ボクと家族
連続投稿しています。
***
アンヌを無視して仕事に没頭する伯父さんを不思議に思って、母に尋ねたことがある。
母の話によると、貴族では珍しい恋愛結婚だった伯父さんは、奥さんを亡くしたショックで、人が変わってしまったらしい。妻が亡くなったことを忘れようと、仕事に没頭するようになり、さらに妹である母がやって来たことで、それに拍車が掛かった。家のことは完全に母に任せきりで、アンヌのことは放置に近い状態になってしまったのだ。
それはアンヌが成長するにつれて、ますます顕著になっていった。多分、アンヌが亡くなった奥さんにそっくりだったからだろう、というのが母の言い分。ボクには意味がわからない。普通、大切な人にそっくりだったら、大切にすると思うんだけど。
母も母で、当時は亡くなった人の埋葬の手配や、使用人たちの補充で手一杯で、アンヌのことを気にする余裕はなかったらしい。
……でも、ボクは知ってる。お母様がアンヌのことを、邪魔者だと思っていることを。お母様にとって大切なのは、ボクと大好きな伯父さんだけで、アンヌはいてもいなくてもいいと思っていることを。いや……ボクですら、本当の意味で大切に思われているかも怪しい。
……母はとにかく、幼い人だった。
恋愛結婚だった伯父さんたちに憧れた母は、周囲の反対を押しきって大恋愛をした末、ボクを身籠ったことで結婚したらしい。十五歳の時だったそうだ。そして十六歳でボクを産み、十八歳の時に夫が死んで、実家である伯爵家に帰ってきた。
まだ年若い母には、病弱なボクが手に余ったようで、乳母にまかせっきりだった。伯爵家に来てからも母は泣くだけで、アンヌが乳母の代わりになったくらい、ボクの面倒はろくに見てくれなかった。しかも末っ子で甘やかされて育った母は、実家に戻ったせいか、幼さが加速していき、兄である伯父に甘えるようになる。
そんな母がだんだん気持ち悪くなったボクは、母を避けた。すると母の過保護がもっと酷くなっていく。そんな中でアンヌの婚約が決まり、ボクはますます母に構っていられなくなった。
何をするにしても、もう少し体力を身に付けなくてはいけないと感じたボクは、主治医のホン先生に頼んで、体力作りを始めた。過保護な母は大反対したけど、少しでも長生きするため、と言って黙らせた。母は、ボクが反抗期に入ったといって嘆いていたが、現実を悲観するだけで、何もしない人に構う余裕はない。
ーーでも、それがまずかった。
「近々、お屋敷の模様替えを始めることにしたの。もちろん、あなたの部屋の模様替えもするからね」
「そんな、勝手にっ!」
「あら。この家のことは、わたくしがお兄様から任されているのよ? 何か文句があるなら、お兄様に言ってちょうだい」
「お父様は、お忙しいから……」
「なら、言うことを聞いてちょうだい。あなたと、リオンのためにやってるんだから。こんな流行遅れの調度品を置いて。人を招いたときに恥ずかしい思いをするのは、あなたたちなのよ?」
「……はい」
母は、ボクが女装を続けるのも、反抗的な態度をとるのも、全てアンヌのせいだと思ったらしい。アンヌに対して、八つ当たりとしか思えない行動をとるようになった。
ボクはあわてて母に謝り、母の行動はおさまった……かに見えたが。
「叔母さん、その置物は捨てないで下さい! お母様との思い出の品なんです!」
「でも新しくした内装と合わないし……お兄様の了承も取っているのよ?」
「お父様まで……」
アンヌが母と言い合っている姿を、目撃してしまった。母は勝手に捨てなくなっただけで、捨てること事態は、やめていなかったのだ。
「お母様、待って!」
「あらリオン。なに? アンヌをかばうの?」
「そうではなくて……えーと、ボクがその置物欲しいと思って」
「本当に?」
「本当です」
母は何か考えを巡らせたのち、「いいわよ」と答えた。
「ありがとうございます」
「いいのよ。かわいいリオンの為だもの」
その時の母の笑みは、ボクではなく、アンヌに向けられていた。
ーーゾッとした。母が立ち去るまで、何も言えなかった。
「アンヌ、あの……お母様が、なんか……ごめんなさい。これ返すよ」
「…………いい」
「でも大事なものなんでしょ?」
「いいの。リオンが持ってて……。私が持ってると、叔母さんにまた、取られるから……」
……無力な自分が、心底恨めしかった。ボクが知らなかっただけで、同じことが、今までもあったのだ。
ーーアンヌのものが壊されるたび、アンヌの心も壊されていく。
そうと気づいてからは、母にアンヌのものが取られないように色々と手を尽くした。でもボクがアンヌをかばえばかばう程、母の行動は酷くなる。伯父さんは役に立たない。
アンヌのことを全然見ていない伯父さんは、新たなものを買えばいいとしか思っていなかった。せめて愛情が籠っていれば違ったんだろうけど、ただの補充としか思えない品ばかり。どうしてこうも、アンヌに似合わないものばかり買い与えるのだろうか。
伯父さんは当主として優秀かも知れないが、父親としては最低だった。今のアンヌが欲しいのは、ボクの愛じゃなくて、伯父さんの愛なのに。「愛しているからこそ、アンヌが苦労しなくていいように、仕事を頑張っているんだよ」ってなんだよ、それ! 満足に働けないボクに対する嫌みか!
アンヌが届けられた服やアクセサリーを見て、がっかりしていたのをボクは知ってる。だけどボクが伯父さんに抗議したって、「家のことはお前の母にまかせている」「アンヌは何も言わないから問題ない」としか答えない。ホント、役立たずだ。
もちろん、ボクのことしか頭にないお母様に言っても無駄である。ボクの服ならバカみたいに買うのに、アンヌには必要最低限しか買い与えない。
かと言って病弱なボクは、まだ親の庇護下から出ていけない。八方塞がりとは、こういうことを言うんだと思った。
悩んだ末、ボクが編み出した策が……
「ねえねえ、お姉さま。そのドレス、わたしにちょうだい?」
アンヌの大切なものを、ボクが預かることだった。アンヌには言ってない。ボクの独断だ。妙な所で勘が良い母に、バレることがないように。ボクが親を頼らなくて良くなったときに、アンヌに返せるように。
アンヌに恨まれてもいい。嫌われてもいい。あの人にアンヌのものが壊される前に、ボクがアンヌのものを守ろう。少しでもアンヌの心を修復できる可能性を、残したかった。……もう、手遅れかもしれないけど。
ーーこんなボクも、きっと間違いなく、壊れているんだろう。
けど、仕方ない。だってボクには、他の方法が思い付かなかったんだから……。
***
アンヌは、ボクの思惑に気づいているようだった。それでも回数を重ねるうち、ボクにだけ見せていた、小さな笑顔すら失われていく。頭でわかっても、心でわかるとは限らない。そんなことはわかってる。自分の行動が、無意味で虚しいものだということも。けど止められなかった。
母が姑息で、最低だったからだ。女装は許さないと言いながら、アンヌの物を奪う分には、文句を言わないのだ。アンヌとお揃いは許さないのに。大きくなったボクが、アンヌのドレスでは小さくて、着られないとも知らずに。ホント、滑稽だった。
そんな中、一番失敗したと感じたのは、猫のミシェルの件だ。もともとミシェルは、母がボクに買い与えた猫だった。「動物は病を癒す」とかいう話を聞いてきた母が、ボクの病が良くなるようにと買ってきた。でも毛のせいか、ひどい咳が出てしまって、怒った母が捨てようとした所を、アンヌが助けたんだ。
ミシェルはアンヌになつき、母を威嚇してくれる賢い猫だった。母が度々ミシェルを追い出しても、必ず戻ってくる本当に賢い猫だったんだ。だから油断した。
当時、ペットにお揃いの服を着せるのが流行っていた。アンヌの友人たちも、こぞってペットとお揃いの服を作っては、アンヌに見せにやって来た。アンヌはそんな友人たちを羨ましそうに見ていた。
そうして思い出した。ボクが女装を続けた、最初のきっかけ。ボクが女装をやめようとしたとき、アンヌがとても寂しそうな顔で「お揃いだったのに……」と呟いたんだ。本人は全く気づいていなかったようだけど、ボクにはアンヌの本心がバレバレだった。それから女装を続けるようになって、今では立派な特技になってしまったんだけどね。
だから今回も、アンヌが本当はペットとお揃いの格好をしたいことがわかった。アンヌの誕生日も近かったし、お揃いの服を作ろうとした所で現れたのが、母だ。
母がミシェルを遠くに捨てる計画を立てていることを知ったボクは、母に奪われる前にミシェルを匿った。でも賢いミシェルは、母の気配を感じる家にはいられないと思ったのだろう。ある日、自ら部屋を出ていったミシェルは、二度と戻って来ることはなかった。どんなに伝を使っても見つからなかった。我が家は、猫にすら見捨てられたらしい。
ーーどんどん自分がひねくれていくのがわかった。
何でボクは、こんな身体で、こんな家に産まれたんだろう。くやしい。無力な自分が。アンヌに笑顔をあげられない環境が。世の中は不公平だ。母も伯父さんも、大嫌いだ。どうしてボクの周りにはろくな大人がいないんだろう。
ーーでも、そんな風に考えるだけで、ろくな行動もできない自分が、やっぱり一番嫌いだった。