5.運び屋ドミニク
バルバベルクの中心を南北に貫く街道に、一輌の幌馬車が通る。
「信じられませんわ! なんて汚い街ですの?」
娘は荷台を覆う幌の隙間から外を覗いて声をあげた。しかしその声の調子といえば、物珍しい景色を楽しんでいるようである。
かっぽかっぽと小気味良い音を呑気なリズムで並べながら馬を歩かせていた大柄なヒゲ面の御者は、そのリズムを乱さぬように後ろを振り返って言った。
「いやいや、アンタ本当にそういうのやめた方がいい。笑って許してくれるヤツの方が少ねえから。それと、いい加減着替えろって。その派手なカッコじゃ、馬車降りて10歩以内に身ぐるみ剥がされるぞ。断言する」
「イヤですわ! なぜなら私は、オシャレが大好きなのですもの!」
「いや知らねえよマジで」
この御者はドミニクという男で、この街では珍しくもないが元はそれなりに名の知れた冒険者だった。
常に仲間の先頭に立って、強靭な腕力で棍棒を振り回しながら頑健な体で肉の盾となり、『岩のドミニク』の通り名で尊敬を集めたが、ある時「いや、この役回り損じゃね……?」と気がつくと、その疑問が誇りを上回った頃合いに冒険者を引退した。
以来、横流しの魔石であるとか、良い気分になる薬草であるとか、全身が借金のカタになったロクデナシであるとかいった積荷を乗せる運び屋になったが、気の毒なことに、損な役どころが回ってくる人というのは大抵その人の性分からそうなるのであって、冒険者が運び屋になったところでその星回りまでは変えられないようである。
実際、彼は現在進行形で自分の引いた貧乏くじに肩を落としていた。
その貧乏くじというのがまたバカバカしいほど着飾った娘で、聞けば小国の姫であるという。
この辺りの事情に疎い人なら、小国とはいえ一国の姫様ともあろう人が、ならず者どもの吹き溜まりにわざわざ足を運ぶものかと眉に唾をつけるのも無理のない話だ。
こうしたところの仔細を話すには、少々視野を広くとらなければならない。
『帝国』という言葉には、どうも「デカくて強くて悪い国」という印象がついて回るが、実際に歴史を紐解いてみると、「複数の『王』が統治する領域を、『皇帝』がまとめる緩やかな共同体」というのが実情に近いようである。
さて、バルバベルクを取り巻く一帯は、『神聖レモラ帝国』と名のつく広大な領域であるが、この「緩やかな共同体」の緩やかさは、もはや極限にまで弛みきっていた。
というのも、その昔『正統教会』とそこから分派した『抗議派』との宗教的対立が、大陸全土を巻き込む国際戦争にまで発展し、30年にもわたって続いた末、正統教会勢力を率いた帝国側が敗北すると、その講和条約において帝国内の領邦には自治権どころか外交権まで認められた。
すると300を超える領邦と帝国自由都市は名実ともに『国家』となり、それまでせいぜい地方領主とでも呼ばれていた者たちまで臆面もなく『王』を名乗るようになったのである。
ここに至って、もはや皇帝の領邦に対する影響力などというものは、町内の各世帯に対する町内会長に劣ることはあっても勝ることはない。
そうした国家が300もあるわけだから、その中には当然吹けば飛ぶような小国も含まれている。
貴族の婚約破棄だの令嬢の流離譚だのという話が巷に溢れ返るのも、そもそも国というのがこれだけあって、その一つ一つに貴族がいるからだ。
従って、その内の一人がこの荒くれ者の掃き溜めに迷い込んだとしても、そう驚くほどのことではない。
にしても、難儀なのはその小国の姫を運ぶドミニクという男の性分である。
悪党になりきるというのもそれはそれで難しいもので、人間というのは、いくら無頼を気取ってみても、どこかで自分の善性を肯定せずにはなかなか生きにくいものであるらしい。
無法者に限って「仲間は売らない」であるとか「女には手をあげない」であるとか、大方の人が守っている道徳的規範を一つ取り上げて大袈裟に強調するのも、犯した悪徳の穴埋めをしたいという心理によるものだろう。
このドミニクという男について言えば、「積荷に責任をもつ」とでもいったところだ。
法外な報酬で非合法の積荷を運ぶ悪徳に対して、せめて自分の視界に入る内はその積荷を守りきるという責任によって、精神的な釣り合いをとっている。
しかし弱ったことに、ここはバルバベルクだ。
街道を端から端へと眺めて歩き、出くわす犯罪が両手で数えられれば少ない方という悪党どもの楽園である。
スリや詐欺師や引ったくりがそれぞれ徒党を組んで街道を監視ししていて、ひとたび目を付けられればケツの毛まで抜かれるということを、彼はよく知っていた。
ドミニクは荷台を振り返って、呆れまじりにため息をつく。
真っ赤なドレスは二の腕の辺りが熟れた林檎のように膨らんだジゴ袖、首から肩にかけてワケの分からぬレースの布で覆われ、釣鐘型のスカートは中に針金でも入ってなければその形にはならんだろうというワケの分からぬ曲線を描き、頭にはワケの分からぬ大きな帽子にワケの分からぬ大きな花のコサージュが死ぬほど盛り付けられたワケの分からぬ出立ちで、口振りにせよ、身の上にせよ、旅の目的にせよ、どこをとってもワケが分からない。
そんな中でも確かに分かるのは、おそらく今この時も街道を目ざとく観察しているならず者たちにとって、彼女はさぞかし魅力的なカモに見えるだろうということだ。
まず向かいから駆け寄ったスリが肩をぶつけた拍子に財布をスり、後ろから引ったくりが駆けつけてカバンを奪う。驚いて転んだ娘に詐欺師が同情の面ざしで声をかけ、宿を紹介してやるなどと唆して残りの荷物を粗方さらって姿を消すと、仕上げにどこからともなく現れた女衒が彼女を無事娼館まで送り届ける。
そして翌日には、自慢の衣装が頭の先から足元まで、めでたく街道の路面店に並ぶという寸法である。
「──というのが、考え得る限りもっとも平和的なシナリオだ。誰も死んでねえからな。率直に言えば今日の夕方には素っ裸でドブに浮かんでる確率の方が高い」ドミニクは娘にそう説明した。
ところが娘には怯んだ気色もない。
「そうならないように、守ってくださるんでしょ?」
ドミニクはよく晴れた空を仰ぐ。
「俺に同じくらいの娘がいなけりゃ、とっくに放り出してるところだぜ」と自嘲して、ちょうどその左手、貸宿の屋根からこちらをうかがう男を横目に睨んだ。男はドミニクと目が合ったことに一瞬慌てた素ぶりを見せつつ、口笛を吹く。ドミニクは馬の手綱を強く引き、声をあげた。「どっか掴まってろ! 飛ばすぜ!」
鞭打たれた黒毛の牡馬は不機嫌に一声嘶くと、怒り狂ったように駆け出した。
往来に通う人や荷馬車が驚いて道を開ける。
ドミニクは御者台の上に立ち上がり、その大きな身体を一層大きく見せるように両腕を広げ、辺り一帯に轟く大音声で怒鳴った。
「クズども!『岩のドミニク』の積荷に手ぇ出すからにゃ、それなりの覚悟は出来てんだろうな!」
四方に視線を巡らすと、建物の間から街道に並行する裏通りを追いすがる人影が垣間見える。
舌打ちをして馬を急かす。
といっても、いくら馬のケツを叩いたところで一頭引き馬車の速度などタカが知れている。
(ついてねぇ……!)
強盗だ。
スリや引ったくりなら、こちらが睨みを利かせている限り向こうから手を出してくることはない。
しかしタタキは別だ。彼らは基本的にやる気満々で元気いっぱい、馬を止めて戦えば全員この石畳に叩き伏せる自信はあるが、相手の人数次第で積荷の無事までは保証できない。
それはポリシーに反するのである。
ドミニクは後ろの荷台に向かって言った。
「気は進まねえが、取り敢えずこの街で一番安全なところまで連れて行ってやる。その先はせいぜい好きにやりな。俺の目の届かねえ所でな」
「一番安全なところって、どこですの?」
荷台から聞こえる声は、事ここに至ってもまだ好奇心に煌いている。
ドミニクは、かつてそこで砕かれたアゴの痛みを苦々しく思い出しながら言った。
「結婚相談所だよ」