15.百識のクセニア
『掃き溜め広場』の北側に、集会所がある。
これは簡単な申請をすれば誰でも使用できるものだが、だいたいいつも空いている。バルバベルクの住人は、問題を話し合いで解決するという習慣をあまり持っていないからだ。
「ここ、いつも空いてるので助かってるんです」
馬車を先導していたニコが、ブケファロスの手綱を預かると、それを集会所のわきの柵に括り付け、餌の入ったバケツを口元に置いた。
彼はしばしばこの集会所で婚活イベントを開いている。
そのこと自体はクセニアの長い耳にも入ってはいるが、人嫌いの彼女には縁のないことだ。
クセニアは頭から毛布をかぶり直し、集会所の玄関をくぐる。
このニコというのは相当なおせっかい焼きと見えて、王女コンスタンツィアとヒルデとの間に話し合いの場を設けるため、わざわざここを手配したのだという。
王女コンスタンツィアは、運び屋のドミニクによってバルバベルクに入ると、その妻にして娼館の主人ヴィオレッタを経由して、同じバルバベルクに住むエルフという縁で、クセニアのところに転がり込んできた。
クセニアにしてみれば迷惑もいいところだが、このコンスタンツィアという王女は、クセニアに会うことを最大の目的としていたようである。
このクセニアというのは、今でこそ人をおちょくるような風刺文学を書いて糊口をしのぐ、売れない(たまにちょっと売れる)作家なのだが、元は『百識のクセニア』の異名をとり大陸きっての大賢者とうたわれた博覧強記で、一時は帝都の大学で教鞭をとっていた。
これは被差別民のエルフとしては極めて異例のことだ。
が、結局のところ、アカデミアにおけるその異例のポストも、彼女を長く留まらせてはおかなかった。
「西の国がくしゃみをすれば、大陸中が風邪をひく」
これは、この辺りの貴族が好んで使うメタファーである。
西の国で相次ぐ『革命』は、一つ西の国だけの話ではない。
革命が起こるたび外交関係には緊張が走り、必ずどこかしらと小競り合いになる。とりわけ最初の革命に起因して大陸全土を巻き込んだ大戦争は、いまだ帝国に深い傷跡を残していた。その復興もままならぬうちに、今度は内側から自由主義と民主化の機運が支配体制を脅かす。
また西の国で起こった『革命』は、ただ支配体制の変更だけを意味するのではない。
国家存亡を我が事と捉えた国民は、国の内外を問わず暴れ回った。一つにはより良い国を目指し、また一つには「我らが祖国」を守るため、国庫を食い潰す旧体制と、また干渉を図る周辺諸国と、死に物狂いで戦ったのである。
このようにして、かつて王侯貴族による国家運営の客体であった『国民』は、国政の主体の座に躍り出た。
「ここは我々の国だ。我々が創り、我々が守るのだ」
──『国民国家』の誕生である。
帝国は、西の国との戦争を通して、その強さを身をもって知ることとなった。
なにしろ、かの国では第三身分の平民が人口の98パーセントを占めているのであって、この層が積極的に戦争に参加するということは、戦争という営みそのものの意味を変える。
世界は、全体戦争の時代へと進みつつある。
帝国では身分を問わずこの危機感を共有していた。
数百の独立国家の集合体である帝国を一つの国家として統率し、大量の国民を動員できる政体へと作り替えなければならない。それも、『革命』ではない手段で。
今この時、帝国を動かしているのは2つのイデオロギーだ。
民族主義と軍国主義。
同じ神話と歴史を共有する民族として『我々』を定義し、その独立と繁栄のために戦う地盤をつくる。
それは西の国との戦争によって手痛い被害をこうむった帝国に暮らす多くの人々にとって、ロマンチシズムとリアリズムの絶妙な融合だった。
ところが、これに異を唱え徹底的にこき下ろしたのがクセニアである。
「10年ないし20年後の帝国においてもっとも美しいとされる振る舞いは、『偉大なる〇〇民族』とかいうプロパガンダの幻覚作用に酩酊しながら異種族・異民族に石を投げることである」
「近代社会における『人間』とは、小銃戦列の幾何学模様を形作る一つの点に過ぎず、あるいは機械と機械の間でモノを運ぶ一つの工業部品に過ぎない。それらは、あなたであっても良いし、また他の誰かであっても良い」
「権力が、なぜこのような馬鹿げた思想を国民に吹き込み、また、なぜこのように代替可能な既製品として国民を扱うのかといえば、彼らはもとより一人一人の国民について、空っぽの革袋以上のいかなる感慨も、愛着も、敬意も持ち合わせてはいないからである」
「あなたが、あなたの隣人について、その気質や、嗜好や、果ては名前すら知らないというような場合は注意が必要だ。その時、あなたの眼差しは、暗君が国民を眺めるそれと同一であり、そうした国民に主権を預ける国家は、支配の客体に一切の配慮を持たないという点において、専制君主の統治と本質的に違いがないからである」
というようなことを次々に書き綴っていった結果、当然だがクセニアはアカデミアでの地位を追われ、大学どころか帝都追放の憂き目にあった。
これでもかなり生ぬるい方で、当時の気運からいえば思想犯として投獄されるのがスタンダード、もっといえば「逮捕に抵抗した」という理由で(実際に抵抗したかに関わらず)銃殺というのも珍しくない。
そんな中、彼女が五体満足でバルバベルクに辿り着いたのは、学者の中でも密かに彼女の言説に共感する者が相当数いて、陰日向に彼女をかばったためである。
彼女が帝都を発つとき、最後に見送ったのは学内でも彼女の論敵といえる学者だった。
差別主義者でこそないが、「それぞれの種族は別々の土地に棲み分けることで摩擦を回避すべき」という『区別主義』とでも呼ぶべき思想の持ち主で、この点において、クセニアとは激しい論争もしょっちゅうだったし、時には「貧相で生っ白い」だの、「研究室が湿布臭い」だのと論点とは全く関係のないところで互いに罵り合うのも珍しいことではなかった。
その男(というのも湿布臭い老年の男である)が、人目をはばかりながら馬車に乗るクセニアを見送りに来たのであるから、彼女はずいぶん驚いた。
訳を尋ねると、彼は皮肉めかしてこう答えた。
「なに、単なる功名心だ。この先、帝国が大きな過ちを犯したとき、それに抵抗する私のような賢者がいたということを、君なら語り継げるだろう。学者たるもの、死後にこそ名を残さねばな」
クセニアが答えに窮して口元を歪めると、その学者は馬車の荷台のへりを掴んで、低く、唸るような声で言った。
「我々只人が、決して醜いだけの生き物ではなかったと、あなたに憶えていてほしい。私の死んだあとも、ずっと先の世をあなたは生きるのだから」
それは悲痛で、切実で、搾り出すような祈りの声だった。
「私の耳は長い。これからも、たくさんの人々の声を聴くだろう。その中に、高潔な学者としてあなたの名が伝わっているよう、せいぜい努力することだな。──これまでのあなたが、そうであったように」
そう言い残して、彼女は帝都をあとにした。
◇◇◇
「──というような経験をもとに、書かれた作品がこちらになります」
馬車で移動している間はカタコトみたいに話していたダークエルフのファーティマが、クセニアの経歴について長々と流暢に説明すると、その締めくくりというふうに一冊の本を掲げた。
『追放エルフの隠遁スローライフ〜イケメン・ダークエルフになぜか溺愛されているので、今さら帝都になんて戻りませんが?〜』
「お前、ふざけんなよ」ガタついた椅子にリュドミラがふんぞり返る。「ちょっと当てにいこうとしてんじゃねえよ」