1.糸繰のニコ
自由都市バルバベルクの片隅に、こぢんまりした店構えの結婚相談所がある。
玄関先の立看板には、こう書かれている。
運命のお相手、探します。
『ニコの結婚相談所』
バルバベルクという地名は、「蛮族の山」というような意味だ。
その名に恥じぬ荒くれ者が集う街で、「運命のお相手、探します」などと大見得をきったところで、そもそも荒くれ者どもにそんな運命など存在するのか、と疑う向きもあるだろう。
が、この結婚相談所は、これでなかなか繁盛していた。
荒くれ者も恋をする。義士も聖女も恋をする。
そうして、この商売は成り立っている。
街の喧騒を離れ、チーク材で揃えた調度の深い色合いに囲まれた店内に、紅茶の香りが漂いだした頃、その豊かな静寂は、開け放たれたドアが激しく壁にぶつかる音で破られた。
これは、店を訪れた青年がとりわけ乱暴だったというのではない。
「ドアは蹴破るように開ける」というのが、この街の正しいマナーなのである。
『実践! バルバベルクの歩き方
〜これであなたも冒険野郎! 知っておきたい蛮族の作法〜』
帝国出版から出ているこのマナーブックを読むと、次のようにある。
《バルバベルクの挨拶》
〜これが冒険野郎の「ごきげんよう!」〜
1.ドアの開け方
バルバベルクでは、大きな音を立ててドアを開けるのがマナー。手を添えて静かにノブをひねるのは、「ションベンくさいシャバ僧」のやり方です。
奥に開くドアは足で蹴り開け、手前に開くドアは壁にあたるまで勢いよく引き開けると好印象。
先輩冒険野郎に「イキのいい奴が出てきやがったぜ」と思ってもらえるよう、元気にドアを開けましょう。
2.挨拶
元気にドアを開けたら次は挨拶です。
ここでの挨拶は、「よう」の一言か、「邪魔するぜぇ」が無難。
初対面の方に用事があるときは、お互いの額がギリギリ触れないくらいの距離で、「テメェが○○か」と名前を確認することで挨拶の代わりになります。
「こんにちは」や「おはようございます」は乳くせえガキの挨拶なので、「帰ってママのミルクでも飲んでな!」と言われてしまわないよう、堂々と挨拶をしましょう。
──といったことが指南されているわけであるから、音をたててドアを蹴り開け、「よう、『糸繰のニコ』ってのは、テメェか?」と詰め寄る青年の態度は、むしろ「基本に忠実」と評価されるべきである。
ニコと呼ばれた、背の低い、丸顔の、ふっくらした頬に薄く赤みの差した、十代も前半の少年みたいに見える店主は、当然そのことを重々承知している。
特段驚いたふうでもなく、テーブルにカップとお茶うけを並べ、少し舌足らずな幼い声で、「いらっしゃい。どうぞお掛けください」と、ソファをすすめた。
店を訪れたこの青年というのも、元は素直で真面目な性分なのであろう。
「あ、はい。すいません……」
すっかり毒気を抜かれたように、遠慮がちな会釈をしながらソファに腰を下ろし、それからハッと基本を思い出したように言った。「用件は1つだ。女ぁ紹介しな」
するとニコは、ティーカップに紅茶を注ぎ、また恐縮そうに会釈をする青年に「普段通りでいいですよ」と笑みを一つ浮かべて、自分も向かいのソファにちょんと腰を落とした。
青年は恥ずかしそうに照れ笑いを浮かべて頭をかくと、「あ、じゃあ、さっそく、相談なんですが……」と切りだした。
「ええ」
ニコは紅茶のカップに砂糖を3杯入れて、ティースプーンで静かにかき回す。
「お恥ずかしいことに、仲間から追放されてしまいまして……」と、青年は本当に恥ずかしそうに言った。
ニコは眉尻を下げて同情を示す。
「それは、お気の毒に」
「しかも、同じパーティーだった恋人が、リーダーの剣士と裏でデキてたんですね」
「ああ、なるほど……」と相槌を打つニコの顔を、青年は覗き込んだ。
「やっぱり、よく聞きますか、こういう話」
「ええ。ここは冒険者の街ですから、みんな命を切り売りするような生き方をしている分、男女問わずそういう奔放さが許されてきたようなところがありますよね」
「そう! そうなんですよ!『ああ……あるある』みたいな。ダメでしょ! 常識で……常識で考えるべきだと思うんですよ。だって、ダメでしょ? 常識で考えて、ダメなことってあるでしょ?」
ニコはうんうんとうなずきながら、青年に紅茶をすすめた。
この青年には気の毒だが、ここはそういう常識の通用しない人たちが集まる街だ。もっとも、ここ以外の場所で、どれほどその常識とやらが通用しているのかもあやしいものだが。
「それで、どうしてこのお店に?」
「急に一人になって、考える時間が増えるじゃないですか。自分って、何がしたかったのかなぁ……みたいな。それで、よくよく突き詰めて考えてみたら、命張ってダンジョンに挑むのも、結局、『彼女が欲しい』ってことだったんですよね。ほんと、恥ずかしいんですが」
「いえいえ。それをストレートに認めてすぐに行動に移せる人って、なかなかいないと思いますよ」
ニコは紅茶をすすった青年が、一息ついて落ち着いたのを見計らうように、パンフレットを広げ、話を続けた。
ここは『結婚相談所』。あなたにピッタリのお相手を探します。
結婚前提の真面目なお付き合いを目指すところなので、ナンパ目的の利用はお断り。
入会すると、大陸全土の登録者にプロフィールが公開され、また相手のプロフィールが閲覧可能に。
歌や踊りの得意なエルフ、働き者で気立の良いドワーフ、良家のお嬢様や、素朴な村娘、たくさんの求婚者からあなたの希望や相性を考え、店主のニコがご提案。
入会金は無料、月会費は収入に応じて。相談は無料で何度でも。身分や種族の違いで親類縁者の理解が得られない場合も、説得や交渉を請け負います──
「どうぞ、一度持ち帰ってゆっくりご検討ください」
ニコがそう言って説明を締め括ると、青年はパンフレットを受け取り、それから残りのお茶うけをつまみながらたずねた。
「で、どうですかねぇ……合いそうな人とか、います?」
「そうですね。今聞いた限りでは、ドワーフか、ダークエルフの女性が合うかもしれませんね」
「え、何でです?」
青年は意外そうに首をかしげる。
「当然、只人にもエルフにもドワーフにも、色んな性格の人がいますから、あくまで傾向の話ですけど、ドワーフはぐいぐい引っ張ってくれる姉さん女房タイプで、落ち込んでる時に支えになってくれる頼もしい女性が多いんですよ。ただ大雑把なところがあって、家計のやりくりなんかが苦手だったり、ケンカをすると力で決着をつけようとすることもあるみたいです。
それから、ダークエルフの女性はちょっと行き過ぎなくらい一途な方が多いんです。その代わり、浮気なんかにはひどく不寛容で、パートナーに言い寄る人を呪術で呪い殺したりするようなことが当たり前の文化なので、注意が必要ですけど」
「あぁ、なるほどぉ……。誰だって、長所もあれば短所もありますもんね」
ニコはそれを聞くと、深くうなずいた。
「そこを分かって下さる方なら、きっと良い人が見つかりますよ」
それから彼らはしばらくの間、世間話に花を咲かせた。
お茶請けの皿と、紅茶のカップが空になったころ、青年は立ち上がって、気の弱そうな会釈をしたが、面持ちは少しすっきりして見えた。
「すみません、すっかり長居してしまいまして。なんか、妙に居心地がよくて」
「いえ、どうぞまたいらして下さい。相談無料なので」
微笑むニコの目を見て、青年はふと思い出したようにたずねた。
「そういえば、『運命の赤い糸が見える』って、本当ですか?」
「噂ですよ」と、ニコは微笑んだまま答えた。
「そうですよね。なんか、不思議な雰囲気だから、そういうこともありそうに思えちゃって」と青年は頭を掻いた。
「よく言われます」
青年の後ろ姿を見送りながら、ニコは、彼の左手の小指から赤い糸が伸びているのを、ものも言わず眺めた。
──運命の赤い糸が見える──
巷にはそういう噂が出回り、ニコはその噂がデタラメだとは言わない。
その意味において、彼は嘘を吐いてはいないのである。
青年が帰って行くバルバベルクの夕暮れ、通りにはたくさんの出店が軒を並べて、仕事から帰る冒険野郎たちを呼び込んでいる。
ダンジョンで傷ついた仲間を引きずる戦士に、薄めた傷薬を売りつけようとする商人、商人の財布を狙うスリ、スリのアガリを吸い上げようという娼婦、娼婦をたらし込んで一儲けを企むペテン師──
そういう人たちの小指にも、運命の糸は結ばれて、ならず者どもの欲が熱をはらむ往来に、真っ赤な綾を幾重にも織りなしている。
ある者は近く、またある者は果てもしれぬほど遠く、誰かと誰かを結んでいる赤い糸は、やがてバルバベルクの街を染める夕陽に溶けて、大きな、途方もなく大きなひと塊りのきらめきとなった。
店の奥から、彼を呼ぶ女の声がする。
彼はそれに一声穏やかな返事をすると、店の中へと戻っていった。