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1話 悪夢

 ひとりの男がいる。

 痩せた頬、落ち窪んだ眼孔。

 まだ歳若いようであるが、張りを失った肌と荒んだ瞳が男を老人のようにも見せていた。

 明かりもつけない荒れ果てた部屋の中で、テレビだけが絵空事のようにしらじらいい。

 騒がしい笑い声が、時折テレビから湧き上がる。

 だが、どんなに愉快な番組であっても、男にとっては何の意味も持たない。

 古い型のブラウン管テレビ。

 丸い小さなテーブル。

 子供向けアニメのシールがべたべたと貼られた整理ダンス。

 だが、この部屋には子供の気配などない。

 ささくれだった茶ばんだ畳。

 日に焼け崩れかけた砂壁。

 白茶けたカーテン。

 うず高く積み上げられた雑誌。

 空になった弁当の容器。

 空き缶が詰め込まれたビニール袋。

 突然、男は小さな丸テーブルを掴む。力任せに投げ飛ばし、音を立ててテレビに激突した。

 ゴミが辺りに散乱し、さっきまで音を立てていたテレビは沈黙する。


 ――――畜生。


 男は苛立った様子で、胸ポケットから煙草とライターを取り出した。

 煙草に火をつけようとするが、手が震えてなかなか着火してくれない。

 男は舌打ちをすると、煙草を壁に叩きつける。

 転がったウィスキーの瓶を、手元に引き寄せ、震える手で蓋を開け、瓶に直接口をつける。

 瓶の口が歯に当たり、がちがちと音を立てる。

 口の周りを、胸元を濡らしながら、男は褐色の液体を一気にあおった。

 ――――俺の、俺のせいじゃない。

 男は何かから怯え逃れるように、酒をあおり続けた。


  *  *  *  *  *


 言い様のない息苦しさを覚え、キタは目を覚ました。

 辺りはまだ暗い。どうやらまだ夜は開けていないようだ。


 ……今、何時だ?


 枕元の目覚まし時計に手を伸ばそうと思ったが、面倒になってやめた。毛布に顔を埋め、もう一度眠ろうと目を閉じる。


 コチ、コチ、コチ、コチ…………。


 時計の秒針の音がいやに大きく、規則正しい無機質な音が暗い室内に響き渡る。

 しばらく毛布に包まって眠りが訪れるのを待っていたが、どんどん頭が冴えていくだけのようだ。


「くそ」


 ダメだ。キタは諦めて思いきり布団をはね除けた。しかしあまりの寒さにもう一度布団を引き寄せる。

 布団から腕だけを出し、手探りで目覚まし時計を探し当てる。


 蛍光塗料の塗られた時計の針は、朝の四時を示していた。眠ったのが一時過ぎだったから、三時間も眠っていない。

 無意識に舌打ちすると、キタは乱暴に頭を掻き毟る。頭の芯がじんと熱を帯びているようだ。


 もっと眠らせろと身体が言っている。しかし、この部屋に染み付いた男の記憶が、キタを眠らせてくれない。

 この部屋に移り住んでそろそろ半月。キタはひとりの男の夢を見続けている。

 最初はただの夢だと思っていたが、同じ男が出てくる夢を三日立て続け見るなんて、さすがにおかしい。そしてようやく、これがただの夢ではないことに気がついた。


 男は以前、この部屋の住人だったのだろう。そしてこの部屋で死んだ……のかまではわからない。

 ただわかっているのは、男の思念のようなものが、この安アパートの一室にべったりと滲み込んでいるということ。その思念が悪夢の原因だということ。


「畜生……」


 なるほど、ここのアパートの家賃が破格だったわけだ。わかっていたら、こんなところに引越しなどしなかったのに。

 不動産屋の店員を恨めしく思う一方、気づかなかった自分に嫌気が差す。

 だが引越ししてしまった以上、しばらくはここに留まるしかない。現在のキタの所持金は、ほぼゼロに等しかった。


「あーあ、ねみ……」


 半分開かない瞼を擦りながら、灯りをつけようと手を伸ばす。照明器具から垂れ下がった紐を引くと、丸い蛍光灯がちかちかと瞬いた。

 眩しくて、一瞬目を細める。次第に慣れてきた目で、白々とした灯りの下に浮かび上がる殺風景な部屋をしみじみと眺めた。


 中古屋で購入したテーブル。

 拾ってきた中古の石油ストーブ。

 昨日食べたカップラーメンの食べ残し。

 十年以上は使っているラジカセ。

 暇つぶしに買った雑誌。

 脱ぎ散らかした衣類……などなど。


 さっき夢の中で見たばかりの光景と妙に重なって、急にやるせない気分になる。

 壁の薄い部屋の中は、身体の芯まで凍えるほど冷えきっていた。あまりの寒さに、身体が勝手に身震いしてくるほどだ。


 キタは毛布を引っ張り出して肩に羽織ると、ストーブの前に屈み込んだ。

 テーブルの上のマッチ箱から、残り少ないマッチ棒を取り出す。箱に勢いよく擦りつけると、灯った小さな火をストーブに移した。


「頼むから早く温まってくれよ……」


 すん、と鼻を啜るとストーブに語り掛ける。

 改めて毛布を身体に巻き付けて膝を抱える。徐々に赤く染まっていくストーブに手をかざし、凍えた指先を擦り合わせる。

 ようやくストーブは熱を発し始め、キタは安堵の息をひとつ吐き出した。

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