17話 この時代の人類のこと
日は落ちた。空は闇で染められ、満点の星が満たしていた。この時代に目を覚ましてよかったと思える、数少ないことの1つだ。
キューを背負ったオーと共に私は観客席左側を進む。丁度真ん中あたりに建てられた小屋を訪れた。
中に入るとベッドが3床備え付けられており、壁際にいくつも並ぶ棚には様々な瓶や本がしまわれているのが見えた。また、奥にある机の周りには包帯やメスが並んでおり、ここが村の病院のような場所だというのがわかった。
奥から40代前半くらいの小太りで無精ひげの、見るからに不健康そうな男性が出てきた。オーは男性に近づくと、何やら小声で会話をする。男性は何度か面倒くさそうに頷くと、キューをベッドに寝かせるように指示した。
男性はヒラマといい、オーが言っていたこの村の医者だった。
ヒラマは椅子に私を座らせると、向かい側に座って拡大鏡のついた眼鏡をかけて私の肩の包帯を外した。オーが処置してくれていたものだ。すっかり血が固まり、皮膚にくっついていたために、剥がす時になかなかの痛みを感じて声を上げた。
「大丈夫だ。細菌も入ってない。飯食って寝てればそのうち治る」
そんな私のことなどお構いなしに、むしろ億劫そうに私の肩の傷跡を見て、ヒラマはそう言った。
「オーさんよ、どうする。あれは使ってやるか?」
ヒラマは他の住人とは違って、オーの事を「守護神様」とは呼ばなかった。それだけではなく、接し方もどこかぞんざいな感じがする。
キューが眠るベッド脇の椅子に座り本を読んでいたオーは、顔を上げて言った。
「ああ、頼むよ。この子はまだこの世界に慣れていないからね」
ヒラマは「ああそうかい」と興味も持たずに頷くと、部屋の奥から台車に乗った古びたボンベをゴロゴロと運んできた。
「これを咥えてろ」
ヒラマはボンベから伸びるチューブを私に持たせた。私は言われたとおりにチューブを咥える。
ヒラマがボンベのバルブを回すとチューブから少し甘い匂いの空気が送り込まれてきた。
「吸い込め、深呼吸だ」
私はヒラマに言われるがまま、チューブから出る空気を吸い込んだ。
すぐに全身がフワッと浮くような、力が抜ける感じがした。
「多少は痛いが、それくらいは我慢しろよ。大事な麻酔を使ってやってるんだ」
ヒラマはそう言って、机の上から針と糸を取り出すと器用に私の肩の傷口を縫っていく。
確かにチクチクと針で刺される鈍い痛みはあるが、傷口から目をそらしていれば我慢できないものではなかった。
「それは、昔は笑気ガスと呼ばれていた麻酔さ。硝酸とアンモニアがあれば作れる」
オーは本に目を落としたまま、そう教えてくれた。
病院に行けば麻酔がある、そんな当たり前の世界は消え去っている。そんな中でどうにか作り出した麻酔を使ってくれている。感謝と、申し訳無さを感じた。
「今はきらしているけど、もっと効力の強いエーテルタイプの麻酔もある。どれも自然界にあるものを化学反応させれば作れるんだ。だけど、生きるので精一杯のこの世界ではなかなか手が回らない」
「つまり、怪我も病気もしないように気をつけろってこった。麻酔も無しに体を開かれたくなければな。ほらよ、終わりだ」
ヒラマはそう言うと、縫合を終えた私の肩を軽く叩いた。チューブから口を外すと、すぐに意識ははっきりする。私はヒラマにお礼を言った。
「ありがとう」
ヒラマは何も答えずに、私の肩に包帯を巻くと、
「そっちは俺の専門外だ」
と顎でキューを指して言い、立ち上がって奥の部屋へ入っていった。
私はベッドに駆け寄り、キューの顔を見る。死んでいるように、動かない。呼吸はしているようで、胸が小さく動いていた。
オーが腰のポーチから何かを取り出した。手から少し飛び出すくらいの長さの銀色の円柱で、羽と女性の横顔が組み合わさったロゴのようなものが刻印されていた。
「これはFBSと呼ばれるもの」
FBS。どこかで聞いたような。
「簡単に言えば、私たちのような遺伝子強化兵のエネルギー源のようなものさ」
思い出した。インルーラーに襲われる前に、キューが見つけたいと言っていた。
オーがFBSの先端を引っ張ると、蓋のようなものが外れ、小さな針が見えた。
オーはそれをキューの首に刺すと、何かが押し出される小さな音が聞こえた。
「これの残量はほとんどなかったけど、まぁ明日くらいには意識くらいは戻ると思う。けど、まともに動くためにはまだまだエネルギーは足りないけどね」
「もっと必要ってこと? そのFBSっていうのが」
「そうだね。けど私が持っている在庫は、これで終わりなんだ」
「そっか……」
私は脱力して椅子に座った。
ため息を付いたときに外に赤い光が見えたような気がして、私は小屋の窓に近づいた。
それは見間違いではなく、ドーム跡の入り口とは反対方向が赤く燃えているのが窓からは見えた。もしドームが健在なら、大きな液晶パネルがあるあたりだ。
「さっきの子を火葬してるんだ」
オーは座ったまま言った。
奥の部屋から、ヒラマがお盆を持って入ってきた。お盆の上にはカップが3つ。
「また子供が減っちまった」
ヒラマはカップを自分の机に置くと、そのうちの1つをオーに手渡した。
「お前は飲むか?」
ヒラマがお盆ごと3つ目のカップを私に差し出す。私はお礼を言ってカップを受け取った。カップは熱く、中には真っ黒な液体で満たされていた。
「タンポポコーヒーだよ。タンポポの根を焙煎したもので、コーヒーに見た目も味も似てる。日本ではコーヒー豆の栽培が難しいからね」
オーがカップに口をつけてすすりながら教えてくれた。
「俺にとっちゃそれが本物のコーヒーだよ。一度でいいから飲んでみたいもんだ、その豆から作る本物ってやつをよ」
ヒラマの言葉を聞きながら、私は受け取ったタンポポコーヒーを一口飲んでみた。
苦い。
本物のコーヒーもろくに飲んだことがないので、これが本物だろうと偽物だろうと、どちらにせよ私にとっては「苦い泥水」でしかなかった。
苦そうな表情を悟られないよう顔に力を入れながら、私は聞きたかった質問を口にした。
「それで、あの子供って」
あれはなんだったのか。最初はミュータントが村を襲ったのだとも思ったが、その後のオーの言葉でそうではなさそうだということがわかった。
「ほんとに何も知らねぇんだな」
ヒラマが目を見開いて、呆れたように言った。仕方ないじゃない。私はこの時代では赤ん坊みたいなものなんだから。
「この時代のほとんどの人類には、インルーラーの遺伝子が混在しているんだ」
私は、その言葉に驚くしかできないでいた。
「300年前……ルィが眠った数年後。人類に紛れ込んでいたインルーラーは数カ国を支配すると、ついに人類と衝突した。そうして30年近く続く、大規模な戦争を始めたんだ」
それはキューからも聞いていた。私が知らない、空白の300年の歴史。
「私たち女子攻生もその戦争のために生み出され、幾度となく世界中でインルーラーと戦った。私たちのような遺伝子改造兵だけじゃない、人類の技術は短期間で爆発的に伸び、そのおかげで人類とインルーラーの闘いは一進一退で拮抗していた。だけど」
オーはそこまで言うと、一口コーヒーを口に含む。
飲み込むと、続けた。
「インルーラーは人類との闘いの中で徐々に進化して、その寄生力を増していったんだ。戦争後期には、まるで風邪が流行るようにインルーラーに寄生された人類や他生物は爆発的に増えて、結果多くの国を失った。遺伝子を書き換えられていない純粋な人類は数万人にまで減り、その多くは地下や残された軍事施設で最後の攻防を行った。けど、それも長くは続かず、人類は最大の過ちを犯した」
「……それって」
「核兵器の使用だよ」
「本当に馬鹿な話だな。昔の人間ってのは、そこまで頭が悪かったのかね」
ヒラマが窓から火葬の灯りを見つめながら言った。
「それだけ追い詰められていたってことだろうね。それに、まともな決定を下せる人間は残っていなかったんだと思う」
オーはヒラマの背中に向けてそう言うと、私に向き直り続けた。
「核兵器の使用によってインルーラーの多くは消滅した。それによって、寄生され、いつミュータント化されるかわからない『潜在的なミュータント』となっている人々は転化せずにすんだ。けど当然、そういった人達も、寄生されていない純粋な人類も、その殆どが死に絶えた」
キューから断片的に聞いていた、この300年で起きた人類が終焉した歴史。それはまるで歴史の教科書で過去の戦争を知るように、どこか抽象的だった。
だけど今こうして、オーからディティールのある話を聞いたことで、その解像度は大幅に上がり、ようやく私が目覚めたこの世界の真の姿が見え始めたように思えた。
「だから今、この世界に生きている人類は3種類。放射能汚染で遺伝子が傷つき短命な人類か、インルーラーの遺伝子が混在した人類か、またそのどちらでもあるか。そしてインルーラーの遺伝子が混在した者は、一定の確率でミュータントに転化する」
「じゃあ……さっきのは」
私が窓の外の火葬の光に目をやると、ヒラマが背中を向けたまま言った。
「ここ3年は転化するやつはいなかったんだがな。セトの息子は運がなかった」
その声にはどこか悲しみが滲んでいるように感じた。
オーは立ち上がると、ヒラマが机の上に置いたお盆の上に飲み終えたカップを戻して言った。
「今の地球上にいる人類は全て短命か、ミュータントに転化する可能性を孕んでいるか。そのどちらかなんだ。だからもう二度と、人類が過去のように繁栄することは出来ない」
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