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9.勇者ガル・ガル

 結婚相談所の2階から、垂れ幕が下がった。


 ──リュドミラは、本日ダンジョンお休みです──


 今朝の天気を占うように店の前に集まった冒険者たちは、胸を撫で下ろしてめいめい稼業の準備に取り掛かる。


 が、散り散りに街へ溶けていく冒険者たちの中で、一人の男が『ニコの結婚相談所』の店先に残っていた。


 全身を灰褐色の体毛に覆われた獣人の男で、太く長い尾が鋼鉄の直垂(ひたたれ)の隙間から垂れている。顔の前面に長く伸びた鼻口部は固く閉ざされているが、そこには獲物の喉笛を容易く噛みちぎる鋭い牙の存在を予感させる。


 結婚相談所の扉が開くと、その間から(ほうき)を掴んで現れたリュドミラが、彼の顔を一目見て気安く声をかけた。

「よう、ガル・ガル。ウチのダンナに用か?」


 ガル・ガルと呼ばれた狼人(ライカンスロープ)の男は、リュドミラをじっと見つめると、声も発せず一つ頷いてそれに答えた。


「入んな」とリュドミラは入り口のドアを大きく開ける。「今日は朝から用事があるから、手短にな」


 再び小さく頷くきながら、ガル・ガルは店の玄関をまたいだ。


 ちょうど部屋の奥にある階段を降ってきたニコは、その客の顔を見るなり声をあげた。

「あ、ガル・ガルさん。いらっしゃい。ソファへどうぞ」


 しかしガル・ガルはニコの顔を見つめたまま動かない。

 長居するつもりはない、という意思表示だとニコは解釈した。


 この寡黙(かもく)狼人(ライカンスロープ)の男も『ニコの結婚相談所』の会員である。

 本名はイグナシオ・ガルシア・ガルシア。


 ファーストネームの後に父の姓と母の姓を並べるのが彼の故郷の命名規則で、彼の場合たまたま父母が同じ姓を持っていたため、このように『ガルシア』を重ねることになったのだが、どうも耳に心地良いのと彼の風貌に響きが合うというので、誰が言い出したか『ガル・ガル』と呼ばれるようになった。


 実は彼自身このあだ名を気に入っていて一人称として使っているのだが、彼は人と話すこと自体極端に少ないので、それを聞いた者はごく限られている。


「今日は、ええっと……」ニコは少し頭をひねって、こう訊ねた。「婚活のご相談ですか?」


 口の周りに細く伸びたヒゲを揺らして、ガル・ガルは首を横に振る。


 彼に対しては、「はい・いいえ」で答えられる質問をするのがコツだ。


「では、僕に何か教えに来てくれたのでしょうか」


 ガル・ガルがゆっくりと頷いた。


 玄関の外からは、店先の石畳を掃く箒の音が聴こえる。


「それは、ドミニクさんに関することですか?」とニコは続けて訊ねる。


 ガル・ガルは首を縦に振った。そしてゆっくりと、その大きな口を開いた。

「ガル・ガルは、ドミニクを尊敬している」


 そのしわがれた低い声には、金貨の詰まった袋をテーブルに乗せるような重さがこめられていた。


 以前聞いた話では、ドミニクがまだ冒険者だったころ、体を張って仲間を守る彼の姿にいたく感銘を受けたのだという。


「だけど、今は尊敬しているドミニクさんと、反対のことをしようとしている?」

 ニコがそう訊ねると、ガル・ガルは鼻先をヒクヒクと動かした。


 それは、彼がものを考えるときにする仕草のようだっだ。


「ガル・ガルさんは、ドミニクさんが追っている人を、助けようとしているんですね?」


 ニコの言葉に、ガル・ガルは大きく目を見開いた。そして、首を何度も縦に振った。


 続けて訊ねる。

「相手が誰か、知ってるんですか?」


 するとガル・ガルはゆっくり横に首を振ってからこう答えた。

「他所者の匂いがする。だが、殺しの匂いはしない」


「だから、助けようと?」


「そいつにも事情があるのに、かわいそうだ」


「事情……そこまで分かるんですか?」


 ガル・ガルは首を振って否定したが「なかったら、来ない」と付け加えた。


「あー、確かに。誰だって事情はありますよね。何かしら……」

 と呟きながら、ニコは情報を整理した。


 まずツィーゲルツハイン王国というところから、王女が旅立った。

 目的地はバルバベルク。何のためかは分からない(彼女はこの街をオシャレにするためと言うが、ワケが分からないのでないものとする)。


 そして、どうやらその行先は漏れていたらしい。

 彼女には追っ手が放たれていた。


 その追っ手というのが、おそらくミュシャの運命の相手だ。

 ミュシャが異性愛者だということは確認がとれているから、高い確率でその追っ手は女性だということになる。


 追っ手は先回りしてバルバベルクに入り、おそらくあらかじめ買収していたであろう、この街の強盗団を使ってドミニクの馬車を待ち構えていた。


 ガル・ガルの嗅覚を信頼すれば、追っ手に殺意はない。

 だが、嗅覚で殺意を嗅ぎ取ることができるのはイヌ科の獣人くらいのものだし、そもそも殺意の不在は現にドミニクの馬車を追い回した事実を擁護しない。


 となると、逆にドミニクからの追及を免れず、高い確率で気の毒な目にあう。


 ドミニク本人は情に厚い男だ。相手が女となれば手心も加えるだろうし、相手の事情も察するくらいの理性はある。しかしドミニクが声をかけた仲間みんなに、彼と同等の人情を期待するのは無理な話だ。


 ガル・ガルはそうした状況を暴力抜きで解決しようとしている。そしてそれができるのは、ニコだと踏んだわけだ。


 ニコにとっては、まさに渡りに船だった。


 それをガル・ガルも分かっているようだ。


「行こう、ニコ」


 そう言うと、太い尻尾を揺らして身を翻し、颯爽と歩き出した。


 この街の冒険野郎たちは、親しみを込めて彼をこう呼ぶ。


『勇者ガル・ガル』


 この街で一番強い冒険者は誰かと問われれば、誰もが『人喰いのリュドミラ』の名を挙げる。しかし、では勇気がある者は誰かと問われれば、口を揃えてガル・ガルの名を挙げるのだ。


 帝国を含む教会圏の全土にわたり、『勇者』という言葉は歴史上の英雄に冠する形で使われてきた。


 しかしこのバルバベルクでは、そこに住む者たちによって勇気ある事績が認められた場合にしか、この語を用いることは許されない。


 ことダンジョンにおいて、実際に勇気が試される場面には事欠かない。


 しかしそれ以上に、この街の住民たちは、歴史の欺瞞(ぎまん)というものを、都会のいかなる知識階級(インテリゲンツィア)より余程よく承知していたからである。


 バルバベルクは、あらゆる被差別民が流れ着く街だ。

 そして彼らの背負う差別の歴史には、少なくない割合で『勇者』が関わっている。


 この大陸で、多くの国が共有している勇者の物語はこうだ。

「邪悪な魔王が統べる魔界に、正義の勇者が挑み、幾多の試練を乗り越えて、魔王を討ち果たす」


 こうした物語が、歴史的事実としていくつも記録されているのである。


 大きなものでいえば、ここから南に広がる『暗黒大陸』、そして大洋を超え遥かに西に浮かぶ『新大陸』、この二つは、当時『魔王』が統べる魔界であったとされ、いずれも、およそ400年ほど前に『勇者』によって“平和がもたらされた”とされている。


 しかし、暗黒大陸にルーツを持つ肌の黒い只人(サピエンス)、ダークエルフ、リザードマンなどといった被差別民の間では、次のように口伝(くでん)される。


「彼らは、銃、馬、優れた鉄製の武具を持ち込み、我々から夥しい命と、土地と、財産と、あらゆる権利を奪い尽くした」


 つまり、帝国を含む教会圏の歴史にあらわれる『勇者』とは、すなわち『侵略者』のことを指すのである。


 もっと言えば、侵略の歴史を正当化するために要求されたのは「侵略された者たちこそ邪悪なのだ」と象徴するための『魔王』の存在であり、『勇者』というのはそれと対にすることで、歴史という物語の体裁を整えるためのレトリックに過ぎない。


 バルバベルクの冒険野郎たちは、そのような欺瞞に興味を示さない。


 彼らにとって『勇者』とは、身をもって勇気を示した者を指すのであり、「俺にはできない」という敗北の宣言にして、称賛である。


 崩落する洞窟へ飛び込み仲間を助けたであるとか、龍の口に自ら飛び込み内側から腹を裂いてこれを倒したであるとか、ガル・ガルの勇気を示すエピソードは枚挙に暇がない。


 仲間のために危険をいとわぬ勇気と、見ず知らずの者さえ(おもんばか)る優しさを持つ『勇者ガル・ガル』が、ではなぜ、なかなか結婚できずにニコの結婚相談所へ通っているかといえば、それにも理由がある。


 彼は、ちょっぴり人見知りなのだ。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 更新はやーい!うれしー!! もう、寡黙な獣人ってだけで好みのドストライクです。 ガル・ガル絶対ハスキー系ですよきっと。アッシュグレーだし。 眼はきっとアイスブルーで鋭く、尻尾はモフモフです…
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