世界 -2nd sectionー
コンコン
乾いた音と共に扉が開き、宇佐美と雛子が入ってきた。
「やぁクロ君、調子はどうだい? 雛子から聞いた分だと、随分回
復したみたいだけれど」
「おかげ様で。寝過ぎで幾分体がダルいが、概ね快調だな」
上半身を起こして答える。
「それは何よりだね」
当たり障りない会話をして、宇佐美はクロウとアリアを交互に見た。
「さて…… と。君達には知っておいて貰いたい事があるんだ。
というか、君達は知らなくてはならないって言った方が正確か
な」
「ああ、俺達も知りたい事だらけなんだ。色々聞かせてもらうぞ」
宇佐美はクスッと笑って、クロウの傍にある椅子に腰掛けた。
窓の外から見るに、今は昼過ぎくらいだろうか。
「何から話せばいいやら…… クロ君、君があの研究室に居た3年
間の間に、この世界は随分と妙な事になっているんだ」
少し前の出来事を思い出しながら、クロウは「そうだろうな」と相槌。
「本来在るべき姿ってのは、君も色々知っているんだよね?機獣な
んて存在しない、子供達は学校に通って、帰り道に買い物に行っ
たり遊びに行ったり。大人達はそれぞれの仕事をして、家族ある
者達は休日を楽しむ。そんな当たり前の事が出来る世界、これが
本来在るべき世界の姿」
知っているかと言いたげに、宇佐美はクロウの目を見る。
「ああ、そうみたいだな。直接は知らないが、カラクリ丸…… あ
あすまない、ノートパソコンを通して見た事がある」
クロウは、自分が暇つぶしに名付けた名前を言ってしまって少し恥
ずかしそうにしている。
それを見てまた、クスリと笑いながら宇佐美は続けた。
「そう、そんな世界だったんだ…… あっ、ちなみに僕達が居る所
が何処かってのは分かってるかな?」
「えっとたしか…… 日本だろ? 東の小さな国だったはずだ。そ
れに確か俺が生まれたのもここだと聞いた事がある」
既に懐かしく思える声がクロウの脳裏に蘇った。
「そう、ここはアジアの小さな日本という国。さっきの言い分から
国名は把握しているんだね。ならこの地図を見てもらいたいんだ
けど」
宇佐美は徐に懐から地図を出し、クロウのベッドの上に拡げた。
「ん? なんだ日本の地図か。でも…… ハハッ、日本のサイズに
比べて海が広過ぎるじゃないか」
どう見てもバランスの悪いその地それを見る宇佐美と雛子の顔は真
剣そのものだ。
というか雛子に関して言えば、若干呆れ気味の表情をしている。
「アンタなぁ、まだ気付かへんのかいな」
何故か妙にバカにされた気分になり、クロウも言い返す。
「何がだよ、こんなものただの下手な地図じゃねぇか!」
「ハァ…… あのなぁ、これが今の世界地図やねんで。今の世界に
はアジアの他の国も、ヨーロッパやアフリカ、アメリカさえ無い
ねん」
雛子の発言を最後に、4人の居る空間から暫く声が無くなった。
………。
「はぁっ!?」
最初にその静寂を打ち破ったのは弾けた爆弾のようなクロウの声だ
った。
「ちょ、ちょちょ、ちょっと待てよっ! 国だぞっ、大陸だぞ
っ!? それが今は日本以外存在しないってのか!! いやいや
いやありえねぇって!!」
ベッドに両手を叩き付けそう言った。完全に自分の予測を超えた内
容に、只々うろたえるクロウ。
それを見つめるアリアは、事の重大さが分からないのかきょとん
としている。
「でも…… これが真実なんだ」
どこか飄々としていた宇佐美が、今まで見せなかった真剣な表情で
告げる。
窓の外はいつの間にか雨が降っていた。
「だ、だとしてだ。アンタ達の言ってることが真実だとして、どう
してそんな事になったんだ? 俺が見た他の国や大陸は何処に消
えたんだ?」
強引に平静を装いクロウは尋ねた。今はうろたえるよりも知る事の
方が大切だ。
「……そうだね、それに点いて話そうか。今の世界はとある科学者
の研究のせいでこうなったんだ。科学者の名や事の経緯はまた後
ほど言うとして、他の国や大陸についてだが……」
すこし間を置く宇佐美。
ゴクッ
クロウは自分の喉の音がひどく響いて聞こえた。
「クロ君、君はこう言ったね? 日本以外存在しない…… と。そ
れは、正確であって正確じゃない。君が正しく理解出来る様に言
うならば、この日本という国が、世界から消えているんだ」
「は、はぁ? じゃ、じゃぁよ、俺たちは今何処に居るんだよ」
自分の声が徐々に弱々しくなっていることに、クロウはまだ気づか
ないで居る。
「何処に居るかと言われれば、やっぱり日本だとしかいえない。た
だ、地球上にこの大陸しか存在しない世界。そんな世界の中にあ
る日本だ。君は並行世界って言葉を知っているかな? 並行宇宙
や並行時空なんて言い方をする事もあるね」
(並行世界…… パラレル……)
「パラレルワールドってやつか?」
「そう、パラレルワールド。ただ本来の意味でのパラレルワールド
とは、少し毛並みが違うんだ。なぜならこの世界は本来無かった
世界。無数のパラレルワールドの中で、唯一人為的に造られた人
工並行世界。Artificial parallel worldなんだよ」
宇佐美がそう言うのと同時に、雨音が一層激しくなった。
「人工… 的……?」
クロウは両の掌にじっとりとした汗が現れたのを感じる。
「ちょっとまてよ、そんな…… そんな馬鹿げた事が実現できるは
ずがないじゃねぇかっ!」
「そうだね。実際かなり途方も無い話。だが、事実なんだ」
そう言いながら宇佐美は、椅子から立ち上がり窓際へ歩きながら続けた。
「テクラ博士っていう科学者が居たんだ。彼は科学者としてはまだ
駆け出しだったが、とても優秀で、また人格者でもあった。慕う
ものも多く、皆に囲まれいつも笑っているような人間。しかしと
ある出来事が切っ掛けで、彼のそれまでの人間性は大きく変わっ
てしまった。もっとも切っ掛け自体はほんの些細な事だったんだ
けれど」
「その切っ掛けっていうのは?」
窓に反射する宇佐美の目をみてクロウは尋ねる。
宇佐美もまた同じようにクロウの目を見て答える。
「ただの嫉妬だよ」
「はぁ?世界をこんな状況にした理由が、只の嫉妬だと!?」
世界の在り方を変えてしまう理由として、予想以上の個人的な感情
が切っ掛けだと知り、クロウは激しい脱力感と呆れに似た感情を覚
えた。
「あ。アンタ今小さい理由だなとか思ってるんとちゃう?それ間違
いやで。嫉妬いうんは、アレで相当な力持ってんねん。ベクトル
間違うたら、それこそ誰でも悪魔に変えてまう、それくらい怖い
もんやねんで」
腰に手を当て、人差し指を立てながら雛子が割って入る。
「それにな一番怖いんは、誰もがその感情を抱く可能性を秘めてい
るっちゅう事。つまりは、誰もが悪魔に成り得るって事なんよ」
「たしかに、言われてみればそう…だな」
思いのほか顔を近づけて言う雛子に気圧された様に答えるクロウ。
だが実際、雛子の言うことに納得はしていた。
その様子を見ていた宇佐美は、クスクスと笑いながら話を続ける。
「はいはい雛子ちゃん落ち着いて。
でもまぁそうだね、雛子ちゃんの言った通り、嫉妬は人を殺す事
もあるんだ。……よし、それじゃぁこの続きは僕の部屋でしよう
か。見せたいものもあるし」
「見せたいもの? んー分かった、別にかまわねぇよ。でもその前
に頼みがあるんだが……」
真剣な表情でそう言ったクロウ。
辺りには静寂と緊張が溢れる。
「……俺にも服を貸してくれねぇか?」
「イヤそれかいっ!!」
そう言って羨ましそうにアリアを見るクロウ。
素晴らしい速度でツッコミを入れた雛子は笑いながら、
「なんやアンタっ! ちょっとケチつけとったくせに、やっぱり羨
ましい思っとったんやんか!」
と言って、クロウの肩をバンバンと叩いた。
今までずっと黙っていたアリアもクロウを見つめて、
「これ着る?」
「いや着ねぇよ!!」
少しだけ空気が和らいだのを皆感じていた。
「まったく、君達は本当に愉快だね。雛子ちゃんも随分仲良くなっ
たじゃないか。で、クロ君。一応君の服もそちらに用意してある
んだ」
そういってクロウが横になっているベッドの下を指差す。
「なんだこんなとこに置いてあるのか。中学生のエロ本じゃあるま
いし……」
などとブツブツ言っていると、それを聞いた雛子の顔が真っ赤にな
っていく。
「ちょ、ちょちょちょ、ああ、アン、アンタ何ゆーてんのっ!そ、
そそ、そんなん女の子の前で言うもんとととちゃうやろっ!」
いきなりポストみたいに真っ赤になった雛子は、ようやくそれだ
けの言葉を吐き出すと、アリアの袖を引っ張ってドアに向かう。
「アリアちゃん! あんな変態の近くにおったらあかんから、うち
と先に行っとこか!」
強引にパーカーを引っ張られて、半ば引きずられるような形になっ
ているアリアは、あわわわといった感じで、雛子と一緒に出て行っ
た。
「なんだったんだ…… 一体」
閉じたドアをボーッと眺めるクロウ。
「いやはや、雛子ちゃんはああいう所が面白いんだよねぇ。さて早
く着替えて僕達も行きましょうか」
クロウは手渡された服に着替え、宇佐美と共に部屋を後にした──