後編
「〈神よ、聞きませ。聞きませ、我が声。聞こえませば与えませ、聖なる御加護〉!」
吹雪に負けじと張り上げた言葉は、女神に届いたようで、フワリと浮かんだ光に沿い、神楽たちの周りを風が不自然に避け始めた。
得意気な神楽にシュンは呆れた目を、ナギは尊敬の目を、それぞれやった。
「こんなことできんなら、昨日の時点で使えよな。」
「すっご、神の司ってこんなこと出来るんだ。」
「ハッハッハ、切り札は最後まで取っとくのが普通だよん。さあて、行こうか。」
「あ、首都はこっちだよー。」
「え、そっちか。ありがとう。」
そう言って歩きだした一行だったが、神楽とシュンは何か、違和感に似たおかしいものを感じていた。
その正体はわからぬままだが、首を傾げつつ黙って進んでいく。
「なぁ神楽。首都までどれくらいかかるんだ?」
「さあ・・・どうだろうね。」
「普段なら1時間もかからないよ。ま、この天候でも、2時間以内には着くんじゃない?」
「だってさ、シュン。」
「うえ。じゃあ、2時間近くこのくそ寒いなかを歩かなきゃ行けねぇのかよ。」
「そうなるね。いい加減慣れろよな、シュン。」
「へぇ、シュンは寒がりなんだ。」
「おーう、砂漠の出だからな、しょうがないだ、ろ・・・・・・。」
――――――シュンは、違和感の正体に気付いた。横を見ると、二人旅のはずが、神楽と並んで歩く人物がもう一人いる。まぁまぁ小柄な神楽より、もう一回り小さい女だった。猫のような黄色の瞳が、シュンを愉快そうに眺めている。シュンは、ようやく声を絞り出した。
「な・・・・・・なんで、いるんだよ、お前・・・。」
ここで神楽も気が付く。
「あ、あれぇっ?一人多い!え、あ、な、なんで来てんの?!」
狼狽える二人に悪びれもせず、ナギは言った。
「私はナギ。ナギ・リーガル。ギャンブラーで、一応魔導士。よろしく。」
二人は呆気にとられて、歩くどころか一瞬、呼吸すら忘れてしまった。それから、ふと我に返り、
「「いやいやいやいや、そうじゃないだろ。」」
同時にツッコむ。「わぁ、息ぴったり。」と目を輝かせたナギをさておいて、神楽は詰め寄った。
「えーと、ナギ?」
「ん?」
「なんで、付いて来てんの?」
「だってほら、案内役は必要でしょ?」
「・・・まぁ、そうかも知れないけど。でも、だからって、」
「無断で付いてきたことはごめんなさい。でも、7月の女神の力を借りたいのなら、私は役に立てるはずだよ。」
「・・・・・・え?」
「だって私、女神の"憑き人"だから。」
今度こそ神楽は、完全に言葉を失った。その後ろで、なんのことやらさっぱりなシュンが、怪訝そうな顔をしている。
「ま、そう言うわけだから、首都までご案内いたしまーす。」
そんなこんなで、猛吹雪のど真ん中から、二人改め三人の、進軍は再開されたのだった。
◇
それから、1時間と半分を過ぎた頃。三人は首都・クロニアに辿り着いた。石造りの洗練された街並みが、厳格な雰囲気を醸し出している首都である。吹雪の影響で、人っ子一人いない所為か、街を余計に冷たく見せている。
利かない視界の中、街を眺めていた神楽が言った。
「へぇ・・・ここが、女神のお気に入りの場所?その割には、殺風景というか・・・厳しそうな感じが、フォーチェは嫌いそうなのに。」
「あー、フォーチェはねぇ、この街の祭りが好きなんだよ。」
「祭り?」
「そう、祭り。"クロヌ感謝祭"って言うんだけど、その内容がさ、ビール飲んでギャンブルするだけなんだよね。」
「あー好きそう。なんか納得。」
「酒盛の女神さまも来てるみたいだけどね。」
「あの人は酒さえあれば何処にでも来るよ。」
「アハハ、そっか。」
女二人の会話にまったくついていけないシュンが、可哀想に、一人で頭を掻いた。
ちなみにだが、二人が"フォーチェ"と呼んでいるのは、7月を司る"幸運の女神"、Fortunaのことである。幸運の名を冠していることからわかるように、彼女は運試しが好きだ。ギャンブルを生み出したのも彼女だと言われている。
それにしても・・・・・・女神さまを愛称で呼び捨てか。凄い胆力だな。
「おーい、とっとと行こうぜー。」
耐えきれずに、シュンが声をかけ、
「おう、じゃあ、協会に行こう。ナギ、協会の場所はわかる?」
「もっちろん!」
と、再び歩きだした。
聖廉信仰協会、クロヌ支部。
街と同じ、白っぽい灰色の石で造られた、背の高い建物だ。吹雪でそのてっぺんは窺えず、強風にも微動だにしない堅固から、シュンは強い威圧感を感じて思わず唾を飲んだ。 重たい木製の扉を押し開け、中に入ると、人々の熱気がもわもわと充満している。
「あー、大変そうだねー。」
欠片もそんなこと思ってない口振りで、神楽は呟いた。
忙しそうに行き交う人々の合間を縫うようにすり抜け、神楽は受付まで行くと、そこにいた人間を呼び寄せた。
「ねぇ、ちょっと、そこの人。君だよ君。暇じゃなくても聞いて。」
「――――――何でしょう?手短にお願いします。」
忙しい上に君呼ばわりされて、不機嫌を隠そうともしない若い男(と言っても、神楽やシュンよりは歳上。)の目の前に、神楽は証を突き付けた。にこりと笑いかける。
「オッケー手短に、だね。こういうわけだから、上に行かせてもらうよ。一応、連絡通しておいてね。神の司の神楽が来た、って。よろしく。」
呆気にとられる男を横目に、三人は受付を素通りして、階段を登るのであった。
最上階まで行くと、そこには部屋がひとつしか無かった。いや、正確には、ひとつ"だけ"あった、と言うべきか。長い廊下のど真ん中に、荘厳な造りの大扉がそびえ立っている。その前には衛兵が二人立っていた。衛兵は神楽を一目見るなり敬礼をし、扉をノックした。
「神の司様ご一行が、ご到着なされました!」
すると、一寸の間を置いて、扉が内側から開けられた。衛兵が道を空ける。堂々と進む神楽に続き、正直衛兵の立場になりたかったシュンが平静を装いながら中に入る。ナギは別段、いつもと変わっていなかった。
音もなく扉が閉められる。
(あぁ、これで退路は断たれた。)とシュンは思った。
大広間の中には大きな長方形の机があり、10人近くの人が座っている。神楽たちの正面、上座にいる人物が口を開いた。
「よくぞ来られた、神の司殿。私は聖廉信仰協会クロヌ支部長、十二聖者が一人、グラディア・フルールと申す。」
「坂木 神楽です。こっちは護り人の濬。早速ですが、」
と、挨拶もそこそこに本題へと入ろうとした神楽であったが、
「失礼、そちらのお嬢さんは?」
やけにキザっぽい声がそれを遮った。簡素だがしっかりとした、飾り気のある純白の鎧を身に付けている男だ。シュンの脳内は、何故かそいつを"敵"と判断した。神楽はその男を一瞥し、
「地元の方で、7月の女神の憑き人です。私が協力をお願いしました。――――よろしいでしょうか。」
と素っ気なく答えた。
「あぁ、これは失礼。邪魔をしてしまいましたね。どうぞ、お話ください。」
神楽はもはや一瞥すらしなかった。上座の男を見据え、「単刀直入に聞きます。」と前置きする。
「この中に、悪魔が紛れ込んでいませんか?」
人々の顔色が変わった。唯一変わらなかったのは、先ほどの鎧の男ぐらいである。
「何故、そのようなことを?」
「まず、この吹雪は悪魔によるものです。かなり高位の悪魔が操作していることは、見ればわかります。時折、黒い霧のようなものが混ざりますから。次に、下にいた協会本部の人たちの様子ですが、明らかにおかしい。忙しいとはいえ、外から入ってきた私達に、誰一人として気付きませんでした。熱気を感じたのは、おそらく、悪魔の操作に対する抵抗がはたらいて、全員 風邪をひいたような状態でいたからでしょうね。協会の機能が停止されれば、事件の解決はほぼ不可能になります。悪魔の狙いはそこでしょう。そして、」
広間を神楽が支配する。緊張感のような殺気のような、異様な空気が渦巻きつつあるのを敏感に感じ取り、シュンは警戒心を最大まで膨らませた。
「悪魔が乗っ取るとしたら、上の人間――――――すなわち、今ここにいる誰かに成り代わると思います。たとえ抵抗力の強い人間がいたとしても、上の人間には逆らえないし、命令ひとつで好きなように動かせますから。以上が理由です。」
そこまで一気に話すと、神楽はニヤリと笑った。
「何なら、引き摺り出してみせましょうか?今ここで。」
「――――――いや、それには及ばない。」
グラディアはそう言うと、スッ、と手を上げて、「この者たちを捕らえよ。」と当然のように命じた。
「はっ。」
命を受け、衛兵が背後から神楽を掴んだ。次いで、ナギも拘束される。
「え、あれ?」
「真の悪魔はこやつらである。神の司様に化け、虚言を用いて我々を貶めようとしたのだ。」
「あー・・・・・・そうきたか。参ったなぁ。」
「参ったなぁ、じゃねぇだろ!」
シュンが剣を抜いた。とにもかくにも、ここから脱出しなければならない。とりあえず、神楽を掴んでいる衛兵に向かって行った――――――の、だが。
「っ!!」
間一髪、横から頭を狙って振り切られた剣先を避けた。何者かの剣がシュンを迎え討ったのだ。シュンは距離を取りつつ、そいつを睨んだ。
「退けよ、キザ野郎。」
「悪いけど、僕にも仕事があるんでね。抵抗するなら斬るよ。」
「こっちだって仕事だ。邪魔すんなら斬るぞ。」
「平行線だね。」
男はちょっと肩を竦めると、改めて剣を構えた。
「僕は、神殿騎士団団長、ライジア・グリース。任務のため、斬らせてもらう。」
言うなり、ライジアは床を蹴った。
(速いっ。)
一瞬で間合いが詰められる。シュンは相手の斬撃を難なく受け流しながら、神楽を窺った。神楽は小さく首を横に振った。
(悪魔はこいつじゃないのか。)
じゃあ、一体誰が―――――――――
「余所見してていいのかい?余裕だね。」
「っ。」
ライジアの一段強い踏み込みをどうにか受け止めて、シュンは改めてそいつと向き合った。鍔迫合をしながら、小さく呟く。
「・・・退けよ。お前に構ってる暇はねぇんだ。」
ライジアは目を細めて嘲るように笑った。
「余裕だね。だから、足元を掬われるんだよ。」
「何を・・・?」
眉をひそめたシュンの動きを、また別の人物の声が止めた。
「動くな!動けば、司の命は無い!」
「なっ・・・!」
思わず、バッと振り返ると、捕らえられていた神楽の首筋に刃が添えられている。
「見ての通りだよ。さぁ、剣をしまえ。」
「・・・・・・くそっ。」
シュンは毒づきながら、剣から手を放した。剣は大理石の床を少し削り、高らかな音で鳴きながら倒れた。
ライジアは隙なく、シュンの首元にも剣先を突き付けた。
万事休す。
二人はそう思った――――――――――――――もう一人の存在を忘れて。
カツン、カツン、カツン。
硬い音。何かが、どこからか、床に落ちた。
「あ、ごめんなさい、私のサイコロです。落としちゃった。」
ナギは後ろ手に捕まりながら、わざとらしくそう言って、さりげなくサイコロの目を確認した。ニヤリと笑う。
「1・1・4、炎と風、ファイアブレス!」
誰が止める間もなく、ナギの詠唱に応じ、サイコロの周りを魔方陣が囲んでそこから炎が立ち上った。
「うわぁあああああっ!!」
ナギの一番近くにいた衛兵が、突然足元から吹き上げた炎に驚いて飛び退いた。拘束が外れる。
自由になったナギが手を軽く振ると、炎は収まった。魔方陣の中に転がったままのサイコロを拾い上げ、もう一度投げる。咄嗟のことに誰も動けずにいる空間の中で、ナギだけが呼吸をしているようだった。
カツン、と音が鳴って、そこでようやくライジアが我に返ったが、もはや遅い。
「3・3・3、ゾロ目の大樹、生い茂り絡みつけ!」
魔方陣が、一際強い光を放った。思わず目を覆ったライジアと衛兵たちは、
「・・・・・・え、うわっ、なんだこれ?!」
「あ、ありかよ・・・・・・・・・。」
魔方陣からするすると伸びた木の枝が、自分達の体に巻き付いていくのを見て、血相を変えた。
「おおー、すげー。やるねぇ、ナギ。」
「魔法か?すごいな・・・。」
拘束から抜け出した二人が口々にそう言って、ナギは得意気な顔で笑った。
「"ギャンブラー"って名前の魔法でね、フォーチェに教えてもらったの。何が出るかはダイスの目次第!」
「うわぁ、らしいなー。」
「だねぇ。」
「おーい、そんなこと言ってる場合か?」
弾みそうになった会話をシュンが無理矢理打ち切った。あぁそうだっけ、と神楽が頭を掻いた。
広間を見渡すと、木々に絡み付かれた衛兵たちの他に、椅子に座ったままの人々がいる。彼らは、魔法の効果範囲外にいるようで、木々の餌食にはなっていないのだが、何故か、微動だにしない。グラディアも同じだった。最後に命を下してから一言も発していないし、指先をぴくりともさせていなかった。
三人はこの異様な雰囲気に顔をしかめた。
「・・・・・・まぁ、なにはともあれ、悪魔を見つけなきゃねー。」
神楽は、あえて軽々しくそう言うと、袂から短剣を取り出した。使い込まれ古ぼけてはいるが、抜き放たれた刃は鋭く光り、切れ味のよさを証明している。神楽はそれを空中に放った。
「〈10月の女神に帰依し、その御力を借り受ける。知恵をもって悪魔の憑き人を示せ!〉」
短剣は神楽の目の前でピタリと止まると、ついとその切っ先を、上座に向けた。
「グラディア・フルール――――――やっぱ、あんたか・・・。」
「・・・・・・ふんっ、気付くのが遅いのではないのか、神の司殿?」
グラディアは俯いたまま、今までとはまったく違う声音でそう言った。おもむろに顔を上げると、その目は煌々と赤く光り輝いていた。
「悪魔に憑かれたか。」
「あぁ、憑いてやったさ。ちなみに、こいつはもう使い物になんねぇぞ。」
グラディアは――――――悪魔は、顔を歪めて笑った。
「ずっと抵抗してきやがって、鬱陶しいから精神を噛み砕いてやった。俺が離れたところで、こいつは最早、死んだも同然だぜ?ヒャッハッハッハッ!」
「――――――なるほど。ってことはさぁ、グラディアの命を考慮する必要は無いんだね。」
「ハッハッ・・・・・・ハァ?」
悪魔の笑みがひきつった。反対に、神楽が笑い出す。神職らしからぬ、悪魔めいた笑顔だ。
神楽は悪魔を指差した。空中に浮きゆらゆらと揺れていた短剣が、意志を感じ取ってピタリと止まった。
「奪い取ったその体ごと、死ぬがいい、悪魔よ。」
「ハァぁっ?!!!!てめぇっ――――――」
短剣が空を切り裂いて、悪魔の目を潰さんとする。
(や、やばい・・・・・・こ、殺されるっ?!)
この体を人質に、神の司の魂を頂く算段だった悪魔は、予想の斜め上をいく事態に、仕方無く憑依体を放棄した。
「はんっ、別に、憑依なんかしなくても俺には力が――――――」
「あったとしても、無駄になっちまったな。」
憑依体から飛び出た悪魔を待ち受けていたのは、大きく剣を振りかぶったシュンだった。
「じゃあな、悪魔。悪いがこれ以上、季節外れの吹雪はご免なんでね。」
悪魔はどうにかこの状況を打開しようと手を伸ばしたが、シュンはそれごと一刀のもとに両断した。
「ちっ・・・くしょおーーーーーぉっ!!」
バッサリ斬られた悪魔の体が黒い霧に変わり、空中に溶けて消えていく。それを無表情に見送って、シュンは事件が終息していくのを感じた。




