結末のないかなしみ
怒り狂った清姫は、大蛇となり、安珍を追いかけ、お寺の釣鐘に隠れた安珍を焼き殺しました。安珍にその姿はみえないなれど、釣鐘にずるずると巻きつく蛇の這う異様な音は、さぞおそろしいものだったことでしょう。ああ、哀れ安珍。
さて清姫は、安珍を焼き殺したのち、川へはいり、命を絶ちました。
悪いのは、どちらであるのでしょう。
僧に恋した清姫なのか。
僧ながらにひとをだました安珍なのか。
因果応報というものなのでしょうか。
因果応報というものなのでしょうか。
歌うように、わたしの弟は言った、あなたが悪いと。春を謳うような声で、蛇のようなまなざしをもって。
わたしは暗然として目を伏せた。
わたしが悪い、そうなのかもしれないと。
この弟の、姉で生まれたのがいけなかった。
この弟を、愛しているのがいけなかった。
「よもや俺が、あなたを愛しているだなんて思っていないよね、姉さん」
思っていない。声を出そうとして、首にひんやりとした温度を感じた。
弟の手が、わたしの首にあてられていた。それはただ、あてられている。それは血の脈動をさぐるようでもある。たしかめるようでもある。
ともすれば、やさしい仕草に映るそれは、それでも、圧迫を感じて呼吸はすこし苦しい。
「清姫は、馬鹿だよね」
唐突に話題をかえた弟を、わたしはゆるゆると見上げた。
「きよひめ?」
呼吸が苦しくなりながらも、わたしは訊いた。
「お坊さんに恋したかわいそうな女の子だよ。告白しても相手にされない怒りから、蛇になって坊さんを追いかけて、焼き殺すんだ」
寺に駆け込み釣鐘を降ろしてもらった僧は、その中に入るが、釣鐘に巻きついた清姫が炎を吐いて、結局は焼かれて死んでしまう、と弟は言う。春を告げるように。
ほんとうに清姫は馬鹿だよねと。
「釣鐘にはいった相手を焼き殺すなんて。だって、そんなことしたら、相手の苦しむさまが見えないじゃない」
弟は、わたしを見た。
「俺なら、もっと時間をかけて、あなたを殺すよ。あなたの穴という穴を侵食して、身体じゅうにめぐる毒を、ゆっくりゆっくりと入れていくよ」
弟はうっとりと目を細めた。
「春麻」
わたしは弟を呼んだ。
「春麻、どうして」
わたしはかなしくて、涙があふれた。
春麻は、色を消してわたしを見た。
「姉さんが俺を愛しているからだよ」
それは急速に水が氷っていくように、全身の温度をわたしからうしなわせた。
「だって、だってあなたは」
涙で春麻の顔が見えない。とめどなく頬にこぼれ、春麻の手の甲を濡らす。
「聞きたくない」
「春麻」
「言うな!」
春麻はわたしの首を絞めた。
あなたは、弟。わたしのただ一人の弟。
いったい何が、いけなかったというの。
あなたの温度をうしなった瞳を、わたしは見つめつづけた。
それが、いけなかったというの。あなたが告げた想いに、わたしは頷いたのが。
弟を、愛していたから。
大事な大事な、わたしの、弟。
「そうさ。愛じゃないさ」
あはは、と高く春麻は笑った。
「愛は、いつくしみ。抱擁。――奪うもの? はっ、そんなもの愛じゃないね。そうさ姉さん、あなたが俺に向ける感情こそ愛さ。あなたは俺を愛してる、慈しみ、つつみ、見守る――そうだね、とても模範的で尊い。尊くて、そんなものは、踏みにじってやりたくなる。馬鹿馬鹿しい、心底、愚かしい」
春麻は饒舌るうちに頬を紅潮させていた。目は血走り、息をあげ、とめどなく涙をこぼしていた。
「春麻」
わたしは力の入らない手で、弟の頬にふれた。
ぎょろり、と春麻の眼球が動いた。
そのさまは、瞳孔の開ききった蛇のようだった。
「姉さん。連れていってあげる」
歌うように言った、弟は。春を謳うように。
「やさしさもいつくしみもない、毒の地獄へ、ねえ、一緒に」
安珍は嘘をついたんだ、と弟は言った。
追ってきた清姫に、自分は安珍ではないと、嘘を言ったんだ。だから清姫は怒り狂って、とうとう大蛇へ姿をかえた。
因果応報じゃないか、姉さん。
望む者に望むものを与えない、罰だ。
姉さん、俺がほしいのは愛じゃない。
そんなものじゃないんだ。
おなじものを頂戴、おなじものを。
俺とおなじものを、俺に頂戴。
終わることのない苦しみ、毒のようにまわる、かなしみを、俺に。
安珍と清姫はきちんと成仏しました。清姫への発言はあくまで作中の表現です。あしからず。




