狐の村
何となくだけど、今回の帰省は今までとは違う物になると、俺は感じていた。
「太郎兄ちゃん、お帰り!」
「おかえり!」
どこかの家の夕飯が香ってくるくらい村に近づいた頃、転んで膝小僧を擦り剥かんばかりの勢いで、二人の子供が道の向こうから駆け寄ってきた。
俺が大学から帰省すると、どこで気配を嗅ぎ取るのか、いつも決まって村のチビどもが出迎えに来る。
こいつらの目的はわかっている。俺がいつも土産に買ってくる都会の菓子が欲しいのだ。
「おう、チビ太郎にチビ助。相変わらずちっちぇえな! 今帰ったぞ」
そう言って左手の紙袋を掲げてやれば、目をらんらんと輝かせる。
「兄ちゃん、大好き! お菓子くれよう」
「くれよう」
早くくれとばかりに、俺の足下で二人はぴょんぴょん跳ねている。歩きにくくてかなわない。
うちの村は、平成の世ではびっくりするくらい田舎にある。最寄りのバス停から獣道のような道を軽く三時間はハイキングする必要がある。その最寄りのバス停だって、行きと帰り合わせても一日に二本だ。普段利用者がさっぱりいないのか、バスを降りる時、運転手に「本当にここで降りるのかい?」と確認されてしまった。
そんなわけで、この村では甘いお菓子というのはめったに口にできないとても貴重な物なのだ。
「まあ待て。そんなに慌てなくても菓子は逃げないぞ。まずは家に入らせてくれよ」
足下で拗ねて丸くなる二人に「また後でな」と声を掛け、村の道を歩く。
「太郎さん、お帰りなさい」
「坊主、しばらく見ないうちにでっかくなったな」
道すがら出会う村人皆、俺に気づくと以前と変わらない笑顔を向けてくれる。
「ただいま戻りました。まだ家に戻ってないので、また後ほどゆっくり話しましょう」
いつもと同じく暖かく迎えてくれる皆に手を振り、俺は家の門をくぐった。
「太郎坊ちゃん、お帰りなさいまし」
しわがれた声で出迎えてくれたのは、昔から家で働いてくれているお藤婆さんだ。
「お藤さん、ただいま帰りました」
俺が幼い頃から全く変わらないしわしわの顔をさらにしわしわにして、お藤さんが玄関を開けてくれた。
「はい、旦那様も坊ちゃんのお帰りを今か今かとお待ちでしたよ」
「父さんが待ってるのは、俺じゃなくて、こっちじゃないのかな」
土産の紙袋を軽く持ち上げてやれば、お藤さんは「まあ、まあ」と目をまんまるくしていた。
お藤さんに土産を渡し、いつからかやたらと軋むようになった板張りの廊下を歩くと、長いこと家を離れていた実感がやっと沸いてくる。
一番奥の部屋のふすまの前まで来ると、そこで一度正座する。
「ただいま戻りました」
そう声をかければ、部屋の主のくぐもった返事が聞こえてくる。
入室の許可がいただけたようなので、すらりとふすまを開ける。
部屋の中には記憶と寸分も違わない、真っ白なひげでもこもことした父が、肘掛けにもたれながら座っていた。以前、土産に買ってきたキセルを口にしている。
「太郎や、お帰り。大学生活はどうかね?」
「はい、つつがなく過ごしています。最近、同じ県内出身という友人ができました」
「それはなによりだ」
そう言って父はキセルから口を離し、ぷかりと煙をはいた。あの毛むくじゃらのひげがよく燃えないなと、俺は密かに感心している。
「生涯の友。善哉善哉。それはお前を裏切らない味方になる」
そう言うとキセルの灰をコンと捨て、立ち上がった。
「では、お前の土産をいただくとしようか。ちゃんと買ってきただろうな?」
そう言って父は巨体を揺らした。見るからにそわそわしている。
「はい、ふしみ屋のいなり寿司ですね。ちゃんと買ってきましたよ」
俺がそう答えれば、父は喜色満面にのっしのっしと食卓へと向かっていった。
いつもと何も変わらない俺の故郷。帰ってくるたびに、暖かく俺を迎えてくれる村の皆。
そう、いつ帰ってきても、何も変わらないのだ。
何も。
翌朝。昨日の土産のいなり寿司を、父はちびちびと口にしている。
一口に食べてしまうのが勿体ないくらい、このいなりが好物なのだと以前聞いた。
縁側には、チビ太郎とチビ助が来ていて、同じく土産のチョコレート菓子をお藤さんからもらっていた。こちらは不思議そうな顔をしてにおいを嗅いだり、こわごわと口に運んだりしている。
「父さん、少しよろしいでしょうか」
俺は、一大決心をした。
「なんだね」
父は怪訝な顔を俺に向けた。
俺は、深く息を吸いこんだ。
「同じ県内出身の友人ができたと言いましたね。彼が気になることを言っていました」
俺は、聞いてはいけないことを聞こうとしているのかもしれない。けれど、その話を聞いたときから俺の胸の内には無視できないほどの重しがのしかかっているような感じがするのだ。
「彼は、この村を知らないと言っていました。俺の話を聞いてから、この村を探しに来たとも。しかし、彼はこの村にはたどり着けず、荒れた廃村があっただけだと」
「道を間違えたんだろう」
父は、俺の言葉の最後を待たずに言った。
「ですが、バス停からここまでの道は、一本道です」
「では、皆が畑仕事にでも出払っている時にでも来たのだろう。荒れた廃村とは、失礼なことを言ってくれる」
話はそれだけか? とでもいいだけに、父が視線を送ってくる。しかし、やはり俺は腑に落ちない。
その時、縁側の方から鋭い悲鳴とうなり声が聞こえた。
そちらを見れば、チビ助が腹を押さえて苦しんでいる。少し嘔吐したようだ。チビ太郎は、チビ助の尋常で無い様子にすっかりパニックを起こしていた。
「どうしたんだ!?」
俺が慌ててそちらへ行こうとし、ふいに気づいた。
パニックを起こしているチビ太郎の頭には、銀色のとんがった耳がぴんと二つ立っている。尻には、同じく銀色の毛がすっかり逆立ったしっぽ。
はっとしてチビ次郎を見れば、こちらはもう完全に銀色の犬のような姿になっていた。
「ど、どういうことだ」
「何となく、気づいていたのではないのかね」
背後で、ゆったりと父が立ち上がった音がした。
わずかに衣擦れの音を立てて、父はチビ次郎に近くに跪いた。
「うっかりしておった。これはちょこれゐとという菓子じゃな。人間にはただの菓子じゃろうが、儂ら狐には、毒になる……」
そして、チビ次郎の様子をまじまじと見た。
「食べた量も少しのようだし、吐き出したのならそう大事にもなるまい」
ふうと息を吐き出すと、父は俺の方を振り仰いだ。
「いつかは話す時が来るじゃろうとは思っておったが、その時が来てしまったようじゃな」
父の漆黒の双眸が俺を射貫いた。
「太郎、お前はこの森に捨てられていたのじゃ。それを狐の儂が見つけ、群れの皆で育てようと決めたのじゃ。この村はお前を育てるために、皆で人里のまねごとをしておったのじゃ」
俺は、何も言えなかった。
なんとなく推測はしていたが、まさか本当にそんなばかげた話があるものか。狐が、人の子を育てるなんて。
だが、俺は確かに人間で。
チビ太郎には狐の耳としっぽがあって、チビ助は狐の姿になった。
長い沈黙が落ちる。
「……では、俺の本当の両親は?」
「わからぬ。皆で探ったこともあったが、見つからなかった」
父と呼んでいたモノがうなだれるように首を振った。
気づけば、縁側の向こうには村人達が集まってきていた。俺が幼い頃から全く姿形の変わらない、気のいい人達。
「……彼らも皆、狐なのですか?」
「そうじゃ、この村に人間はお前しかおらぬ」
村人の誰かが息を呑んだのが聞こえた。
「真実を知ってしまったからには、儂らはもうお前の家族のふりはしてやれん」
そういうと、父だった姿がぼんやりと薄れ、大きな銀色の狐がそこに残った。
「お前も、もう大人になった。これでお別れじゃ」
そう言うと、大きな白狐は山へ駆けだしていった。
村人達も名残惜しげに、少なくとも俺にはそう見えた。振り返りながらも、白狐に続いて、狐の姿に戻り、山へ駆けていった。
最後に、チビ太郎とチビ助も行ってしまった。
狐達の後ろ姿がさっぱり見えなくなった頃、妙にすきま風が吹くことに気づいた。
外に出てみれば、村の様子はすっかり様変わりしていた。
「あいつが見たのは、この景色か……」
とても人が生活しているとは思えない、荒れた家が残されているだけだった。
ただ一つ、村には無かったはずの真っ赤な鳥居が目を引いた。
誘われるように石ででこぼこした参道を行くと、小さな社があって、そこには食べかけのふしみ屋のいなり寿司とかじった後のあるチョコレートが置かれていた。




