至高少女《魔猿》
前回までのあらすじ
猫とお話ししたよ。
そして今回は、唐突なバトル回だ!
赤銅色の巨体が赤い大地に蠢いている。一心不乱に貪っているのは、激しい闘争の果てに倒した黒き魔狼の臓物である。
悪くはない。
半分ばかりを食したところで、彼は血に塗れた口元を軽く拭った。狼の身肉はつまらない味であったが、新鮮な臓腑はそれなりに美味と思えた。
『そろそろいただくとするか』
螺旋状に捻れた舌でベロリと舌なめずりをすると、彼は楽しみに残しておいた狼の心臓に目をやる。鼻先をかすめる濃厚な血の匂いに、口元がだらしなく緩んでしまう。
堪らんな。
肉よりも内臓を愛する彼は、そのなかでも特に心臓を好んだ。血を凝縮したその味が狩った獲物の生命を感じさせるのだ。それなりの年月を生きたであろう魔狼は、思いのほか強くしぶとかった。ならば、その心臓も相応の味をしているはず、彼は下顎から垂れる涎をすすり、血の滴る心臓へと手を伸ばした。
『では、イタダキマス……』
「黒き王」より伝えられたという食前の祈り「イタダキマス」を唱え、彼は心臓を捻れた手で掴んだ。ぬるりとした感触といまだ残る温もりに、思わず喉がゴクリと鳴った。湧き上がる食欲に「もう我慢ならぬ」と口を開け、一気に齧りつこうとした――その時である。
少し離れた後方から何者かの声が聞こえてきた。
「ルド! モンキー発見! 大物! 大物!」
彼は激怒した。
食事とは、命を喰らい、力を取り込むための儀式である。そしてそれは、厳かな雰囲気のなか、粛々と行われなければならない。儀式を邪魔する不届き者は、死刑確定、即執行、問答無用でサツガイである。
よし、殺そ。
「食事中に騒ぐ奴は死刑」という「自分法典」第3条に基づき、彼は殺意を全開にして後ろを振り返った。
『まさか、あれは……』
視界に捉えた罪人の姿に驚愕の声が漏れる。
子曰く、「生かしてこれを喰らう、マジ美味しからずや」
「美食王」曰く、「それ即ち、至高の食材である」
そこにいたのは至高、荒野で噂の美味しんぼ、「ニンゲンのコムスメ」であった。
歓喜の雄叫びをあげて、彼は影狼の心臓を地面に投げた。特別な心臓さえも「至高」の前では残飯と変わりない。
よくぞ引き合わせてくれた!
魔物と獣が跋扈する人外魔境――流血の地平において、魔物と人間の邂逅は奇跡と呼ぶにふさわしいものだった。
もし彼が人間であったならば、この出会いを女神に感謝しただろう。しかし彼は、身に魔を宿す獣、女神の加護から除外された存在である。
ならば俺は、あの方に……
魔物に「美食」という概念をもたらした、裏切りの英雄「黒き王」、彼は敬愛する魔王に向けて感謝の言葉を呟いた。
アリガトウゴザイマスと。
風になびく黒髪と柔らかそうな白肌が彼の食欲を嫌というほど刺激する。標的との距離は、歩幅にして二十ほどまで近づいていた。
はやく食いたい。アイツを食って、犯して……殺したい!
膨れ上がった食欲は、性欲や殺意と混じり合い、強烈な破壊衝動へと変化していく。魅惑の食材を前にして、彼の理性は失われつつあった。
『もう、限界だ……』
足よりも長い、捻れた両手を地面について、赤き魔猿「螺旋獣」は、加速するための準備に入った。螺旋状の皺が刻まれた巨大なネジのような両足に力を込めて、照準を「至高」の少女に合わせる。
『風よ、螺旋の渦に巻かれよ……』
紡がれた言葉に反応して、両足に纏った風が竜巻状に形を変える。捻られ強化された筋肉は膨張し、赤銅色の剛毛が逆立った。一瞬の加速に限って言えば、赤い魔猿のスピードは、下降する「灰色鴉」にさえ匹敵する。
我が糧となれ、「至高」!
雷鳴の如き咆哮と共に、魔力と筋肉の膨張は臨界点を突破した。四肢の力を解放した魔猿は、赤き炎弾となって、少女に向かって突進する。
「調理開始……」
耳障りな風切り音の中、螺旋獣は、鈴の音のような囁きを聞いた。少女の右手で銀色の刃が煌めき、その顔に不穏な笑みが浮かぶ。
なにが……起きた。
すれ違いざまに振りぬいた右腕は空を切り、勢いのまま転がった彼の身体は右足を失っていた。湧き上がる痛みと困惑のなか、彼は振り向き少女を見る。
『お前は……』
それは、か弱きエサであったはずだ。力もなく、知恵もない、荒野を彷徨う弱者であったはずなのだ。
『誰だ、お前は!』
螺旋獣は叫んだ。
見た目は変わらぬ。しかし、気配が違う、威圧が違う。それに、あのおぞましい魔力は……
少女の変貌ぶりに、魔猿は怖れ、慄いた。
「調理続行、食材はモンキー……」
少女は捕食者の瞳で彼を見ている。右手に刃物を持ち、左手には切り落とした彼の右足を引きずっている。
黒い瞳、黒い髪、青い……衣。
彼の脳裏に幼き日に聞いたおとぎ話が思い浮かぶ。
『黒き王……』
睥睨する絶対者を前にして、彼は命の終焉を悟った。
「これは包丁、お前は食材……」
少女は呟き、刃を振りかざす。
『餌は……俺の方であったか』
彼は、その刃光のなかに絶望の未来を見た。
「ルド! 赤モンキー、美味?」
浮き橇に連結した荷板の上には、本日の獲物「螺旋獣」の巨体が載っている。それを指さしカタコトの「フェツルム語」を話す少女は、何とも言えず愛くるしい。
「ああ、少し固いが、味は良いぞ」
少女の問いに笑顔で答え、ルドルフは先程の戦闘を思い返す。
螺旋獣の足を一太刀で切り落とすか。
戦闘時の魔猿の身体は、三重の鎧で守られている。竜巻のように渦巻く風の鎧、魔力を纏うと硬質化する赤い毛皮、そして名前の由来にもなった捻れた筋肉。並みの剣では歯が立たず、弱点である腹部を狙う以外、倒す術はないとさえ言われている。
だがシーナは、一番硬い脚部を斬った。しかも、十分に魔力を高めた状態の螺旋獣の足を。
ルドルフは、少女の包丁を見る。
業物には違いないが、刃は薄く、戦闘に耐えるような造りはしていない。調理刀という本来の用途を考えれば、それも当然であろうが。
恐るべきは得物ではない、使い手の方だ。
「神崎流包丁術」、魔法のない世界から来た少女が使う、異形の戦闘調理殺法。
その実態は、異界の言語と概念が流用された、紛れもない「魔法剣」。
少女はその業を「魔法」とは知らずに体得していた。
「シーナ、『神崎流包丁術』とは、いつ頃からあるものなのだ」
「んー……三百年くらい前」
「三百年前、『灰色の時代』か……」
灰色の時代―――それは、白き女神と黒き王が争ったとされる混沌の戦国時代。多くの新しい魔術が生み出された現代魔法の黎明期、そして古き魔術が使い手と共に消えていった古代魔法の喪失期でもある。
シーナがこちらに来たように、彼女の世界に渡った者もいたのではないか。
ほとんど原型を留めていないが、彼女の使う「魔法剣」の術式は、ルドルフの知る古代魔法の特徴をいくつか備えていた。異界へと渡った何者かが、「包丁術」という魔法剣を生み出し、それを継承したシーナがこの世界へと流れ着いた。ルドルフはそう推測し、その考えは間違いではないだろうと確信する。
「しかし、なぜ包丁なのだ……」
独り言のような呟きに、浮き橇の後ろで寝転がっていた少女が答える。
「関係性の構築、それが真髄、包丁を持つ者、向けられる者、捕食者と被食者、覆せぬ真理、何人も抵抗不能、神でさえも……」
「神さえも……」
「そう、カンザキは神さえ喰らう」
そう言って、少女は空に浮かぶ青き星「女神の宿星」へと手を伸ばした。
次回予告。
裏切り、それは甘美な罠。
守るべき約束、尽きることなき欲望。
選択を迫られた少女は、かつての英傑と同じ道をたどるのか。
次回「日常少女」
裏切りの大地に少女が舞う。