プロローグ
空は曇天。鳥の姿も見えない、凍えた空が頭上に広がっていた。
「……しっかし、寒いなぁ」
黒尽くめの格好をした青年は足元にバケツを置くと、寒そうに両手を擦り合わせ息を吐き掛ける。
敷地内の草むしりと墓石磨きが主の掃除が終われば、ひとつひとつの墓石の前に、白い花を一輪ずつ置いていく。
水に浸した切花が入ったバケツは重たく、張られた水は氷水のように冷たくなっていた。
明日もあさっても続く、終わることのない永久運動。これが墓守と呼ばれる青年の主な仕事であった。
「……よし」
あとひとつでおしまいだ。青年は腰を伸ばした。
改めて辺りを見渡す。少し緑が薄くなった芝生の絨毯がゆるやかな起伏のある大地を覆い、その上には白大理石で作られた薄い長方形の墓石が、規則正しく大地の上に連なっていた。
この広大は墓地の下に、無数の人々の亡骸が眠っている。
いつしか人はこの墓地を「眠りの丘」と呼ぶようになっていた。
青年はひとつの墓石の前で立ち止まると、足元にバケツをゆっくりと降ろした。ちゃぷん、と中身の水が音を立てて揺れる。
青年は白い椿の花がついた枝をバケツから取り出し、墓石の前にそっと供える。
「ほら、あんたと同じ名前の花だってさ」
土の下で眠る少女に語り掛ける。
青年は一礼すると、名残惜しい気持ちを抑えながら墓石に背を向けた。
ありがとう。
思わず足を止めた途端、閉門を告げる鐘の音が辺りの空いっぱいに鳴り響く。
今の声は……。
青年は動揺を抑えながら、ゆっくりと周囲を見渡したす。この辺り一帯には、青年以外誰もいない。
そして、最後にもう一度、少女の墓石に向き直る。
当然、誰かがいるはずもなく、白い大理石の墓石が佇んでいるだけだ。
――きっと空耳だ。
青年は自分に言い聞かせると、思いを断ち切るように視線を逸らした。
ずっとPCで眠っていた話ですが、最後までお付き合いいただけると嬉しいです。