今福龍太「エコロジーのミューズを求めて」まとめ
「エコロジー」…生物と環境との関係を研究する学問。生態学。狭義では、人間と自然環境・社会環境との関係を研究し、自然環境の保護を図ること。
「ミューズ」…ここでは後に「詩神」とあり、詩想(詩を作る着想)をもたらす芸術の神のこと。
◆「エコロジー」の本質=人間の未来の可能性をほとんど決定するほどに重要な意味を持つ
・「人間」は、「地球というけっして無尽蔵ではない資源と環境を抱えたシステムの存在自体に、その将来を全面的に依存している」。
・「エコロジーとともに生きること」。
◆「現代のエコロジー」
「人間の生存と地球の存続のイメージが重ね合わされたとき、初めて生まれた」。
「世紀末」…懐疑・絶望・享楽などの風潮が現れたヨーロッパ、特にフランスの十九世紀の終り。
「黙示録」…
1 新約聖書の最後の一書。95年ごろローマの迫害下にある小アジアの諸教会のキリスト教徒に激励と警告を与えるために書かれた文書。この世の終末と最後の審判、キリストの再臨と神の国の到来、信仰者の勝利など、預言的内容が象徴的表現で描かれている。ヨハネ黙示録。アポカリプス。
2 転じて、破滅的な状況や世界の終末などを示したもののこと。
「社会心理」…社会的影響のもとにある個人の心理。一定の社会・集団・階層に属する成員に共通してみられる心理状態。
「終焉」…生命が終わること。死に至ること。
◆エコロジーの「変種」
「エコロジカルな(環境保護を意識した。環境保護の)認識が生み出す心理的危機意識を社会の諸領域の中で巧みに利用して、現実的で実質的な効果を上げようとするムーブメント(運動。流行。大きな動き)」。
⇔
筆者が真に目指すべきだと考えているのは、「資本主義や科学主義の体系を超え出た、まったく新しい精神の「生態学的叡知」を目指そうとする動き」
◆「現在のエコロジー・ムーブメントが社会に投影される場」
「一つ」…「「政治」の領域」。
・「近年のエコロジストたちは環境保護の思想を社会改革のビジョン(理想像。未来像)の基本に据えることによって、人々の政治意識を新しいかたちで動員する(高める。駆り立てる)ことを思い立った」。
・「環境開発に対する抵抗」、「反核、反公害、反消費主義」。
・「中央政府の強固な行政的主導性を転倒し無化することを目的とした市民運動的戦略の要にエコロジーは位置づけられることになった」。
・「エコロジーの発想」の有利性…「それが「科学的真理」という絶対的な論理的基礎を持っているように見える点にある」。
「「地球の生態学的維持」という科学的なテーマの万人に対する正当性に裏打ちされたエコロジーは、まさに特権的な立場にあると言える」。
〇「フランスの哲学者フェリックス・ガタリ」の「指摘」
「「組織」として見た場合、旧来の政党が幻惑されてきたリーダーシップをめぐるスターシステムと、運営上の官僚主義にすっかり陥りかけている」。「集団内の人間関係や対社会的姿勢に関してまったく反エコロジー的に硬直化している」
「逆説」…ここでは、皮肉な結果の意。
「第二の領域」…「「産業」、「ビジネス」の領域」
・「無農薬野菜の栽培やフロンガス処理器の開発、あるいは光分解性のプラスティックやフェイクファーの発明などといったように、地球の生態学的維持そのものに貢献する製品の開発というかたちで行われる場合」。
・「今むしろ注目しなければならないのは、エコロジーをイメージ戦略として利用したビジネスの興隆」
…「「エコロジー」という「時代の感性」をいち早く製品のイメージに付与することで、消費者による製品の使用意識にある種の健全な「主張性」(地球環境の保全のために、自分はこの商品を積極的に選択し使用しているのだと考えさせ、アピールさせること)を持たせようとする意図」。
「エコロジーの健康的でポジティブなイメージを徹底的に「消費」(利用)し尽くそうとする、きわめて狡猾なビジネス戦略」
※解説
企業が、地球環境の保全に貢献するという立場をとりつつ、実はそのイメージを利用して製品を売り、利益を得ようとする様子を筆者は批判している。地球環境に負荷が少ない材料で作られた製品は、それを利用・消費する消費者の意識に、自分は自然環境保全に積極的に貢献しているという「健全な「主張性」」を抱かせる。企業は、そのような消費者心理を利用して購買意欲を掻き立て、利益を得ようとすることが、ずる賢いのだ。
◆「現在のエコロジー・ムーブメント」に対する筆者の批判
①「社会のあらゆる場面において「自然」のイメージが喚起され、消費されていくという状態は」、「「自然」そのものの物理的消滅を前提としたときに初めて生ずる。私たちが「自然」について持つことになった科学的・社会的知識は、すなわち私たちの「権力」の指標なのであって、それこそが私たちを自然から遠ざけることになった力を示している」。
・「自然について知れば知るほど、そして自然について語れば語るほど、自然は私たちから遠のいていったのだ」。
・「科学的知識の獲得が「自然」の維持に直接結びつくというような一部のエコロジストたちのナイーブな信仰と、それに乗じた産業側のイメージ戦略は、まさに「知識」というかたちで人間が発動してきたこの搾取的な権力装置についてあまりにも無自覚であると言わねばならない」。
※解説
自然に関する社会的・科学的知識の増大は、人間に、自然に対する「権力」を与え、支配や搾取、利用・消費を強めることになったということ。
②「現代のエコロジー推進者たち」は、「あるとき、エコロジー的叡知(物事の本質を見通す、深くすぐれた知性)が本質的に胚胎(物事が始まる原因やきざしが生じること)していた「言語」への関心(=「「詩」への関心」)をすっかり見失ってしまった」。
◆アメリカの詩人ゲイリー・スナイダーの、「エコロジカルな生存の技術としての詩について」という副題のついたエッセイ
「アメリカ・インディアンのようなプリミティブな(素朴な。原始的な)民族文化の中でシャーマン(呪術者)の身体の中に実現されていた自然への連続的感覚が、実は「詩」の実践によって内実を与えられていた」。
・「「声」という息によって言語化された「詩」は、それ自体の中にあらゆる生成変化への力を宿していたが、それはプリミティブな感性にとっては、人間を含む自然環境が示す生成流転と雑交受精の動きに対応していた」。
・「大地との一体化」
・「自然界に満ちあふれる無数の「音」の連続体の中から繊細なことばたちを選び出し、それを歌や踊りとして身体的に表現することを通じて、インディアンは彼らが紛れもない「土地の棲息者」であることを主張している」。
・「大地が育むあらゆる生命に対する鋭敏でエロティックですらある感知力によって、インディアンたちは彼らの「棲息」の感覚を語るための限りなく厳密なことばが、「詩」としてしか存在しえないことを知悉していた」。
・「彼らは、人間が単に肉体器官の複合体というだけでなく、精神的叡知がたぎり、ほとばしり合う混沌とした豊饒な「場」であることを知っていた。だから彼らは、大地に立ち上がる自然の世界の中に抱かれた自分自身の存在を、このエコロジカルな充満によって埋め尽くされた自分という「場」にゆらめく力強くしかも繊細な詩的「ことば」の塊として取り出すことができた」。
・「プリミティブなエコロジーは、詩の世界と驚くべき親和性(相性の良さ)を示していた」。
◆「現代世界に生きる私たちが今再び回復しなければならない」こと
・「美学的な核心をそなえたエコロジー」。
・「大地と人間とのつながりをはっきりと名指す(示す。明確化する)ための精密でリズミカルな魂を持った「ことば」。
・「詩神を宿す(内部に持つ)エコロジー」。
・「言語的アートとしての精緻な表現能力を与えられたエコロジーだけが、二十一世紀に向けて生まれ始めている新たな「主体性」と「自然」との関係をめぐる倫理学を、真の生態学的叡知へと導いていくことができる」。
「美学」…自然・芸術における様々な美を通して、美の本質・原理を研究する学問。
「倫理学」…道徳、善悪などについて研究する学問。