第8話~ファニーの恋心~
「ファニーちゃん、ファニーちゃんってばぁ」
「ん〜。もうちょっと寝かせて」
「いいから起きてよぉ」
街灯の炎すら消えてしまっている深夜のことだった。窓の外の街は月明かりでかろうじて輪郭が見える程度だ。そんな時間にファニーはアスチルベに揺り起こされる。
「ん~。どうしたの?ア~ちゃん」
「お話ししよっ」
「え〜?こんな時間に」
街に到着するまで野宿が続いていた。だからなのか、ファニーは自分で思っている以上に疲れているようだ。またベッドに横たわろうとする。だがアスチルベはそれを許さない。
「いいじゃんいいじゃん。お話ししたいの」
「も〜、ちょっとだけだよ」
ファニーはベッドの上に座る。起こされるとは思いもしなかったファニーはまだ眠かった。目をこすりながら窓のふちに座るアスチルベを見るが、月明かりのせいで逆光になり表情までは見えなかった。
「話ってなぁに?」
「ねぇねぇねぇ。ファニーちゃんってさ、黒の賢者のこと好きなの?」
「へっ?ちょ、ちょっといきなりどうしたの?」
月明かりが部屋を黄色く照らす。
飛び上がったファニーは真正面からアスチルベを見つめるように座り直す。顔が熱くなった気がしたが、気のせいだと自分に言い聞かせている。
「やっぱりそうなんだぁ」
「ち、違うって。いきなりだったから驚いただけ」
「ふ〜ん」
相変わらず表情は見えなかったが、アスチルベがどんな顔をしているのかファニーは想像出来ていた。
(今日会ったばかりなのに、私ってそんなにわかりやすいのかな)
もしかしたらルイスも察しているのかもしれない。そう考えるとファニーは気が気ではなかった。それはそれとして、アスチルベが余計なことを言わないようにしなければならない。
「そんな変なこと、他の人には言っちゃダメだよ」
「変なこと?」
「それは、だから、私がルイスのこと好きとかどうとか」
「でも好きなんでしょ?」
「だ、だから違うって」
目が慣れてきたのか、アスチルベの表情がファニーの目に入ってくる。夜空の星のように目を輝かせていて、放っておくと誰かれ構わず言いふらしてしまいそうだとファニーは感じていた。
「あのね。私とルイスは出会ったばかりなのよ?それに目的が同じっていうか。好きとかそういうんじゃないの」
「一目惚れってこと?」
「な、ん、で、そうなるの!」
月明りがアスチルベの羽を通りピンク色に変わっていた。
深夜にも関わらず、ファニーは大きな声を出してしまった。口を抑えながら隣の部屋の人が起きたりしないかと心配するが、どうやら大丈夫のようだ。その間アスチルベは満面の笑みを浮かべている。
「黒の賢者を好きになるのはやめたほうが良いよ」
「え、えっと。その」
「あのさ。ファニーちゃんって、何年生きているの?」
「んっと、17年だけど?」
ファニーは生まれ育った宮殿のことを思い浮かべていた。もしルイスと出会うことなく宮殿に残っていたとしたら、もうすぐ17歳の誕生日を迎えるはずだった。そして会ったこともない婚約者と結婚し、という未来を思い浮かべかけ、そうならなかったことを自分に言い聞かせている。
「もしかして、ルイスの年齢のことを気にしているの?」
「気にならないの?」
「それは」
「見た目に惑わされちゃダメなんだからね。黒の賢者はおじいちゃんのおじいちゃんの、も〜〜〜〜っとおじいちゃんなんだから」
ルイスは地下の扉で長い間封印されていた。正確にどれくらいなのかは定かでない。とはいえ、少なくともファニーより遥かに年上と言えなくもない。そのことをなんとか否定できないかとファニーは思案していた。
「でも、ずっと封印されていたんだから、あんまり気にしなくてもいいんじゃない?」
「やっぱり好きなんだ」
「えっ、いや、だから、違うって」
アスチルベは満足気な顔をしており、会話の主導権を完全に握っていた。月が陰り真っ暗になった瞬間、少しの間沈黙が訪れる。ファニーは話題を変えるチャンスだと思った。
「ねぇ。ア~ちゃんって、どこから来たの?」
「ん〜?」
「ヴィンダーさんの工房に来たのって最近なんだよね。その前はどこにいたの?」
ありきたりな質問であったが、ファニーはアスチルベのことをもっと知りたいと思っていた。ルイスには忠告されていたが、イタズラ好きなだけという印象は薄れていたからだ。
「妖精の国から来たんだよ。黒の賢者が復活したって聞いて、面白そうだなぁって」
「く、黒の賢者?じゃぁルイスに会いに来たってこと?」
眠くなってきていたファニーの目が一気に覚める。話題を逸らすという目的を完全に忘れてしまい、思わず話に食いついてしまっていた。もしかしたらアスチルベは黒の賢者ルイスのことをよく知っているのかもしれない。そう思い至ったからだ。
「そうだよ?」
「へ〜。ねぇ、ルイスがどうして封印されてたのかって知ってる?」
「ん〜。悪いことしたらしいよ」
「悪いこと?」
ファニーはさらに詳しく聞いたがアスチルベはそれ以上のことを知らないようだった。世界のふもとへ行くべきかという意見の対立で封印までされてしまったルイス。少なくとも妖精には悪い人として伝わっているようだった。
「ルイスは悪い人じゃないよ」
「それって、好きな人が悪く言われるのが嫌ってことぉ?」
「あっ、いや。も~、そうじゃないって」
なんとか話題を逸らし、夜が更けていった。そのルイスが、実は宿を出て、夜の街を出歩いていたことをファニーは知らなかった。