第6話 石橋を叩いて伸ばす
僕たちは放課後になるといつもの教室に集まって、いつものように告白の練習をした。
ただひとつだけ違ったのは、僕が極端に口数を減らしたことだった。
「小林、お前、今日は“女子役”な」
田村が当たり前のように言い、僕は頷いた。
僕は女子役として「えっ……そんな……急に言われても……」と、いつも通りの裏声を出す。
でも、心あらずといった感じで感情は全く乗っていなかった。
詩織は、来なかった。
理由はわからない。
でも、来ないという事実は、僕にとって都合がいい。
そう思いたかったが、実際はただ不安を膨らませていくだけだった。
練習が終わると、田村が肩を叩いた。
「小林、最近おとなしいな。失恋したか?」
「いや、失恋も何も臆病な僕は何もできてない」
即答した。
嘘偽りの無い。本当のことだからだ。
佐藤が前髪をいじりながら言う。
「長谷川さんか。長谷川さんなんだろ。意識してしまってるんだな」
「いや、意識っていうか、その……普通……」
斎藤がペンを回しながら言った。
「普通ってなんだ。はっきりしないやつめ」
吉田はアメリカンドッグを食べながら、ひとことだけ。
「小林、恋の歩幅は間違えるなよ」
「吉田。君には何も言われたくないよ」
僕は笑った。
笑ってごまかせたら良かったのに、その笑いはすぐ消えた。
翌日、長谷川さんが前から歩いてきた。
僕はとっさに、教室とは逆方向に歩き出した。
もちろん、用事なんてない。
背後から、かすかに僕の名前を呼ぶ声がした気がした。
でも、振り返らなかった。
さらに翌日。
図書館の入り口で、ばったりと出会った。
逃げようがなかった。
「小林くん」
「……あ、うん。こんにちは」
声が上ずった。
「最近、なんか避けてる?」
「いや、そんなつもりは…」
「そっか。それならいいけど」
長谷川さんは、かばんの持ち手を指先でくるりと回した。
癖なのだろう。
その小さな動きに、僕はまた意識してしまう。
「昨日呼んだのも気が付いてなかったの?」
「どうだろ…」
「どうだろ?って気が付いてたんじゃん」
「ちょっと急いでたんだ」
自分でも、笑えるほど下手な言い方だった。
長谷川さんは、笑わなかった。
「この前の告白のこと、恥ずかしいって思ってるの?」
「いや……恥ずかしいけど……それだけじゃなくて」
「じゃあ何?」
言葉を探す。
でも、言葉は、探すほど逃げていく。
僕は、正直に言った。
「……崩れたくないんだと思う」
長谷川さんは瞬きを一度した。
「崩れる?」
「サークルも、自分も、今ある形があるだろ。
そこから変わるのが、なんか……怖いというか……」
僕はうまく言えている気がしなかった。
でも、今の僕にはそれが限界だった。
長谷川さんは少しだけ息を吐いた。
「慎重なんだね、小林くん」
「……うん。多分」
「慎重って悪いことじゃないとけどね…」
そう言って、彼女は歩き出した。
でも、三歩目で足を止めて、振り返った。
「ただね。慎重すぎると、むしろ距離を遠ざけちゃうよ」
その言葉は、図書館の自動ドアが開く音より静かだったのに、僕の胸には、はっきり届いた。
長谷川さんはそのまま入っていった。
残された僕は、動けなかった。
慎重さは、臆病の言い訳。
昨日ノートに書いた言葉が、そのまま読まれていたみたいだった。
部室に向かう途中、ベンチに座っているサークルメンバーが見えた。
田村がペットボトルのラベルを剥がしながら言った。
「小林、今日来ると思ってたぞ」
吉田が言う。
「俺たちはお前の味方だ」
斎藤が続ける。
「俺たちは如何に告白の成功率を上げるか。そこが軸なのだ」
「そのための告白練習サークルだ」と佐藤
僕は返さなかった。
返せなかった。
その夜、ノートを開いて、新しく一言書いた。
「距離」
書いたあと、ページを閉じた。
今日は、消さなかった。
橋の手前で立ち止まっていたはずが、石橋を叩いているうちに、橋はどんどん伸びていたらしい。
橋はずっと同じ距離ではなかったのだ。




