7話 目が覚めたら終末世界
私は長い眠りの中で夢を見た。真っ暗な水の中を漂い続ける夢。永遠とも思える時間の中には恐怖も苦痛もなかった。ただ、後悔だけが常に隣にいた。
思えば、ずっと後悔していたような気がする。
母が死ぬ日の前日、私は母と喧嘩した。内容は覚えてないくらい些細なことだったと思うけど、母との最後の思い出は癇癪を起こしたように怒った私を、なだめようとした姿だった。
学校では何度か友人ができるチャンスがあった。隣の席になった子は話しかけてくれたし、部活に誘ってくれる子もいた。だけど上手く自分の気持を表面化できないせいで、全て無視してしまい、結果学校では一人だった。
そして父に対しても。もしもっと私が父と関わろうとしていれば。もっと、父に甘えようとしていれば、こんな事にならなかったかもしれない。いや、回避できなかったかもしれないけど、もう少し私が置かれた状況や、これからの事を父が私に伝えていたかもしれなかった。
そうやって数え切れないくらい後悔を繰り返した先、暗闇に光が差し込んだ。
そうして、私は目を覚ました。
世界が揺れるような振動を感じると、すぐに全身を突き刺すような冷えが襲ってきた。
私はゆっくりと目を開く。振動はさらに大きくなり、私が入れられていた容器のような物体が開いてくのがわかった。
思い出したかのように呼吸を始めると、全身の体温が戻っていくのを感じた。
脳が急速に処理を始め、今の状況を理解しようと奔走する。父に注射を打たれ、この容器に入れられたのは、記憶としてはついさっきだが、感覚としてはなぜか気が遠くなるほど昔に感じられた。
容器から出る。部屋の中は眠らされる前とそう変わっているようには思えなかった。いくつか機器が倒れて壊れているくらいで、あとは埃とカビが混じったような匂いが鼻を刺激した。
部屋は真っ暗に近かったが、突き当りにあるエレベーターの方から淡く光が漏れているのがわかった。
私はエレベーターへ向かって歩き出した。二歩踏み出したところで、足裏に違和感を感じて視線を落とす。床には苔が鬱蒼と生えており、湿り気が足裏を濡らしていた。
「ひやぁっ!」
つい驚いて変な声を出して飛び上がってしまった。一体この部屋に何が起きたのだろう。とにかく今は、父を探したい。父を探して、私に何をしたのか問いただしたい。
足裏の感触を我慢しながらエレベーターの方へ向かうと、呼び出しボタンを押した。だが何度押しても反応しない。しまいにはボタンが押し込まれたまま戻ってこなくなった。
「どうなってるの……?」
しかたなく私はエレベーターのドアを無理やり空けられないか力を入れてみた。だがびくともしない。部屋を見回して何か使えるものは無いかと探したところ、天井から外れて垂れ下がっていた蛍光灯の設置部分を見つけた。
それを力いっぱい引っ張って天井から外すと、エレベーターの扉の隙間に無理やりねじ込み、てこにして力いっぱい開いた。
どうにか開いた扉に滑り込むように入ると、中は電灯で光っているわけではなく、天井にある脱出口(映画でよく使ってるアレだ)が開き、そこから光が漏れているようだった。
脱出口から上を覗くと、はるか先の上方から光が漏れているのが見えた。
とにかく上を目指すしかない。何度も飛び上がって脱出口からまさに脱出した私は、エレベーターの昇降路の壁にはしごがかかっているのが見え、それを昇ることにした。
最初は良かったのだが、三フロア分ほど登った時、つい下を見てしまった。暗くてよくは見えないがそれでも高さはわかる。恐怖が襲いかかる。
「なんでこんなことに」
鳴き声に近い声を出しながら、私はさらに黙々と上を目指して登っていった。登れば昇るほど、最上部から漏れる光が強くなっていく。
もう少しだ。
最上部まで昇ると、光の中を覗くように顔を覗かせた。この光がどう見ても蛍光灯みたいな人工的な光ではなく太陽光だったために、疑問を持ったからだ。
記憶を呼び起こす。私が居た場所は、地下18階。そこは地下15階からさらにエレベーターに乗って降りた場所だった。
つまり私が今このエレベーター昇降路を登ってきたということは、ここはまだ地下15階のはずだ。
なのに、目の前には太陽光が降り注ぐ、災害かなにかで破壊し崩落したような瓦礫の山が見えた。
ゆっくりと外に出て、周辺を見回す。360度、どこまでも瓦礫が広がり、私がいる部分を中心にすり鉢状にくぼんでいた。地下15階だった場所から上は気持ちが良いほど開けていて、晴天に浮かぶ太陽が光を降り注いでいた。
「なにこれ……誰か……誰か!」
不安と混乱で、とにかく今は誰かに会いたかった。人に会いたいなんて気持ちは、久しぶりだった。会ってこの状況を教えて欲しい。そう思って声を張り上げて誰かを呼んでみたが、返事がなかった。
喉を痛めて咳をした時に、ようやく自分が全裸だということに気がついた。急いで大事な部分を隠して、何か着るものはないかと探して歩いた。
どこもかしこも壊れたコンクリと、突き出た鉄筋、見る影もないくらいにねじ曲がった機械類。そしてそれらを隠すように降り積もった土砂。
まるで戦地跡みたいだ。
着れるような服はどこにもなかった。しかたなく、土砂からわずかに覗いていた泥だらけの布を引っ張り出し、無理やり手足の出る穴を開けてせめて大事な部分が隠れるようにだけすることにした。まるで原始人のような格好だろう。
私は考えた。誕生日を終えた私は父に突然呼び出され、職場であるこの研究所にやってきた。そこでは怪物のように変異した研究員がたくさんいて、しかも人を食べている。父は私にそれを教えて、どうしてか私に何か薬を打って眠らせ、謎の機械に入れた。
そうして目が覚めたら研究所は跡形もなくなっていた。
まだ夢かもしれない。いや、そう考えるのが普通だろう。頭もぼやっとしているし。そうだ、きっとそうだ。目が覚めたら、父がまたわけのわからないことを言うんだ。そうだ、そうだ。きっと父は研究のしすぎて頭がおかしくなっていたのかも。
目が覚めたら一発くらい殴ってやろう。それがいい。
そんな事を考えていると、突然地鳴りのような鳴き声が聞こえた。咄嗟に声の方を振り返る。すり鉢状の地形の先。私を見下ろすように何かが動いていた。
それは駆けるようにこちらに向かってくる。近づくほどその大きさと見た目が解像度を上げた。動物園で見たゴリラ。あのゴリラが3倍くらいに膨れ上がったくらいの大きさ。
見た目は肌色というよりも全身火傷を負ったようなびらんした皮膚をしている。
そんな見た目の生き物が、こちらへ一目散に駆けてきた。四足歩行で。
(あーなるほどね。これは悪夢か。まぁ、全体的に悪夢だものね)
などと余裕を持って私はその生き物が駆け寄ってくるのを見ていた。もともと明晰夢を見る事が多い体質だったので、夢の中での立ち回りは慣れていた。
どうせならこっちから近寄ってやろうと、駆け寄ってくる生き物に向かって足を踏み出した。チクリと足の裏に痛みを感じる。咄嗟に足裏を見ると、尖った石を踏みつけて血が出ていた。
今まで見た明晰夢で痛みを感じたことはなかったし、漫画やアニメでもこうやって夢か現実かわからなくて試しに頬をつねって痛かった時というのは百%、現実なのだ。
「……ということは」
私は一目散に逃げ出した。