貴族令嬢ですもの
たくさんの作品の中から選んでいただきありがとうございます。
また何だか感情が足りてない感じの主人公になりましたが…よろしくお願いいたします。
感想いただいております、ありがとうございます!後書きにお返事を少し書きました。
「いいから、君は向こうで待っていてくれ」
「でも、ジェラルド…」
「いいと言っているだろう!」
眼鏡の奥の彼の冷たい目を見つめていた私はため息をついた。ここまで言われては仕方がない。
私は、婚約者のジェラルドと彼に肩を抱かれ支えられている転移者サクラ様から離れて、かろうじて中庭の様子がわかる校舎の渡り廊下へ行った。
「ちょっと、何あれ。マーガレット、いいの?」
「…仕方ないわ。サクラ様は聖女である転移者、いるだけでこの国に平和と豊かさをもたらすのよ?」
「だからって、ジェラルドのあれはないわ。サクラ様もサクラ様よ。ちょっと頭痛がするからって、婚約者のいるジェラルドにあんなに…」
「本当に、もういいのよ。それにね、私、お父様に彼との婚約の解消をお願いしているの」
「えっ、本当?それは…ううーん…そうねぇ、毎日あれを見せられては、マーガレットもつらいものね…」
「つらいかどうかと言われると、まあ良い気分ではないけれどね。でもまあ、これから先もサクラ様はジェラルドに寄って来るわ。それどころか第2王子のエイベル様ではなく、ジェラルドと一緒になる可能性が高い。でもそれって男性からすればすごいチャンスなわけだから気持ちはわからなくもないわ。でしょ?」
友人のサンドラと話している間も、木々の間から見える二人はぴったりと寄り添っていて、それは知らない人からすれば恋人同士にしか見えなかった。
「今はまだ婚約者の立場だからさっきもああは言ったけれど、本当にもういいの。でも心配してくれてありがとう、サンドラ」
「そんなこと…友達じゃない、心配するのは当たり前よ。でもマーガレットがそう言うなら私ももうヤキモキしなくていいわね!ホッとしたわ」
私達はまだ寄り添っている中庭の二人を最後にチラリと覗くと、顔を見合わせてそっとその場を後にした。
*****
サクラ様が召喚されてこの世界に来たのは2ヶ月前の新月の夜。神殿の神官たちが力を尽くした結果だ。
サクラ様は最初驚き怯えていたが、神官と陛下が心を込めて説明し説得し、この世界の平和のために力を貸していただけることになったのだ。
最近の天候不順に農作物の不作、疫病の流行、そういったものの原因はこの国の全ての気の流れが淀んでいるからだと神殿は分析した。
その解消に選ばれたのが、遠い昔に行われた異世界から聖女を召喚するという方法だった。うまくいくか定かでないその方法が選ばれたのは、それくらいこの国が窮地に陥っているということ。
民は聖女の召喚の成功を祈り、自分たちの食べるものや着るものを我慢してあらゆる面で神殿を支えた。
結果、召喚は成功し、聖女サクラ様がこの国に平和をもたらした。
不思議なことに、サクラ様が召喚された直後に雲が晴れて太陽が輝き、民の心も何故か落ち着いた。まだ召喚が成功したという知らせもなかったのに。
民は身分に関係なくサクラ様を敬い、愛した。
そして1ヶ月で国は元通りになり、サクラ様はこの国を離れることなく生きていくことを約束してくださった。
これが聖女サクラ様の物語である。めでたしめでたし…というのは民にとってである。そしてそれが国にとって最も重要なのだ。
*****
尊いサクラ様はまだ17歳。前の世界では高校生という学生だったとのこと。
それを無理やり召喚したのだから、前世叶わなかった学生生活をここで送っていただこうと判断したのは王家だった。もちろん他の誰も反対したりしなかった。
最初はみんな聖女に対してどのように接すれば良いかわからなかったが、サクラ様はその明るさと人懐っこさですぐに学校に慣れ、ここでも友人たちから愛されるようになった。
楽しい学校生活を送ってはいても、サクラ様に危険が及んではいけないので護衛はいたし、結婚相手の筆頭候補の第二王子エイベル様も常に寄り添っていた。安全で穏やかな日々。
しっとりとした黒髪のサクラ様と輝く銀髪のエイベル様はお似合いで、周囲はみな二人が結ばれるのは当然であると考えていた。
しかし、周りのその思惑に気づいた時、サクラ様ははっきりと言った。
「そんな、結婚相手は自分の好きな人を選びます。身分は関係ないでしょう?」
これに慌てたのは王家だけではなかった。
神殿も、他家の貴族も、商家も、平民も。もしかしたら自分に、自分の家にチャンスがあるかもしれない、そう考えてしまったのだ。
そしてそれは現在婚約者がいる男性たちも同様だった。当然私の婚約者のジェラルドも。
何しろサクラ様の伴侶となれば国からの支援と家の存続が約束される。嫡男以外であれば爵位が与えられるのだ。
これを狙わないのは余程家に余裕と地位がある者、そして聖女を娶る意味が理解でき覚悟をもてる者だけ。
でも大方は『領地や領民のためであるのに、何を迷うことがあろうか』と考えた。多少の苦労など乗り越えてみせると。
それでも多くの学生が学ぶこの学校で、ジェラルドを含む多くがサクラ様と接する機会はほとんどなかった。それなのに、なぜ彼が見初められたのか。それは彼の髪の色と眼鏡が理由であった。
サクラ様は前世で何か『アニメ』という動く絵物語を愛好していらして、その時の『推し』というのがジェラルドに似ていたのだという。
即ち、濃い紫の髪に緑の瞳。その長い髪は編まれ、片方の肩の前で揺れる。結ばれた真っ白なリボンが制服の紺色に眩しい。そして銀の縁の眼鏡。
初めて中庭でジェラルドに会った時のサクラ様の様子はすごかった。
彼女のハンカチが風に飛ばされ、追いかけて来たサクラ様。後から慌ててついてくるエイベル様や護衛、取り巻きの男女数人。彼らが見たのは…
「これは、サクラ様のですか?」
拾ったハンカチを差し出すジェラルドの顔を見た瞬間、見開かれたサクラ様の目。そしてパッと頬を染め、
「ウソ…ジェ、ジェイド…様?」
と呟いた姿だった。
ジェラルドの心は聖女様に遭遇した喜びと心当たりのない名で呼ばれたことがないまぜになったのだろう、少し困った顔をして、
「あ…申し訳有りませんが人違いです。僕の名前はジェラルド…ジェラルド・メイウッドです」
そう答えて『はい、どうぞ』とサクラ様にハンカチを差し出した。
「ごめんなさい!私、名前を間違えるなんて失礼を。あなたは…ジェ、ジェラルド様とおっしゃるのですね?あの…その…あっ、そう、お詫びを!お詫びに今日のお昼をおごります!」
名前を間違えられて困惑したジェラルドもこの申し出には少し驚くとともに嬉しい気持ちが勝ったようで、
「それは…その嬉しいお話ですが、そこまでしていただくようなことでは」
と笑顔で答えた。
そこでサクラ様はジェラルドの笑顔を見て
「とっ…尊い…っ」
と空を仰いだ。
その時、誰もが彼女がジェラルドに恋をした…とにかく心を奪われたことに気付いた。
エイベル様や護衛の人たちは愕然としてその様子を見つめていたが、ジェラルドの隣にいるのに全く顧みられずに婚約者と聖女のやり取りを見ていた私も、
『私、何を見せられているのかしら?』
と驚いた。
後からわかったことだが、サクラ様の『推し』という大好きな人の名前がジェイドであり、名前が似ていることや『アニメ』の中で中庭での出来事に似た『シーン』があったことから、サクラ様はジェラルドに『運命』を感じたということだった。
そこからのサクラ様のジェラルドへの接近は早かった。
朝、登校すれば教室まで来てジェラルドに挨拶をして顔を赤らめる。授業の合間に教室を覗く。お昼は食堂で待ち伏せ、ジェラルドが来ると近くの席に座る。
同じ2年生だというのも距離を詰めるのに丁度良かったようだ。サクラ様は順調にジェラルドへの恋心を育んでいったようだ。
でも、そのジェラルドの横にはいつも私、マーガレット・ホワイトがいたのよね。もちろん聖女であるサクラ様に意見なんてする由もなかったけど。
盛り上がりつつあったサクラ様とジェラルドは、私のことをまるで気にしていないようだったけれど、二人の心の距離が近づくうちに、流石にちょっと、いやかなり邪魔者扱いされるようになっていったのだった。
*****
私とジェラルドが婚約したのは1年前のこと。高等部に入学したのを機会として、周りの人たちよりも少し早かったが、話が持ち上がり、婚約が結ばれたのだ。
メイウッド子爵家はそこまで大きな領地ではないけれども農業が盛んな地域で良い作物が育つ。これからは貿易にも力を入れたいと考えていた。
私の家は男爵位だけれど商売に強く、高位貴族との繋がりも商売上多い。父親は温厚ながらそれなりに向上心もある。
「いやぁ、ホワイト家の令嬢は優秀だと聞いています。これからは息子のジェラルドをよろしく頼みますよ」
「こちらこそ、娘がメイウッド家の力になれば嬉しいです。どうぞよろしくお願いします」
政略結婚に向けた、絵に描いたような顔合わせ。
そこでは私もジェラルドも多少緊張していたが、同じ学校で同じ学年とあって、すぐに打ち解けた。
「今日は帰りに街のカフェに寄ってみないか?」
「え、いいの?嬉しい。もしかして最近話題のお店?」
「ああ、僕らの間でも『今、女の子を誘うならココ』だって」
「あらヤダ、バラしちゃうなんて」
「僕達は婚約してるんだから、変に駆け引きする必要はないだろう。そんな良い店があるなら君と行きたいのも事実だし」
それなりにスマートなジェラルドにドキドキもしたし、嬉しくもあった。勉強は私のほうが少し得意だったけれど、それは家の商売のおかげで勉強と実生活が結びついていたからで、ジェラルドもいつも上位の成績を修めていた。
「うーん、マーガレットは経済と数学が強いよなぁ。次は勝ちたいよ」
「でも私は文学や芸術分野が苦手だもの」
「後は運動も、だね」
「っ、それは言わないでよ!」
「あはは」
11ヶ月間でこうして婚約者としての関係を築いてきた。
はずだった。
*****
でも1ヶ月前にサクラ様と出会ったジェラルドは変わってしまった。あの運命的な出会いによって。
誰の目にも明らかだったあの出会いのせいで、私はすっかり周りから『聖女に婚約者を取られた子』と思われるようになってしまった。でも、それも致し方ない。相手は聖女だ。どちらかと言うと『災難だったね…』という感じだった。
聖女のおかげで国が持ち直したのだ。聖女が望むようにお膳立てをするのは当然だろう。
それに、聖女の伴侶となれば家は安泰、名誉も得られるとなれば、ジェラルドがサクラ様に惹かれるのも当然だし、そもそも政略で結ばれた婚約なのだから、もっといい条件が提示されたらそっちを選ぶのが当然だ。
解消にかかる手続きや慰謝料を含む費用を考えても、聖女と結ばれる方が良い。
「それくらい分かってるんだから、ああいう態度はやめてほしいのだけど」
「ホントよねぇ。サクラ様がジェラルドに惚れたっていうのは一目瞭然なんだから『仕方がないんだ、ゴメンね』って顔すればいいのに。ジェラルドもねぇ…。でも、まだマーガレットとは婚約関係があるんだし、サクラ様と婚約したわけでもないじゃない?彼、わかってるのかしらね?」
友人のサンドラとはこの1ヶ月何度もこの話をしたものだ。それくらい、サクラ様とジェラルドの距離は近付いていたし、私に対するジェラルドの態度もどんどん冷たいものになっていた。
まあ自分を好きだと言ってくれる女の子、しかも聖女の前で婚約者に優しくする男はいないだろうけど。
その間にもエイベル第二王子はサクラ様のことは静観することに決めたようで、安全の確保のために護衛と数名の取り巻きを彼女に付けるだけになっていた。
流石に王家の者として、何かあれば最終的には自分が出ると決めてはいらしただろうが。
それが感じられたのは、職員室で先生と進路の相談をした帰りのこと。廊下で、お付きの方々に囲まれたエイベル様から
「マーガレット嬢、君も災難だったね。折角調った婚約だったのに先行きが見えなくなっていて。王家としても何かしらの支援をさせてもらいたいと考えているよ」
と声をかけられたのだ。内心、
『エ、エイベル様から声をかけて頂けたのが既に支援以上です…』
と思ったものだが、努めて平静を装い、
「もったいないお言葉、感謝いたします。私のことならばどうぞお気遣いなく。聖女様の幸せは国の幸せにつながるもの。そのお力になれるのであれば民の一人として本望でございます」
と深々とお辞儀をした。
もちろん、婚約解消に向けて練習していた言葉のバリエーションの一つである。急に何か起きて、その場で慌てて醜態を晒すなんてプライドが許さない。
頭では理解していても…まあ、ダメージはゼロではないのだから。
「…立派だね。マーガレット嬢、そして王家の一員として、貴方を育てたホワイト家を誇りに思うよ。今後のことは任せてほしい」
エイベル王子様の優しい言葉に、ちょっと泣きそうになったのはサンドラにだけ打ち明けた秘密だ。
そうこうしているうちに、間もなく私とジェラルドの婚約解消がなされた。
うちを訪れたメイウッド子爵の
「この度は、このようなことになってしまい…しかし、どうも聖女サクラ様をお守りする機会が増えてジェラルドがマーガレット嬢と一緒に過ごす時間が取れなくなっているようで、このままでは申し訳ないのでな」
という言葉に、お父様も
「いや、こればかりは仕方のないことです。何せ聖女様の身をお守りし、心安らかに暮らしていただくことが民としての務めですからな。いや、本当に残念ではありますが、どうかお気になさらず」
と答えた。
私は静かにお父様の横に座って聞いていたが、ジェラルドは面白くない顔をしている。最後くらいしっかり役目を果たしなさいよ、と思ったが、お父様たちの後に書類にサインをしたのでもう私達は『元婚約者』で『他人』なので黙っていた。
メイウッド親子が帰った後、お父様は
「あれは、結婚してからが大変だったかもしれないな。あんな子どもじみた態度しか取れないようでは、領主として子爵として、そして聖女様の伴侶としてやっていけるか…まあ、もう我らには関係のないことだが」
と言った。そして
「さて、これから忙しくなるぞ。何せ王家からの紹介で釣書がたくさん届いているからな。ああ、お前の友人のサンドラの家、コールドウェル侯爵家からの紹介もある。しっかり見るといい」
と笑った。私は
「今、婚約解消したばかりなのに、気が早いわねぇ、お父様ったら」
と言いながらも、ちょっと楽しみだった。
ジェラルドへの思いはこれまでの彼の態度からとっくに失われていたし、婚約解消も私から言い出したことだったのだから。
*****
婚約解消から1ヶ月。昼食を取りながらサンドラが訊いてきた。
「ねえマーガレット、今週末はデートでしょう?どこへ行くの?」
「やだ、もう聞いたの?早いわねぇ…」
ニコニコしているサンドラに、港町ペルラに行くこと、そこは6歳上の婚約者、ラウル・アンジェロ侯爵令息が管轄している場所であることを伝えた。
「あー、ラウルが持っている港町ね。あそこはいいわよ、海は綺麗だし、食べ物は美味しいし、建物は可愛いし。いいわねえ」
「ええ、サンドラ、あなたのおかげよ」
「何言っているの。マーガレットのように優秀な子、どこの家でも来て欲しいって望むに決まっているわ。前はメイウッド家が抜け駆けしたけど、今回はじっくり選べたから良かったでしょう?」
「ふふ、そうね。でも王家と侯爵家両方から紹介される方がいらしたのには驚いたわ。もう、その方しかいないだろうってお父様が。でも釣書きを読んで、私もラウル様は素敵な方だと思ったの」
「ラウルは性格もいいし、頭もいい。仕事もできて頼りがいもある。ちょっと真面目すぎて恋愛まで手が回らなかっただけ。従妹としては自信をもってお勧めするわ」
「ありがとうサンドラ。貴方と親戚になるなんて、それもまたとっても嬉しいの」
「私もよ!」
サンドラに手を握られて、フフッと笑ってしまった。
サンドラはラウル様は真面目すぎるというけれど、先日の手紙には
『港町ペルラは「真珠」の意味をもつ。貴方の名前マーガレットもまた「真珠」が由来なのだと聞いた。貴方には敵わないかもしれないが、ペルラも美しい街だ。一緒に歩くのを楽しみにしている』
と書かれていたので、顔が熱くなったくらいだ。年上の余裕、なのだろうか?とにかく楽しみでならない。
「帰ってきたらペルラの話を聞かせてね。ラウルの様子も!」
「ええ、もちろんよ」
二人してそんな会話で盛り上がっていた時だった。
甲高い声が食堂に響いた。
「だって、どうしても苦手なんだもの。私には向いていないの」
「そんなこと…他校との交流は大切なのだから、出るくらいは」
「イヤよ!出てもわからないもの。とにかく私は行かないから」
少し離れたテーブルからサクラ様とジェラルドの声だった。
「…またやってるわね」
「そうね…」
あれから、ジェラルドとサクラ様は正式に交際を始めて、どこへ行くのも一緒だった。けれども時間が経つにつれてサクラ様は
「ジェイド様はそんなことは言わないわ」
「ジェイド様ならこうするわ」
「ジェイド様なら…」
とジェラルドにあれこれ要求するようになったようで、時々こうして揉めている様子を見るようになった。
会話からすると、今度開かれる他校との交流会への参加について揉めているのだろう。あそこは留学生も多いし、外国語がいくつか話せないとつらいのはみんな知っていることだ。サクラ様はこの国の言葉は問題ないが、外国の言葉には苦労なさっている。
「サクラ様も大変よね…急にこんなところに召喚されて、チヤホヤされたり頼まれたり…もし私だったらどうなっていたかしら」
「そうね…」
サンドラも心配そうに見ている。侯爵令嬢としてはサクラ様の様子は気になるのも当然だろう。
学校ではサクラ様の存在に慣れるに従って、その気安い言動に貴族は一定の距離をおくようになった。もちろんサクラ様は気にすることもなく、自然と周りには平民がふえていった。
サクラ様自身は国から十分な支援を受けるので何一つ不自由はないし、相手が貴族だろうが平民だろうが関係ない。誰に対しても平等に接している。
でもジェラルドは違う。貴族だし、その責務がある。けれども、今のジェラルドに求められているのは子爵令息・嫡男・次期領主などとしての力ではなく、サクラ様の望む『ジェイド様』を演じ、サクラ様を幸せにすることだ。
それなりに優秀で周りからの期待に応えて結果を出してきたジェラルドは、今の自分をどう感じているのか。そんなことを想像していると。
「私、午後は早退する。工房でアクセサリー作りを習うことになっているから」
とうとうサクラ様は食堂を出て行ってしまった。護衛たちも後を追う。残されたジェラルドは呆然としていたが、周囲からの視線に気付いて、気まずそうに視線を泳がせている。
と、その視線が私達に止まった。ジェラルドがこちらに向かって来た。
「え、何?こっちに来るつもりかしら?」
サンドラが露骨に嫌そうな顔をしたが、ジェラルドはさっさと私達のテーブルに座ってしまった。まあ、最近サクラ様と一緒にいるせいで貴族とは距離があるものね…。
「すまない。お茶を飲む間だけ一緒に…いいだろうか」
「…ええ、まあ、それくらいなら」
「ありがとう。礼を言う」
彼の合図で給仕がお茶を運んで来た。
「…こういうのも久しぶりだ。最近では自分でお茶を運ぶからな」
ジェラルドが苦笑する。サクラ様の『お茶くらい自分で持ってくるのが普通よ』という考え方に付き合っているのだろう。
「そう…でもそういうところがサクラ様の人気ですもの」
「わかってる。わかっているさ」
ジェラルドはお茶を飲んで言った。
「それでも、これまでとの違いに面食らうことは多いんだ。そしてそれに…『ジェイド様』をするのは…疲れるんだよ」
「そう…それは…大変ね。時々はゆっくりできるといいわね」
元婚約者に現在の恋人との悩みを打ち明けられた形の私は何と言えば良いのかわからず、そう当たり障りなく言った時だった。
「何だその言い方は…まさか、いい気味だと思っているのか?」
ジェラルドが言った。その声の低さに驚いて顔を上げると、彼の鋭い視線が私を捉えていた。眼鏡の奥の瞳には怒りがこもっているように見える。
「なぜ?いい気味なんて、そんなことあるわけがないわ。サクラ様の幸せは国の幸せ。サクラ様を支える貴方の役割は大きい。大変なことだと思う」
「…どうだか。聖女に婚約者を取られて婚約を解消されて、かわいそうだと陰口を叩かれ、俺を恨んでいるんじゃないか?」
「俺、なんて言うようになったのね」
内容よりもジェラルドの口調に驚いてそう言ってしまった。
「何だよ、悪いか?サクラが『俺』って言ってくれって言うんだから仕方がないだろう?それよりどうなんだ、俺のことを恨んでいるんだろう」
ジェラルドの変わり様に困惑しながらも答える。
「もちろん解消するまでは、婚約者に冷たくされて悲しいと思ったわ」
「ホラ見ろ、やっぱり…」
「でも、サクラ様の境遇を考えたら仕方がないじゃない。急にこんなところに召喚されて、今までの生活が一変して、何が何だかわからないところに憧れの人とそっくりな人が現れたのよ?その人に頼るのは当然だわ。
それに貴方にとってもサクラ様と仲良くなるのは良いことだったでしょう?国の支援が受けられることは自分にとって以上に領地や領民、家のためになるもの。それくらい、私にだって理解できる。
だから気にしなくていいのよ。私だってもう前に進んでいるのだし」
「前に?…どういう意味だ」
ジェラルドの驚いた様子にサンドラが答える。
「マーガレットは王家とうちの紹介でラウル・アンジェロと婚約したのよ、知らなかったの?」
「ラウル・アンジェロ…アンジェロ侯爵家の跡継ぎじゃないか…」
「そうよ私の従兄。国も聖女のせいで不幸になった令嬢がいるなんて話が広まったら大変だもの、最高の相手を紹介したのよ」
サンドラは暗に『お前のせいでマーガレットは不幸になるところだった』と伝えているのだが、ジェラルドには届かなかったようだ。
「どうして…俺はこんなに苦労しているのに…お前はそんな、侯爵家に…」
ブツブツ言うジェラルドに、おそらく彼と話すのは最後になるだろうな、と思いながら伝えることにした。
「ねぇジェラルド、サクラ様は聖女様よ。サクラ様のおかげで今回、国は窮地を脱した。だから、ここでサクラ様が幸せでいてくださることが国にとっては何よりも大切なの。そのことは貴方だってわかっていたのではなくて?
私達の婚約期間を考えると解消されたのは残念だけど、国のこと、民のことを考えれば貴族としては当然だと思うわ。サクラ様が貴方に心を寄せているのは見ればわかるもの。
だから、私をかわいそうだ、気の毒だと言う人がいたのは知っていたけれど、仕方がないことも理解してもらえていた。あれは決して嘲笑ではなかったと思うわ。
もしあの頃、私が貴方との婚約を解消せずにサクラ様に『私の婚約者を取らないで』なんて言っていたら、その方が問題だとみなされたでしょうね」
ジェラルドは黙って聞いている。
「だからこその解消と、身を引いたことへの報奨としてのアンジェロ家の紹介よ。婚約を解消された、サクラ様の心配事だった令嬢なんて、避けたいに決まっているもの…聖女を敵に回すかもしれないなんて…厄介者だわ。まあ、貴方は私にそんなことがおきるなんて考えもしなかったと思うけど」
「マーガレット…僕は…」
「いいの、貴方を責めるつもりなんて全くないから。でも、自覚したほうがいいわ。サクラ様を幸せにするのは今の貴方の義務よ。この国、この世界の在りようを教え、彼女がここを愛し、大切にしたいと思うように導く、それが仕事。
それだけの役割だから、最初はエイベル様が候補だったのでしょ?王家であればその重圧を理解し、遂行できると。
…やだ、大丈夫?貴方、顔色が悪いわ」
ジェラルドは手を握りしめ、歯を食いしばっている。これは、多分はっきりとは理解していなかったわね。でも仕方がない。私は続けた。
「…そしてジェラルド、まだ貴方は彼女の婚約者ではないし、憧れの存在でしかないこともわかっているわよね?
サクラ様のことだから、ここから先、何を言い出すかわからないわ。もしかしたら、憧れと現実は違うと、新たに出会う相手に心を移してしまうかもしれない。そもそもサクラ様の世界では結婚は20歳を過ぎてからが多いと聞いているし…。
それでも仕方がないのよ?今現在サクラ様が貴方を求めているならそれに応えないわけにはいかないもの。それはみんな分かっている。だからこの先、もし貴方以外の人が選ばれたとしても、みんな分かってくれるわ。あなたのせいではないって。
あのサクラ様だもの…。
でも、その時、『よく頑張ったね』『大変な仕事だったね』って励ましてくれる人がいるかどうかはそこまでの貴方の行動にかかっているわ。
…今のように、私に八つ当たりに来ているようでは…心配よ?」
それを聞いたジェラルドは、真っ赤になって、それから、真っ青になった。そして、
「すまない、マーガレット。僕は…」
と言うと、立ち上がりフラフラと食堂を出ていってしまった。
ジェラルドにとっても急な運命に翻弄された日々だったのだろう。貴族として大切に育てられ、優秀な彼にとって、サクラ様のような人は初めてだっただろうし、思い通りにならないことがあることも辛かったのではないか。
「やっぱり分かってなかったわね、彼」
サンドラがため息をつきながら言う。
「第二王子のエイベル様でさえあっさり振られたのよ?油断したら自分もって思ったことはないのかしら…おめでたいわねぇ」
「最初の出会いが衝撃だったから…舞い上がってしまったのでしょう。これから気を引き締めて頑張ってほしいわ…国のためだもの」
「全く、マーガレットは優しすぎるわ」
サンドラはそう言ったが、本当にこれから先、彼を待ち受ける苦労を思うと、私には頑張って欲しい以外の言葉が見つからなかった。だって彼が頑張ってくれなければ、困るのはこの国であり、ここに暮らす人々だ。
サクラ様の幸せのため、彼女を宥め、励まし、楽しませる。そして伴侶として選ばれたら、それは生涯に渡って彼の役割となる。
でも、彼女の世界の価値観が理解できない私達には、この先彼女が何を言い出すかわからない。
もしも領地では暮らしたくないと言われたら。
もしも子どもを産みたくないと言われたら。
もしも、相手が一人では満足できないと言われたら。
もしも、もしも、もしも…。
でも、今の私にさっき以上にジェラルドに言えることはない。だって私達はもう何の関係もないのだから。紅茶を一口飲んで、目の前のサンドラに話しかける。
「週末は晴れてほしいわ」
「…そうね、きっと大丈夫、晴れるわ。ラウルと一緒にペルラの海がキラキラしているのが見られるわよ」
「楽しみだわ」
サンドラと二人、午後の授業の前のひと時を過ごす私の心は凪いでいた。
だって私は貴族令嬢ですもの。
お読みくださりありがとうございました。
転移した聖女サクラは普通の子。召喚されて3ヶ月ではそんなに立派に慣れるわけもなく、この先幸せになってほしいです。ジェラルドは重責に耐えきれず、この後は結局エイベル様が出てこざるを得ないのでは…と思っていたり。クールに見えるかもしれませんが、立場を重要視しながらも、幸せになるために決断・行動していくマーガレットのような子が好きです。
☆感想いただきありがとうございます。下にお返事のようなものを書きました。個別でなくてすみません。ネタバレっぽくなるので行をあけております。
ジェラルドは17歳なので、自分の努力によるもの以外への評価の怖さはまだ分かっていなかったでしょう。つらいですね。家も国からの聖女への永続的な支援を考えれば、領地領民のためにはジェラルドに頑張ってほしいと思うでしょうし。
だからこそのエイベル様だったのですけれど、如何せん聖女サクラ様の気持ちもあるので。エイベル様は王族ですから、とにかく待ち続ける覚悟があります。
彼女がいろいろ理解して、本当にもうここで生きていくと覚悟した時に、ジェラルドを選ぶのか、それとも他の人を選ぶのか、選ばないのか。
学校という子どもが集まるそこは、楽しく切ない場所だなと思います。ジェラルドもサクラもマーガレットもエイベルも頑張ってほしい。この先の人生こそ長いので。