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死神喫茶~黄泉比良坂でいただきます~  作者: 如月明治
赤字店主は死神と出会う
3/7

第3話 死神さんと仏の味


  藍里はモルテの許しをもらうと、飛び上がって再び台所に立った。モルテもカウンターに回ると、藍里の決意を見届けることにした。藍里はすぐさま手を洗うと、新しい包丁を取り出して、調理を再開した。何気なくそれを見つめるモルテだったが、あるとき目を見張った。


 藍里の目つきが変わったのだ。その刃を握り、食材を切り刻み始めてから、その所作も前とはまるで比べものにならない。およそ乙女とは思えぬ、達観し、全てを見通した眼。洗練された動きに、その手際のよさ。口は真一文字に結ばれ、一切の隙も見せない。今の藍里には一種の神聖さ、神々しさが煙を漂わせている。まるで八百万の神々の一人物だ。


 モルテは口角を上げ、頬杖をついた。我ながら、と。これが自身が授けた大蔵家の才か。彼は満足気に声を出さずに笑った。その後も、藍里の調理は続き、二人は終始無言でその時を待った。店内には換気扇が回る音、沸騰鍋のさえずりしか響かなかった。


 少ししたところで、モルテの鼻腔は心地よいスパイスにくすぐられた。見れば藍里が色鮮やかな袋を取り出しては炒められた野菜が眠る鍋に投入していた。その真剣な眼差しからはレトルトで土俵に立つものかという覚悟が見られた。モルテは藍里の料理人としての意地に満悦し、年甲斐もなくカウンター下の足をばたつかせたのだった。


「よしきた! ほら、完成ですよ! 死神さん!」


 沈黙が破られた。気づけばモルテの前に、湯気が立ったカレーライスが鎮座していた。高い鼻を近づけ、それを覗き込む。昭和がかった電球に照らされたそれは昔ながらのカレーである。とろんだ肉、ほろりと崩れたじゃがいも、煌めく人参、姿を僅かに残した玉葱。モルテは死神故、食物は摂取できるが生存上必須ではない。そのため、人間界の料理など知識はあってもほとんど口にしたことがなかった。思えば顧客の一人であった貞義の手料理さえ食した覚えがない。これは“神”が授けた神通力の強度を試すよい手段だ。


 モルテは目線を上げて、藍里を見つめた。彼女はこちらにスプーンを差し出しながら、“少女”らしい微笑みを向けてきている。お手並み拝見といこうじゃないか、彼は大人しくそれを受け取ると皿から一掬いし、口に運んだ。


 噛む、すり潰す、舌を動かす、喉へ、食道へ運ぶ。藍里は両手を胸の前で組んで、モルテの動向を見守った。美味しい、その一言だけでいいのだ。さあ、言ってくれ、笑って言ってくれよ。それだけで、私はもう未練なんか。


 藍里がそう思った瞬間、モルテが急に立ち上がった。いきなりどうしたのか。藍里は目を丸くし、彼を覗き込んだ。そして唖然とした。


「え、ええ? まさか泣いてるぅ!?」


 なんとモルテの切れ長の目からは雫がひたりひたりと零れ落ちていたのだ。その表情には悲しみや怒りなどなく、呆けたような、見惚れたかのような彼に似合わぬ腑抜けたものである。心なしか頬も朱に染まっており、藍里は若干引き気味になったが、同時にどこか高揚した。


 料理を喜んでもらえた、それも泣くほどに。藍里は自身の料理人としての人生がいまここで全て報われたと感じた。神を落したんだぞ、この手で。なんだか自分も目柱が熱くなってきた。


 藍里がうれし涙を拭おうとしたとき、モルテはばっと天井を仰いだ。次の瞬間には両手を広げて、ひらりと目を閉じていた。そのとき、彼の体は足元から真っ白に光り出した。藍里は余りにも非現実的な光景に、思わず後ずさった。


「死神さん!? ナニコレ、超常現象!?」


 モルテは藍里の問いに答えてくれなかった。彼はただ目を閉じて、涙を流すだけである。恐る恐る近づけば、なんと彼の光に覆われた部分は徐々に消滅していた。まずい、このままではこの男は消えてしまうぞ。


 藍里はモルテの肩を掴んで揺さぶった。


「死神さん! 死神さん、しっかりして! あなた、消えちゃってるよ!?」


 しかしモルテに聞く耳などなかった。藍里は痺れを切らすと、小走りで店の壁際まで辿り着いた。そして体を傾け、クラウチングスタートの姿勢を取った。


「手は料理人の商売道具!痛めるなんてもっての外です! 死神様、足癖の悪さをどうかお許しください!」


 藍里はそう叫ぶと、助走をつけて駆け出した。そのまま身を屈めていき、瞬時にしゃがみこんで両足に力を入れた。跳躍だ。蝶のように空を舞った藍里はそのまま己の右足をひらめかせ、モルテの頬にめり込ませた。


「いっだぁぁ!?」


 汚い叫び声と共に、モルテはカウンターの傍に転がっていった。気づけば光は姿を消し、投げ出されたモルテの身躯は元通りになっていた。彼はすぐさま起き上がると、頬を押さえて藍里を睨みつけた。


「っにすんの!? いくら死神でも、客だよアタシ!?」


「ごめんなさい! だってあなた今にも消えちゃいそうだったから、気を取り戻させようと……。そ、それはそうと、お・あ・じの方はいかがでしたか?」


 藍里は神に暴力を働いた事実にあたふたしたが、その残酷な天真爛漫さを利用して話を逸らした。彼女の言葉に、モルテは険しい顔を緩め、はっとした。


「あぁ? 味?……」


「そうです、そうです! うんまいでしょう?大蔵家の味は」


 そのとき、モルテは顔を覆いだした。また変な行動を……。藍里は今度は何かと彼を見つめた。するとモルテは掌から漏れるほど涙を流し、嗚咽まで付け足された。


「今度は何なんですか!?」


「クソ、悔しいのよ! こんな小娘の手料理なんかで昇天されようとした自分が!」


「昇天?」


 藍里は首を傾げた。するとモルテはマスカラが流れ落ちた悍ましい表情を向けながら、頷いた。


「天に召されるってことよ! もう、仕様がない子ね! はっきり言ってあげるわよ! あんたの味は神も落とすぐらいの絶品だったのよ!」


 神を、落す?藍里はモルテの言葉を反芻した。最早それは「美味しい」の度を越えているではないか。目標達成である。神にも認められたのだ、じゃあもう心残りなどない、とは言い切れなかった。


 神が褒める才を、いまここで無下にしてよいのか。それだけではない、藍里、お前はたった一人の客に評価されるだけでよいのか。本心を言えば、藍里はもっと「美味しい」の声が聴きたかった。黄泉平坂の茶処を、客の喧騒で包みたかった。本当に、ここで命の灯を消してよいのか。


 否、彼女には果たしそびれた人生の責務がある。黄泉比良坂の茶処を守るのだ。藍里が死んでも、この店の管理者は誰もいない。大好きだったあの人の、祖母の使命を守るのだ。でも、どうやって?


 藍里は悔し泣きをするモルテを見つめながら、自身の延命方法を考えた。そういえばモルテは先ほど藍里のカレーによって昇天する寸前であった。昇天といえば成仏?神に実行可能なら人の魂も容易だ。そうだ、死神は成仏した魂をあの世に連れていき、報酬をもらっていたはずだ。それならば……。


 藍里は不敵な笑みを浮かべ、モルテに向き直った。


「ねぇ、死神さん。私、すっごくいいこと思いついちゃった」


「一体なによ、小娘」


 モルテは赤らんだ鼻を鳴らした。藍里は微笑んで続けた。


「死神さんは成仏した魂をあの世に連れてって稼いでるんでしょ?」


「それがどうかした?」


「じゃあさ、私の魂を奪う代わりに、仏さん達を私の料理で成仏させて、それをあなたが黄泉まで連れて行くのはどう?」 


 そのとき、藍里の言葉にモルテは固まった。


「それは、“契約”ってこと?」


「うーん、まあそうかな……。あのね、私、まだ死にたくないんだ。一攫千金なんて狙わないからさ、もっといろんな人にご飯を食べてもらいたいの。この店も守らないといけないしね。悪い話じゃないでしょ? お互いウィンウィン。私達、いいビジネスパートナーになれると思うんだけどなぁ」


 藍里は上目遣いで、モルテを見つめた。彼の方は先ほどから、怪訝そうに藍里の様

子を伺っていた。迷っているようだ。ここはもう一押し必要だな。


「あーあ、いま私が死んじゃったら、あなた、大蔵家の味を一生失っちゃうよ?」


 そのとき、モルテはかっと目を見開いた。これは効いたようで、次の瞬間、彼は目を伏せてやれやれと首を振った。


「わかった、交渉成立にしましょう。ほら、手を出して」


 モルテの了承に、藍里は顔を綻ばせて握手をしようと右手を出した。しかし、そのとき強引に腕を取られ、鎖のように固く握られた。その瞬間、結ばれた手からは淀んだ泥のような光が放たれた。光は軽い衝撃波と共に、二人の衣服や髪をばたつかせ、店内を停電させ、壁を揺らした。これが死神との契約か。藍里は改めて、モルテが人外であると痛感した。


 契約はあっという間に終わり、店内からは黒光が消え、元通りの優しい照明が戻っていた。藍里の手は解放され、彼の体温が残ったそれを幾度か広げたり閉じたりした。


「契約は完了したわ。あんたの儲け話に乗っかってやるとする」


「やったぁ! じゃあ私、殺されずに__」


「その代わり」


 そのとき、満面の笑みを浮かべた藍里の前に、ぐいっとモルテが近づいた。黒曜石の眼、紫水晶の瞳が交じり合う。息を飲む藍里に、モルテが形の良い唇を動かした。


「この一週間以内に、彷徨う魂を一つ成仏させてみなさい。あんたの力を証明してみせるの。じゃないとこの契約はクーリングオフ、あんたはキリングオフね♡」


「お、仰せのままに、死神様」


 藍里は固唾を飲むと、モルテに向かって頭を下げた。一先ず命だけは助かったようだ。たった一週間の延命の可能性もあるが。


 藍里はつくづく自身の運命を呪ったのだった



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