第4話 また橋の手前に
昼休みの学食は、いつもどおり騒がしかった。僕は焼きそばを受け取って、端の席に座った。箸を入れても、味は思い出せない。昨日のことがずっと頭の中でぐるぐる回っている。
上の空で焼きそばを啜っていると、突然背中を叩かれた。田村だった。叩く強さが、いつもより二割増しだ。
「小林!昨日のは名演だったぞ。我ら告白練習サークル史に残る偉業だ」
「まだできて1年も経ってないだろ」
「これから何百年と続く!」
佐藤が向かいにドスンと座る。前髪がいつもより主張している。
「三千字告白、録音しておけばよかったな。文字起こしして、文化祭で朗読したい」
「さすがにそこまで長くなかったろ」
吉田は冷静にお茶を置いて、「恋愛工学的に告白時間と成功率は比例するらしい」と言った。
「どこの研究データだよ」
斎藤は隣に腰を下ろし、メモ帳を開いた。「君の瞳は夜空に浮かぶ星々を凌駕し…」
「おい…ちゃんとメモってるじゃねーか」
「君の瞳に乾杯」と田村がお茶を突き出してくる。
無言で田村を引っぱたいた。
普段はこのダル絡みが好きで一緒にいるが、今日は状況が違う。
食べ終える前にトレイを片付けて、僕は図書館に逃げ込んだ。
四階の窓際、辞書の棚の影。長い机の端っこに座って、ノートを開いた。
特に書くことはない。僕は罫線に沿って、意味もなく鉛筆で短い線をいくつか引いた。
「小林くん」
不意に名前を呼ばれて、鉛筆を落とし、反射でノートを隠した
「ごめん邪魔した?」
「あ、いや、ただ線書いてただけ…」
「線…?隣いい?」
「ど…どうぞ」
長谷川さんは隣に座り、鞄から文庫本を出した。ぱらりとめくって、ふっと笑う。
「昨日の告白、ほんと面白かった」
“面白い”がどんな意味なのか考える前に耳が熱くなる。僕はノートの端に小さく「普通」と書いた。
自分の字が少し震えている。普通…普通…と小さく呟く。
「いや、その……初めての本番…いや、初めて女性相手の練習だったので暴走してしまいました」
「でも、嬉しかった」
嬉しかった?それは面白いとどう違うのだろうか。もう僕の頭では考えが追い付かない。
しばらくのあいだ、ページをめくる音だけが続いた。時計の針が進む気配はあるのに、時間そのものは動いていないみたいだ。僕はノートの別の端に「嬉しかった」と書き足した。僕の語彙はどこに行ってしまったのだろうか。
「帰ろうか」
長谷川さんが本を閉じて言った。帰ろうかの後に“一緒に”があるように聞こえた。
「……あ、うん。でも、ちょっと用事が」
声がひとつ高くなる。何も用事なんてないのに僕はいつもそうだ。
「そっか」
詮索をしない返事だった。やさしいのに、すこし痛い。長谷川さんは文庫本を鞄に戻して立ち上がる。「またね」とだけ言って、去って行った。背中は、少し寂しそうに感じたが、それは多分僕の思い込みに違いない。
図書館を出ると、廊下の曲がり角に四人がいた。偶然を装っているが、全員の顔に「待ち伏せ」の二文字が書いてある。
「どうだった? 図書館デート」と佐藤。
「デートではない」
「また長文で告白したか?」と斎藤。
「そもそもなんでここにいるんだ」
「狸狸亭で反省会しよう」と田村。
「なんで負け前提なんだ」
「勝ったのか?」
「いや、多分敗北だけど」
「今日はポン酒奢ってやろう」と吉田。話が勝手に整っていく。僕の都合は、いつも置いていかれる。
「悪いけど、今日はやめとく。課題がある」
「おう……そっか」田村の声が少しだけ落ちたが、すぐに元の高さを取り戻した。「じゃ、明日の練習楽しみにしてるぞ」
「何をだ?」
「明日は長文告白の練習だ。みんな長文の告白を考えてくるように」
「長文はどう考えても失敗だっただろ…」
「昨日の小林は長谷川さんの良さを全部告白として吐き出した。俺たちも相手の良さを伝える能力を養わなければならない」
「相手の良さの言語化」と斎藤がメモを取る。
彼らと別れて、校舎の外に出た。風は弱くて、空気はまだ少し冷たい。どこかの家からカレーの匂いが漂ってくる。
信号待ちで立ち止まり、なんとなく空を見上げた。薄い雲と、色を失いかけのはっきりしない青。
図書館でのやり取りを思い出しながら、とぼとぼと歩く。
やっぱり僕は告白って行為にだけ興味があるのかな。




