第9話 渡る橋に鬼はなし
サークルを辞めてから一週間が経った。
放課後、昨日の田村の話を頭の中で反芻しながら、一人で校門を出ようとしたとき、背後から声がかかった。
「ねぇ」
振り返ると、長谷川詩織が立っていた。
いつものようにトートバッグを肩にかけ、少し息を弾ませている。
「長谷川……さん」
「小林くん、サークルやめたんでしょ」
「……ああ」
「あんなに楽しそうだったのに、どうして?」
楽しそう。長谷川さんにはそう見えていたのか。
僕は少し考えてから、正直に答えた。
「あそこにいたら、どんどん臆病になることに気づいたから」
「臆病?」
「ただただ練習や理論を学んで……」
言葉が詰まる。
「そのうちに大切な人にはもう恋人ができて」
長谷川さんは、普段からくりくりの目をさらに丸くした。
「……そうなんだ」
沈黙が二人の間に広がった。
校門の外を、学生たちが笑いながら通り過ぎていくが、僕の耳には全く入ってこなかった。
僕たちだけが、その空間に立ち止まっていた。
長谷川さんが口を開いた。
「私、ひとつ嘘の噂を流したの」
「……え?」
「彼氏がいるって噓」
心臓が跳ねた。
「嘘……?」
「うん。本当は、いないよ」
頭が真っ白になった。
彼氏は、いない?
噓だった?
「なんで……そんなことを」
長谷川さんは、肩にかけたトートバッグの持ち手を指でくるくる回した。
「なんでだろうね」
彼女は少し笑った。でも、笑顔がすぐに消える。
「あなたがうだうだしてるのが、耐えられなかったのかも」
「うだうだ……」
「避けて、逃げて、でも気にしてる。そういうの見てて……もどかしかった」
僕は何も言えなかった。
「だから、焦らせようと思った。彼氏ができたって噂を流したら、動くかなって」
「それで……俺……」
「うん。ちゃんと反応してくれた」
長谷川さんは、真っ直ぐ僕を見た。
「小林くん、私ね——」
「待って」
僕は思わず手を上げた。
「ここで……聞いちゃダメな気がする」
「え?」
「その……ちゃんとした場所で、ちゃんと話したい」
長谷川さんは、少し驚いたように瞬きをした。
それから、ふっと笑った。
「……そっか。慎重なんだね、やっぱり」
「慎重っていうか……ちゃんとしたいんだ」
「いいよ。待ってる」
「本当に?」
「うん」
彼女は一歩近づいた。
「でも、あんまり長く考えすぎないでね」
「……わかった」
「じゃ、またね」
長谷川さんは、軽く手を振って歩き去った。
僕は、その場に立ち尽くしたまま、彼女の背中を見送った。
その夜、部屋に戻って、机に向かった。
ノートを開く。
「慎重さは、臆病の言い訳」
「距離」
「練習は、行動しない理由」
これまで書いた言葉が、ページに残っている。
その下に、新しく一行書き足した。
「嘘の噂」
書いたあと、ペンを置いた。
彼女は、僕を動かすために嘘をついた。
僕が動くことを、待っていた。
今度こそ、動かなきゃいけない。
今度こそ、橋を渡らなきゃいけない。
でも、どうやって?
告白の練習は、散々やった。
でも、本番はやったことがない。
練習と本番は、違う。
全然違う。
スマホを手に取った。
サークルのグループLINEを開く。
辞めたはずなのに、まだ抜けていなかった。
田村:《次回の練習、シチュエーション別告白をやる》
佐藤:《了解》
斎藤:《雨の日バージョンも入れよう》
吉田:《それな》
相変わらずだ。
僕は、しばらく画面を見つめた。
それから、スマホに入力を始めた。
「明日、部室集合できる?」
送信ボタンを押した。
すぐに既読がついた。
田村:《小林!?》
佐藤:《どうした!?》
斎藤:《復帰するのか》
吉田:《おかえり》
僕は返信した。
「復帰じゃない…頼みがあるんだ」
田村:《何でも言え》
「告白する。手伝ってほしい。練習じゃない。本番だ」
画面は既読の数字だけ1から4に変わり、少し間を置いた。
それから、一斉にメッセージが流れ込んできた。
田村:《マジか!!!》
佐藤:《ついに!!》
斎藤:《了解した》
吉田:《全力でサポートする》
田村:《明日、さっそく作戦会議だ》
僕は、少しだけ笑った。
やっぱり、こいつらはなんだかんだで頼りになる。
橋を渡るのは、一人じゃなくてもいい。仲間がいてもいい。
スマホを置いて、窓の外を見た。
夜空に、月が浮かんでいる。
今度こそ。
橋を渡る。
向こう岸へ。
長谷川さんのいる、向こう岸へ。
深く息を吸って、吐いた。
胸の奥が、静かに熱くなっていた。
翌朝、目が覚めると、スマホに大量の通知が来ていた。
田村:《作戦立てた》
佐藤:《資料作成中》
斎藤:《場所と時間のリスト完成》
吉田:《小道具は工学部の俺が用意する》
なんだこいつら。
寝てないのか?と思いながら、少しにやけてしまった。
僕は気合いを入れ直し、急いで着替えて、大学に向かった。
一限が終わると同時に、部室に駆け込んだ。
ドアを開けると、四人が待っていた。
ホワイトボードには、びっしりと文字が書かれている。
「小林告白大作戦(本番)」
「目標:長谷川詩織への告白成功」
「成功率:100%を目指す」
「これは……」
「座れ」と田村。
僕は椅子に座った。
田村が、指示棒でホワイトボードを叩く。
「我々、告白練習サークルの集大成だ」
「お前ら、俺より気合い入ってるじゃないか……」
「当たり前だ!これが本来俺たちが目指していたものだ!」
佐藤が資料を開く。
「まず、告白の舞台…」
「それは…学園祭だ!」と斎藤が続ける。
「学園祭?なんで?」
「これがサークルの集大成だからだ。サークルの発表は学園祭と相場は決まっている」
「その学園祭で告白大会を実施する。そこで小林には本気の告白をしてもらう」
「待て待て待て…公開告白ってことか?」
「そうだ。我が告白練習サークルの集大成にふさわしい舞台だ」
「もちろん俺たちが前座で告白を披露する」と斎藤。
「見ている人も飛び入り参加できる告白大会だ」と佐藤。
「で、最後に小林。お前の告白を披露するんだ。必ず成功する」と田村
僕は、少し圧倒されていた。
こいつら、本当に本気だ。
「最後に、告白の内容だ」と田村。
「これが一番重要」
四人が、真剣な顔で僕を見た。
「小林、お前の言葉で言え」
「……当たり前だろ」
「ただし!」と田村が指を立てる。
「無駄なことは考えるな!お前の思いをぶつけろ!長谷川さんを笑わせたあの告白以上の告白をぶつけろ!」
「普通の告白でいいんじゃないか」と僕。
「いや、長谷川の気持ちを動かしたのは、確かにあの告白だった」と斎藤。
「それを超える告白をぶつける」と佐藤。
「本来告白に理論なんてものはなかったんだ。気持ちをぶつけてこい」と吉田。
じゃあ、練習は何だったのかと心の中で突っ込み僕は、四人を見回した。
バカだ。
本当にバカだ。
でも、頼りになる。
「ありがとう」
「礼は成功してからだ」と田村。
「お前が成功すれば、俺たちにも希望が見える」
「じゃあ、学園祭実行委員会にこの内容で申請書を提出する」
「了解!」
四人が敬礼した。
僕も、つられて敬礼した。
今度こそ、長谷川さんが待っている橋の向こうへ行く。
学園祭で必ず決める。




