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石橋を叩いて恋に落ちる  作者: はらっぱ


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第11話 石橋を叩いて恋に落ちる

学園祭当日の朝は、いつもより早く目が覚めた。時計を見ると午前六時で、集合時刻の四時間も前だったが、もう一度眠ろうとしても目が冴えてしまって無理だった。

仕方なく布団から出て、窓を開けると、秋の冷たい空気が部屋に流れ込んできて、それが少しだけ僕の緊張を和らげてくれた気がした。


シャワーを浴びて、何度も鏡で自分の顔を確認した。変な寝癖はないか、目の下のクマは目立たないか、表情が硬くなりすぎていないか——どれも気にしたところで仕方ないことばかりだったが、気にせずにはいられなかった。

服は昨日のうちに決めていたが、着てみると何か違う気がして何度も着替えを繰り返した。


服がようやく決まり、朝食を食べようとしたが、喉を通らない。トーストを半分だけ齧って、コーヒーを一口飲んで、それだけで胃が重くなった。


スマホを見ると、グループLINEに既にメッセージが入っていた。


田村:《おはよう!今日は歴史的な一日だ!》


佐藤:《緊張で眠れなかった》


斎藤:《俺も三時間しか寝てない》


吉田:《小道具チェック完了。準備万端》


田村:《小林、準備はいいか?》


僕は返信した。


「準備はできてる。たぶん」


田村:《"たぶん"じゃない。絶対だ》


佐藤:《大丈夫、お前ならできる》


斎藤:《俺たちがついてる》


吉田:《じゃあ、十時に会場で》


スマホを置いて、深呼吸した。もう後戻りはできない。今日、この日に、すべてが決まる。


午前十時、中庭に着くと、既に四人が集まっていた。田村は腕組みをして会場全体を見渡し、佐藤は司会台本を何度も読み返し、斎藤は音響機材をチェックし、吉田は段ボール箱から小道具を取り出していた。


「小林、来たか」と田村が振り返った。「今日はお前が主役だ。気合入れていくぞ」


「気合入れすぎて、逆に緊張してきた……」


「緊張していい。緊張してるってことは、本気だってことだ」


僕たちは午前中いっぱい、会場の設営とリハーサルをした。マイクの音量チェック、照明の角度調整、椅子の配置——細かい作業を繰り返しているうちに、少しずつ緊張が解けていった気がした。


「じゃあ、一回通してみるか」と田村が言って、僕たちは本番さながらのリハーサルを始めた。


田村が開会の挨拶をして、佐藤が最初の模擬告白を披露する。「き、君のこと、ず、ずっと……」と声を震わせながら言って、途中で噛んで、自分で笑ってしまう。


次に斎藤が冷静すぎる口調で「論理的に考えて、君と僕が付き合うのは合理的だ」と言って、吉田が「それ告白じゃなくてプレゼンだろ」とツッコむ。


吉田の番になると、彼は真面目な顔で「俺、不器用だから上手く言えないけど……好きです」とシンプルに言い切って、意外と一番まともだった。


そして、最後に僕の番が来た。


ステージに立って、マイクの前に立つ。客席には誰もいないのに、視線を感じる気がした。


「えっと……長谷川さん。僕は……」


言葉が詰まった。リハーサルなのに、本番以上に緊張している。


「大丈夫だ、小林」と田村が客席から声をかける。「お前の言葉で、お前の気持ちを言えばいい」


僕は深呼吸して、もう一度口を開いた。


「長谷川さん。僕は、あなたのことが好きです」


シンプルすぎる言葉だったが、今はそれで十分だった。


「よし、それでいい」と田村が頷いた。「本番は、もっと気持ちを込めて言えばいい」


リハーサルが終わると、もう昼を過ぎていた。僕たちは少しぶらぶらして、学園祭を堪能しつつ昼食を買って、ベンチに座って食べた。


「本番は三時からだ。あと二時間ちょっとだな」と斎藤が時計を見ながら言った。


「人、集まるかな……」と僕が不安そうに呟くと、佐藤が「もう結構集まってるぞ」と中庭の方を指差した。


見ると、既に何人かの学生が中庭のステージ周辺に集まり始めていて、ポスターを見ながら「告白大会って何?」「面白そう」と話している声が聞こえた。


「マジか……」


「SNSで拡散されてたからな。予想以上に注目されてる」と吉田が笑った。


田村が僕の肩を叩いた。「いいか、小林。人が多かろうが少なかろうが、お前が伝えるのは長谷川さん一人だけだ。他の観客のことは気にするな」


「……わかった」


でも、気にするなと言われて気にしないでいられるほど、僕は図太くなかった。



午後二時半、僕たちは再び会場に戻った。既に客席には五十人以上の学生が集まっていて、ステージの周りはちょっとしたイベント会場のような雰囲気になっていた。


「すごい人だな……」と僕が呟くと、佐藤が「小林、大丈夫か?顔色悪いぞ」と心配そうに言った。


「大丈夫……多分」


「多分じゃダメだろ」と斎藤が笑う。


吉田が水のペットボトルを差し出してくれた。「一口飲め。落ち着くから」


僕は受け取って、少しだけ飲んだ。冷たい水が喉を通って、少しだけ落ち着いた気がした。


「小林」と田村が真剣な顔で言った。「お前、今から逃げたいか?」


「……正直、めちゃくちゃ逃げたい」


「だよな」と田村が笑った。「俺もだ。でも、お前は逃げない。なぜなら、お前はもう橋を渡ると決めたからだ」


「橋……」


「石橋を叩くのはもうやめた。今日、お前は渡る。長谷川さんのいる向こう岸へ」


田村の言葉が、胸に響いた。そうだ、もう後戻りはできない。今日、ここで、すべてを伝える。


「ありがとう、田村」


「礼はまだいい。成功してから言え」


午後三時。


田村がステージに上がって、マイクの前に立った。客席はざわざわと騒がしく、まだ後ろの方から人が集まってきている。


僕は舞台袖から客席を見渡した。長谷川さんは、どこにいるんだろう。本当に来てくれているんだろうか——


その時、客席の真ん中あたりに、見覚えのある姿を見つけた。


長谷川詩織。


トートバッグを膝の上に置いて、こちらを見ている。


目が合った。


彼女は、小さく手を振った。


僕も、手を振り返した。


「来てくれたんだ……」


胸が熱くなった。緊張が、少しだけ和らいだ。


田村がマイクに向かって話し始めた。


「皆さん、本日はお集まりいただき、ありがとうございます!我々、告白練習サークルが主催する『公開告白大会〜君に届け、僕らの想い〜』をこれより開催いたします!」


客席から拍手が起こった。中には笑い声も混じっている。


「告白とは何か!それは、人生における最大の勇気の一つです!我々は日々、告白の練習を重ねてきました。今日はその集大成をお見せします!」


田村の声に熱がこもっている。客席の学生たちも、少しざわざわしている。


「それでは、まず我々メンバーによる模擬告白をご覧いただきます!普段の練習の再現です!トップバッターは、経済学部二年、佐藤隼!そして女子役は、教育学部二年、斎藤廉!」


客席がさらにざわついた。女子役?


佐藤がステージの右側に立ち、斎藤が左側の椅子に座った。斎藤は急に姿勢を正して、両手を膝の上に揃えて、少し首を傾げる仕草をした。


客席から笑いが漏れ始めた。


佐藤が前髪を何度も触りながら、斎藤に向かって言った。


「え、えっと……き、君のこと、ずっと……ずっと見てました……」


声が震えている。


斎藤が裏声で答えた。「えっ……そんな……急に言われても……」


客席が爆笑に包まれた。


「つ、付き合ってください!」


佐藤が深々と頭を下げると、斎藤は裏声のまま「ちょっと考えさせて」と冷静に答えて、客席がさらに盛り上がった。


佐藤と斎藤が真っ赤な顔でステージを降りた。客席から温かい拍手が起こった。


「続いて!告白役は工学部二年、吉田航!そして女子役は、我らが部長、経済学部二年、田村敦!」


田村がステージに上がり、椅子に座って、両手をぱたぱたと振る仕草をした。ヒゲ面の田村が女子を演じる姿に、客席は既に笑いを堪えられない状態だった。


吉田が真面目な顔で田村の前に立った。


「俺、不器用だから上手く言えないけど……好きです」


シンプルな告白。


田村が裏声で「きゃあ!嬉しい!」と両手で顔を覆う仕草をして、客席が再び爆笑した。


「そして最後!告白役は部長、田村敦!女子役は、経済学部二年、佐藤隼!」


入れ替わった二人がステージに立つ。佐藤が椅子に座って、前髪を触りながら恥ずかしそうに下を向く仕草をした。


田村が胸を張って、大きな声で言った。


「愛してる!この気持ちは誰にも止められない!君と僕は運命で結ばれているんだ!」


佐藤が裏声で「ちょっと重い……」と小声で言って、客席が大爆笑に包まれた。


田村と佐藤がステージを降りると、客席から大きな拍手が起こった。


模擬告白が終わると、田村が再びマイクの前に立った。


「ありがとうございました!さて、ここからは飛び入り参加の時間です。勇気のある方、どなたかいらっしゃいませんか?」


客席がざわついた。誰かが「やれよ!」と友達を煽っている声が聞こえる。


すると、一人の男子学生が手を挙げた。「やります!」


客席から歓声が上がった。


男子学生がステージに上がって、マイクの前に立つ。彼は客席の一点を見つめて、言った。


「山田、お前のこと、入学式の時から好きだった。俺と付き合ってくれ!」


客席のどこかで「え!?」という女子の声がして、周りが「おお!」と盛り上がった。


「返事、聞かせてくれ!」


しばらくの沈黙の後、女子の声が聞こえた。「……うん!」


客席が大歓声に包まれた。男子学生は飛び上がって喜んで、ステージを降りた。


「やった!本日、早くも一組カップル誕生です!」と田村が盛り上げる。


その後、もう二人の飛び入り参加があって、一人は成功、一人は「友達のままでいよう」と断られて、でもどちらも客席から温かい拍手を受けた。


そして——


田村がマイクの前に立って、僕の方を見た。


「さて、ここからが本日のメインイベントです。我が告白練習サークルのメンバー、文学部二年、小林悠による告白です!」


客席がどよめいた。


僕は深呼吸して、ステージに上がった。


マイクの前に立つと、客席の視線が一斉に僕に集まった。百人以上の視線。でも、僕が見るのは、ただ一人だけだ。


長谷川詩織。


彼女は、まっすぐ僕を見ていた。


僕はマイクを握った。手が震えている。でも、止まらない。


口を開いた。


「長谷川詩織さん」


客席が静まり返った。


「僕が初めてあなたに会ったのは、屋上でした。夕焼けの中、あなたは僕たちの告白練習を見て、『面白そう』と言ってくれました。その言葉が、僕の心に残りました」


客席の誰かが「おお……」と小さく声を漏らした。


「あの日から、僕はあなたのことが気になりました。練習に来てくれるたびに、あなたの笑顔を見るのが楽しみでした。そして、あの教室での告白——あれは練習のはずでした。でも、僕の気持ちは本気でした」


長谷川さんが、少し驚いたような顔をした。


「『君の瞳は夜空に浮かぶ星々を凌駕し』——あのとき僕は、気持ちが暴走して、長すぎる告白をしてしまいました。あなたは笑ってくれました。『面白い』と言ってくれました。でも僕は、笑われたことが嬉しかった。あなたに受け入れてもらえた気がしたから」


客席が静まり返っている。全員が、僕の言葉に耳を傾けている。


「その後、僕は臆病になりました。あなたを避けて、逃げて、橋の手前で立ち止まりました。石橋を叩いて、叩いて、叩き続けました。渡らなければ傷つかないと思ったから。失敗しないと思ったから。慎重であることが正しいと思っていたから」


僕は一度、息を吸った。


「でも、僕は気づいていなかったんです。石橋を叩いて、叩いて、全然渡ろうとしなかった僕は——もう橋から落ちていたんです」


客席がざわついた。長谷川さんが、じっと僕を見つめている。


「恋に、落ちていたんです。いつの間にか。気づかないうちに。僕はもう、あなたに恋をしていました」


声が震えた。でも、止まらない。


「橋なんて、もう叩きすぎて壊れていたんです。でも僕は、川に落ちて溺れていることにすら気が付かないようにしていました。」


長谷川さんの目が、少し潤んでいるように見えた。


「そして、彼氏ができたという噂を聞きました。あの時、初めて本当に気づいたんです。自分がどれだけあなたのことを好きだったか。失いたくないと思ったか。もう手遅れかもしれないと思ったか。もう川の深みに入ってしまっていると」


客席のどこかで、女子が小さく息を呑む音がした。


「でも、それは嘘でした。あなたが流した、嘘でした」


僕は、長谷川さんをまっすぐ見た。


「慎重すぎる僕を動かすために、あなたは嘘をついてくれました。自分が傷つくかもしれないのに。その嘘で自分自身が傷つくかもしれないのに」


長谷川さんが、小さく唇を噛んだ。


「長谷川さん。あなたは僕に教えてくれました。橋なんて、もういらないんだって。じっとしていたら何も始まらないんだって」


マイクを握る手に、力を込めた。


「僕は渡りきります。橋なんてなくても渡りきります。どんなに流れが速くても、どんなに深い川でも、あなたがいる向こう岸まで、必死で渡りきります」


客席が静まり返っている。


「僕には、そんな必死さがなかったんです。失敗を恐れて、傷つくことを恐れて、慎重であることを言い訳にして。でも、今日から僕は変わります。変わりたいんです」


声が、少し震えた。


「それに気づかせてくれたのは、あなたです。長谷川詩織さん、あなたです」


僕は深く息を吸った。


「僕は、あなたのことが好きです。初めて会った日から、ずっと好きでした。あの長すぎる告白も、本気でした。石橋を叩き続けた臆病な日々も、全部、あなたのことを想っていました」


客席が息を呑んだ。


「石橋を叩いて、叩いて、叩き続けた僕は——もうとっくに、恋に落ちていました。今日、ここで告白しているのは、落ちたことを認める勇気です。あなたに、ちゃんと伝える勇気です」


僕は深く頭を下げた。


「どうか、僕と付き合ってください」


沈黙。


長い、長い沈黙。


心臓が破裂しそうなくらい、激しく鳴っている。


そして——


客席のどこかで、立ち上がる音がした。


顔を上げると、長谷川さんが立っていた。


彼女は、涙を浮かべながら、笑っていた。


「はい」


小さな声だったが、マイクがその声を拾った。


「はい。喜んで」


客席が爆発した。


歓声、拍手、口笛——すべてが一斉に起こって、中庭全体が祝福の音で包まれた。


僕は、信じられなくて、ただ立ち尽くしていた。


田村が横から飛び出してきて、僕の肩を叩いた。「やったぞ、小林!やりやがった!」


佐藤、斎藤、吉田もステージに上がってきて、僕を囲んだ。


「成功だ!」


「歴史的瞬間だ!」


「お前、最高だったぞ!」


僕は、長谷川さんを見た。


彼女は客席から立ち上がって、ステージに向かって歩いてきた。


人混みをかき分けて、階段を上って、僕の前に立った。


「小林くん」


「長谷川さん……」


「今の告白、最高だった」


彼女は笑った。


「嬉しかった。小林くんの告白ってやっぱ面白いね」


僕は、もう何も言えなかった。


ただ、彼女の手を取った。


温かかった。


客席から再び歓声が上がった。


田村が「これにて、公開告白大会、大成功!」と叫んで、客席が拍手に包まれた。

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