中編
夜は深まり――――――――――。
完全に酔い潰れたルルジアを抱え、ルーシアは帰っていった。マルシアさんも、ちょっとふらつく足で、兄弟二人とともに家路についた。
まだ客がちらほらいる酒場で、ナギは大きく伸びをして、
「いやぁ、今日も楽しかったなぁ。」
と欠伸をひとつ。今日もいい勝負だった、と、ニマニマしながら頬杖を突き、コップの酒を煽る。
しばらくの間ぼんやりとして、残っていた酒をちまちまと呑み下し、数十分ほど時間を無為に過ごしたあと、ナギは立ち上がった。
「・・・・・・さあて、帰っかな。じゃあね、サクラメさん。また明日ー。」
「おーう、気を付けて帰んなよ。」
「ん。おやすみなさい。」
「おやすみー。」
サクラメさんと挨拶を交わし、酒場を出る。――――――――――「うわっ!」扉を開けた次の瞬間、ナギはそれを閉めた。
「どうした?ナギ。」
サクラメさんの問い掛けに、ナギは振り返った。その服に、髪に、体のあちこちに、白い染みができている。ナギは呆然と、答えた。
「雪・・・・・・雪が、降ってる。なんか、吹雪いてる!」
「はぁ?!」
思わず大声を出したサクラメさんが、窓に駆け寄った。閉め切っていたそれを思いっきり開け放つと、
「っ!」
ゴウッ、と強い風が、雪とともに吹き込んできた。確かに、吹雪いている。騒ぎに気付いた客たちが、不安そうな顔で店主と窓を見ていた。
サクラメさんは窓を――――――風圧の所為でかなり苦労したが、何とか――――――再び閉め切って、店内を見渡した。
「見ての通り、外は吹雪いてる。今から外を歩くのは危険だ。急ぎじゃない人は、ここに泊まっていってくれ。ベッドは無いが、毛布くらいは出せる。・・・・・・今夜は、私の奢りだ。何だかよくわからん状況だが、呑んでいってくれ。」
そう言うと、サクラメさんは、店内に残っていた客たちに酒を配り始めた。
その様子を見ながら、ナギは、ハタとあることに気付き、扉に手を掛けるともう一度開けた。その瞬間、雪と風が侵入してきて、その音にサクラメさんが振り返った。
「ちょ、おい、どこに行くつもりだ、ナギ!」
そのまま外に飛び出そうとしたナギを、サクラメさんは咄嗟に掴まえた。ナギはその手を振り払おうとしながら、サクラメさんを見た。
「皆がっ・・・、ルルジアとルーシアとマルシアが、さっき帰ったばっかだから、吹雪の中にいる!――――・・・助けに、行かないと。」
そう早口で言い、尚も進もうとするナギを、サクラメさんは怒鳴り付けた。
「なんの装備も無しにどうやって助けるって?!死ぬ気かっ!」
「魔法で防御する!」
「三人が見つかるまでもつとでも思ってんのか?!馬鹿!ギャンブルに命は賭けるもんじゃねぇよっ!」
「だけど・・・・・・っ!」
未だ何か言おうとするナギを、無理矢理 店内へ引き入れ、サクラメさんは扉を閉めた。ナギがその場に座り込む。
サクラメさんは扉に背を預け、へたりこんだナギを見下ろした。
「・・・あいつらだってギャンブラーだ。あいつらの運を信じろ。それか、お前の強運であいつらの無事を願え。今できることは、それだけだ。」
サクラメさんはそう言って、ナギの肩を軽く叩くと、その場を離れた。
「――――――無事を、願う・・・。」
ナギは虚ろにそう復唱して、俯いた。
(頼む・・・三人とも、無事でいて・・・・・・っ!私の強運が本当に"強運"なら、助かれ!助かれ!!助かれ・・・っ!!)
強く、強く、願う。願い続ける。神も仏もろくに信じていない彼女であったが、今だけはどんなに熱心な信者よりも本気で、神に祈っていた。
(頼む・・・・・・!)
――――――――――どれほど、そうしていたのだろうか。店の壁掛け時計が、12時の鐘を打った。その音にナギは、1時間が経過したことを知る。
店内は、静まり返っていた。皆、眠っているらしい。見れば、サクラメさんも、カウンターの向こうで船を漕いでいた。
ナギは膝を抱え込んだ。泣きそうだ。不安で不安で眠ることはおろか、じっとしていることすら難しい。分厚い木の壁の向こうから、微かに、吹雪の音が聞こえている。
「・・・・・・・・・。」
ナギは、もう一度サクラメさんの様子を伺った。頭が大きく傾いでいる。それを見て――――――――――ナギは、そっと立ち上がった。もちろん、三人を探しに行くつもりだ。
充血した目をしばたかせながら、ナギはドアノブを掴んだ。
その時だ。
ゴンッ、ゴンッ、ゴンッ、と、何かが外からドアを叩いた。
突然のことに、固まってしまったナギだったが、間を置いてもう一度扉がノックされ、そこで、我に返る。
慌てて扉を開く。
吹雪の侵入――――――それとともに、二人の旅人らしき男女が、よたよたと、入ってきた。その背中に乗っているものを見て、ナギは口を押さえた。
「みんな・・・・・・っ。」
旅人たちは、三人を背に乗せていたのである。
マルシアさんを背負っていた女――――――神楽だった。神楽は、立ち尽くすナギに向かい青白い顔でニッコリと笑うと、
「大丈夫。助けるよ。」
と言って、マルシアさんを床に丁寧に下ろした。その横に、ルーシアとルルジアが無造作に置かれる。大の大人二人を吹雪の中まとめて背負ってきたらしい男は、――――――もちろんシュンだ。――――――それにしては細くてヒョロッとしてて、そんな力無さそうなのにな・・・などとナギには思えた。
「お疲れ、シュン。」
「・・・・・・・・・・・・おう。」
シュンは仏頂面で、かなり不機嫌そうに、小さく言うと、近くの壁にもたれかかって座り込んだ。
体を丸め込んで、少しでも熱を保とうとしているようだ。
それを見ながら苦笑して、神楽は三人を前にその場に正座をした。袂から何か、白い紙切れを取り出す。
("人形"、かな・・・・・・。)
魔術の心得があるナギは、その人の形をした紙を見て、東洋の不思議な魔法を思い出した。確か"人形"は、身代わりとして使われていたような・・・・・・――――――。
神楽はそれを床に並べて置き、
「――――〈その身に背負いし悲しき咎を、我が身に宿して代に送る。我が身は既に我が身で無く、神の代わりに万人を救う。〉」
と、おそらく東洋の言語でそう唱えると、細く息を吸い始めた。その深すぎる息とともに、神楽の顔はだんだんと白く白く青白く、苦しげになっていく。反対に、横たわった三人の顔は少しずつ、赤みを取り戻しつつあった。息とともにダメージを吸いとっているのだ。吸い込んで吸い込んで吸い込んで・・・・・・
あまりに苦しげな神楽の顔を見て、ナギが思わず制止しかけたその時、神楽は口を閉じた。
一瞬、それを押さえ――――――――――――・・・一気に、吐き出す。
ナギは、人形が端から凍りだしたのを見た。神楽の吸いとった三人の凍傷や冷えが、全て人形に移されていく。
神楽が完全に息を吐ききったとき、人形は完璧に凍りついて、軽い音を立てて割れた。
「いよーっし・・・。」
できたぁ、と、安堵の息をつき、神楽は正座を崩して座り込んだ。頬は、最初に入ってきたときよりもさらに青白く、息づかいも荒くなっていた。形代に移しきれなかった分を、背負ったのかもしれない。
その神楽を薄目に見て、それまで死んだように動かなかったシュンが、立ち上がった。無言で上着を脱ぐ。そしてそれを無言のまま、背後から乱暴に神楽に向かって放り被せた。
「うわっぷ。」
突然の上着の襲来に、神楽は変な声を上げた。シュンは素通りして、妙に据わった目をしばたたかせながら、近くの椅子に腰かけた。帽子を深く被って腕を組み、俯いたまま欠伸をひとつ。どうやら、本格的に寝る体勢に入ったらしい。
神楽は目を白黒させながらシュンを見て、上着を見て、不意に、にんまりと笑った。
しかし神楽は何も言わずに、その上着にくるまって横になると、あっと言う間もなく眠りに落ちる。
ナギはその一部始終を、呆然と見守るしかなかった。
(一体、何者?)
その疑問が解けるのは、そうとう後のことになりそうだ。神楽もシュンも寝てしまい、見ればサクラメさんも熟睡している。今この瞬間、起きているのはナギ、ただ一人だった。
ナギはしばらく、ぼんやりと辺りを見回して・・・・・・ルルジアとルーシアとマルシアさんが、確かに生きてここにいることを噛みしめ・・・・・・耳をすまして、未だに勢力の衰えを見せない吹雪の音を聞き・・・・・・とりあえず、今のところは私も寝よう。と、結論を出した。
◇
ナギが次に目を覚ました時、酒場の中は騒然としていた。窓の外からは欠片の光も射し込んでおらず、
(あれ?まだ、日、出てないのかな・・・。)
とナギは思った。
立ち上がると、誰が掛けてくれたのか、毛布がずり落ちて床に広がった。それを拾い上げたたみながら、カウンターの向こうで騒ぎを眺めているサクラメさんに近寄った。
「おはよう、サクラメさん。」
「あぁ、お早う、ナギ。よく眠れたか?」
「うん、大丈夫。ところで、今何時?」
ナギが尋ねると、サクラメさんは無言で、頭上の時計を指差した。時刻は11時30分。ナギは我が目を疑った。
「・・・・・・・・・え、まさか私、丸一日寝過ごしちゃった?」
「安心しな。まだ午前中だよ。」
「あ、そうなんだ。・・・・・・って、嘘。午前中?」
ナギは頷きかけて、眉をひそめた。サクラメさんの表情に変化はない。軽く頷いて、「信じられないだろうけどね。」と付け足す。
ナギは窓に駆け寄った。窓の向こうは真っ暗だ。結露し、白く曇った窓を拭き、顔を押しつける。
「――――――だぁから、無謀だ、っつってんだろ?!」
シュンが叫んでいる。ここにきてようやく、ナギにも騒ぎの理由が飲み込めた。
「この猛吹雪の中を、どうやって首都まで行くんだよっ!!」
外はまだ、吹雪の支配下にあったのである。
「まぁまぁ、落ち着けよシュン。どちらにせよ、行くしかないんだよ?」
「なんでだ!」
「だってこの吹雪の原因は、私の仕事の領域にあるから。」
笑ってそう言った神楽の言葉にシュンが黙った。そのまま無言のにらみ合いになる。
先に根負けしたのは、シュンだった。近くの椅子に座り、もう一度問い直す。
「――――――・・・どうやって、首都まで行く気だ?」
「んー・・・・・・神の加護を願うかな。たぶん、これは神様にとっても異例の事態だろうから、協力してくれると思うよ。今、10月だよね。んで、ここは7月の女神のお気に入りだから・・・。二人の加護を受けられたら、きっと首都まで行けるよ。」
「きっと、ってお前な・・・。」
「ま、そこらへんは賭けだね。」
「命懸けの作戦だな。」
「うまい!座布団一枚ってところかな。さ、行こう。」
「おーう。」
あっさりと話をまとめてしまった二人は、さっさと荷物を持ち、扉に手をかけた。しかしその手がドアを開けるより早く、サクラメさんが言う。
「ちょ、ちょっとあんたら!どこに行く気?!」
神楽が振り返った。
「ちょっと首都まで。」
「ちょっとって・・・・・・。わかってんのか?今この吹雪の中を、首都まで行けるはずがないだろう?」
「大丈夫だいじょぶ。神は私の味方だから。」
神楽の笑顔は自信満々で、さんざんごねていたシュンにも動揺はなく、サクラメさんはたじろいだ。
「神?神ってあんた・・・・・・・・・。あんたら、一体何者?」
「私ら?あぁ、言ってなかったっけか。じゃあ、改めまして、っと。」
そう言って襟元から取り出されたのはペンダント。その横でシュンも何かを取り出した。
神楽はそれを見せつけるように掲げながら、高らかに唄った。
「我が名は神楽!聖廉信仰協会より命を拝し、全ての神々及び信仰の代弁者にして預言者、依り代にして器、そして断罪者として世界を巡礼し、全ての宗教と信者たちに正しき知恵を授ける者、"神の司"だ!!」
「で、俺は濬。司の道連れ・・・・・・正確には、"護り人"、やってる。」
人々は絶句した。"神の司"、話には聞いていたが、どんなものかは知らず、凄さも知らず、しかし、滅多にお目にかかれない存在であることは知っていた。
神楽はその反応を満足そうに眺めて、証をしまった。改めて扉に手をかけると、軽く手を振りながら、
「ま、そーゆーわけだから。じゃあねー。」
と外へ出て行った。




