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包丁少女  作者: オーロラソース
8/10

ラヴ少女《荒野の先》

前回までのあらすじ


脳みそを食ってお腹を壊したよ。

 流血の地平(サンテーレ)における貴重な水源「ブルルム湖」。水を求める獣達が争い、その血で時に赤く染まるという鮮血の泉の一角には、凶悪な魔獣さえもが避けて通る不可侵の領域がある。


 強固な結界が張られたその場所では、檻に入れられ、水中深くに沈んだ魔道具が、ブルブルと不気味な音をあげて動きつづけていた。円柱形の筐体きょうたいから伸びる触手のようなくだは、細長い鉄管につながれており、いくつも連結されたその鉄管は、遙か彼方の大岩――通称「巨人の大首」の向こうまでもつづいている。


 泉に集まる魔獣達は、魔道具が発する不快な振動音に苛立ちながらも、結界のそばには決して近づこうとはしない。互いを喰らい合い、闘争を生きがいとする彼らが、一体何をそこまで怖れるというのか。


 それは猫である。


 縄張りに立ち入る者を八つ裂きにする恐るべき猫野郎である。


 そして猫野郎――もといルドルフによって設置された魔道具は、今日もせっせと水を汲み上げつづける。ルドルフさん貯水槽みずがめを満たし、彼と少女の生活を潤すために。



「ふう、極楽、極楽」

 ポンプ代わりの魔道具と「水の道」、それに「燃焼コンバスション」の術式を組み込んだ浴槽。

 ルドルフの過酷な労働と魔法技術の恩恵にあずかりながら、少女は身体に染みついた嘔吐物の臭いを洗い流していた。


「なにが高級食材だ。ファッキンチャイナめ、いずれ十三億八千万全員の口にアレを突っ込んでやる」

 浴槽につかり、身勝手な復讐を誓う少女は、自分の裸体をじっと見つめている。今のところは年相応、いまだ発展途上と言っていい。そしておそらく、それなりの可能性ポテンシャルを秘めている。


「気に入らん……」

 程よく引き締まったツルツルボディをにらみつけ、少女は呟く。


 これまで少女は、自分の体に不満を抱くことはなかった。「イメージ通りに包丁を振るう」、肉体に望むことはそれ一つであり、他のことはどうでも良かった。幸いこの身体は、その要求に十分応えてくれた。鍛えるごとに力は増し、磨くごとに技は冴えた。


「神崎流包丁術」初代以来の天才――それは少女の「魔力」に起因した才能だったのかも知れない。しかし、肉体もまた重要な要素ファクターであったはずなのだ。


 にもかかわらず、自分の身体を見つめる少女の視線は、険しく冷たい。


 厳しい鍛錬たんれんに耐え、ついには人の領域さえ超えてみせた頼れる相棒パートナー――自分自身ともいえる存在に向けられるのは、強い怒りと溢れんばかりの不満。理不尽だと知りつつも、少女は思わずにはいられなかったのだ。


 我が体よ、私自身よ、なにゆえお前はツルツルなのか、と。



 浮きそりの試作機を改造した浴槽は、長さはあるが少し浅く、その舟風呂に、少女は寝そべるように身を沈めている。日が沈んだ荒野に夜が訪れ、「女神の宿星」が闇にうごめく者達を見張るように光を強めていた。


「こんな身体嫌いだ」

 舟風呂のなか立ち上がり、少女はポツリと呟く。


 薄暗い闇の中、「女神の宿星」に照らされる肌はつややかで、やはりツルツルだった。その白肌を、かつて彼が「涙百合リリティア」の花弁に喩えたことを彼女は当然知りはしない。


「ハダカデバネズミ……」

 あのフカフカで美しい体毛を持つ彼には、自分はそう見えているはずだ。少女は思い、どうにもならない自分の身体をただ嘆く。


「ヒゲでも生やそうかな……」

 馬鹿っぽい言葉とは裏腹に、その表情は真剣だった。


 夜の風は少し冷たく、立ち尽くしていた少女の体は、いつの間にか冷え切っていた。舟風呂の淵にかけた大布で大雑把に体を拭くと、少女は冷えた体のまま浴槽を出る。薄闇の中でぼんやり光っているのはかまどの火、きっと彼が、あの魔猿さるをつかって料理を作っているのだろう。


「ルドルフ……ルドルフ・ザリア・クティノス・ジ・レクス」

 オレンジの光をぼんやり眺めながら、そこにいるであろう彼の名を、少女は小さく呟いてみる。


 瞬間、胸の奥から奇妙な感情が溢れだした。


 なるほど……これが、ラヴか。


 少女は目を閉じ、胸のざわめきを味わうように噛みしめる。小さめの胸に去来するのは、彼と過ごした楽しき日々。

 ウンチを漏らし、ゲロを吐き、白目を剥いて死にかけた日々の……想い出ぇぇ。


「……考えるのやめよ。つまんないや」


「シーナ! 猿鍋が出来たぞ!」

 現実から目を背ける少女の耳に、聞きなれた声が聞こえてきた。


「うん、すぐ行く!」

 白いポンチョを素早く被ると、少女は彼の元へ駆けていく。


 天国か地獄にいるお母さん……好きな人が出来ました。


 人間ではないけれど。


 少女の顔に浮かぶのは満面の笑み、彼女の行く先には、美味しい食事と愛しい猫が待っている。


「とりあえず髪の毛くらい伸ばしてみるか」

 まずは前向きに、この恋と向き合ってみよう。少女そう決意する。


「ルド! 私、毛深くなる!」

 頬を赤らめて告げた、少女なりの恋の宣戦布告は、何かが少しおかしかった。

 

「君は、なにを……言っているんだ」

 言葉に秘めた想いは、当然彼には伝わらない。


 少女と猫、抱く想いは互いに同じ、けれど彼らは気づかない。




「美味い、美味い、ニャンコ先生、料理上手」

 

 じっくり煮込んだ魔猿さるの肉は、想像以上に美味しかった。味は非常に濃厚、赤身部分は少し固めであったが、脂身はゼラチンのようで、口にいれればプルリと溶ける。ショウガに似た風味を持つ、なんとか草との相性もバッチリだ。少女は脳内で「赤猿鍋」を批評すると、どんぶりのような器を見て、ふと思う。


「コメがほしい」と。


 ルドルフの話によると、流血の地平(サンテーレ)の外には人間がうじゃうじゃいるらしい。それだけの人口を維持しているなら、農業もそれなりに発展しているはず、「コメ的なもの」くらい作っているだろう。


 よし、やるか。


 まずは、考えるより先におねだりである。「ニャンコ先生ならば、なんとかしてくれる」の精神のもと、「ルドえもーん、おコメ食べたい」とねだるのである。


 浅ましさと卑しさに導かれた少女は、思考を放棄しておねだりの姿勢に入った。


 ゆくぞルドルフ! 私が一人では何も出来ないことを教えてやる!


「ルドえもーん、おコメ――」


「シーナ、大事な話がある」

 

「え、あっ、はい……」

 どうでもいいおねだりの途中で、真剣な顔をして大事な話と言われれば、さすがの少女も黙るしかない。

 コメはおあずけか、と少々むくれつつ、少女はルドルフの言葉を待った。


「人間の……村に行こうと思うのだ」


 なんたる以心伝心、このエスパーキャット、心まで読みやがる! 少女は心のなかで驚嘆の叫びをあげた。おねだりを封じておきながら、先回りして願いを叶えるなど、この猫、私をどれだけ甘やかすつもりだ。


 もはや、神の領域……


 畏敬にも似た感情を抱きながら、少女は猫神様ルドルフに手を合わせる。

 目の前では、後光がさしている気がしないでもない猫神様が、なにやら神妙な面持ちでこっちを見ている。


「神よ……つづき言って」

 ノリノリの少女は、神に話のつづきをうながした。


人間ヒト人間ヒトの元で暮らすべきではないか……そう、思うのだ」


「んー……? んん? ちょっともう一回言ってください」

 ここに来て言語能力が覚醒したのか、少女は妙に流暢りゅうちょうな「フェツルム語」でルドルフにリピートを要求する。


「……人間ヒト人間ヒトの元で暮らすべきではないか、そう、思――」


「うぎゃ!」

 ルドルフがすべてを言い終わる前に、少女はカエルのような声をだして地面に突っ伏した。


 捨てられた! 捨てられてしまった!


 何故だ、絶望に打ちひしがれながらも少女は考える。人が答えに行きつくには何かしらの理由があるはず。理性ある人間は、論理的思考によって回答を導き出すのだから。


 まあ、あれは猫だけど。


 自分のツッコミに「フヒヒ」と笑いが漏れるも、笑っている場合ではないと、少女は気を引き締める。


 落ち着け、ルドルフは基本的に優しい猫だ。私が自分の問題点を自ら口にし、それを改善すると約束すれば、とりあえずだがこの場はしのげる。


 少女の瞳に希望の光が宿った。ワガママを言い過ぎた。約束を破った。嘘をついた。魔道具を頻繁に壊した。それでもまだ、ルドルフなら、ルドルフならば許してくれる。


「わしは負けん……」

 その身に踏まれて踏まれて強くなる麦のような精神を宿した少女は、「ギギギ……」とうめき声をあげて、力強く立ち上がった。


「ヒロポ――」

 言いかけて少女は一旦動きを止める。


 問題点、捨てられる理由、思いあたる節が多すぎる。


 手の指、足の指どころではない。毛の数ほども思いあたる。あの時のアレ、この前のソレ、かけた迷惑数知れず、与えた損害星の数。二酸化炭素とウンチ以外生み出さない、タダ飯食らいの大食らい。


 そして――


「ハダカデバネズミィィィ!」

 これは役満、四万八千点(親)。挽回不可能である。


「……まいったな」

 諦めのなか、苦し紛れに少女は笑う。


 もはや言い訳などしようがない。愛想をつかされるのも当たり前なのだ。


 ならば、今まで通りにするとしよう。これまで通り君にワガママを言うのだ。開き直った少女はサファイアブルーの瞳と真っすぐに向き合う。


「一緒にいたい……」


 囁くように紡がれた言葉に、彼は少しだけ驚いた顔をして「そうか……」と呟き、微笑んだ。





 少女が眠ったあと、家の外に出たルドルフは死にかけていた。


「あれは、ダメだ……」

 散々考えた末、決断したのは少女との別れ、人間ヒトと関わり、そこに彼女の居場所をつくる。こんな場所で、自分のような者と、彼女が一生を終えていいはずがない。


 そう思い提案した言葉への返答は――


 ルドルフは、あの時の言葉と少女の顔を思い出し、悶絶する。


 あんな顔であんなことを言われては、私の方が離れられない。


「これは、別の覚悟を決めねばならんな」

 呟くルドルフの脳裏に、遥か西、荒野の果ての光景が浮かぶ。


 そこにあるのは黄金の国「アルウム」、女神に選ばれし英雄が建てた人間達の国、そしてルドルフの故郷を飲み込んだ国である。

 



次回予告。


二人の戦士、二匹の鬼、この世の地獄でさえも、彼らにとってはただの狩場。

されど、彼らが追う獲物もまた地獄に巣くう鬼なのだ。

驕り、慢心、油断、傲慢なる強者は、断罪の爪牙によって裁かれる。


次回「陰謀少女」

男は過去を、女は企みを、その胸に隠す。

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