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6.人喰いのリュドミラ②

 階下からドアを蹴破るような音がして、リュドミラは目を覚ました。


「済まねえニコ! 匿ってくれ!」──と続く声には聞き覚えがある。


 声の主は『岩のドミニク』とかいうベテランの冒険者で、いや、引退して今では運び屋をやっているとか。

 とにかく、リュドミラが顔面を思いきり殴ってアゴが砕けた程度で済んだというのだから、それなりに頑丈な男だ。


 さておき、彼女が夜通しダンジョンに潜り、集めた魔石を金に替え、温泉で諸々の汚れを落としてこの家に帰ったのが昼過ぎのことだ。いつもなら、そこから泥のように眠り、ドアが蹴り開けられるくらいの音で目を覚ますことはほとんどない。


 窓の外では暮れかけた太陽が、まだ未練がましく空にしがみついている。


 彼女はベッドから滑るように降りると、亜麻布(リネン)のシフトドレスの上から枕元に置いた革のコルセットを巻いて素早く前紐を編み上げ、スカートをはき、寝室を出て階段を降りた。


 厄介ごとの匂いがする。


 そういう嗅覚にかけてはかなり自信のある方だ。

 何しろ、彼女はこれまで自分の命を投げ込むことで生きてきた。


 戦場やダンジョンで生き延びるために必要なものは何かと問われれば、彼女は迷わず『勘』だと答える。


 強いに越したことはない。頭も良ければなお結構だろう。

 だが、人一人が強いの賢いのでどうにか出来ることなどタカが知れている。


 戦場にマスケットが登場した時、英雄の時代は終わった。

 剛腕だろうが豪胆だろうが、小指の先ほどの鉛玉一粒であっけなく死ぬ。人間とはその程度のものだ。


 相手が自然となればなおのことである。

 ダンジョンという天然の要害は、たかが人間の知恵や力など、鼻で笑うように蹂躙する。


 しかしそれでも持たざる者が一定の富を得たいと願うならば、高度に構造化され、階層化された社会秩序の檻を飛び出し、カオスに身を投じることが第一条件だ。


 そして、そういう場所で生き抜くのに必須なものは、彼女の考える限り『勘』しかない。


「混沌とした社会を生き抜くために直感力を磨きましょう」などという悠長な話ではない。

 鈍い者は死ぬのだ。その結果として、直感に優れた者だけが生き残る。


 というような理屈で(その正しさはさておき)、彼女は自身の勘にかなりの信頼を置いてきた。そしてその勘がこう言うのである。


 ──厄介ごとの匂いがする。


 階段を降り切ったときニコの声が聞こえて、いつもの呑気な調子に思わず頬がゆるんだ。


「いらっしゃい、ドミニクさん。今、紅茶を淹れますね」


 リュドミラが応接間に顔を出すと、ドミニクの口元が引きつった。どういうわけか、“急な雨に慌てて取り込んだ洗濯物”みたいな布のかたまりを小脇に抱えている。


「せっかくだが、俺は結構だ──」

 そう言いつつドミニクが床に置いた洗濯物の束が、もぞもぞと動いた。

 リュドミラはその時初めて、それが派手なドレスに身を包んだ令嬢なのだと気がついた。

 歳は16、7だろうか、「若い」と言うか「幼い」と言うか少し迷うくらいの年頃の娘が、コサージュだのフリルだのを親の仇みたいに盛り付けたドレスに埋もれて、床に膝をついている。


 娘は目を丸くしながらキョロキョロと辺りを見回して、感心するように言った。

「わぁ……とても狭いところですのね」


「なんだテメェ、煽ってんのか? いきなりよぉ」

 リュドミラは娘を睨む。が、娘の方は怯む気色もなく、不思議そうに目をパチクリさせるばかりである。


「じゃ、そういうことだから──」


 と、早々に切り上げようとするドミニクに詰め寄って、リュドミラはその肩に腕を回した。

「まぁまぁまぁ、そう慌てんじゃないよドミニク。みっともねえ。ニコがせっかく茶ぁ淹れてやるっつってんだからさぁ。それとも何かい? アンタ、ウチの旦那が淹れる茶が飲めねえってのかい?」


「いや悪いがリュドミラ、俺はこれから──」


「座れよ」


 ドミニクが何か弁明しようとするのを遮って、リュドミラは冷然と言う。

「テメェに何の用事があるのか知らねえが、そりゃ生きてここから出られた時に心配すりゃいい話だ。そうだろ? 首と胴体が生き別れになったヤツにまで約束の履行を迫るようなヤツはこのバルバベルクにもそうはいねえさ。楽しみだぜドミニク。よく分かるように説明してくれるんだろうな。テメェが抱えて来た厄介ごとを、ウチで預かる正当な理由ってやつをよ」


 ドミニクは天井を仰ぐ。

「ツイてねぇ……!」


「まぁまぁ、ドミニクさん」とニコがやんわり割って入る。「あ、それと、お嬢さんもお掛けください。リュドミラの言い方は少し乱暴ですけど、匿うにしても事情を知っていた方がいいので」


「少しじゃねえよ」とこぼしながら、ドミニクは不承不承ソファに座ると、「ほら、嬢ちゃんも座んな」と隣のクッションをポンと叩いた。


 肝心のご令嬢はというと、初めて洞窟の外の世界を目のあたりにした人のように、大きな目を一層大きく丸くして、次々に飛び込んでくる新しい景色をひとつも取りこぼすまいと興味深そうに辺りを眺めていたのであるが、ドミニクの声を聴くなりハッと我に返って、帽子を脱ぎ、スカートの中ごろを片手で摘んで優雅に会釈をした。


「申し遅れました。(ワタクシ)──」


 リュドミラは乾いた音で手を叩き、二人がけのソファの端に腰を下ろした。

「結構。余計なことを知ったがために、かえって面倒に巻き込まれるってのはアタシもそれなりに経験がある。その格好を見りゃ大方どんな身分か察しがつくさ。こっちは事情さえ掴めりゃいいんだ。名前を聞くかは後で決める」


 ニコがキッチンに引っ込むと、名乗りそこなって手持ち無沙汰に隣のソファに腰を下ろす娘を横目に、ドミニクが億劫そうなため息をついて、奥のニコにも聴こえるくらいの声で話し始めた。

「俺の目線から見りゃ、起こったことはそう難しいことじゃねえ。この娘を国から連れ出すように依頼され、前金が良かったんで受けた。行き先は本人から聞けってんで、訊ねりゃバルバベルクだと言う。理由は知らん。アンタと同じさリュドミラ。知らなくていいことは知らん方がいい。ところがこの街に入ったところで強盗(タタキ)に目をつけられた」


「なるほどね……」

 リュドミラは椅子の肘掛けに頬杖をつき、脚を組む。


「ヤツらが追う、俺が逃げる。この構図はいけねえ。タタキなんてやるような連中はこの街でも指折りのバカだ。力関係を誤解するからな。きっちり潰して、どっちが追う側かということをとっくり教えてやらにゃならん」


「難儀な性格だねアンタも」

 リュドミラの眉間がふっと緩む。


「別に、この娘のためじゃねえよ。ナメられちゃ商売あがったりだ」


「そういうことにしといてやるよ」


 リュドミラが呆れたように笑うと、ドミニクは立ち上がり、奥のキッチンに向かって言った。

「そういうワケだニコ。掃除が済んだら戻るから、悪いがそれまで預かっててくれ」


「分かりました。こっちで宿を手配しておきますよ。お気をつけて」

 盆に紅茶と茶菓子を乗せたニコが、キッチンから顔を出して答えた。


 令嬢がドミニクを見上げる。

「神に感謝しますわ」


「神じゃなくて俺にしろ」

 皮肉めかした調子で答えると、ドミニクはそのまま玄関のドアを開け、日の暮れかかった往来に飛び出して行った。


「さて……」リュドミラは令嬢の顔を覗き込みながら、ニコがテーブルに並べた紅茶を一口含む。


 この手の厄介ごとは彼女の領分だ。


 ドミニクが自己の利益を追求してこれをニコに押しつけようというのなら、それこそ胴と首とを切り離して別々の川に放り込んでもよかった。

 

 が、ドミニクはこの街に入った時点で報酬だけ受け取って放り出せば良いものを、この娘をバルバベルク随一の安全地帯であるニコの結婚相談所まで運び、自分が強盗(タタキ)を掃除するまで匿ってくれと言う。


 その振る舞いは、彼女にとって納得のいくものだった。


 だが納得は多くの場合、解決に寄与しない。

「問題は、アンタだね」


 リュドミラが紅茶のカップをソーサーに置くと、娘は身を乗り出すようにして声をあげた。


「あなた、とっても素敵ですわ!」


「素敵? アタシが?」

 リュドミラは眉根を寄せる。バルバベルクという街で、理由もなく人を褒める人間はだいたい詐欺師だ。


「ええ。とっても身体が大きくて勇ましい殿方みたいな言い様をなさるのに、カップの持ち方がとても綺麗。お家柄かしら」


 リュドミラはそれを聞くと娘から目を逸らした。

 だんだんと耳の先から紅潮し始め、みるみるそれが顔全体に及ぶと、ついには両手で顔を覆い、大きな身体を丸めて縮こまってしまった。

「上品だと思われるの、恥ずかしい……」


 ニコは手を伸ばして彼女の頭をなでる。

「大丈夫だよ、リュドミラ。この街にいるとちょっと感覚がおかしくなるけど、上品なのは、どちらかといえば良いことだと思うよ」


「だってさぁ……もうアタシずっと、そういう感じ(・・・・・・)でやってきてないじゃん……やだぁ……もう、ガッ! って飲むようにするぅ……」


「ヤケドするからやめた方がいいよ。それに僕は、リュドミラが綺麗な仕草で僕の淹れた紅茶を飲んでくれるの嬉しいな」


「ちょっとぉ……アンタもアタシのこと上品だと思ってたの? もうやだぁ……」


 ニコとリュドミラの様子を、娘は微笑ましげに見つめていた。

「可愛い方ですのね」


「だからぁ……! 可愛いとか、そういう感じでイジるのやめてってばぁ……」

 リュドミラはとうとうニコの胸に顔を埋めて、それきりすっかり黙り込んでしまった。


 ダンジョンに潜ればひしめく魔物を端から踏みしだき、そこに眠る富を喰い荒らす無敵の狂戦士にも、弱点がある。

 

「こう見えて、実は結構恥ずかしがり屋さんなんです」

 ニコはまるで小さな子どもをあやすように、リュドミラの大きな背中をぽんぽんと叩きながら言った。


 彼の視線は、令嬢の小指に注がれていた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] >鉛玉一粒であっけなく死ぬ。 そういえばリュドミラさんは一応人間でしたね笑 なんかこう、どうしてかオーク系の血が混じってるイメージが 勝手に定着していました。 >なんだテメェ どうして、…
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