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平賀譲は譲らない

平賀譲は譲らない 幕間話 EXTRA  零の名を持つ偵察機 ~零式司令部偵察機~

作者: ソルト

※ この作品は拙作『平賀譲は譲らない』を世界観のベースにしておりますので以下の部分についてご理解いただきますようお願いします。


 西暦と年号のズレがあります、1923年に大正天皇の生前譲位によって大正が終わり昭和元年となっていますので昭和17年はこの作品では1940年になります。


 又、戦前広く使用されていた皇紀は存在しておりカレンダーなどには記載され紀元節などもありますが、軍の兵器などの正式名称には使われておりません。



 零式司令部偵察機は昭和17年(1940年)に制式化された偵察機である、機体の主設計は三菱が行い、製造には三菱、中島、渡辺、川崎が分担して行っていた、発動機は試作機には三菱の金星(ハ112)62型が使われており最高速度640k(6000m)を記録した。


 高性能(高速・高空性・長大な航続距離)を誇るこの偵察機は美しいフォルムでも知られる、これは主設計を行った三菱の久保富夫が「飛行機の姿を見て、ああ奇麗だな、と思うようなものでなければその飛行機は良くならない」と語ったように空気力学に基づいた新設計のエンジンカウルや尾翼などにその設計思想を見ることができる。


 こうして増加試作を経て制式化されることになる当機であったが、発動機のコンペの結果が意外な結果に終わった為に更なる進化を遂げることになる。


 本田技研が開発した二千馬力級エンジンRA183エンジンである、このエンジンは空冷18気筒で二千馬力以上という条件でのコンペで次期主力機のエンジンとして使われる予定のエンジンであった、当時の国防省統帥本部通達に{欧州における独逸の再軍備による脅威は日毎に増しており}という書き出しで書かれるほどドイツに対する警戒心は高く、ドイツが開発していると噂されていたBf109やFW190に対して過剰なまでの脅威を感じていたのである。


 実際に金星では早晩力不足になると判断しており追加通達では{総研よりの情報によると高高度偵察時に不安があると判断される}と書かれており当時海外の技術情報を総研(総力戦研究所)が収集していたことを示す資料としても興味深いものである。


 そしてホンダエンジンを積んだ試作機をテストした時操縦した千早猛彦大尉は「これならば追いつけるメッサーやフォッケはいないだろう」と非常に興奮した口調で話していたと記録に残っている。


 そして1940年正式に採用された機体は零式司令部偵察機と名称を付けられた、通常は西暦の下二桁を使うのであるがその場合だと1942年には四十二式シニとなって縁起が悪いということになり例外的にこの年代は下一桁となった。


 零式司令部偵察機 1型

全長    11m

全幅    14.7m

全高    3.9m

翼面積  32平方メートル

自重    3450kg

最高速度 750km/h(6000m)

発動機エンジンホンダRA183 2300HP×2

搭乗員 2名


 機体は偵察機としては頑丈に作られており降下限界速度も高く両翼のハードポイントにロケットブースターを装着することで一時的に急加速して離脱できることから敵地深くまでの強行偵察に任務に就くことが多かった、その為{ベルリンの水先案内人(この機体が来た後爆撃隊があらわれたから)}{地獄の使徒}{イワンの写真屋}などの仇名を付けられていた。


 自国の上空を好き勝手に偵察されることに激怒したゲーリングによって対抗するためにメッサーシュミットMe262戦闘機やTa152の開発が進められると流石に更なる性能向上が求められ排気タービン搭載型のRA183Tを搭載した2型、機上捜索電探を搭載し東京電気化学工業の開発したフェライト電波吸収塗料を塗られた夜間偵察型の3型が制作された、現場サイドでも禁止されているロケットブースターの複数使用(本来両翼に1本ずつしか使用を認められていない物を3本束にして使用するなど)して本国の技術者たちを呆れさせているが現場では少しでも生還率を上げたいからと行っていたと当時の搭乗員の証言もある。


 また日本以外でもイギリス・ポーランド・オーストリア・フィンランドなどにも輸出され戦後も長く使用された。特異な使用例としてはフィンランド空軍が冬戦争で両翼のハードポイントに爆弾投下用パイロンを装着して軽爆撃機として使用し、敵中深く進攻して司令部や弾薬集積場をピンポイントで攻撃して戦果を挙げている例がある。


 第二次世界大戦の初期から終戦まで活躍し戦後も暫く使われた。ターポプロップエンジンに換装された4型は大戦後期に登場し戦後は哨戒機としても用いられた。


 また海上保安庁でも哨戒機として導入して海洋情報の収集や海難救助者の捜索に使われた。


導入した国家一覧


大日本帝国(空軍)(1型―4型) 海上保安庁 (4型)


イギリス(カナダ・オーストラリア含む)   (1型―4型)


ポーランド  (1型―4型)


フィンランド (1型―4型)


オーストリア (1型―4型)


ロシア共和国 (2型―4型)


イスラエル   (2型―4型)


※またスペイン・イタリア・ベルギー・スウェーデンなどは上記の国より供与又は売却された機体を使用している、再供与や転売で保有・使用した国は別記(運用国一覧)を参照。


 逸話としては「我に追いつくメッサー無し」の電文が有名であるがこれに関しての一次資料が存在せず後世の作り話という説もある、前述の千早大尉の発言が歪められて伝わったという説が有力である。千早大尉はドイツ偵察35回(うちベルリン上空強行偵察3回)ソ連偵察48回のベテランであり彼の偵察が戦局に大いに寄与したと勲章の授与がイギリス・ポーランド・フィンランドの連名で行われ日本でも天皇陛下に拝謁している。




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[一言]  御参加ありがとうございます。史実の百式をパワーアップしたような化け物偵察機ですね。  こんな機体があったならば、本当に考えてしまいます。
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