4.行商人ミュシャ
「やぁ、ニコのダンナ!」
玄関の木戸が勢いよく開くと、快活な声が響いた。
声の主は、エメラルドの瞳とグレーの短毛が美しい、男の猫人である。
体の線は細いがヒョロリと背が高く、身のこなしがしなやかで、口調こそ陽気だが目配せに隙がない。
「こんにちは、ミュシャ。いらっしゃい」ニコは言いながら、首をかしげた。「何か、注文していましたっけ?」
このミュシャという男は大陸を渡り歩く商人である。
バルバベルクに出入りする商人というのはみんなそうだが、気分次第で質の良い品物を安く譲ってくれることもあれば、粗悪品を高く売りつけてくることもあるというので、付き合いにはちょっとしたコツがいる。
「いやいや、今日はそういうんじゃないんだ。アンタの本業の話さ」
「そうでしたか。どうぞ、お掛けください」
ニコはソファをすすめ、飲み物をたずねる。猫人にはコーヒーや紅茶を嫌う者が多いためだ。
ミュシャはソファにどっかと腰を下ろして、「あれば、温めたミルクがいいね」と言うので、ニコは奥のキッチンで冷蔵箱から牛乳瓶を取り出し、鍋に注いで火にかけた。
この『冷蔵箱』というのも、ニコがミュシャから買った、良い買い物の一つだ。
外見はオーク材で出来た木製の戸棚だが、錫で覆われた内壁との間にコルクを詰めて保温されていて、上段の引き出しに『氷の魔石』というのを放り込むことで室内を冷やす。
これがかなり長い期間手入れの必要もなく使い続けることができるというので、ずいぶん重宝していた。
この街の外では、かなりの富裕層を除けば、冬季に凍った湖や雪の多い地帯から運び出した氷を貯蔵庫で保存し、それを業者が切り売りしている。
冷蔵箱を使うにも、その氷を日毎に買い付けねばならぬというのであるから、一般の家庭にこの冷蔵箱が浸透しているのも、魔石の産地バルバベルクならではの生活風景といえる。
ニコが応接間に戻ると、ミュシャは身を乗り出してこう訊ねた。
「ところで、どうだいダンナ。儲かってる?」
というのは、商人にとって定番の挨拶で、これに対する返答一つで相手が取引に値するかを推し量るという。
「ええ、おかげさまで、ボチボチやらせてもらってます」とニコは答えた。
変に謙遜して「カラっきしです」などと答えれば、依頼を達成する能力がないと見なされるし、逆に「がっぽりイかせてもらってます」などと答えれば、今度はボッタクリを疑われる。
その辺りの機微を理解しているかどうかが、商人としての才覚を測る一つの目安になるのだそうだ。
「そうかいそうかい。そりゃ結構。なんでも、ほどほどが良いやね」
ミュシャは満足そうにうなずいて、長い脚を組んだ。貴族的な七分丈の赤いキュロットの下には、只人ならば白いタイツをはくのが通例であろうが、猫人の間ではここから自慢の毛並みを見せるというのが流行らしい。
上半身には同じく赤いベストを着ているが、こちらには白い花弁に黄色の雄しべをつけたマタタビの花の刺繍がある。
「ええ。ところで、どういう風の吹き回しで?」とニコは訊ねた。
ニコの結婚相談所にも、獣人の客は少なくない。しかしこれが猫人となると、片手で数えるくらいしかいなかった。
彼らは孤独と自由を好み、性生活も非常に大らかで奔放である場合が多い。
特定の住居を持つという考えの希薄な、旅から旅への漂泊民で、そもそもが『結婚』という形態にあまり馴染まないのである。
今、目の前にいるミュシャという猫人の商人も、ニコの知る限りはその気質の強い男だ。
ミュシャはニコの疑問を察したものか、少し言葉を整理するような間をとって、それから渋い顔で唸りながらこう答えた。
「アタシらみたいな連中には、なかなか厳しい世の中だからね。元々、行商や旅芸人なんかをやって、街から街へ渡り歩くのがアタシら猫人の生き方だ。ところが、今はどこも余所者には冷たい。いや、冷たいだけならいいんだが、どうも、キナ臭くってね。その点、この街は治安こそ悪いが、まだいくらか生きやすい。アタシもこれでそこそこ財を蓄えたんで、ここいらで身を固めて店でも構えようかってな了見でさ」
「ご商売のやり方も、ずいぶん変わってくるんじゃありませんか?」とニコは訊ねた。
「そりゃあね。だが、やり方を変えないってのが商売じゃ一番よくない。時代が変われば売れるモノも変わる。モノは変わらなくとも買い方が変わるってこともあるだろう。
ニコのダンナ、アンタもずいぶん方々渡り歩いてここへ辿り着いたって聞くけどね、この世の中をどう見るさ」
「どうでしょう。僕はあまりたくさんのことを知りませんから」
そう答えた辺りで、キッチンからぐつぐつと鍋の煮える音がした。
席を立つニコの背中に、ミュシャは投げかけた。
「ダンナもなかなか喰わせもんだからなぁ……」
ニコはキッチンでマグカップに温めた牛乳を注ぐと、それを盆に乗せて応接間のロー・テーブルに置いた。
「お砂糖は要ります?」
「いやいや、お気遣いありがとう。大丈夫。で、早速なんだがね──」
それは最早『早速』ではなかったが、ニコはうなずいて耳を傾ける。
「条件についてだけど、種族とか、宗教とかにはこだわりがない。いや……あまり戒律の厳しい宗教の敬虔な信徒は困るかな。アタシはちっとも守れる気がしないから。重要なのは、読み書きと算術ができることだ。読み書きは最低でも母語以外に2ヶ国語。話せるとなお良い。算術は算盤を使って四則演算が出来ることが必須だね。それから商店の売り子でも、質屋でも両替商でも行商でも構わないが、何らかの商売に3年以上の実務経験をお持ちの方、特に店舗経営のご経験のある方は尚可、長期出張可能な方は歓迎、【鑑定】のスキルをお持ちの方は優遇──」
「ミュシャ」ニコは遮って、こう指摘した。「それは、店員さんの募集ですね」
「ん? なんか違うんだっけ?」
ミュシャは目を丸くして、しげしげとニコを見つめる。
「相談するところが違うかな」
「なかなか難しいね。アタシは結婚の経験がないから」
「ここに来る人は大体そうですよ」
ミュシャはマグカップの中の牛乳をふーふー吹いて、それから言った。
「にしても、アタシの見る限り、みんな似たようなもんだと思うけどねぇ。『出来るだけ家柄の良い人』『財産のある人』『家事の出来る人』『頼りがいのある人』『癒してくれる人』──これってのは結局、アタシが言ってるのと同じことだろ? 求める労務や条件に違いがあるに過ぎない」
「ですね」ニコはあっさりと認めた。そしてその上で、こう続けた。「結婚にはいろんな考え方がありますから、そういうふうに相手を探すことも僕は悪いとは思いません。生活は大事ですからね。ただ、ずっと一緒にいる人が、お金とお仕事でしかつながっていないとなると、そういう生活は少し味気ないように思います」
「ふーむ……なるほどね。それでみんな『家事』とか『癒し』とか、そっちの仕事を相手に求めるわけか。ただ、そりゃどうもアタシには馴染まんね。どの道アタシゃ商人だ。結婚したなら一緒に商売を切り盛りしてもらうことになる。とすれば、店を閉めた後にまで相手に何か求めるってのはフェアじゃない気がするけどね」
ニコは思わず手を打った。
「それは面白い考えですね。じゃあ、料理なんかは出来なくても?」
「自分の食べる分は自分で作るさ。ずっとそうしてきたんだから。そもそも、種族が違えば食べる物だって違うだろ? せっかくの手料理に、タマネギでも入ってた日にゃ目もあてられない。文句さえ言わないなら、その人の分までアタシが作ったって構わない」
そう言って、ミュシャはマグカップの牛乳をふーふーする。
「その他の家事も?」
「それなりに分担してくれりゃ文句ないね。店を構えるったって、仕入れや商談であちこち飛び回ることには変わりがないから、掃除をつべこべ言うつもりもないし、アタシらには毛皮があるから着る物も多くない。洗濯だって楽なもんさ」
「じゃあ、そっちを押し出していきましょうか。商売の経験や能力は実際に会ってから確かめるとして、前向きな感じで──」ニコはそばの棚から紙とペンを取り出す。「他に何か、アピールしたいことはありますか?」
「そう、毛並みのことを書いといてくれよダンナ。自分で書くとイヤらしいからさ。見てくれ、このグレーの綺麗な短毛を。アタシゃ毎日ブラシを欠かさないからね。天鵞絨みたいな肌触りで、抱いて寝たらさぞかし気持ちが良いよ」
「なるほど──」
ニコは他にも色々と聴き込みをしながら、プロフィールの素案を書き込んでいく。
ミュシャはそれを眺めながら、マグカップの中の牛乳に息を吹きかけ、表面を波立てている。
【商人ミュシャ】
○基本プロフィール
年齢:23歳
種族:猫人
体型:高身長・細身
職業:自営業(仕入・販売)
住居:自由都市バルバベルク
婚歴:初婚
○自己PR
はじめまして。プロフィールをご覧いただきありがとうございます。
性格は明るく、何事につけ大らかなタイプだと思います。
旅が好きで、各地の美味しいものを食べたり、珍しい雑貨を売り買いしたりしている内に、趣味が高じて行商人となりました。お陰様で事業も安定しまして、このほど自分の店を構えたいと思っております。
今後も趣味と実益を兼ねて色んなところへ旅をしたいと思っておりますので、お相手の方がよろしければ、是非一緒にお出かけしたいです。
互いを尊重しながら、物心共に豊かな家庭を作っていける方とお会いできたら嬉しいです。
どうぞよろしくお願いします。
○店主のニコからPR
グレーの短毛が印象的で、明るくお洒落な猫人の男性です。
大陸全土を渡り歩いてこられただけに、視野が広く話題が豊富。
各地の珍しい文化・風習、美味しい食べ物、綺麗な景色のお話などは聴く人を飽きさせません。
生活能力が高く自由な発想の持ち主で、お相手のプライベートも尊重する考えをお持ちです。
当店イチオシの男性ですので、是非お会いくださいませ。
「──どうでしょう?」ニコは相手の顔をうかがう。
「もうちょっと、毛並みについて書いてほしいね」とミュシャは店主のPR文を指しながら、マグカップをふーふーする。
「なるほど……」
朱書きを入れるニコの向かいで、ミュシャは、おそるおそるカップに口を近付けた──が、その途中でピタリと動きを止め、上目遣いにニコの顔を見つめる。
「ニコのダンナ、アンタ『運命の赤い糸』ってのが見えるんだろ? こんなまどろっこしいことしてないで、ソイツでサクッと見つけらんないのかい?」
ニコはその鋭い視線に微笑みで応える。
「噂ですよ。それに、出会いにも良い出会いと悪い出会いがあるように、運命にだってきっと、良い運命と悪い運命があるでしょう? 仮にその『運命の赤い糸』というのが見えたとしても、それで結ばれた人たちを引き合わせることが、良いことだとは限らない」
ミュシャはそれを聞くと、ニヤリと口角を持ち上げた。
「そんなこと言って、アンタのところは月額制だろ? 成功報酬制にして、ガンガン結びつけてきゃ良いじゃないか」
「人生の大事な選択ですから、焦りは禁物ですよ。雑なやり方はしたくないんです。それに、成功報酬制なら解約してから結婚するでしょ? ミュシャ」
ミュシャは、ハハッ! と短く声をあげて笑った。
「やっぱりアンタ、喰わせもんだよ」
やがて、もうすっかり湯気の消えたマグカップの縁にミュシャの口元が触れた。
「アチッ──!」
牛乳の飛沫がはたはたと床にこぼれる。
ニコは目を細めてその様子を見つめた。ミュシャの左手小指から垂れて、たわんでいた赤い糸が、床からゆっくりと持ち上がって張り詰めはじめた。
運命の人が、近づいているのだ。