4話 17歳の誕生日と父からの連絡
私の名前は荒瀬ルィ。17歳。生命科学とかいうのを研究している学者の父と、元ロックバンドのボーカルだった母を持つ普通(?)の女子高生だった。
母は5年前、私が12歳の時に病気で死んだ。名前は忘れてしまったが、その当時の医療技術では治療することが不可能な病気だったそうだ。
それから父は変わった。母が亡くなる前もそこまで優しいと言うか、娘である私と触れ合う事が少なかったが、それ以降はほとんど家にも帰ることが無く、研究所に籠もって何かの研究に没頭し続けた。一体どんな研究をしていたのかは、何度か聞いてみたが答えてくれなかった。
いつしか私も父が私にするように、父の事を考えるのをやめるようになった。
最初は寂しさから父に怒りや悲しみをぶつけたりもしたが、それが全て無駄だとわかってからは、たまに家に帰ってきても(家でも書斎に籠もっていたけど)会話することはなくなった。
父に愛想が尽きたわけではなくて、父に関わろうとすればするほど、私は傷ついていくと思ったからだ。実際そうだったし。
そんな家庭環境ではあったけど、私は不良になって非行に走ったり、体を売って心の隙間を埋めたりすることはなく、それなりに真っ直ぐに成長した。
だって生活に必要な大抵のものは与えられていたし、家には家政婦のおばさん(キョウコさんという五十代のいつもニコニコして面倒見の良い人)がいてちゃんとした食事は与えられていたしで、不満はなかったから。
ただ学校には友達はいなかった。けど、それは私が女子校という環境の中で形成された様々なパターンのコミュニティに属する気が起きなかったからだと思っている。
当然コミュニティに入らないものは、排斥されるか「居ないもの」とみなされ透明になるかを強いられるのだが、私は運良く透明な方だった。
そう。私は寂しさなんて感じていなかった。
透明なのだから悲しみの色にも、寂しさの色にも染まるわけがなかったし、幸い読書が趣味だったおかげでいつでも文字の世界に入りこんで一人の時間を忘れることが出来た。
だから私はこのまま一生一人でも問題ないし、なんなら世界中の私以外の人類が滅んだとしても、何も感じないだろうと思っていた。
そうして17歳の誕生日がやってきた。いつものように家政婦のキョウコさんが手作りのケーキを作ってくれ、「今日こそはお父様、お帰りになるかも」と言って、帰宅していった。キョウコさんは悪い人ではないのだが、こういうところが少し苦手だった。
このやりとりは毎年行われ、今のところ一度として父が現れたことがなかった。そしてもちろん、17歳になるこの日も父は現れなかったのだが、一つだけいつもの誕生日とは違う事が起き、それが私の未来を変えた。
あと1分で誕生日が終わろうとした深夜23時59分。キョウコさんの作ったケーキを食べ、残りを冷蔵庫に入れてお風呂に入り、部屋着に着替えて自室のベッドに横になっていた。最近神保町の寂れた古本屋で手に入れた昭和時代に発刊されたニッチでレアな海外SF小説を読んでいた私は、ウトウトと眠りの波に誘われようとしていた。
その時、私のスマホに着信が入った。
父だ。
驚きと、なぜか心の奥底に期待が生まれながら、父と通話をつなげた。
「ルィ」
そもそも父から電話がかかってくるなんて初めてのような気がした。何の用だろう。もしかして誕生日を覚えていたのだろうかなんて期待が勝手に生まれたが、そうじゃない場合の痛みを減らすためにその期待を無理やり頭の隅へ追いやった。
そうやっておいて良かった。父の言葉は私の想像したものでは全く無かったから。
「今からすぐに私の研究所に来なさい。車は送ってある」
疑問を投げかける余地も無く、父はそれだけ言って通話を切った。同時に家のチャイムが鳴った。ドアを開けると、かっちりとしたスーツに身を包んだ初老の男性が立っており、私の顔を見ると慇懃に頭を下げた。
「ルィ様ですね。お車にお乗りください」
初老の男性の後ろには黒いセダンが停まっていた。車体の側面には「RLL」と書かれた白文字と、そのアルファベットをもとにしたロゴが印字されている。
「RLL(Rokusaka Life science Laboratory)」。
六坂生命科学研究所。父の勤める研究所だ。ゲノム編集技術等の研究により、バイオテクノロジーや医療分野に大きく影響を与えており、世界中に支部がある。その日本支部で、父は部長を勤めていた。
「あの、どういうことですか。なんで、私が研究所に?」
「すみませんが、質問にお答えしている時間はありません」
申し訳無さそうな表情を浮かべ、再び初老の男性は慇懃に一礼する。
「わかりました。着替えるのでちょっとお待ち下さい」
私は家の中へ戻ろうとしたが、初老の男性が顔を上げて言った。
「時間がありませんのでそのままで」
その表情は有無を言わさない迫力に満ちていた。
仕方なく、あまり見栄えがいいとは言えない中学から着続けている部屋着のままで私は車の後部座席に乗りこんだ。こんな姿を知り合いに見られたら恥ずかしいなと一瞬思ったが、特に姿を見られたくない知り合いも存在しないことを思い出して少し悲しくなった。
初老の男性の運転で研究所へ向かった。研究所までは5駅ほど。過ぎ去る街並みを眺めていたら、あっという間に研究所に到着した。
研究所には小さい頃に何度か母と遊びに来たことがあった。潔癖と純真を表すために白に統一された窓一つ無い外壁。極限までに凹凸を無くした四階建ての建造物を、当時の私は「豆腐みたい」と思っていた。真夜中に見るのは始めてだ。その印象はまるで闇の中に無造作に置かれた墓標のようであった。
車はどうしてか入り口をゆっくりと通り過ぎ、裏手に停車した。
「ここです」
初老の男性はそう言いながら車から降り、私を降ろすために後部ドアを開けた。
本当に降りていいのだろうか。何か騙されているのではないか。それか、良くないことに巻き込まれているんじゃないか……状況が進めば進むほど不安の数は増えていく。
けど考えていても答えはわからないと半ばあきらめた私は、車から降り立ち、ドアを閉めた。
私が降りたのを見届けると、初老の男性は研究所の方へ体を向けた。
「では、いきましょう」
そう言って彼は研究所へ向かって歩き始めた。私は後を追いながら小声で聞いた。
「あの、父は?」
「地下13階でお待ちです」
この研究所は4階建てでそこまで大きく見えない。それは地上には受付から始まり会議室、資料室、食堂等が集中しており、研究施設は全て地下にあるからだと以前父から聞いていた。しかし地下13階なんていう深い場所にまで施設がある事に、私は驚いた。
「えっと、入り口から入らないんですか?」
「はい。そこの裏口から入ります」
私は初老の男性の向かう先に目をやった。暗くてよく見えないが、そこには地味な扉が1つ。どうにか見えた。
そういえばどうして電灯が1つも点いていないのだろうか。その疑問も投げかけようかと思ったが、初老の男性が足を早めたので離されないように私は小走りでついていくしかできなかった。ますます不安は大きくなる。
初老の男性が裏口前に着くと、私に振り返って言った。
「ルィ様。中に入ったら、絶対に私から離れないようにしてください」
初老の男性はそう言うと、胸元から何か黒い物体を取り出して両手で構えた。
「……それって」
初老の男性の手には、拳銃が握られていた。




