12.運命の赤い糸
(これは、困ったことになったぞ……)
ニコは固く口を閉じて頬を膨らませた。
女騎士ヒルデと王女コンスタンツィア・ツェツィーリア……(略)のこんがらがった事情を解きほぐし、それぞれを収まるべきところへ収めのだ──と、一歩踏み出した瞬間のことである。
「こんにちは、ミュシャ。また、どうしてこんなところへ?」
気を取り直して、平静を装う。
「もちろん仕事だよ。ここいらは領地を追われて間もない新鮮な没落貴族がお集まりだからね。いい取引をさせてもらってるんだ」
ミュシャはそう言いながら、『ボンクラ通り』の路肩に、引いていたリヤカーを寄せる。
「なるほど……」
荷台の端に、布に包まった薄い板が立てかけてあるのは絵画だろうか。それを押さえるように、古紙で包んだ壺や、アンティークの小さな戸棚が積まれている。木箱にはアクセサリーなんかの小物が納めてあるのかもしれない。
ミュシャの言う通り、この辺りには主に領地を追われた(元)貴族が住んでいる。
持ち出した家財をお金に換えたい人もいれば、そうした贅沢品を家に置いて見栄を張りたい人もいるだろう。
商人にとっては見逃せないエリアなのかもしれない。
ミュシャはずる賢そうな目元を複雑に歪めて、からかうような調子で言う。
「そこはかとなく、儲けの匂いがするね。ダンナ、何か隠してない?」
「隠してるとしたら、聞かれても言いません」
ニコが涼しい顔で言うと、ミュシャもまた含みのある笑みを返し、この細い路地裏に集まった4人の男女に素早く視線を走らせた。油断も隙もない商人の目付きだ。
「それにしても、珍しい組み合わせだね。ダンナもダンジョンに挑むのかい?」
言われてみれば、確かにそう見えるかもしれない、とニコの喉元に苦笑がこみ上げた。
リュドミラと勇者ガル・ガル、それに武装した女騎士という中にぽつんと自分がいる。
珍しい組み合わせの人たちが集まっているということは、いつもと違うことが起きているということだ。そしていつもと違うことには、必ず商機が隠れている。
ミュシャはそういう機会を見逃さない。
路地から通りへと砂利を踏みながら、ニコは素早く思考を巡らせ、とりあえずこの場を切り抜けようと口を開く。
「ちょっとしたトラブルがあって──」
つまり、「首を突っ込むと、お金にならない面倒ごとに巻き込まれますよ」というニュアンスを匂わせるつもりだった。
しかし、ミュシャは一層興味深そうに、瞳孔の細くなった大きな瞳を向ける。
「ははぁん……なるほど。じゃあ、そこのお嬢さんがアレだね。ドミニクの積荷に手を出したっていう」
「くっ、ころ……」とまで言って、女騎士は口をつぐんだ。ニコの忠告が効いたらしい。
(さすが商人。耳が早い……!)
ニコはミュシャの小指を見る。
そこからは、淡い赤の毛糸みたいにふわふわした糸が、少したわんで緩やかな弧を描き、ニコの背後に向かって伸びていた。
それは案の定、女騎士ヒルデの小指に繋がれている。
さて、ニコの立場といえば、本来は客であるミュシャに対して結婚相手を斡旋すべき、結婚相談所の主人である。
『運命の赤い糸』が目の前の男女に結ばれているということは、彼の仕事の上では大変結構なことだ。
しかし、糸の魔力に対して人がいかに無力であるかを目の当たりにしてきたニコには、その糸が人と人とを結んでいることを、手放しに喜ぶことはできない。
それは、突き詰めて言えばこういうことだ。
運命によって全てがあらかじめ定められているのだとすれば、あらゆる人間の営みが、意味を失ってしまうのではないか……?
ニコには、人を性愛によって固く結ぶ赤い糸が見える。だがひょっとすると、友情を結ぶ運命の見える人や、誰かと誰かがいがみ合う運命を見る人もいるのではないか。
あるいは、死の運命も──
我々は自分で何かを選んでいるように錯覚しているだけで、本当はそれらの厳然とした運命が、我々という意思なき人形を動かしているに過ぎないのだとしたら、我々の人生に意味はあるのだろうか?
ある。
ニコはそう信じる。
だから彼は、おそらくこの世に数少ない、ひょっとするとただ一人の『運命を知覚する者』でありながら、おそらく誰よりもこの『運命』に対して敵対的なのである。
「──ニコ?」
ちょうど通りに出た辺りで、彼に不安げな声をかけたのは女騎士のヒルデだった。
リュドミラとガル・ガルは、東西に延びる通りの両端に目を出して周囲を警戒している。
「あ、ごめんなさい。ちょっと、急に考え事が浮かんできて」と詫びてから、ミュシャとヒルデをそれぞれ簡単に紹介した。
2人の目が合う。
「ニコ……、雑貨屋の売り子を探してるというのは、彼か?」
ヒルデが言ったと思うと、ニコが返事をする前にミュシャが喜色満面声をあげた。
「そうそう! いや、さっすがニコのダンナ! 仕事が早い! じゃあ、早速『面接』に入ろうか」
「ミュシャ、ちょっと待ってください」と言ってから、(そうだ、これも心配だったんだ……)と思い出した。
ミュシャは、いまいち配偶者と従業員の区別がついていないし、ヒルデは、ミュシャが雑貨屋の売り子と配偶者を同じものとして扱っていることを知らない。
そこら辺のことも上手く説明しなければ、話は余計にこじれるだろう。
「なんだい? 善は急げってね。せっかく利発そうなお嬢さんを見つけてきてくれたってのに、モタモタしてたらバチがあたるよ」
ぐいぐい話を進めようとするミュシャに、ニコは必死で食い下がる。
「ほら、トラブルがあるって話をしたでしょ? 僕たちも、彼女からは色々と事情を聞かなくちゃいけないんです。その後ちゃんと場を整えてご紹介しますから。それに、ヒルデさんにはご商売の経験もありませんし、雑貨屋の売り子というのもあまり乗り気ではなくて……ねぇ?」
「興味がないとは言っていないがな……」
つい先ほど、「私は騎士だぞ」と大見得を切っていたヒルデがこの調子なので、ニコはすっかり弱ってしまった。
「ほら、彼女もこう言ってることだし、トラブル? ならアタシが一肌脱ごうじゃないか。『馬は馬方』『蛇の道は蛇』ってね。交渉・折衝ならバルバベルクきっての商人、猫人のミュシャにお任せあれってなもんさ」
「それは心強いが……いや、しかしな……」と、ヒルデは頬に手をあてて考え込む。
ミュシャが交渉役をかって出るとなれば、ニコとポジションがかぶるというのはこの際置いておくとして、このヒルデというのは曲がりなりにも一国のお姫様を巡るトラブルの当事者だ。
側溝にハマった子犬を助けるのとはワケが違う。本来ちょっとそこらでたまたま出会った見ず知らずの人に相談するようなことではない。
「アンタ、ずいぶん窮屈そうだね」
ミュシャがまじまじとヒルデの顔を見つめながら、ふと気付いたように言った。
ヒルデはそれを、ある種の侮辱と受け取ったのかもしれない。
「慣れんことをしたせいで、知っての通りの状況だからな」と不機嫌に答える。
「いや、そういう意味じゃないよ。うーん……言葉にしづらいんだがね、もっと根本的な話さ。そうだなぁ、こう言っちゃなんだが、その、鎧? アンタそれ、あんまり似合ってないよ」
「何ッ!?」
「ちょっと、ミュシャ……!」これにはさすがにニコも口を挟む。
ミュシャはちょっとだけキマリが悪そうに目尻を下げたが、意見を取り下げるつもりはなさそうだった。
「ああ、失礼。何もファッションのセンスについて言ってるワケじゃないんだ。そう、『生き方』っていうのかねえ。
おおかた話は聞いてるけどさ、アンタ、この辺りのチンピラに金を握らせて、ドミニクの馬車を襲わせようとしたんだって?」
「くっ……」と喉を鳴らしたきり、ヒルデは口をつぐむ。
「いや別にそれ自体、アタシ自身は善いとも悪いとも意見はないよ。ここではそう珍しいことでもないしね。だが『騎士道』ってヤツに照らしてどうなんだい? それにも増して分からんのが、そういう振る舞いをしながら、アンタ自身は一目で騎士と分かる格好でいることだ。搦め手を使うなら、普通に考えて街娘か何かに化けた方がいい。そういうチグハグさってのは、どこから来るんだろうね」
「手段を選ぶ余裕がなかっただけだ。私は何としても、姫様を連れ帰らねばならん」
ミュシャはそれを聞くと、少し考え込むようにうなった。
「そうかねぇ……。そのお姫様とやらは、本当にアンタが連れて帰らにゃならんのかい?」
「私は騎士だ。王家に忠誠を尽くす義務がある」
ミュシャはそれを聞くと、不意に真剣な目をしてヒルデにずいと歩み寄った。
それに怯んで後ずさったヒルデが、壁を背に行き詰まる。
さらに詰め寄るミュシャの長身が、上から覆い被さるように彼女を追い詰めた。
ミュシャは壁に手をついて、ヒルデに顔をよせる。
「アタシがそこから、連れ出してあげようか?」
その時不意に、「ミュシャ……」と声をかけたのは、狼人のガル・ガルだった。
彼はミュシャの着ているベストの襟に中指を引っ掛け、実行的だが乱暴ではないくらいの力加減でヒルデから引き離すと、低くガラガラした声でこう言った。
「猫人の考え方を、只人に押し付けるのは良くない」
その響きには、何かガル・ガルとミュシャの間にある一種の親密さ、あるいは共感のようなものが含まれていた。
ミュシャは「そうね、確かに……」と呟くと、壁についていた手をヒルデの肩にそっと置いた。
「今日のところはお暇しよう。お嬢さん、悪かったね。あまりこういうことは無いんだが、妙に熱くなっちまった」
ヒルデは体を守るように力無く両肘をかかえ、「いや……大丈夫……」とだけ言って目を逸らした。
「成功する猫人の条件は、いつも『他の見かた』を持っていることだってね、子どもの時分に口酸っぱく言われたよ。アタシもまだまだだね。アタシらはアンタたち只人ほど目が良くないから、アンタたちに見えて、アタシらには見えないものがある。ただね、動いてるものや暗がりを見るのはアタシの方が得意だし、狼人ほどじゃないが、只人よりははるかに鼻が利く。耳に至ってはアタシらより聴こえるのはエルフくらいのもんさ。だからね、アタシらに見えて、アンタらには見えないものもあるんだよ。その生き方に嫌気がさしたら、アタシんところにおいで」
ミュシャはそう言うと、路肩に停めたリアカーを引いて、歩きだした。
その背中を見送って、ニコがヒルデの方へ視線を向けると、彼女は壁にもたれかかったまま、時が止まったようにじっと俯いていた。
「困るぅ……」
小さな声で呟いたヒルデの顔は、耳の先まで真っ赤だった。