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14.賢いロバのブケファロス

 一台の馬車が、のんびりした速度で街道を進んでいく。


 木組の荷台に防水布を被せた小さな幌馬車である。

 取り立てて汚れや破れがあるというのでもないが、代わりに何の取り柄も変哲もない。


 馬車を牽くのは一頭のロバで、御者台には頭からすっぽりとローブを被った女が手綱を引くともなく握り、荷台には気の弱そうな色の白い女が毛布に包まって膝を抱えている。


「クセニア、もうすぐ、つく」

 御者の女が平板なアクセントでそう言った。

 荷台の女とは対照的な茶褐色の肌に、複雑な模様の刺青がローブの袖からのぞいている。


「うぅ……人に会うの、怖い……」


 クセニアと呼ばれた女が調子の悪いクラリネットみたいな声を漏らすと、横から快活な声があがった。


「心配ありませんわ!」


 実は、もう一人荷台に乗っている者がいる。

 フリルとリボンを親の仇とばかりにあしらった派手なドレスと、コサージュをてんこ盛りにしたツバの大きな帽子が、その小柄な体格をむやみに膨張させている。


 ツィーゲルツハイン王国第4王女、コンスタンツィア・ツェツィーリア・フランツィスカ・ツェリスラワ・ツー・ツィーゲルツハインその人である。

(ワタクシ)が、師と仰ぐほどのお方ですもの!」


 崇敬の念に煌めくコンスタンツィアの瞳に、クセニアはかえって居心地が悪そうに目を細めた。


「ずっと……話が通じてない感じがするぅ……」


 御者台の女──彼女は名をファーティマという。姓はない。──は、小さくため息をついて言った。

「クセニア、おカネを稼げ。ファーティマを、うれしくしろ」


 少し注意深い人なら、ファーティマの頭を覆うフードや、馬車の幌から覗くクセニアの姿に、耳の長い特徴的なシルエットを見出すだろう。


 彼女たちもまたエルフである。


 一方、彼女たちを乗せた幌馬車を引くロバはというと、名をブケファロスという。

 とても賢く誇り高い、黒毛の雄ロバである。


 この辺りでロバは愚鈍さの象徴とされ、当のブケファロスもそのことを承知していたが、人間たちが彼をどう思おうと、ブケファロスはへっちゃらだった。


 彼は、自分がウマよりずっと強健で粗食に耐え、優れた記憶力を有していて、野犬やオオカミに対しても勇敢であるということをよく知っているからだ。


 人間はとかくウマを持てはやすが、彼はウマが人間に見せる服従的な態度や、やたらと歯ぐきを剥き出しにすることなどを軽蔑している。


 彼らの馬車が麦畑のそばを通り過ぎ、緩やかな峠に差し掛かったころ、ブケファロスは一声高くいなないた。

 彼の鋭い聴覚が、峠の向こうからこちらに向かってくる足音をとらえたからであり、また彼が自分の美声にかなり自信を持っていたからでもある。


 さらに言えば、ブケファロスはその足音が誰のものかを識別していて、足音の主であるニコという人物を、自分の美声を聴かせるに値する数少ない人間であると高く評価していた。


「やあ。ブケファロス」

 峠から現れたニコは、落ち着いた声で挨拶した。


 ブケファロスはあまり馴れ馴れしいコミュニケーションを好まないが、どうもこのニコというのは、そういう距離感をよく分かっているようである。


 ニコは馬車の3人と軽い挨拶を交わすと、少し間を空けてブケファロスの隣に並び、歩調を合わせて歩き出した。


 どうやら一人で迎えに来たようで、片手に提げたバケツには、芋のツルとプラムが摘まれていた。


 ブケファロスは感心して喉を鳴らした。気が利く。後ろのエルフ2人とは大違いだ。


 ダークエルフのファーティマはダンジョンにほど近い『インチキ市場』で店を開き、あやしげな呪物を並べているが、当然あまり売れないので冒険者を兼業している。ケチで欲張りな女で、インチキで一儲けすることばかり考えている。


 そこに転がり込んでいるのが作家のクセニアで、主に下らない風刺文学を売り物にしている。しかしこれがまた怠惰で臆病な女なので、ただ書き散らして一方的に出版社に送りつけるだけでちっとも金にならないので、いつもファーティマをイライラさせている。


 最近では『実践! バルバベルクの歩き方 〜これであなたも冒険野郎! 知っておきたい蛮族の作法〜』とかいうバカみたいな本を風刺のつもりで出すと、これがマナーブックとして間に受けた連中の間でちょっとだけ売れたので、それでなんとか体裁を保っているようだ。


 とにかくそんな調子なので、元よりしっかり者のブケファロスとしては呆れてばかりいるのだが、彼女たちの苦難の歴史にはロバとして共感するところもあるので、仕方なく面倒を見てやっているといったところだ。


 肌の色を見れば明らかであるが、ファーティマは南方、暗黒大陸中部のジャングルで樹上生活を送っていたダークエルフの末裔である。


 彼らを含め、暗黒大陸をルーツとする肌の黒い人たちは、総じて『魔族』と呼ばれる。


 歴史上『勇者』と呼ばれる者たちがこぞって大洋に漕ぎ出した大航海時代、そのきっかけとなったのは、香辛料貿易の陸路が異教徒の巨大な帝国に遮られ、新たな交易路が求められたことだった。


 しかし、その過程で勇者たちは、暗黒大陸の豊かな天然資源と出会うことになる。


 ゴムや象牙といった動植物資源に加え、金、銀、プラチナ、ダイヤモンド、銅、(すず)、石炭、鉄鉱石などの鉱物資源、そして、奴隷だ。


 その時代、こんにち『魔族』と呼ばれる人たちが辿った運命は、大きく3つに分かれた。


1.『勇者』の侵略に抗い、戦いの末虐殺される。

2.降伏し、奴隷として現地または新大陸で酷使される。

3.戦いを逃れ、流浪の日々を送る。


 ファーティマの血族はこの3番に属する。

 彼らが見舞われた艱難辛苦(かんなんしんく)についていちいち詳述していてはキリがないので割愛するが、黒い肌に刺青を入れ、呪術を扱う人たちが、こともあろうに強力な一神教が支配する北大陸に渡れば、どのように遇されるかということは想像にかたくない。


 では一方、元から北大陸に住んでいた白い肌のエルフたちが幸運だったかといえば、これもそういうわけにはいかなかった。


 只人(サピエンス)は農耕の発明以来、加速度的に人口を増やし、居住地を拡張するためにも、建材や燃料として木材を使用するためにも、森林を伐採し、深い森に住んでいたエルフたちを追いやった。


 また、太古から近世に至るまで、只人(サピエンス)の世界における皇帝や王の地位は、「教会の守護者」であるとか「神から王権を授けられた者」であるとかいった具合に、宗教的権威と分かち難く結びついていた。


 そこにきてエルフという種族は、深い森に住み、かなりの長寿で只人(サピエンス)の目には「不死」にさえ映ること、高い認知能力と広く深い知見を持つことなどから、太古より崇拝の対象とされ、図らずも只人(サピエンス)世界における宗教的権威を常に脅かしてきたのである。


 古代末期から、ある一神教が北大陸を席巻すると、教会はその権威を守るため、たびたびエルフが「神ではない」ことを強調しなければならず、その誇張的表現として、しばしば「神を(かた)る紛い物」という言葉を用い、激しい迫害を加えた。


 つまり、エルフにせよ、ダークエルフにせよ、只人(サピエンス)が自身の認知能力をはるかに超える巨大な群れを形成し始めた段階で、離散民族(ディアスポラ)としての生き方を宿命づけられたのである。


 そんな彼女たちが、もっとも多く定住する土地こそ、何を隠そうこのバルバベルクだ。


 命がけのダンジョン探索に仲間は不可欠で、それもすぐに死んだり死にかけたりするので頻繁に入れ替わる。種族だの信仰だのを選り好みしていては、そもそも仕事にならないのである。


 そんなわけでこの街は、肌が黒いだの耳が長いだのということはまるで問題にならない被差別民のパラダイスだ。


 もっとも、野蛮で、危険で、不潔で、猥雑で、無秩序で──その他いくつかのちょっとした欠点に目をつむればの話だが。


「あ、ここです」

 通りから『掃き溜め広場』に出たところで、ニコが広場の北側に面した集会所を指した。


「ひいぃ〜……着いてしまったぁ〜……」

 クセニアが気の抜けた声をあげる。

 昨晩、派手な只人(サピエンス)の娘が運び屋のドミニクと共に駆け込んで以来、ずっとこの調子だ。


 ファーティマは一つため息をつくと、エルフとロバの耳にだけ聴こえるような小声で囁いた。

「クセニアは頭の良さそうなことを言え。ファーティマがうまくやる」


 ファーティマとクセニアは、ブケファロスのたてがみをなでながら馬車を降り、交代で彼に頬擦りをした。


 ブケファロスは低く力強い声で、彼女たちの背中を押す。


 彼女たちは過酷な運命の中を、彼女たちなりに、たくましく、したたかに生きている。


 ブケファロスはそんな彼女たちとの生活が、嫌いではない。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 名前の時点でもうあの名馬「ブーケファラス」を想像しました。 >やたらと歯ぐきを剥き出しにすることなどを あ、そこなんかイラつきポイントなんだ。ロバ的に笑 なんかブケファロスのちょっと鼻持…
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