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そこに火星人のいた頃  作者: 安里優
第一章 ノーランダー
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1-1 火星

 われら、ここに高らかに宣言する。

 われらは大地を母に持たない。

 われらは地球を唯一の故郷としない。

 われらこそ、宇宙の民、ノーランダーである。


――ハルパ・イム「ノーランダー宣言」より



 火星、すなわち外部惑星同盟と、地球連邦の争いは長期化の一途をたどっていた。

 泥沼と言ってもいいだろう。


 それもそのはず、両者の間には絶対的な距離という壁があった。

 両者の勢力が入り乱れる月まででも、地球からでは38万キロメートル。火星にいたっては、最接近時でさえ、5600万キロメートルという途方もない空間を地球と隔てる。

 もちろん、そこに横たわるのは生身には耐えられぬ真空だ。


 この距離が双方の勢力にとって一番の味方であり、また、一番の敵であった。


 距離という敵を克服するために、双方はさまざまに工夫をこらし、戦争という大量消費を遂行していた。

 それは、見方を変えれば、実にこっけいな行いであった。


 たとえば、地球側は、何十日もかかることを承知の上で、月軌道上から火星に向けて巨大なミサイルを発射する。

 当然それらは火星側に発見され、処理されるが、惑星間を越えて届くほどに加速された物体は、破片ひとつとっても膨大な破壊力を持っている。

 軌道都市(スペースコロニー)、あるいは衛星軌道上のいかなるものでも、直撃を受ければ大惨事を免れ得ない。


 破片一つ一つが秒速数キロメートルという巨大な運動量を持った宇宙のごみ(スペースデブリ)となって衛星軌道上での活動を阻害し始めるのだ。

 大ぶりなデブリひとつがぶつかれば、そこらのシャトルなぞ、すぐに破壊される。


 それを避けるため、火星側は一つ一つのデブリを丹念に追跡し、あるいは問題ない程度の大きさまで破砕し、あるいは軌道を修正し、と労力を費やさざるを得ない。

 ミサイルを発射する側の地球にしても、それを作り出し、維持し、あるいは新たなロケットを研究し、と、様々に投資を行わざるを得ない。


 こんな風にして、双方はそれぞれの人的・物的・時間的資源を削って、はたから見たら馬鹿らしいとしか思えないような事を大まじめに行っているのだった。


          †


 その馬鹿らしいことを大まじめにやっている軍人のひとり、リヒャルト・カンザキ防衛特務大隊中尉の姿は、いま、『世界樹』イグドラシルの中にあった。


 イグドラシルは火星最大の地上都市チュールと、静止衛星軌道の基地オーディンをつなぎ、さらに宇宙へむけて長大な尾を伸ばす、火星唯一の軌道エレベーターである。

 軌道エレベーターは、シャトルというあぶなっかしくかつコストもかかる代物を使わずとも静止衛星軌道上、さらには遥か遠方まで物資を輸送できる、惑星開発には必須の存在だ。


 宇宙側の先端には、このエレベーターを作り上げるのに解体された衛星ダイモスの名を冠した宇宙ステーションが存在し、火星からの物資や宇宙船を、運動エネルギーとともに続々と宇宙へ送り出している。


 しかし、このイグドラシルの建設も、結局は火星独立の時までは実現することがなかった。地球側の思惑により、なにかと難癖をつけられて計画が始動しなかったために。

 このイグドラシルこそ、独立の意志をこめて掲げられた巨大な反旗ともいえた。


『我らはここにいる』


 そう無言で訴え、雄々しく立つその威容。

 それこそ、火星という星の人知の結晶であった。


 その中を、カンザキを乗せた客室ポッドはゆっくりと――といっても彼が操るシャトルのような亜光速に比べて、ではあるが――下降していた。

 火星の重力が、自然と彼らを下へ下へと引き寄せてくれている。

 そうやって、イグドラシルを降下するうち、カンザキたちの乗る客室ポッドの壁が、下から次第に色を変え始めた。


 それまで鉛色をしていた超強化プラスチックの壁が徐々に明るい色に変わり、ついには、その色を失って、外部の風景を内部の人間の目に映し出していく。

 内部を照らす人工の光を侵食するように、明るい光がポッドの中に満ちていった。


 その光が、一人の男――カンザキの姿をくっきりと描き出す。

 東洋人特有の小柄で細身の体に、防衛軍の黒と群青の制服をきりりと着こなした姿は、精悍な軍人そのものだ。

 だが、見る者が見れば、その濃い茶色の瞳にいたずら好きの少年のような、どうにも落ち着けない光を見つけるかもしれない。


 彼は、きつい襟元が気になるのか何度か指を入れたりしながら、迫り来る火星の大地を凝視する。


 ぬめるような黒の色を宿した空間を背に浮かび上がる紅い星。

 それは、一見、かつて人類が地球という星から見上げていたものと同じように見えた。

 赤茶けた肌とその上を縦横に走る『運河』。宇宙人がいると人々がかつて夢想した、その大地。

 視界はその赤茶けた色にじりじりと覆われていき、黒色は目の端に消える。


 その代わりに、赤茶けた色がただただ茫漠とはしていないことに、人々は気づき始める。

 地球とは比べ物にならない巨大な姿をした山々。

 2万キロを超える土の塊が、膨大な質感を持って彼らに迫ってくる。そして、ぱっくりと開いた傷のような渓谷、見たこともないような大きさのクレーター。

 どれも地球とも、月とも違う。

 火星の姿だ。


 そして、さらに見えてくるものがある。

 クレーターの底、死火山の噴火口、あるいは、巨大な渓谷のそこここで、きらりきらりと光るもの。

 鋼の輝きを秘めた青い光はファイバープラスチックに反射するきらめき。

 ゆらゆらと揺れるのは、遮蔽フィールドに変調された光。

 それらの光たちの下で儚げに輝くものこそ、人類の――彼ら『火星人』の住まいだ。


 火星の大地に比べれば、なんと頼りない存在であろうか。

 薄い大気から身を守るために、エネルギーフィールドや鋼で出来た十重二十重の防壁を築き、自らが作り出せる限りの乏しい酸素を抱え込む。

 それでも、彼らはそこにいる。

 1ミリでもその生存域を広げていくために。

 小さくとも、決してそれを卑下するでなく、世界の広大さに絶望するでなく、かえって嬉々として。


 カンザキは、その辺りで、ちらと同乗者たちの顔を横目でみやった。

 彼の乗る区画はそれほど混雑していなかったが、それでも数十人の乗客たちが食い入るように火星の姿を見つめている。

 ポッド全体では、さらに数十倍の人々が、今から降りたつ大地を見つめている事だろう。

 彼らのほとんどは世界樹を利用するのが始めてとは思えないが、何度見ても心揺れる景色である事に間違いはない。


 あまりに高高度では宇宙線が強力すぎる。そのため内部の人間をその直射から防ぐ目的で、エレベーター及びポッドの二重の壁は不透明化している。

 ちょうどいい高度になったときに透明化して、人々の目を楽しませることになっているのだ。


 ……少なくとも、それが公式なふれこみだ。

 実際は衛星軌道上の宇宙線を防ぎ、可視光線のみを透過させることも技術的には可能だ。そうでなくては、軌道都市(コロニー)の生活に不便が出てしまうだろう。


 あえて行われているこの華麗なショーは、火星という大地を最高に効果的に映し出し、この星を訪れた者たちの心に刻みおくための、周到に計画された宣伝なのだ。

 そこから得るものが、希望か、あるいは別のなにかなのか。それは、人それぞれに違っているかもしれないが。


 しかし、隠された事実を知っているカンザキにしても、こうして眼前に迫ってくる火星の大地を見せられると、身の内をふるわせるような感激がわきあがってくる。

 もちろんそれは、宇宙の虚空を眼前にする時、あるいは戦闘の中に身をおく時とはまた違った感慨だ。


 火星の光景に心奪われた人々をのせて、客室ポッドはするすると軌道エレベーターを降下していく。

 抵抗を感じさせない降下は、軌道エレベーター内では降下ポッドが電磁反発で支えられて何の摩擦もなしに動いているためだ。

 地表に近づくにつれ、ポッドに働く重力はより大きくなり、降下のスピードは増していくが、それもエレベーター内部の電磁場に吸収され、別のラインで衛星軌道目指して上昇していくポッドの運動エネルギーに費やされることになる。


 カンザキはポッドの中から次第に大きくなっていく都市、チュールの姿を眺めていた。

 屹立する摩天楼の数々がぐんぐんと近づいてくるのが、都市を包む半透明の天蓋――物理的なファイバープラスチックとエネルギーフィールドによる何重もの防壁――を通して見える。


 チュールは火星の首府にして、随一の人口と生産力を誇る都市である。

 最初期に植民された都市であり、その名は、北欧の神話に出てくる神の名からとられた。

 彼は大神オーディンの最も勇壮な息子であり、ローマの軍神マルス、すなわちこの大地そのものと同一視される。

 神秘の文字ルーンにもその名を残す彼が示すものは『戦いによる勝利』。

 そんないくつもの意味を冠せられた都市。


 そして、彼自身が生まれ育った街。

 カンザキはそんな都市へと降下していくのだった。


          †


 彼はなんだか場違いな感覚を覚えつつ、歩みを進めていた。

 礼服で歩くという事自体が珍しいというのももちろんだが、そもそも、本星に降りることすらまれなのだ。

 艦内にいるか、さもなければ、世界樹内部の基地にいるのが常の事。

 どっかりとした大地に足をつけると、かえって、ぐらぐらゆれているような気分になってしまう。


 ましてやこんな広い空がある街を歩くとなると……。


 カンザキは、ちらと頭上に広がる空を見上げた。

 頭上から見た時には半透明に見えた天蓋は、内部から見ると完全に透明で、火星の空を直接見通せる。

 火星への植民当初から進められている完全テラフォーミングは未だなっておらず、そのために開発された浮遊植物や微生物の群れのために、火星の空はたいてい緑がかって見える。


 地球生まれの者の中にはこの緑の空を嫌がっている者もいたが、彼ら火星生まれの人間にとってはこれが『空』だった。


 だが、今はそんな空にもほとんど縁がない。

 彼が見つめるのはシャトルの狭苦しい天井か、世界樹から仰ぎ見る漆黒の宇宙だ。


 彼の生まれた街の空は、いま、リアルタイムに彼が生きている場所ではなかった。


          †


 こんなに小さかったか?


 そんな奇妙な感覚を覚えながら、同盟総評議会ビルを見上げる。

 なんだか魂が抜けたかの如く縮んでしまっていると、そう感じたのだ。


 そんな錯覚を振り切るように肩をすくめると、襟を正して、ビルの正面入り口を目指す。

 まわりでは、月の同盟都市や地球からやってきたらしき観光客たちが、カンザキ同様にビルを見上げたり、写真やビデオを撮ったりしていた。

 このうちの幾人かは、あるいはそのまま帰らずに亡命を申請するのかもしれない。

 そんなことを思いながら、彼らとすれ違うカンザキ。


 ロビーを過ぎると、さすがに警備の兵士の姿がそこかしこに目に付くようになってきた。

 彼らは数メートル間隔で、壁に張り付き、カンザキを含めた人々を見据えている。彼らにとっては、亡命者もカンザキも同様に侵入者にすぎないのだろう。


 ロビーを出て最初の角を曲がったところで、兵士に誰何され、ボディチェックを受けた。腰に帯びた銃を取り上げられ、うさんくさそうな目で見られる。


「これは火薬式ではありませんよね?」

「もちろんスタンガンだよ」


 カンザキは、笑みを漏らすのを我慢してぶっきらぼうに答えた。


「ならば結構です」


 若い兵士は、無感動に、まるで鉄のような表情で応じる。

 その気負いがますますほほえましい。

 当然ながら、ノーランダー――地平線なき宇宙に住む民である彼が、気密を破る可能性のある爆発式の銃弾を使っているなどありえない。

 しかし、兵士にとってはそれを確かめることが義務なのだ。


 同盟では、銃器といえばワイヤー式のスタンガンか、レーザーに決まっている。しかも、外宇宙ならばともかく、惑星上でスタンガン以外を持ち歩く者はいるはずがない。

 ないのだが、しかし、それをあえて行うのがテロリズムというやつだ。

 しっかりと義務を果たす兵士に目礼すると、びっと教本通りの敬礼が返ってきて、いい気分で彼は進む。


 何度かのボディチェックを過ぎ、ようやく目当ての部屋にたどり着く。

 最後のボディチェックのあとで兵士たちの交わしたささやきが、耳に残っていた。


「おい、水色だぜ……」


 カンザキは、ちらりと肩の徽章を眺めやる。

 彼ら防衛特務大隊だけに許された水色の徽章。それをつけている者は、書類上の階級より二階級上の存在として扱われる。

 カンザキならば少佐扱いだ。


 それは、彼らが生前より二階級特進を認められている事を意味していた。


 その色の徽章をつけることは、死者となる事をすでに運命づけられているが故に。


 だが、カンザキはそんな事を気にしたことはない。人は死ぬものだし、そもそも、兵士として従軍する以上、死は身近にある。

 なによりも、死を身近に感じ取れないような戦場に、彼自身が満足するとは到底思えなかった。


「ふん」


 自嘲気味に一つ鼻を鳴らし、彼はその水色の徽章についての感想を捨て去る。

 その後で、最初に会った兵が一番規律正しかったなと思い出しながら、目指す部屋の扉をノックした。

 その向こうから、つぶれしゃがれた、けれど、どこか人をひきつけてやまない声が響く。


「入れ」


 そうして、カンザキは同盟で最も高い地位にいる男の居室に足を踏み入れたのだった。

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