リオンと私
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ーー事の発端は、十三年前の流行り病だった。
病のせいで多くの人が亡くなり、それを避けようと様々な流言蜚語が飛び交っていた時代。そんな中、貴族たちの間で、こんな噂がささやかれていた。
ーーいわく「子どもが病にかかった時は、死神の眼を欺くために、異性の姿をさせると良いらしい」と……
平常時は何を言ってるんだと思うような話だが、あの頃は皆がみんな普通じゃなかった。藁にもすがる思いで、そんなくだらない迷信に従う人間はたくさんいたのだ。
そしてその中の一人が、病弱な息子を持つ叔母であった。叔母は、病弱なリオンが流行り病にかからないよう、普段から女装させることを思いついたらしい。
リオンは線が細くて、少女と言っても差し支えのない容姿をしていたから、女装しても何の違和感もなかった。幼かったリオンも嫌がることなく、むしろ私のお下がりを「おねぇーちゃまの服だ!」と喜び、「スカートって面白いね!」とクルクル回ってはしゃいでいた気がする。
そんなリオンは困ったことに、流行り病が終息しても女装をやめなかった。ことのほか「私とお揃い」であることが気に入ったらしい。
「……いやぁ。あの頃はとにかく、お姉さまが大好きで大好きで仕方なくて、できるだけ同じでいたかったんだよね。あ、お姉さまが大好きなのは、今も昔も変わらないよ?」
とは、今のリオンの言葉である。
普段おとなしいリオンの思わぬ抵抗に、叔母たちは早々にあきらめた。病弱で家の外に出ることもないし、友達もいない。何より似合っているからいいじゃないか、と言うのが叔母たちの言い分である。
当時のリオンは十歳まで生きられないと思われていたから、できるだけ好きにさせたいという想いもあったのだろう。リオンの「ちょうだい病」もこの頃から始まった。一番最初の「ちょうだい?」は、私と同じ格好がしたかったことから始まったのだ。
だけどそれも、私に婚約者ができた頃から変わってくる。リオンが私のお下がりや複製できるものではなく、私が「今持っているもの」を欲しがるようになったからだ。
その事についてリオンに尋ねてみたところ……
「……ああ。それはお姉さまが婚約したって聞いたことで、自分の恋心を自覚したからだよ。お姉さまの真似をするんじゃなくて、ただ単純に『好きな子のものが欲しい』と感じるようになったんだ。だから、あの頃のお姉さまに頂いたものは、今でも大事に保管しているんだよ!」
ものすごく良い笑顔を頂いた。
「あと、『好きな子に意地悪したい』って気持ちもあったかな? だってお姉さま、あまり感情を表に出さないから、ああでもしないとボクのことちゃんと見てくれいるかわからなかったんだ。今から考えれば、とても幼稚だったと思う。でも……それだけボクはお姉さまが好きで、振り向いてもらおうと必死だったってことだけは、わかってくれる?」
……と、怒濤の勢いに流されて思わず納得しそうになった。が、しかし、リオンがやってきたことは、そんなにかわいいものじゃなかったと思い直す。
「……もしリオンの言うことが本当なら、何で髪止めがゴミ箱に捨ててあったの? 私ちゃんと見たんだから」
「あれは…………あいつからの贈り物だったから……」
「あいつ?」
言いたくないとばかりに、ふてくされた顔をするリオンだったが、私が無言で圧力をかけると、しぶしぶ話し出した。
「……アーダルベルトだよ。お姉さまの婚約者だった」
「あっ……」
そうだ。すっかり忘れてた。あの髪飾りは、十二歳の誕生日に、一人目の家から贈られてきたものだった。直接渡されたわけでもないし、他のプレゼントに紛れていたせいで、特に印象に残っていなかったのだ。
「壊そうと思ってはいなかったんだよ? お姉さまがあいつのことを意識して付けていたわけじゃないことは知っていたし、他の男からの贈り物でも、お姉さまのものには違いなかったから。でも、やっぱり嫌だったんだろうね。宝箱にしまうときに、うっかり落として壊しちゃってさ……。それで仕方なく捨てたんだ」
一応、筋は通ってる……のか? て、まずいまずい。リオンのペースにはまっている気がする。
「それじぁ、愛猫のミシェルや、侍女のエミリィのことはどうなの? その二つについては納得していないのよ、今でも」
私の怒りが伝わったのだろう。リオンはあわてて話し出した。
「ミシェルちゃんについては、本当に申し訳なかったと思ってるよ。実は、お姉さまの誕生日にミシェルちゃん用の服を作ってプレゼントしようと考えてたんだけど、お店に連れて行ったら逃げちゃって……」
「え? 初耳なんだけど……」
「あの頃、ペットに洋服を着せることが流行っていたでしょ? だから、お姉さまとボクとミシェルちゃん、三人でお揃いの服を作ろうとしたんだ。そのためには、お姉さまにバレないようにミシェルちゃんを採寸する必要があって……」
「まさか……そのためにミシェルを欲しがったの?」
「……うん。本当にごめん」
伏せた耳が見えそうなくらい、シュンとしているリオンに、何とも言えない気持ちになる。
「それじぁ、エミリィは?」
「あいつはっ! お姉さまと伯父さんの前では猫をかぶっていたけど、見えない所ではお姉さまの専属になったことを笠に着て、やりたい放題だったんだよっ! ボクのことも『病弱の役立たず』って見下していたし。そのくせボクが男だと知った途端、言い寄ってきてさ……。『あんな最悪の女、伯父さんはどうして雇ったんですかっ!』って思わず直談判しちゃったよ」
「え? え? え? ちょっと待って……」
「ただ、最初はなかなか伯父さんに信じてもらえなかったから、しばらくボクの専属にしてもらって、尻尾を掴もうと思ったんだ。そうしたら、すぐに調子に乗ったあの女がボクに迫ってきてさ。母が現場を押さえて、三ヶ月後には解雇」
「えぇ……」
エミリィがそんな子だったなんて、全然知らなかったんだけど。ちょっとショック。私もお父様のこと言えないわ……。
私が地味に落ち込んでいるのを他所に、リオンは嬉々として話を続けた。
「それでお姉さま、本題なんだけど……」
「あ~……婚約者の座がどうとかってやつね……」
「そう! 伯父さんの承諾ももらったし、ボクの母についても問題ないよ! 後はお姉さまから返事をもらうだけなんだ。もちろんお姉さまは、ボクをお婿さんにしてくれるよね!」
私が断るとは微塵も思っていないのだろう。リオンの期待に満ちた視線がグサグサ刺さってきて辛い。
私はそれを見ないようにしながら、空気となりつつあった父親に話かけた。
「……うふふふ、お父様?」
「な、なんだい? アンヌ……」
「リオンが言っていること、最初からちゃんと説明して下さいますわよね?」
「は、はい……」
こうして知った真実は、驚くべきものだった………………
***
「ちょうど、アンヌがアーダルベルト君と婚約した翌日のことだ。リオンがいつになく真剣な様子で私の執務室を訪ねてきて、いきなり言ったんだよ。『アンヌの婚約を破棄して、アンヌをボクに下さい!』ってね」
お父様は昔を懐かしむようにして語り始めた。
「だから私は『アンヌが十八歳なってもまだ、結婚していなければリオンと結婚させてあげよう』と答えた。リオンがどこまで本気かわからなかったし、今だから言うが、現実になるなんて思っていなかったんだ」
「いや、そこは素直に断っても良かったんじゃ……。まぁ、お父様の気持ちもわからなくはないけど」
私が婚約したばかりなら、リオンはまだ七歳だ。お父様もまさかここまで本気だとは思いもしなかっただろう。リオンもリオンで、弱冠七歳にして、ものすごい台詞を言ったものである。思わず今のリオンの姿で想像してしまい、ちょっと照れたことは内緒だ。
「いやぁ、幼い瞳に並々ならぬ殺意を宿していてなぁ……。断れる雰囲気じゃなかったんだ。後にも先にも、あの時ほど命の危機を感じたことはないな……」
前言撤回。リオンがちょっと病んでて怖いんだけど。
「婚約の件については、一応わかったわ。だけど、二つほどリオンに確認させて」
「なぁに? お姉さま」
「まず、一つ目だけど……。リオン、あなた私と結婚するって言っても、そんなに単純じゃないってこと、気づいてる? 私と結婚するってことは、当主としての義務が色々と発生するのよ? 正直、病弱なあなたには荷が重いと思うわ」
ーーそう。そうなのだ。リオンは単純に、私が好きだから結婚したいようだが、「私と結婚する」ということは、「我が家の当主として、領地を治める義務が発生する」ということでもある。
毎日毎日発生する書類仕事は、繁忙期には徹夜になると聞くし、定期的に領地を見回る必要もある。社交シーズンには王都に行って、海千山千の貴族たちと、腹の探り合いをしなくてはならない。想像以上に体力が必要なうえ、かなりストレスフルな仕事なのだ。正直、病弱なリオンにできると思えない。
私がそうした懸念を伝えると、
「なぁんだ。それなら大丈夫だよ。病弱だったのは過去のことで、今のボクは普通に健康だから、問題ないと思う」
「ああ、それなら良かった……って、はぁっ!?」
予想外の答えが返ってきた。
「ちょっと、冗談言わないでよ。リオンのどこが病弱じゃないって? 今だって、一日のほとんどを部屋に籠って過ごしているじゃない」
「ああ……あれは、部屋に籠っているフリだよ」
「……フリッ!?」
「実際は、身体を鍛えたり、お忍びで街に出かけたりしてたんだ」
「嘘っ……」
「嘘じゃないよ。アンヌにふさわしい人間になるために、七歳のあの日から、主治医にお願いして、少しずつ身体を鍛えていったんだ。最初の頃は無理して、よく熱を出していたけど、十二歳になる頃には、普通の生活を送れるくらい、丈夫になってたんだよ」
そう言われれば、思い当たるフシはある。確か、リオンが私の婚約者の前に頻繁に現れるようになったのが、その頃からだった。
「……でも、つい最近も咳き込んでいたじゃない。本当に丈夫になったの? 誤魔化しているだけじゃないの?」
「ああ、咳は声変わりのせいだよ」
「…………そういえば、リオンは男だったわね」
今まで自分が信じていた世界が、どんどん崩れていく。
「……お父様は、このこと知っていたんですか?」
「いや……私も今知ったところだ」
「……そうですか」
お父様も私同様、かなり混乱しているみたいだ。真顔でリオンを見つめたり、頭をかかえたりして、唸っている。
「ねぇ、リオン。どうして丈夫になったことを、私たちに教えてくれなかったの?」
「ボクが丈夫だってわかったら、約束の日になる前に、お姉さま以外の人と婚約させられるかも知れないと思ったんだよ。だから、主治医とボク付きの使用人たちを丸め込んで、みんなに隠していたんだ」
とても良い顔でニコリとしたリオンに、絶句した。
確かに、リオンが健康になったと知ったら、その時点で、普通の貴族みたいにお披露目をして、婚約者を決めていたであろう。病弱だったからこそ、リオンは十五歳になった今でも婚約者なしでいられたのだ。
それにしても……いったいどうやって、主治医たちを丸め込んだんだろう。雇い主であるお父様まで騙すなんて、かなりの弱味を握ったとしか思えないんだけど。
「ちなみに、ボクが女装を続けたのも、同じ理由からだよ? 女装が趣味の男と婚約したい女の子なんて、いないでしょ? まぁ、念には念を入れて『幻の令嬢』の噂を流して、この家にいるのは『女の子が二人』と世間に思い込ませたりもしたけど。後は……まぁ、アンヌの婚約者を試すのにも役立ったから、なかなかやめられなくて」
黒い。リオンの笑顔がどんどん黒くなっていく。
「でもリオン、健康なだけじゃ当主は勤まらないわよ?」
「安心して。身体を鍛えるのと同時に、主治医に手伝ってもらって、当主になるために必要な勉強もしてきたし、街に下りている時に独自の人脈を築いて、色々な貴族たちと色々な意味で、お付き合いもしてきたから、今年のデビューさえすませれば、なんの問題もなく社交ができるよ」
「…………」
用意周到なリオンに言葉が出ない。なんか、そのお付き合いの内容を聞いたら、後に引けなくなりそうなんだけど……。
とりあえず、リオンの主治医が有能なのはわかった。
「……はぁぁぁ。それじゃあ、二つ目の質問ね」
これ以上話すと、藪から蛇になってしまいそうなので、あきらめて次の話題に移ることにする。
「……ねえ、リオン。改めて確認するけど……」
「うん。なぁに?」
私を見つめる紫水晶みたいな瞳。昔から全く変わっていない、純粋でどこか幼い、リオンの瞳。気がつけばいつも、私から全てを奪っていってしまう、この熱を孕んだ鋭い瞳が、恐くて苦手だった。
「…………あなたは…………本当に私のことが好きなの?」
「えっ…………?」