獣夫、人妻。その2
糖分多めです。
朝早く、ドゥリューネ家、現当主である「ラーグ・ドゥリューネ」は頭を抱えていた。
目が覚めた時、すやすやと隣で眠る愛しい妻「グレア・レイデル」にどう対応してよいのか分からなかったのだ。
ラーグは先日、前当主に隠居したいから当主になれと言われ、当主になるならば家族が必用だと訴え逃げようとするも、その願いは叶わなかった。
既に用意されていた嫁は人間で、獣人である自分とは凸凹すぎて何とも反応出来なかったが、いざ、彼女が口を開くと鈴のような声とラーグを虎さんと愛らしく表現した。
心に愛の矢でも刺さったかのようにラーグはグレアへと惹かれてたのである。
そんなグレアと無事に婚姻関係を結んでから早くも数日が経った。
このまま寝せておくべきか、無理矢理にでも自室へ戻らせるか、どうしようかと悩む。
結婚当初、部屋は別だったがラーグは下心満々でベッドを新調した。
虎の獣人である自身のサイズに合わせてあった大きなベッドをまた大きくし、自分と人間であるグレアが寝返りを打っても充分な大きさにしたのだ。
けれど期待していたことは一つも起きることなく、グレアは寝る前だけラーグの部屋へとやって来てベッドに入り寝るだけであった。
「グレア、起きなさい」
深く眠る彼女の肩を大きな手で揺する。
それから肉球で優しくぷにぷにと押すとなんとも愛らしい顔で笑うもので、頬を舌で舐め、その柔らかさを実感したい気持ちになってしまう。
「我慢、我慢、駄目だ」
頭を横に振って、頬へ近づきたくなる気を抑える。
ラーグは虎であるので猫の血が入っている。
そのため舌はヤスリのようにざらざらとしているため、グレアの肌など舐めてしまえば血が滲んでしまう。
「グレア、起きてください。でないと貴女を食べてしまいますよ」
冗談半分に言うと、グレアの目がぱちりと開いた。
グレアは寝ぼけ眼なのか体の動きがのっそりとしてはいるものの、確実に視線ではラーグを捉えていた。
両腕を伸ばしラーグの太い首へと抱きついた。
「おはようございます、虎さん」
耳元に囁かれた声はひどく甘ったるい。
今すぐに口づけを贈りたい気持ちになるが、堪えに堪えて笑顔を浮かべる。
これほどまでに自分が悶々とした気持ちになる朝は生まれてこのかた初めてだと頭を抱える。
「おはよう、グレア」
「今日も立派なお髭ですね、ラーグ様」
「ありがとう。けれど早く起きましょうか、父上がお腹を空かせて待っていますよ」
「はい」
良い返事を聞き、扉の外で首を長くして待っているであろうメイドへ声をかけた。
「はい、旦那様」
「グレアを、父上が待っているだろうから着替えは早めに頼む」
「かしこまりました」
立ち上がったグレアを人間のメイドが支えながら、早く行きましょうと扉を開ける。
あのメイドはグレアが婚姻するために獣人しかいないドゥリューネの屋敷へ連れてきた数名のうちの一人だ。
グレアと仲が良いのか、二人が話している時にラーグが近づくとあのメイドは冷えきった目を向け、まるで飼い犬が飼い主に近づく敵を殺さんばかりの威嚇である。
公爵の地位を持つ者が公爵へ嫁いだことが気にくわなかったのか、獣人へ嫁いだことが癪に触ったのかは分からないか、そのうち夜道で斬りかかれるのではないかとラーグは思う。
他の人間のメイドたちも例外ではなく、自分の屋敷であるのに肩身が狭い。
その光景を見て、父である前当主がまた面白がるので獣人であるメイドや執事といった使用人たちも笑顔で焦るラーグを見守っていた。
「さ、行こう」
両頬をパンッと叩いて気合いをいれ、食堂へと向かった。
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「遅い!遅いぞ、当主殿」
「すみません、父上」
父はフォークを肉球に挟み、ラーグへとその先を向ける。
「仮にも当主である身であるというのに、新婚であるからといって遅刻をして良いという言い訳にはならんぞ」
数日前までは当主であったのはそっちだろうと突っ込みたくなるが、ここは紳士な対応だ。
たとえ理不尽な言動をされても、笑顔もしくは表情を変えることなく、その場にあった対応をすることが大切である。
「何か言ったか?」
「いいえ、いただきます。食事中はお静かにお願いします」
「我が息子ながら苛つかせるもんじゃのう」
席に着いた瞬間に並べられていった食事へフォークを刺した。
ラーグ好みに焼かれた目玉焼きは半熟で大変満足だ。後で料理長の元へ行き、礼を言っておこう。
「して当主殿、奥様はまだか?」
「もうそろそろ来られるとは思いますが、父上はグレアに何か用があるのですか」
父は近場の農園で採れた葡萄のジュースを口に含む。
まろやかな甘さとすこしばかりの酸味が、朝の目覚めからもっと頭を覚醒させてくれるものでとても良いものだ。
ラーグも共に葡萄ジュースを飲む。
「いやなに子供はまだかと思ってな」
「子供は当分あり得ません、グレアは人間なのですよ。私たち獣人とは体の作りが違いすぎますから、どんなに好いていようと無理に子供を望むことなど出来ないです」
「人間と獣人の違いなど薄毛か毛深いかぐらいじゃろうに、ラーグは奥手だな」
孫コールを始めた父を無視していると、廊下から聞こえてきた足音にぴこぴこと耳が動く。
「噂をすれば奥様だのう」
「父上、黙っていてくださいね」
にんまりと笑顔をむけるついでに磨いたばかりの大きな牙を見せつける。
虎の中でも大きな牙は自画自賛だが、己の体の中のチャームポイントであると思っている。
鋭い牙は水からが強いということを示す一番簡単な方々でもあるのだ。
おお怖いと言い黙った父を見て、食堂入り口の扉へ体を向けると扉が開く。
「お待たせしました」
身形を整えたグレアはラーグの隣に座る。
いただきますと言った後、小さな手がフォークを掴むのをラーグは自然と目で追いかけていた。
「当主殿、鼻の下が伸びておる」
「伸びてない」
「では、髭が張っておる」
「張ってない」
「ラーグ様、朝食はもういいのですか?」
「もういい、だがグレアと共に出る」
「お熱いのー、熱い、誠に熱すぎてたまらんぞ」
「ならば出ていかれれば良いのではないですか、父上」
へいへいと前当主は渋々、食堂から出ていった。
++++++++++
グレアが食事を食べ終わるとラーグは耳を立てて、長い尾を振った。
「ラーグ様、しっぽが動いてますよ」
「不可抗力なので気にしないでください。たとえこの尾を触られても私の心は、尾と反していますから」
縞模様の尾は、いくら意識を集中させても感情によって動いてしまうので、ある意味で獣人の心は尾で理解出来ると言っても良い。
ラーグは嘘をついていた。
「そうですか、では失礼します」
なんの疑いもなく、グレアは左右へゆっくりと降られていた尾を掴んだ。
それはもう、柔く、そして勢いよく。
「にゃ、」
「え?」
硬い毛に覆われていた尾の感度は敏感ではないものの、いきなり握られるという経験があまりなかったラーグにとっては驚きからついつい本能的な声が漏れてしまった。
「ラーグ様が猫さんの声?」
「猫ではなく虎だ」
「でも、猫さんですよ」
姿形は猫化だが、模様や毛色は虎である。
「やっぱりラーグ様も猫さんなんですね!」
両手を合わせて喜ぶグレア。
愛らしさにラーグはたまらず抱き締めた。
「夫が猫で良かったか?」
「もちろんです。私は猫、虎さんだからこそ、ラーグ様と結婚したのですよ」
硬い髭で肌を傷つけないように顔を擦り寄せて、ごろごろと喉を鳴らす。
母親以外の誰にも聞かせなかった喉の音を愛する妻へ贈る。
この思いはきちんと届いているだろうか。
「それと、ラーグ様」
「ん?」
「後で、その大きな肉球をお触りしてもいいですか?」
「良いとも、この虎の硬い肉球ならばいくらでも差し出そうではいか」
まあ、今は雄の強さを見せるよりも、愛らしい虎として側にいよう。
おわり