2話 花屋の少女
「お客さん。そろそろ起きてください」
聞き馴れない少女の声がした。
誰かに肩を揺すられて目を覚ましたものの、頭はまだぼんやりとしていた。眠気まなこを無理矢理開く。
ようやく目を開くと、面識のない少女がキタの目の前にあった。
「大丈夫ですか?」
大きな目だな、という第一印象。
中学生くらいだろうか。少し長めのショートヘア。ふんわりとした色素が薄い茶色の髪は、触ったらきっと柔らかいだろう。
「あの……大丈夫ですか?」
少女が、もう一度訊ねる。
のそりと顔を上げると、辺りは濃い緑を帯びた観葉植物に囲まれていた。
ここは……?
眠い目を擦りながら、ぼんやりと辺りを見回した。
入口の近くにあるガラスケースには、薔薇やカサブランカ、カーネーション、後は名も知らない華やかな切花が並んでいる。淡い色の花は、蛍光灯の光を浴びて薄っすら青みを帯びている。
そうだ、ここは。
ようやく、自分が花屋に来ていたのだと思い出す。
キタがいるのは、店の奥に設けられたカフェだった。
高良生花店はカフェも併設している。ここ数年前から、店の主人が趣味で始めたという話だ。小さいながら結構人気がある職場の女性が話していた。
キタが突っ伏していたテーブルには、この店特製ブレンドコーヒーが、一口も手を付けられることなく冷たくなっていた。
――そうだ、急な注文が入って、お前が取りに行けと走らされ、商品を注文してから、時間が掛かるからとここに通されて……。
すっかり寝入ってしまったというわけか。
窓に目を向けると、外はもう真っ暗だ。
「くそ」
キタは舌打ちをすると、苛立ったように髪を掻き毟る。
「今、何時?」
投げやりなキタの様子に怯えているのだろう。店員の少女は、びくっと肩を震わせた。
「…………八時、ちょっと過ぎです」
嘘だろう。キタは耳を疑った。
店に来たのは確か四時過ぎ。五時までに商品を持って戻らなければならなかったはずなのに。
「やっちまった……」
何てことだと、キタは頭を抱えて込んだ。
ふと、肩に毛布が掛けられていることに気がついた。無造作に毛布を剥ぎ取ると、少女の目の前に突き付けた。
「これは?」
「……わたしが。寒そうだったので」
すっかり萎縮した少女は、キタの目を見ようともしない。
少女もようやく気づいたのだろう。こんなことをする前に、その前にすべきことを。
「……あのさ、こういうのいらないから」
そのまま毛布を少女に付き返す。
「ごめんなさい。何度か起こしてみたんですけど……」
目を覚まさなかったから、と蚊の鳴くような声が耳に届く。
キタは小さく舌打ちをすると、自分の髪に指を埋め、少女から顔を背けた。
――これじゃガキの八つ当たりじゃねーか。
不注意だったのは自分だ。わかってるが、少女に対して苛立ちを感じているのも事実だ。
「お花はうちの者が運んでおきました」
取り敢えず、客からのクレームは避けられたということか。
一応、礼の言葉くらい言うべきだとはわかっている。
「……面倒、掛けて悪かったな」
ダメだ。自分で言うのもなんだが、とても感謝の気持ちは感じられない。
「配達代も請求に入れといて」
キタは用件のみを告げると、椅子から腰を上げた。
コーヒー代をテーブルに置くと、椅子に掛けてあった黒いフードつきコート、古びた皮製の鞄を掴み取る。
「あの、ごめんなさい。わたし……」
少女の声が追い駆けてきたが、キタは無言のまま、コートも羽織らず店を飛び出した。