7.おしゃれ姫コンスタンツィア
「そうそう、申し遅れました。僕はニコ。ニコ・オイレンシュピーゲルです。ここで結婚相談所をやっています。こちらは妻のリュドミラ。この街の冒険者です」
リュドミラが彼の膝の上ですっかり丸まって、借りてきた(とても大きな)猫みたいになってしまったので、ニコは話を引き継いで、まずはそう名乗った。
「あなた、小さいのにずいぶん落ち着いてらっしゃるのね」
令嬢はまじまじとニコの顔を見つめる。
エルフ、ドワーフ、獣人、その他もろもろの種族がごった返すこのバルバベルクにおいて、夫が子どものように小さく、妻が鬼神のように大きいなどというのは些細なことだ。
しかし、人口の大半が只人に占められる他所の領地から来た人にとっては、それがずいぶん物珍しく映るようである。
ニコは涼しげな微笑みを口元に浮かべて答えた。
「僕、こう見えて結構オトナなんです」
少し前までドミニクが座っていた場所には、令嬢の帽子が置かれている。
バラの花を模したコサージュがふんだんに盛り付けられた大きな帽子で、前後の流れを知らずこの場面だけを切り出して見れば、色とりどりの花を束ねたブーケには見えても、帽子と見る人は少なかろうと思えた。
その帽子に隠されていた金色の髪は、冠のように編み込まれ後ろにまとまっている。
レースやリボンやコサージュで極端に装飾が施されたドレスは、もはや一つのオブジェに近いもので、そのてっぺんから目が大きく頬の丸い顔を突き出している令嬢は、そのオブジェを支える芯材のようにさえ見えた。
そんな有り様であるから、彼女自身がどういう体型を持った人間なのかは、目の前に居ながら杳として知れない。
ただ、人を見るということに職業上よく意識を割いているニコの目には、彼女は「幼い女の子」というよりは「歳の割に幼く見える女」というふうに映った。
「で……アンタは何しに来たわけ?」と、リュドミラがニコの膝に頭を乗せたまま、拗ねたように訊ねた。
すると令嬢はよくぞ聞いてくれましたとばかりに立ち上がって胸を反らし(ているように、その布の塊の動きから類推される動作で)高らかに言い放った。
「私は! この街をオシャレにするために!やって参りましたの!」
「…………?」
「…………?」
ニコとリュドミラは揃って頭の上に疑問符を浮かべる。
適当な相槌を打つにしても、丁度いいセリフが思いつかなかった。
昼に焼いたフィナンシェの甘い香りが、テーブルの上からふわりと鼻先を撫でる。
今朝採れた新鮮な卵に、遥か南方、暗黒大陸から輸入したコーヒー花のハチミツを混ぜ、信頼できる製粉所から仕入れた上質な北方小麦の薄力粉と、自分の手で挽いたアーモンド・パウダーをふるいにかけ、神がかり的な火加減で焦がしたバターを練り込んで香りにこだわり抜いた自信作である。
「──どうなさったの?」
怪訝な顔をする令嬢に、ニコはかぶりを振って答えた。
「すいません、ちょっと別のこと考えちゃって」
「にわかに理解し難いのも無理はありませんわ。この街を荷馬車の幌の隙間から見てきましたけれど、みなさん装いには無頓着ですもの」
「うーん……オシャレに興味があったとしても、ちょっと分かりにくいかな……」
令嬢はソファに座り直し、さてどこから説明したものかというふうに小首を傾げて、それから言った。
「私はまだ生まれていませんでしたけれど、先の戦争では、帝国中がメチャクチャになったそうですわね」
「所によっては、ひどい有り様でしたね。僕が本当に子どもだった頃の話です」
ニコは紅茶を一口すすって、その苦味を味わうように、彼の半生のある時期について回想した。
今でこそ、あの時世界で起こっていたことを多少知ることができたし、それについて自分なりの解釈を持つこともできた。しかし、あの時今と同じことを知っていたとしても、やはり自分には何も出来なかっただろう。
彼女の言う『先の戦争』とは、帝国の西に国境を接する『西の国』との戦争を指している。
その国が、例えば「〇〇王国」だとか「〇〇共和国」でなく、単に『西の国』とざっくり称されているのは、そこで起きた革命と、それを巡る戦争の経緯による。
『革命』というのは多くの場合「立ち上がった民衆が王政を破り、自由と平等を掴みとったのである。めでたしめでたし」というような単純な構図でもなければ、直ちに幸福な結末を迎えるわけでもない。
かの国でいえば、200年続いた絶対王政が倒されるわけであるが、一国の王権が打倒されるということは、同様の政体を持つ周辺諸国にも「王権は否定され得る」というイデオロギーが蔓延することとなる。
しかも悪いことに、当時西の国の王妃は神聖レモラ帝国皇帝の親族だった。
そんな中さらに、先鋭化した革命政府は王と王妃を断頭台にかけ、大陸全土を震撼させる。
これは帝国との対立を決定的にしたのみならず、当初市民革命に同情的であった立憲君主制の諸国までもを反革命の立場に立たせ、ついには大陸全土を敵に回すこととなったのである。
また、国内の革命勢力も一枚岩ではない。革命というのは大概、貴族、資本家、知識人とかいった連中が先導したり扇動したりしているものだが、彼らがなぜそうするかといえば、革命に乗じて得をしたいからだ。
一方、平民は平民で上流・中流・下流、それぞれ微妙に(あるいは全く)違った利害や感情を持っている。だから当然、彼らは革命の経過に伴い、別の党派に分かれていく。
民衆の蜂起が成功すると、まず憲法が制定され王の権利が制限されたが、しかしそれも不服とした層が反発して王権自体を廃止し王の首を刎ねたと思えば、そこで敷かれた政治も立ち行かなくなると、さらに急進的な連中が現れて貴族を片っ端からとっ捕まえて断頭台に送り、今度はその恐怖政治を打倒せねばならぬといった大混乱の中で、対外戦争を戦い抜かねばならなかったのである。
そんな中、革命政府に一人の英雄が現れる。
その男は大陸各地を転戦して連勝を重ね、本国に凱旋するや革命急進派の恐怖政治を打倒、『国家総動員』を呼びかけると、当時傭兵をかき集めても20万人の軍隊を有する国さえごくわずかという世界において、国民軍300万人を動員して大陸全土を荒らし回り、ついには西の国の皇帝に即位する。
これらは10年足らずの出来事であるが、この間、かの国は『絶対王政』→『立憲王政』→『穏健共和政』→『急進共和政』→『総裁政』→『統領政』→『第一帝政』という目まぐるしい政体の変化を辿った。
ちなみにその時の英雄は『タナカ』と名乗る出自の不明な男だったが、とうに失脚して、その後も『第一次復古王政』→『100日帝政』→『第二次復古王政』→『7月王政』→『第二共和政』……ということをまだやっている。
つまり、その国を『〇〇国』などと呼んだところで明日にはどうなっているか知れたものではないというので、とりあえず『西の国』とでも呼んでおこうというわけである。
さておき、この西の国が大陸全土にもたらした大戦争は、帝国に深い爪痕を残した。
令嬢はため息をつくように言う。
「大人たちは、先の戦争の反省を『もっと強い軍隊を作ること』で克服しようとしています。婚姻政策で領地を併合してみたり、国家主義を称揚してみたり、工業化を推進してみたり、それも全部、『強い軍隊の基盤としての国家』を作るためです。こんなバカバカしいことってありませんわ」
ニコの膝の上で、リュドミラの頭が動いた。「アンタさぁ〜、いきなり骨太な話始めんなよなぁ」
「まぁ、確かに……」とリュドミラの頭を猫みたいに撫でながら、ニコはそこからどう展開してオシャレの話に着地するのかということに興味を引かれてはじめていた。「僕には、それがバカバカしいことなのか分かりません」
すると令嬢は、それをこれから説明してご覧に入れましょう、というように深く頷いて、口を開いた。
「彼らのロジックは、『軍事力が均衡すれば、互いに手が出せないので結果的に平和になる』というものです。ですが、これには2つ問題があります。
1つには『技術や社会制度の進歩、あるいは《進歩らしきもの》は、ちょうど均衡の取れたところで止まったりなどしない』ということです。つまり均衡など永遠にしない。
そしてもう1つには、『誰も幸せにならない』ということです。その目的で整備された社会では、人々は兵隊と軍事工場に作り替えられてしまう。男たちは皆、生活のほとんどを行進と射撃の練習に費やし、女たちは皆、銃や大砲を作ることに費やすでしょう。
私には、その生活が幸せだとは思えない。人は戦争が始まった時に不幸になるのではないのです」
「それは中々、考えさせられる話ですね」とニコは相槌を打つ。
「で? オシャレが何なのさ」
リュドミラが急かすと、令嬢はよくぞ聞いてくれましたとばかりに身を乗り出した。
「可愛いものを見ると、優しい気持ちになるでしょう? 少なくとも誰かを叩きのめしたいとは思わない。だから、世界を『カワイイ』で埋め尽くすのです! まずはこの街、バルバベルクから。この街に私のカワイイが通用すれば、きっと世界のどこにでも通用するはず! だから私は、この街を、オシャレにするためにやってきたのです!」
「なるほど完璧な理論だ」
リュドミラが抑揚のない声でそう言ったとき、店の玄関がけたたましい音で開いた。
「待たせたなニコ」
運び屋のドミニクだ。
リュドミラがニコの膝を離れて座り直す。彼の膝の上に甘えていることを、急に恥ずかしく思ったためだろう。
ニコは目を大きくして言った。
「いえ、ずいぶん早かったですね」
「残念だが見失った。こういうのは時間が経っちまうと、無闇に探し回っても無駄だからな。路線変更だ。不本意だが、時間かけてジワジワ追い詰める」
「すみません、まだ宿の手配が出来てないんです。色々と話を聞くつもりだったので」
「いや、ひとまず嬢ちゃんは俺が預かる。いつまでもそっちに預けとくわけにはいかねえしな。俺の安全のためにも」
ドミニクはリュドミラにチラリと視線を投げた。
ニコも同じように、しかしまた違う意味を込めて、キマリが悪そうに手櫛で髪の毛を整えているリュドミラに目を向ける。
リュドミラは思慮深いため息を吐いて、令嬢に訊ねた。
「アンタ、名前は?」
令嬢は待ってましたとばかりに再び立ち上がると、スカートの中ごろをつまんで、恭しく礼をした。
「私は、ツィーゲルツハイン王国第4王女、コンスタンツィア・ツェツィーリア・フランツィスカ・ツェリスラワ・ツー・ツィーゲルツハイン」
「お前、いい加減にしろよ」
リュドミラが呆れたように眉を下げる隣で、「『ツィー』とか『ツェー』とかが、ちょっと多いかなぁ……」と、どうにもならないことを呟きながら、ニコはコンスタンツィア・ツェツィーリア・フランツィスカ・ツェリスラワ・ツー・ツィーゲルツハインの小指を見つめていた。
そこには赤い糸が一本、緩やかな曲線を描いて伸びている。
彼女は、ミュシャの運命の相手ではない。