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包丁少女  作者: オーロラソース
9/10

陰謀少女《過去と企み》

前回までのあらすじ


ラヴな話だった。


「いってらっしゃーい!」

 扉の前に立って、少女はにこやかに手を振っている。


 仕事に出かける夫を笑顔で見送る若妻、そんな妄想も出来なくはないシチュエーションであるが、彼女を見つめるルドルフの瞳は、まるで妻の浮気を疑う夫のように、疑惑と猜疑心さいぎしんに満ちていた。


「シーナよ、今日もやはり留守番か?」


「うん、えーと、ほら……あれだ、女の子の日ってやつ。残念だけど仕方ない」


「女の……む、それは確かに仕方がないな」


 女の子の日、と言われてしまえば、オスであるルドルフに追及など出来ようはずもない。


「このツラさ、ボーイには分かんないんだよね」

 そんなことをのたまう少女を半目でジトリとにらみつつ、やむを得んとばかりに、ルドルフは一人「ライラプス号」に乗り込む。


 シーナは何か企んでいる。それは間違いないのだ。


 人間の村に行くことを提案した日からもう三日、ルドルフはずっと一人で狩りに出掛けていた。今日は「女の子の日」、昨日は「お尻が痛い」、その前は確か「ウンチが出そうで出ない」だったか。


 ここ数日、少女は何かと理由をつけては、狩りへの同行を拒みつづけていた。


 やはり怪しい。


 少女の動向は、あまりにも不穏であった。

 魔物を狩り、そして食らう。それを無上の喜びとする彼女が、「狩りなんて野蛮なこと、私には出来ませんわ」みたいな顔をして、自ら留守番を申し出るのだ。それも一日だけではない、三日連続でだ。


 殺人鬼や暴君が、女神の教えを受けて改心する。そんなおとぎ話なら、ルドルフとて聞いたことはある。しかし、鳴き声がキモイという理由だけで、「鬼豚スースル」の群れを殲滅せんめつするような彼女が、いきなり不殺生に目覚めるというのは、やはりおかしな話だ。


 どうにか真意を探ろうと、少女の顔を見つめてみるが、可愛いということ以外、ルドルフにはまったく何も分からない。


「ルド、どうした? そんなに見て……」

 

「……いや、何でもない。それよりシーナ、村へは二日後、明後日に出立する予定だが、それで構わないか?」


「あいよ! 拙者、楽しみにしとりますけん!」

 最近覚えた「フェツルム語」の珍しい言い回しを用いて、少女は元気に返事をする。


 その様子を見るに、彼女は純粋に「エルスト村」行きを楽しみにしているようだった。「今回の村行きは、観光みたいなもの」、そう告げたルドルフの言葉を正しく理解してくれたのだろう。


 分からないことをいくら考えても仕方がない。それに、「女の子の日」という話もあながち嘘とは言えないではないか。

 ルドルフはそう結論づけ、始動機スターターに魔力を流してライラプス号を起動させる。方陣が薄緑色の光を放ち、船体がゆっくり浮上する。


「じゃあ、いってくるよ。栄養のあるものをってくるから、君はゆっくり休んでいるといい」


 いたわりの言葉をかけると、少女は笑顔で応えてくれた。

 

 このまま抱き上げて、連れて行きたくなるな。


 愛らしい微笑みに、ルドルフの心はどうしようもなく揺さぶられてしまう。背を向けるまでのわずかな逡巡しゅんじゅんは、離れたくないという気持ちの表れだろう。


「一人で生きて、一人で死ぬ。そう誓ったはずなのにな」

 走り出したライラプス号のなか、ルドルフはどうにも女々しい自分を笑う。後ろを振り返れば、随分小さくなった少女の姿が、荒野の陽炎かげろうかすんで見えた。


 私はこの先も、シーナとともに在りたい。


 心の底から湧きあがるその思いを、ルドルフは否定しようとはしなかった。そして少女には、広い世界で自由に生きてほしいと願った。


 ならば、共に流血の地平(サンテーレ)を出る以外道はない。今回の「エルスト村」行きはあくまで観光、されど、そう遠くないうちに自分達はここを離れる。


「心がある限り、世捨て人になどなれはしない……か」

 不意に口から漏れたのは、彼を故郷から連れ出し、流血の地平(サンテーレ)へと導いた恩師の言葉。

 まるで、この日が来ることを予見していたかのような師の箴言しんげんに、見透かされてるようで腹が立つな、とルドルフは苦笑いを浮かべる。


 もう十年たつのか。外は……故郷は、随分変わったろうな。


 ルドルフの眼前には十年前、初めて足を踏み入れた時と変わりない赤い大地が広がっている。


 王宮にいた子猫が荒野で暮らすようになっても、祖国「クティノス」がアルウム領猫人(ニャーマン)自治区「キャトランド」と名を変えても、この場所は何も変わりはしなかった。


 復讐と王家復興に燃えた最初の四年も、すべてを諦め、抜けがらのように暮らした残りの六年も、流血の地平(サンテーレ)はずっと変わらずこうだった。


「変わらんな、ここは……」

 鋭い犬歯を覗かせて、ルドルフは笑う。赤い砂塵さじんの向こうからは、刺すような殺気と二つの咆哮。


 魔獣か魔人か、あるいは鬼か。己を喰らいに来た何者かの気配に、ルドルフの尻尾がブワリとふくらんだ。


 二匹――いや「双首ふたくび」か。


 聞こえた咆哮は確かに二つ、しかし殺気は一つのみ。


「食えるヤツならいいんだが……」

 ライラプス号から飛び降り、ルドルフは砂塵が晴れるのを静かに待った。高まる魔力に反応してか、腰に下げた形見の黒鞘くろざやが小刻みに震えだす。


双首豹デュオパルド……!」

 姿を現したのは、軍用馬並みの巨体を誇る双頭のひょう

 黄褐色おうかっしょく毛衣もういに黒い斑紋、鋭い四つの眼光が、ルドルフを値踏みするようねめつけてくる。


 グルルルル……


 二つの口から漏れるうなり声が、重低音の二重奏を奏でる。姿勢を低くし、一歩づつ近づく魔豹の動きは慎重で、自分より遥かに小さいルドルフに対しても、警戒を怠るつもりはないようだ。


 こんな大物に会えるとは。


 想定外の幸運にルドルフは歓喜した。双首豹デュオパルドの肉は煮ても焼いてもとにかく美味い。そしてあの可愛い食いしん坊は、これを食べたことがないはずだ。


「いい土産みやげになる」

 少女の喜ぶ顔を思い浮かべ、ルドルフの相好そうごうが崩れた。しかしその「捕らぬ魔豹の皮算用」的思考は、油断あるいは慢心と呼ばれるものだ。


 流血の地平(サンテーレ)での狩りは、獲ったか、逃げられたか、などという生温いものではない。食うか食われるか、殺すか殺されるか、狩り損ねれば、今度はこちらが狩られるのだ。


 そして、流血の地平(サンテーレ)の苛酷な生存競争を生き抜いてきた強者――双首豹デュオパルドは、その油断を見逃しはしなかった。


 ジャリ……


 地面に鋭い鉤爪かぎづめがめり込む。


 一瞬の隙をついて、静から動へと、滑らかに静かに魔豹は動いた。身をかがめた低い姿勢のまま、一瞬だけ動きをとめて、その直後、全身のバネを利かせて跳躍する。


「獲物を前にして算盤そろばんをはじくな。損だ得だという話は、獲物そいつを殺してからにしろ」

 師、フリードが、口を酸っぱくして言いつづけた狩場の……いや、流血の地平(サンテーレ)の鉄則。この瞬間ルドルフは、彼の言葉を教訓のように噛みしめていた。


「っ……!」

 上からの強襲を迎撃しようと、焦って踏み込んだルドルフの左足が地面の窪みに落ち込んだ。剣を抜けず、体を硬直させた彼の頭上に、二つの牙と刃物のような鉤爪が迫る。


「あ……」

 ルドルフの口から、言葉にならない呟きが漏れた。包み込むように覆いかぶさる双首豹デュオパルドの巨体をかわすには、すでに間合いが近すぎる。


「終わりだ」

 すべてを諦めたように猫人ニャーマンの戦士は立ち尽くした。その瞳は、ぼんやりと虚空こくうを見つめたままだ。無防備な彼に、魔豹の爪牙が容赦なく振り下ろされる。そして体は引き裂かれ……


 跡形もなく、霧散した。


 グァッ……?


 捉らえたはずの獲物が消え、双首豹デュオパルドは困惑する。


「終わりだと言っただろう」

 双首ふたくびの死角から告げるのは、慢心などではない、完全なる勝利宣言。


幻覚魔法ハルシネーションマジック――猫ダマシ。己が向き合っていたのは幻影だ。このルドルフ、獲物を前に隙など見せん」

 振り返った魔豹の四つの瞳には、少女が「ヒテンミツルギリュウみたい」と言った、ルドルフ必殺の構えが映っているはずだ。


「鳴け……三毛猫」

 左手でさやを持ち、右手を剣のつかにかけて、ルドルフは呟く。 

 その声と魔力に反応して、黒鞘くろざやが「ミー」と子猫のような鳴き声をあげた。


 あの日、焼け落ちた王宮からルドルフが唯一持ち出すことが出来た、レクス王家の至宝――「三毛猫」。収めた剣に異なる三つの属性を付与するこの鞘は、女神の愛猫レクスの血脈、王家の魔術血統のみに反応する。


「一の秘剣――鯖虎!」

 抜刀とともに巻き起こった風の刃が、双首豹デュオパルドの首を二つ同時に跳ね飛ばす。


「大地から前足も離れぬ四つ足風情(ふぜい)が……猫人ニャーマンに挑むなど千年早いわ」


 ルドルフが黒鞘に剣を収めると同時に、二つの首が地面に落ち、豹柄の巨体はズシリと沈んだ。





「フフ、肉もいいが、この毛皮も悪くないな」

 家で使うか、村で売るか、獲物の死体を前にして、ルドルフは頭の中の算盤そろばんをニヤケ顔ではじいていた。


 彼の脳裏に浮かぶのは、獲物を喜ぶ少女の笑顔と久しぶりの外の世界。


「今日は早く帰れるし、シーナにちょっと手の込んだ豹料理でも食わしてやろう」


 浮かれる猫人ニャーマンの狩人は、出掛けに感じた少女の不審さなど完全に忘れてしまっていた。


 そして二日後、少女と猫は人間の村へと出発する。


 猫は過去を、少女は悪巧みを、互いに知らせず、胸に秘めたままで。

次回予告。


光と闇の狭間に暮らす者達がいる。

政争に敗れ追いやられた弱者、一攫千金を求める狩人、そして、魔に挑む開拓者達。

ここは流血の地平との境界線、魔の領域に対する脆弱なる防衛線、開拓者の集う地、エルストビレッジ。

人の命がパンよりも安い辺境に、修羅の少女がボンジュール。


次回「貴族少女」

つくられた舞台の上、愚か者達は翻弄される。

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