなかったが、俺も大体の予想はついている。新たに指定された第一級危険人物も件の事件がらみの人間だろう」
内野はゆっくりとうなずいた。塩沢はため息をつく。
「当然と言っちゃ、当然のことだけど、あんな危険な人間を放置するのは治安上まずい。身柄確保優先とはいえ、即時殺害許可が下りたとしても、不思議じゃないと僕は思う」
「即時殺害許可……規格外の水の魔力の持ち主が大騒ぎしそうだが……」
「あくまでできるだけ身柄確保優先だけどね。その後どうするかは未定だけど……」
塩沢は内野の言葉に呆れたようにため息をついた。結局のところ、死ぬ時期が多少ずれ込むかどうかの差に過ぎない。生け捕りにしたところで、扱いに困る場合は、どうするかなど考えるまでもなく、一番簡単でわかりやすい方法をとるほかない。
「あんな周囲の可燃物を見境なく燃やし尽くす相手をどうやって捕獲しろと……」
「少なくとも、そんな危険人物が、同じく危険な団体の傘下に入ってしまったことがもっと危険なわけだけど」
二人は顔を見合わせてため息をついた。
「中里時雨の命運も決したか……」