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【短編版】売れ残り聖女の白かったはずの結婚〜「愛されるはずがない」と妹に馬鹿にされていたお飾り妃、年下王太子に「君だけに全てを捧げたい」と溺愛されて幸せを掴む〜【連載版はじめました】

読み切りでございます。

よろしくお願いいたします。






思えば、残り物ばかり与えられてきた人生だった。


――リシュリル公爵家。

私はその三女として、この世に生まれた。


リシュリルは重職を歴任するほど、王家からの信頼が厚い高貴かつ由緒正しい家柄だ。

名を聞けば、貴族の中にはひざまずくような者すらいる。



その三女なのだから恵まれた出自だと他人は言うかもしれないが、その実は違う。


私の母だけは正妻ではなく妾だったため、兄弟たちの中でも、私だけは幼いころから冷遇されてきたのだ。

料理も服も部屋だって、なにもかも残り物を与えられた。


唯一、母は「あなたは誰より美しい子よ」と常々言ってくれていたが……そんな母が他界してしまってからは、令嬢として扱われることさえなくなった。


それどころかまるで使用人のように、あごで使われる日々だった。兄弟の誰もが私を下に見ていたと記憶している。


それでも結婚しさえすれば、この苦しみから抜け出せる。どんな相手に嫁ぐことになっても今よりはましだ。

そう信じて、悔しさや辛さに耐えてきたのだが……



結局、そのときが訪れることはなかった。


たぶん私のような妾の子を誰かに嫁がせるのを、父が嫌ったのだろう。


残り物ばかりを与えられて生きてきた結果、今度は私自身が残り物になったわけだ。





「28にもなって結婚もしてないご令嬢。そのような方、審判をくだすまでもないでしょう」

「神父殿。これは儀式みたいなものです。未婚の公爵令嬢には皆様、受けていただいているのです。……まぁもう、令嬢とお呼びしていい歳でもないかもしれませんが」


客間にて。

すでに待機していた私は、扉の外から不躾な話を漏れ聞いた。


喋っているのは、国から派遣された神官たちだ。



身分で言えば、貴族の方が高い。普通は誰だろうと腹を立ててしかるべき内容だが、私はといえば、そうはならない。


もう他人にこうした偏見を持たれることにも、慣れきっていた。

心ひとつ乱されない。


「ご機嫌麗しゅうございます、アンナご令嬢」


だから、外での態度と打って変わり、いっそ丁寧すぎるくらいの挨拶を受けても笑顔で応じることができた。


白の聖衣に身を包んだ初老の神官と、その補助役だろう見習い2人。


形だけは丁寧に彼らは私の座る机の前、片膝をついて一礼をする。



まどろっこしいので、私の方から早々に切り出すこととした。


まだやるべき仕事が残っている。こんな形だけの儀式に付き合っているよりは、そちらを済ませてしまいたかった。



「挨拶なら結構ですよ。毎年恒例の審判でしょう? それであれば、手早く終わらせましょう」

「えぇ、こちらもそのつもりです」


補助の見習い神官が答える。

彼にしてみれば、丁寧な受け答えをしたつもりかもしれないが、早く済ませてしまいたいという本心が透けて見えた。


でも、もう怒ったりする感情もない。

彼らだって仕事で、嫌々ここにいるのだ。


審判に必要な水晶玉を机の上に置いてもらうなど、用意を整えて貰う。


「では、アンナご令嬢。聖水をお飲みいただき、それから、こちら水晶玉に触れていただけますでしょうか」


神官に促され、私はまず水を口にした。


これも儀式の一環で、神の審判を前に穢れを祓い、身を清める意味があるのだそう。



そもそも、この審判は『聖女』様を見いだすための儀式だ。

伝承によれば、数百年に一度だけ適正のある女性が公爵家の中から現れるらしい。



聖女様は、きまって未婚とされている。

もちろんそれだけではなく、特殊な魔法を使えたり、人心掌握のすべに長けていたり、と国の窮地を救う女神のような存在とのことだ。


そのため誰もがその出現を待ち望んでいるが……


発現する年齢も決まっていなければ、現れる年もいっさい不明なのが厄介な点らしい。そのため、彼らは毎年こうして審判を下しにやってくる。



途方に暮れるほど、無駄な儀式だ。時間も、お金も、何もかも。


私はこの日が来るたびに、そんなふうに思っていた。


「さ。お飲みになりましたら、次はこちらです。真に心が清らかかつ、聖女の器があるものが触れた時のみ、反応するとされています」


自分が聖女かもしれない。

幼い頃は、そう胸躍らせたこともあったが、そんな眩しい少女は今やここにいない。



ここにいるのは、齢28の令嬢。

普通、遅くとも20前後には結婚をするのが貴族社会だから、売れ残りと揶揄されるのは仕方がない。



だからこそ今の私は、妹・メリッサが嫁いだステッラ公爵家で、5つ年下の彼女にいびられながら、使用人として馬車馬のように働いているのだ。



私は水晶に映る自分の姿を改めて見る。


後ろで一つくくりに束ねただけの毛羽だった銀色の髪、飾り気のないさっぱりした顔は化粧などもちろんしていない。


なんの気なく、ただ早く終わってほしいという理由で水晶に手を振れる。


「な、なにこれ…………」


目を、見開かされた。


私が触れた途端、白く眩い光が水晶から発されたのだ。


魔導式の間接照明みたいに、いや、それよりずっと力強い。

周囲一帯を、視界を白色で覆う。卓上に置いていた経理関係の資料がまるで見えなくなった。


手を離すと、それは徐々に治まっていく。


「…………これは」


神官は狼狽えて、隣の見習いと目を合わせる。


玄人らしい神官でもわからない現象を、若い彼が知るわけもなく、強く首を横に振っていた。


その後、二つの視線は私へと向けられる。

疑念を含んでいることは、その瞳が顰められていることで分かった。


「……イカサマなら、していませんよ。私が一番驚いていますから」


そう、言葉を紡ぐのもやっとなぐらい。

状況をよく飲み込めないのは、私も彼らと同じだ。


去年までもう三十回近く繰り返してきた、この儀式だ。

姉妹が行ったものを含めれば、もっと多く、私はこの儀式を見てきた。


だが誰も、一度きりだって、それが輝いた瞬間など見たことがない。


「あ、アンナ様……! とにかくもう一度儀式をお願い申し上げます」


神官は動揺を隠せない震え声で、私にもう一度聖水をすすめる。


そのうえで今度は少しゆっくりと水晶に触れたのだけど、やはり無垢なほど白い光がその中心から放たれる。


彼らは私には聞こえないよう、ひそひそと会話を交わしたのち、すぐに私の部屋を後にする。



あの光はなんだったのだろう。

そういえば水晶がどうなれば聖女と判定されるのか、私は知らない。



そう思っていたら、その日の夜分に聖徒教会から正式な通達があった。


『公爵令嬢、アンナ・リシュリルを聖女として認定いたします』


と。


まさか、と思った。

だが、もっと唖然とするような続きがその通達書には記されていて……


『ついては、規定により近日中に、王太子・シルヴィオとの正式な婚姻を結んでいただきます』


つい力が抜けて、通達書が手から滑り落ちて、つま先の上に乗る。もはや、それを拾い上げることさえできなくなっていた。


アンナ・リシュリル。

28歳にして、なんと王子の妃となるらしい。


もちろん、実感は皆無だ。







都合のいい夢を見ているのでなければ、妹による悪戯にちがいない。

私はしばらく、本気でそう思い込んでいた。



だから、しごく平穏な気持ちで種明かしの時間を待っていたのだけど、それはいつまで待っても訪れなかった。



むしろ、婚姻締結への準備は着々と、かつ性急に進められていく。


まずは婚前に親睦を深めるという目的で、一か月、王子の屋敷で同居生活をすることになるらしい。


それも、早ければ早いほどいいとのことで、次の日には身体検査をするため医師の方がやってきて、また次の日には役人が数名、挨拶に来られた。


ここは王都から遠く離れた遠方だと言うのに、だ。



いよいよ冗談ではないらしい。

そう気づいたときには、もう出立の夜を迎えていた。最初の通達から約一週間のことであった。



「アンナさん、本当に行くんだね?」


部屋の荷物整理を手伝ってくれていた甥・レッテーリオが、作業の手を止めて、少し俯き加減に言う。


彼は、妹・メリッサの長子、つまりはステッラ家の世継ぎだ。

とはいえ、まだ5歳にすぎない。


誰かと別れることは、彼には辛いことらしかった。


「そんなあからさまに落ち込まないで、レッテーリオ。出来の悪い伯母が一人いなくなるだけのことだから」


私は腰より少し低い位置ぐらいにある彼の頭に手を伸ばす。

彼は恥ずかしそうに腰元で拳を握ってこそいたが、素直に撫でられてくれた。


ここでの生活において、彼は特別な存在だった。


彼の母であるメリッサの言いつけもあったのだろう。


ステッラ家の人々は、私を同族としてではなく、一人の使用人として扱った。呼び捨てにされるのも、こき使われるのも当たり前だったのだが、レッテーリオだけは違った。


伯母として接してくれて、いつも親しげに接してくれた。

彼の存在にどれだけ救われたことか、知れない。


「ほら、そんな悲しい顔をしないで。金輪際会えないわけじゃないんだから。ね? それにもう行かなきゃいけない」

「……僕がもう少し大人なら、アンナさんと結婚できたのに」


あら、なんて可愛いことを言ってくれるのかしら。

お世辞だとしても、たとえ法的にできないとしても、嬉しい言葉だ。


「ありがとうね」


私はまた彼の頭を撫でて、それから片付けを再開した。


と言っても、時間はさほど要さなかった。

なぜなら、私が5年以上も暮らしてきたこの部屋は、使用人室であり、最低限の広さしかない。


そもそも持ち出す荷物だって、そう多くはないのだ。

小さなころから持ち続けているお守りを入れて、きんちゃく袋の口をしばれば、もう用意は済んでいた。


最後に、がらんとした部屋を振り返る。


「ありがとうございました」


こう言ってはみたものの、感慨などは湧いてこなかった。

最後までこの部屋は、自分の居場所になっていなかったらしい。



「じゃあね、レッテーリオ。きっとまたすぐに会えるわよ、泣かないで。強くなりなさい」

「……はい」


目端で涙をこらえる甥とは、残念だけれど、ここでお別れだ。

彼は見送りに出てくることはできない。


その理由はもちろん、


「遅いわよ、アンナ。もう馬車が来ているというのに、このあたしを夜中に玄関の外で待たせてどういうつもり? あんたって最後まで片付け一つできないの? ほんと、情けない姉ね。さっすが妾の子供ね」


メリッサの目を気にしてのことだ。


屋敷の正面玄関を開けたところ。メリッサは仁王立ちと腕組みで、まるで門番かのように一人、そこで待ち受けていた。



彼女は私をあくまで使用人として扱うよう、ほかの家族に言いつけている。それを破った場合には、大声をあげて叱ったこともあったらしい。


そのためレッテーリオと仲がいいのも、公には秘密にしているのだ。


「……すみません、メリッサ様」


もはや『様』づけを強要されている。

こんな売れ残りと姉妹だと思われるのが、恥ずかしいらしい。


……まぁ、私にしてみれば、どうでもいいお話なんだけどね?

それで気が済むなら、と言われるとおりにしている。


「ふん。口ではそんなこと言って、内心では馬鹿にしてるんじゃないでしょうね?」

「いえ、そんなことはこれっぽちもありません」


「そりゃそうよね、ただのまぐれ。神様のお遊びで聖女になっただけだもの。あんたごとき残り物が王子の妃だなんて馬鹿らしいったら、ありゃしない。

このあたしだって、王子を捕まえられなかったのに……なんであんたが。あぁむかつく。ほんと世も末だわ」


吐き捨てられる言葉は刺々しい。


まるで呪いのようだが、私にはもう効かない。

なぜなら、すでに呪われきっているからだ。自分でも、世も末だと思っているくらい。


だから、ただ薄ら笑いを浮かべてなにも言わずに聞く。


結局これが一番、癇癪を起されないで済むのよね……。


「えぇ、私もいまだに信じられません」

「ふん、そうやって低姿勢でいたらいいと思ってるんでしょ? これだから妾の子は」


ため息をつかれるのに、ただ頭を下げる。


こうして罵られるのも今日で最後と思えば、なんてことはない。

眉間だけではなく、頬にまで皺を寄せ、尊大な態度を取る妹をただ見つめる。


名残惜しい、とはもちろん思わないが、怒りも覚えない。


思い返してみても、姉妹らしく接したことはほとんどなかった。ただ幼い頃から何度も見てきた妹の険しい顔を思うと、過ぎてしまった長すぎる年月を感じる。


小さかった彼女も、今は24。

6年前に公爵家に嫁いで、今や子供すらいる。


「どうせ、こんなの愛のない白い結婚よ。愛されるわけがないわ。

運よく聖女になったからって、あんた今28でしょ? 王子は私と同い年、あんたみたいな売れ残りに振り向くわけがないわ。

しかも、あんたみたいな根暗で愛嬌もない女ときたら、王子もさぞ残念がってるでしょうね。このあたしが猛アピールしても落とせなかった王子よ? あんたのことなんて、どうとも思ってないに違いないわ」

「……そうでしょうね」


この結婚はあくまで規定に則って執り行われるものだ。


こんな事態になり初めて知ったのだが、聖女が現れた場合、時の王子の正妻として迎え入れなければならないと、国家の規定で決まっているらしい。


たとえそこに愛がなくとも、これは決まり事だ。


私ごときが異論を唱えて変わるほど、この国の歴史は浅くない。


「ま、せいぜい色仕掛けでも頑張ることね。その髪や貧相な身体じゃ無意味でしょうけど」


そんなことは言われずとも百も承知している。


婚姻相手は、今をときめくシーリオ王家の第一王子・シルヴィオ様。

その優れた容姿は、一目見ただけで女性を虜にしてしまうほどだと聞くし、佇まいも次代の王らしく風格があるとか。


いつも飄々としていて、ほとんど笑わないなんて噂も聞いたことがあった。


過去に一度、貴族学校で行われたピアノの演奏会でお会いをした際、会話をした覚えはあるが、それきりだ。

その頃の私は15歳で、彼は少年だった。

姉妹たちの前座として弾かされたにすぎない私の演奏も、無邪気かつ真剣な目で聞いてくれていたっけ。


彼はまず覚えていないだろう、些細な出来事だ。


そんな出会いからかれこれ10年以上。

よもやその王子の元へ、妃としてお嫁に行くことになろうとは誰が思おうか。



一見奇跡みたいなめぐり合わせだが……、妙な期待などはいっさいしていない。


近くで眺められるだけで十分。それくらいの軽い気持ちだ。


「ただ、迷惑をかけないように振る舞ってまいります」

「ふん、そうしなさい。……あぁ、もうここにきてイライラしてきた。あんたのやってた仕事、どうしてくれるわけ?」

「一応、他の方々に引き継ぎはしておきましたから」


その使用人の方たちは、ここにはいない。

私の見送りなど必要ないというメリッサの意向で、他の業務を振り分けられているのだ。


だから、見送りはメリッサ一人だ。


惜しむ別れもないので、早々に立ち去ろうとして、玄関柱の下、魔道照明に照らされて伸びる小さな影に気付く。

どうやらレッテーリオは、最後まで見届けてくれようとしていたらしい。


……なんて、いたいけな子なのだろう。メリッサとは似ても似つかない。


きゅんと胸が締められた私は、メリッサに気付かれないよう、ちいさなお辞儀で彼に応える。



と、そのときだ。


正面玄関の扉が開き、中からメイドが一人飛び出てくる。その胸に抱えられていたのは、立派な化粧箱だった。


メリッサはそれを受けとると、受け流すように私へと手渡した。


「えっと、メリッサさま。これは……」

「なにも持たずに行ったら、王子に失礼でしょう? 出来も出自も悪いあなたよ? 存在だけでも失礼なんだから。貢ぎものよ、そのまま渡しなさい」

「そうですか。メリッサさま、ありが――」

「必ず、あんたが調達したことにして渡すのよ? そうでなくちゃ、格好がつかないから。もちろん、渡すまで開けてはならないわ」


一応、実家・リシュリル家の面目を保つため、配慮してくれたのかしら?


今日に至るまでの超展開についていけず、手土産のことなどすっかり頭から飛んでいた私は、礼を言って、それを受け取ることとした。


「辞める使用人に、もう用はないわ。早く行きなさい、顔も見たくないわ」


舌打ちとともに、彼女はこう吐き捨てる。

さらには肩を強く突いて、馬車の方へと押し出した。



ひどく乱暴なやり方だ。

普通なら怒っていい場面かもしれないが、私はもうとうに諦めているし、まったく傷つきもしない。


姉を従えている自分は、より高貴で美しい。


彼女がそんな自尊心を満たすためだけに、私を雇い続けていたことだって、知っているのだ。

知ったうえで、残された私には他に行く先もなかったから、こうして仕えてきたのだ。


最後まで使用人として指示に従うこととして、身をひるがえすと馬車に乗り込んだのであった。





王都にたどり着いたのは、出発から3日後の早朝のことであった。


私は馬車の窓から、まだ動き出す前の、人気のない静かな街並みを見る。



緊張して寝られなかったのではない。妙な期待を持っていない分、そのあたりは達観できていた。


だからこの時刻に起きたのは、ただただ習慣だ。

使用人時代には日が昇る前に起きだして、誰よりも早く勤務についていた。



王都にやってくるのは、どこにも貰い手がなく妹の家で奉公することになる前以来、約5年ぶりのことだった。

変わった景色に目を取られているうち、やがて馬車が停まる。


「アンナ様、ここが王子、シルヴィオ・シーリオ様のお屋敷でございます」


御者にこう促され、降りてすぐ私は驚かされた。


さすがに、次代の王とされる人物の住む屋敷だけのことはある。

公爵家であるステッラ家のものより、さらに一回り大きく、黒と白のモノトーンで作られた外装は荘厳な作りに見えた。


私が圧倒されているうち、馬車が去っていく。残された私は、そこで気がついた。


……どう考えても、はやく到着しすぎた。


これも妹・メリッサの嫌がらせの一つなのだろうか。

ただ、今さら真実などどうでもいい。



問題なのは、このまだ肌寒い春先に、外へと放り出された事実だけだ。



こんな時間に、誰が迎えに来てくれるわけもない。

おとなしく、あたりを散歩でもして待っていようと思ったら、屋敷の庭がなにやら騒がしい。


鳥のさえずり――いや、そんな優雅なものではない。

興奮した鳥が複数、騒ぎ立てるかのように鳴いている。


つい柵の中を覗きこめば、花壇に囲まれた芝生の上で、一人の若いメイドがほうきをふるっている。

相手にしているのはスズメの群れだ。どうやら、強制的に払いのけようとしているらしい。


「もう、なによっ! うるさいなぁ!」


あらら、あれじゃあむしろ興奮させて暴れさせる結果になる。

過去に同じような目にあった経験があるから、分かるのだ。


さて、どうしようかと少し思案する。


なにか直接的に役立つような強力な魔法を使えたらいいのだが、私はそもそもほとんど魔法が操れない。



頭を悩ませた末、思いついたのは実に使用人らしい作戦だった。


懐から乾パンの残りを取り出す。


小さくちぎって、鳥たちに見せつけるようにわざわざ高く放り投げる。すると、スズメの一羽がこちらへ飛んできて、やがて群れ全体が外へと出てきてくれた。


平和にパンくずをついばむスズメを見て、ほっと胸をなでおろす。


「どなたか存じ上げませんが、ありがとうございます」


メイドさんが駆けてきて、柵の奥から私に頭を下げた。

彼女はぱっと顔を上げると、


「まぁ、なんてお綺麗な方……」


とつぶやく。


きっと、鳥の群れから救った感謝からくるお世辞だろう。



たしかに、一応王子に会うために化粧などは馬車の中で施してはいる。化粧もおしゃれもゼロだった状態に比べればマシだが、そう言われるほどではないのは自分で分かっているしね。



それよりも気になるのは、彼女の手に握られた数本の旗のほう。肩から提げた紙袋の中からも輪飾りなどがのぞいていた。


「パーティーでもあるんですか」

「いえ。でも、似たようなものですね。今日は、聖女さまが若様、シルヴィオ王子の正妻として、この屋敷にやってくる日なのです。それをただ迎えるのでは、物足りないでしょう? だから、こうして飾り付けをしているんです。そうしたら、キラキラしたものに鳥が寄ってきてしまって……」


なんと、こんな時間から働いているのも、加えるなら鳥に襲われていたのも、私のためらしかった。


途端に申し訳なくなってくる。


「とにかく助かりました。あなたがいなかったら、どうなってたか」


どうやら彼女は、目の前にいる女がその聖女だとは、まったく思っていないらしかった。

王都で暮らす商家の娘だとでも思っているのだろう。



たぶん、この服装のせいだ。

持っている中では一番仕立てのいいドレスを着てきたが、それでも使い古しだ。


若いころには気に入って着ていたが、最近はろくに着る機会もなかった。鮮やかだった水色も、少し褪せてきている。


「これできっと聖女様も喜んでくれます」


……言いにくいこと、このうえない。


どうやら、私のことは聞いていないのだろう。聖女と聞いて絵に浮かぶような、美しい麗人を想像しているに違いない。


けれど、この子が屋敷の使用人なら、どうせ後で顔合わせすることになるのだ。


「えっと、ありがとうございます。嬉しいですよ、歓迎いただきまして」

「……え?」

「私は、アンナ・リシュリル。一応、聖女とされる者でございます」


自ら聖女と名乗る日がこようとは、今この時までつゆも思わなかった。

まったく、しっくりこない自己紹介であった。





信じてくれるまでは少しかかったが、王家とやり取りをした手紙などを見せることで、最終的には中へと入れてくれた。


最初に出会ったメイドの子は恐縮して、何度も頭を下げながらも中を案内してくれる。


「こ、ここでお待ちください。若様はすぐにまいりますので」


最後にこう告げると、足早に出ていってしまった。どうやら、とんだ無礼を働いたと思われているらしい。


……むしろフランクに、同じ立場で接してくれた方がありがたいのだけど。

私はもう令嬢扱いされるほうが、こそばゆいくらいなのだ。



そんなふうに思っていると、扉の奥、廊下の方から足音が聞こえてくる。


それだけで、部屋の空気がもう変わった気がした。

姿を見せる前から、息を飲まされる人など。この世にそうはいない。


「お初にお目にかかります、聖女様。いえ、アンナ・リシュリル様とお呼びした方がよいでしょうか」


自己紹介なんて、されなくても分かる。


この人が、シルヴィオ・シーリオ。

シーリオ王国の第一王子にして、正統後継者とされるお方にちがいない、と。


前評判どおりに、いやそれ以上の美しさであった。


「私はシルヴィオ。シーリオ王国の第一王子を務めさせていただいているものです。この日を待ちわびておりました。お会いできて、大変うれしく思います」


ただ平坦な声音で挨拶されただけで、まるであたりに薔薇の花が舞ったかのよう。

華やかでみずみずしく、そして芳しい。


その雰囲気に、凡人である私は一瞬にして飲み込まれる。


白のジャケットに、こちらも白のスラックス姿。

わざわざ正装に着替えてくれたらしく、煌びやかな装飾のついた衣装だった。


あれを立派に着こなせるのだから、その手足は長いだけでなく、ほどよく鍛えられているのだろう。



誰もが惹かれるというのも納得だ。


かつて見た少年の面影を残しながらも、少し長いブロンドの髪は、その先から色気をこれでもかと垂らしているし、そのコバルトブルーの瞳なんて夜空みたい。


輪郭も目鼻立ちも一点の乱れさえなく、完璧だ。


言葉もなくなりそうな美しさだったのだが、ただ一つだけ。

でも、もっとも大きな疑問がわく。


「にゃあ」とか「ふしゃー」とか。


彼の腕の中で、三毛猫が暴れているのだ。

なんと無礼なことに、尻尾で胸まで打ち付けているし、抜けた猫毛が高そうなジャケットに絡まりついている。


私の視線に気づいて、シルヴィオ王子は説明を入れてくれた。


「あぁ、やっぱり気になりますよね。大変申し訳ありません、聖女様の前で。たまたま逃げ出していたのを見つけたものですから」


表情を変えずに淡々と言われると、まったく理解しがたい状況にも関わらず、ついそういうものかと納得してしまう。


「あぁ、いえ。気にしてません。むしろまじまじと見てしまい、大変申し訳ありません! 少し驚いてしまいまして」

「それはよかった。この子は、ミケというオス猫です。少し前に庭で弱っているのを見つけてから、うちで保護しております。ただ臆病で、こうして逃げ出したらなかなか見つからないのです」


「な、なるほど……」

「アンナ様は、猫はお好きですか?」

「えっと、はい……! 好きですけど」


妹の屋敷にいた頃は、飼い猫の世話係を担当したこともある。

そうでなくても、庭に迷い込んだ猫にはどれだけ癒されたことか。


だが、そんな話を言えるわけもない。


二十代後半とはいえ、私は聖女になったのだ。

あまり使用人だった頃の話をすれば、品格を疑われるわよね、たぶん……。



そのせい、言葉に詰まった。

彼の端正な顔を見ていたら、なおのことだ。これ以上は唾しか、わいてこない。


「あ、あの! こちら、ご挨拶の品でございます」


私なりに機転を効かせたつもりであった。


それに、手土産を渡すタイミングとしても、今はふさわしいはずだ。

小机に置かせてもらっていた、のしつきの化粧箱を抱え、シルヴィオ王子へと渡す。


意図を読み取ってくれたのか彼は屈んで、ミケを一度、床へと降ろした。

すぐに包装を解いて、蓋を開けてくれたのだけれど、


「な、なんだ、これは!」

「きゃ…………」


そこで思いがけないことが起きた。

中から、耳を裂くような音とともに噴き出したのは、白煙だった。


圧縮魔法でも仕掛けられていたのか、それはたちまちに部屋へと充満していく。


煙により視界がだんだん薄らぼけていく最中、私は悟る。

妹・メリッサの仕業に違いない、と。


きちんとした贈り物だと私に思いこませたうえで、はじめから私を貶めるつもりだったようだ。







王子が咽せるのを白煙の中から聞きつつ、私はひどく動揺した。



初対面の王子相手に、なんてことをしてしまったのだろう。



メリッサのせい……なのだけど、それを主張したところで、どうにもならない。彼からしてみれば、間違いなく私のせいだ。


煙の中、ただ茫然としていたら、


「だ、大丈夫ですか! シルヴィオ王子! それに、アンナ聖女様!」


外の扉が強く開けられ、壁に打ち付けられる音がした。

どうやら外で待機していたらしい執事が、中の異音に突入してきたらしい。


彼は実に冷静だった。

そばについていた使用人たちに、すぐに窓を開けるよう指示し、煙を外へと逃す。


そして私たち2人を部屋の中から連れ出してくれた。


「ご無事ですか、お二人とも」


この問いかけに、私も王子も同じく首を縦に振る。



幸いなことに、毒が入っていたりはしなかったらしい。

さしものメリッサも、それで万に一つも王子になにかあってはまずいと踏んだのだろう。


要するに、私の評価がただ下がることだけを、あの意地の悪い妹は望んでいたのだ。

なんて陰湿なのだろう。


「これは、どういうことでございますか。一体なにがございましたか」


私と同じ年頃だろう執事が眉間にしわを寄せて、渋みのある声で尋ねる。

もとより言い訳をするつもりなどない。


「大変申し訳ありません。これは私が――」


すぐに申し出ようとしたのだけど、そこで王子の声量が私を上回った。


「ちょっとしたサプライズだ、俺がしかけた」


どうやら、私を庇ってくれようとしているらしい。

その澄ました横顔を見る限り、怒りの感情はいっさい見え隠れしない。


だが、ありがたいと思うより先に、疑問がよぎった。


……なぜだろう。


いくら聖女とはいえ、28の行き遅れ令嬢だ(しかも初対面)。



そんな人間に危害を振るわれたら、普通怒って然るべきだ。怒り狂って、こんな結婚はなかったことにしてやろう、と普通ならば考える。


だのに彼は、まだ咳き込んでさえいるのに、私のためにわざわざ誤魔化そうとまでしてくれている。


まったくわけがわからず、状況についていけないでいたら、執事は首をもたげて、ため息をつく。


「…‥全く、あなたという人は。聖女様を、近い将来のお妃様を迎える時まで、そんなふざけたことをなさるのですね」

「そう怒ることでもないだろう、カルロス。いつものことだ」

「はぁ……。公の場に出る時のあなたは頼もしいのに、なぜこうなってしまわれるのですか。なにかの呪いにでもかかっているのですか」


「いいや、これが俺そのものだ。屋敷でくらい自由にさせてくれ。まぁ、文句はそこまでにしてくれ。結局こうして二人とも無事だったんだ。それでいいさ」

「しかし、そういう問題では――」


続きかける説教をシルヴィオ王子は聞き流して、「それより」と首を廊下の左右へ振り向ける。


「ミケがまたいなくなった」


心臓が刺された――そう錯覚してしまうほど、大きく痛い鼓動が胸を走った。


「あぁ、アンナ聖女様はお気になさらず。ミケは臆病なのです。突然の事態によっぽど驚いたのでしょう」


……やっぱり、なんにもよくない。


王子が大事にしている愛猫、それもやっと捕まえられたと言っていたのに、私のせいでまた逃してしまったのだ。


ミケが臆病だというなら、きっと怖がらせてもしまった。もしかしたら、このまま屋敷からどこかへ行ってしまう可能性だって考えられる。


横暴な人相手なら、首が飛んでもおかしくないような失態だ。だのに、


「わ、私のせいなんです。全部、私が持ってきた手土産が原因です。本当すいません」

「さて、なんのことやら。あのクッキーはとても美味しかったですよ」


などとウソまで述べて、王子は変わらず責任を負ってくれようとする。


すべてを一人で包み込んで、さっき起きた出来事をあくまで自分の中へと抱えこもうとしていた。


が、それではこちらの収まりがつかない。


「でも、私のせいで王子の猫が…………」

「気にしていません。きっとすぐに出てきます」

「いえ、そういうわけにはいきません。すぐ、探してきます!!」


せめてもの罪滅ぼしをするには、もうそれしか思いつかなかった。

私はすぐに、広い廊下を駆け出したのであった。







全てメリッサのせいだ、とは開き直れなかった。

長年、使用人として勤めてきた積み重ねのせいか、彼女への怒りすらわかない。


ただただ自責の念に追い立てられて、私は屋敷内を駆け回った。


「ミケ、どこにいるの」


令嬢らしからず、使用人としてこき使われてきた身である。28になっても体力には自信があったので、闇雲に屋敷内を走り捜索を行う。


ただ敷地が広いこともあり、まったく見つかる気配もない。

やがて、息が切れはじめたが諦めることはできない。


「……助けなきゃ」


妹の意地悪によりもっとも苦しんでいるのは、私ではない。


ミケだ。突然に煙が噴き出したりしたら、そりゃあ誰でも驚く。


彼が臆病だというなら、今頃はどこかで震えているかもしれない。



もはや、私の今後についてはどうでもいい。

聖女失格を言い渡されたとしても、それはそれだ。再びメリッサの元で奉公させられるのも、仕方ない。


それでも今はまず、ミケを心配すべきだと思えた。

私は彼の無事を心から祈り、両手を胸元で合わせる。


その時のことであった。

一筋の光が私の握った手の中から零れだしたのだ。


その優しくも力強い光には、見覚えがある。

そう。聖女の判定を受けた際、水晶に触ったら溢れ出してきた魔力と同じ類のものだ。


「なに、これ……。なんで水晶に触れてもいないのに」


そんなふうに呟いて少し、それは頭に自然と降りてくる。


「表の庭……」


なぜか、なんの脈絡もなしにミケの居場所が頭に降ってきたのだ。


直感のような、ひらめきのような、不安定なもの。それでいて、妙な確信もあったから不思議だった。



祈りだけで、相手の居場所が分かる……そんな魔法は聞いたことがない。そもそも魔法は詠唱なしには使えない。


つまり、たぶんこれが聖女の力なのだ。

私の祈りに応えて、聖女の魔力は発動されるのだろう。



少し引き返して、私は大窓から庭へと出る。そこは朝、若いメイドがスズメと奮戦を繰り広げていた場所の脇だ。



改めて考えれば、しっくりとくる。

臆病な人生を送ってきた私だからこそ、ミケの考えはよく分かった。


どうしようもなく逃げたくなったとき幼かった私はよく机の下で丸まって、誰にも見られないようにひっそりと泣いた。

それと同じと考えれば、なんの不思議もない。


鮮やかな桃色をしたツツジが咲き誇る花壇の前、私はしゃがみこむ。


「……本当にいた」


そして、無事にその奥でミケを見つけることができた。


ミケはみゃあ、と小さく鳴く。

警戒していたようだったが、手を差し伸べて我慢強く待っていると、彼の方から出てきてくれた。


花びらを身体のあちこちにまとい、匂いまでフローラルになったミケが私の腕の中に収まる。


その手足は花壇の柔らかい土を踏んでいて、ドレスが汚れた。また、追い打ちをかけるようにしっぽが顔にすりつけられるから、化粧も台無しだ。



でも、本当に無事でよかった。

あとはシルヴィオ王子に彼を引き渡して、私は潔く罰を受ければいい。


そう思いつつ立ちあがり、後ろを振り返ると


「……驚いた、俺より早くもう見つけていただなんて」


そこに、その王子がいた。


その怜悧な瞳をぱちぱちとまたたき、口を小さく開けている。やはりそこに怒りは窺えない。ただ純粋に、興味深そうな目が私に注がれる。


優しいまなざしが、日陰者の私には眩しすぎた。


「えっと、本当にすみませんでした」


私はミケの手足から土を払ってやると、すぐにシルヴィオ王子へ引き渡そうとする。


が、なぜかミケは嫌がって私にしがみつく。

王子に向けて、牙をむき威嚇までしてしまっていた。


「しかも、この数分だけで俺より懐かれるなんて。本当に驚きだ」

「……大変申し訳ありません」

「それ以上謝らないでください、アンナ様。俺は、まったくあなたを責める気なんてない。そう謝られてばかりだと、こちらもやりにくい」


またしても、すみませんと言いそうになり堪える。


謝罪がいけないなら、と浮かんだのは疑問だ。


今は傍に執事もついていないようなので、先ほどより聞きやすかった。


「あなたはなぜ、私を庇ってくれたのですか。あの煙幕は間違いなく私の持ってきた手土産のせいです。しかも、望んでもいない年上の結婚相手。それをどうして――」

「アンナ様、あれはあなたのせいじゃないのでしょう? 大方、誰かほかの人に持たされたものでは?」


「え……どうして、それを」

「あなたの服装を見れば分かります。その年季の入ったドレスやほかの持ち物から見て、あの手土産だけは華美すぎましたから」


……そういえばそうだ。

ドレスの色落ちした部分を引っ張ってみて、私はたしかにと思う。あの豪華すぎる化粧箱とは、たしかに釣り合わない。


「それに、事前にメイドに聞いていたのです。あなたは今朝、うちのメイドを助けてくれたそうですね。そのような方が、あぁいった真似をするとは俺には思えませんでした。そして、それは正しかったみたいですね」


意味がつかめず、困った私は首をひねる。


「ミケが懐く人に悪い人はいませんから」


浴びた朝日をすべて跳ね返したみたいな、会心の笑顔であった。



笑わないと聞いていたところへ、これだ。


美しい花々に囲まれる中でも、間違いなく彼が一番輝いている。

白すぎるくらいの頬や、首筋に一束だけ垂れた長い金色の髪。そういった見た目だけではない。


たぶん、彼の心が美しいのだ。


でなければ、こんなふうには笑えない。

いつか私が憧れたような、向けられた相手の心さえも上向かせる力を持った、特別な笑顔。


私くらい、簡単に焦がしてしまいそうなほど眩しい。


「って、そうだとしたら懐かれていない俺は悪者らしい。

まぁ、アンナ様に今回の悪事を仕組んだ人間をすぐにでも厳罰を下してやろう、と考えていますから、その通りなのかもしれない。犯人のあたりはついているのですか?」


「えっと……たぶん妹のメリッサかと思いますが」

「……あぁ、あの方か。たしか、貴族学校で同級生だったな。昔から意地の悪さと狡猾さが苦手だったが、ここまでやるとはな。大方、あなたに嫉妬したのでしょう」


「……メリッサが私に?」


ありえない、と思うが、シルヴィオ王子はこくと首を縦に振る。


「彼女は昔、俺に散々アプローチをかけてきましたから。未来の王妃になるあなたを嫉んだのかもしれません。

いずれにせよ俺の妃に悪意をもって危害を加えたんだ。謹慎処分……いや待て、もっと重い罪を与えてもいいかもしれない」


顎に手を当て、刑罰を考え始める王子。


「ふふっ……あはっ」


冷徹で感情を表に出さない。そう聞いていたから、意外すぎる側面に、私はつい吹き出してしまった。


「アンナ様、俺はなにか面白いことを言いましたか」

「いえ、そうじゃないですけど。あははっ」


まさか、この状況で笑えるようになるとは思わなかった。


けれど、どういうわけか重石が取られたかのように心が軽くなっていて、笑いが止まらなくなる。


シルヴィオ王子は、わざわざそれがやむのを待ってくれた。

それから、おもむろに片膝をついて腰を落とす。


「え。下、土なんじゃ――」


どうやらお構いなしらしく、彼は私の右手をすくった。

反応する隙もないうちに、


「シーリオ家へようこそ、アンナ様。あなたのような真にお優しい方が来てくれて、本当によかった。これから、よろしくお願い申し上げます」


私の手の甲にそっと、でもたしかに唇を触れた。


その瞬間、突風が吹いて花壇に咲いていたマーガレットの花びらが一枚、少しの間だけ私の頬に貼りつく。


そんなことすら、偶然ではなく必然、そうとしか思えなかった。


この王子は、それくらいの奇跡を簡単に起こしてしまえるのだ、きっと。



「そういえば、覚えていますかアンナ様。昔、演奏会で出会ったことを」

「……はい。え、シルヴィオ王子も……?」


「はい。なぜかあの時、他の誰のものより、あなたの温かい演奏がとても心に響いて、しばらく忘れられませんでした。それから、あなたが誰より綺麗だったことも覚えております」

「綺麗……私がですか。メリッサの間違いじゃ」


そんなふうに言ってくれたのは、死んだ母を除けば初めてだ。

驚く私を尻目に、シルヴィオ王子は少しだけ首をかしげる。


「いいえ、間違いなくアンナ様だ。ずっとお会いしたい、とこちらから思っていたくらいです。変わらずお美しいですね。

何年もお見掛けしないので、どうしているかと思えば……まさか、結婚相手となるとは驚きましたが……あなたにならば、俺の全てを捧げたい」


4つも年下の彼が照れたように首筋に手をやり笑う姿に、思わずどきりとさせられる。


同時に胸が騒がしくなり、じれったくなる。

こんな感覚は、もう何年ぶりのことだろう。



ここにくるまで、期待なんて本当に一片さえもしていなかったのだ。


この結婚はただ規定に則っただけであり、それ以上にはなりようがない。

妹・メリッサの言う通り、白い結婚で、愛される望みなんて全くない。そう本気で思っていた。



ただ、今は少し違う。

この若き王子が私に、一筋の光を与えてくれた。

メリッサや、自分自身が私にかけてきた呪いが、ゆっくりとほどけていく気がする。


ずっと残り物だった私でも、幸せを掴んでいいのかもしれない。

遅すぎる春なんて、ないのかもしれない。


……なんて。


花々の甘やかな香りに包まれながら、彼の手を握り返し、私は淡い期待に胸を揺すられたのであった。



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たかた

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― 新着の感想 ―
[一言] 山無し落ち無し意味無しのこれを短編として公開できる精神が一番評価できるポイント あらすじ以上の内容有りませんよねこれ? 続編みたいです!って感想あるけどそりゃそうだよこれ単体でなんも完結せず…
[一言] とっても気になるしざまぁも無いので良ければでいいのですが書いて欲しいです。これではもやもやします…
[気になる点] ざまあ要素がはいっていませんね。
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