赤眼の女とメガネの男
薄っすらと見える明かりに向かって歩き出したクロウ。
木々の生い茂る中、暫くの時間が過ぎていた……。
あれから一向に目を覚まさないアリア、結果クロウはアリアを背負
って歩き続けている。
「いや、まぁ軽いから構わないんだが……」
軽く文句を言いながらも、アリアを気遣いゆっくりと着実に歩を進
めた。
「しかし…… ハァ…… そろそろ…… ハァ…… 限界……」
実際、行き先を決めてから相当な時間歩き続けてきたわけで、クロ
ウはかなり疲労困憊になってきていた。
自分の背中ですやすやと眠るアリアを若干恨めしく思い始めた頃、
それまでの山道から急に眼前が開けた。
「お、おぉ」
眼に入ってきたのは何らかの建造物だ。だがクロウが見た事のあ
る建造物とは、どこか様子に違いがある。言うならば…… そう、
廃墟に近い。そこかしこに雑草が生え、そこら中の建造物も屋根や
柱などに綻びが多々存在する。ただどの建物も風化して居るが、芸
術的価値のある遺跡のような趣があった。
人の気配はしないが……。恐る恐るクロウはその廃墟群に足を踏
み入れていく。
「誰かいませんか~ …… 返事無し…… か」
ジリッ ジリッと進みつつ辺りも確認していくが、やはり人の気配
はしない。廃墟の間を縫うように敷かれた道路は、整えられた石を
敷き詰めた物だが、これもやはり、所々が浮いたり欠けていたりの
有様だ。
その道を中程まで進んだ時、何かに気付いたクロウは足を止め脇
に建っている建物に眼を向けた。
二十秒ほど当たりの気配を探る。
「視線を感じたんだが…… 勘違い…… か?」
そう一人ごちて、ここが何なのかを知るためにまた右足を前にだし
た─── ガシュッ!
「ん? って、うおぉぅっ!」
進めた右足の真ん前、ギリギリの所にバールが刺さっている。
「おいおいおい、一体何だよっこれっ!!」
自分に降りかかっていた災難に驚愕し、そして恐怖のあまり一歩二
歩と後ずさる。
焦るクロウ。
だが次に彼を襲ったのはバールではなかった。
「あかん、そこまでや。それ以上は進まんときぃ」
襲ってきたのはバールではなく、クロウに対する警告の言葉だった。
「誰だっ!」
声のした方を睨む───。
「ハハッ! なんやの? その在り来りな反応は。ベタすぎて笑っ
てしもたやんか!」
先程視線を感じた建物の屋根に、声の主は居た。
肩に掛かるか掛からないか位の漆黒の髪に、紅い瞳の女。背丈は
アリアより少し高いくらいか。その女は続けて言葉を放つ。
「何処の誰かもわからんヤツにうちらの領域を荒らされるんは、そ
う簡単には受け入れられへんなぁ」
そう言って、先に投げたバールの片割れであろう腰にぶら下げたも
う一本に手をかける──。
「ま、待て! 俺たちはそのー…… とりあえず怪しい者じゃない
…… はず?」
「はァ? どの口が言うねんな。自分らの格好よう見てみぃや、違
和感と怪しさ満載やんか。それに…… うちは自分で怪しくない
言うヤツは信用できひんねんっ!!」
やたら説得力のある文句を言いながら、少女は飛び上がった。
手には、先だけ赤く染まった黒いバールを握って。
(あ…… やべっ、動けねぇ! くそっ!! ここまで歩いてきた
疲れがこんな時にっ!? やられるっ──)
しかし心の声とは裏腹に、クロウは別の事を考えていた。
今までの経験から、こういう絶対絶命の時は裏アリアが眼を覚ます
はず──
「はーい、そこまで」
(ほーら、やっぱりアリ…… アリアじゃない?)
そこそこ気の抜けた、だが良く通る声が聞こえ、そちらの方を見た。
バールの少女もクロウへの攻撃態勢を途中で止め同じように顔を向
けている。
「はいはい、二人ともそこまで」
石道路の続く先に、バール少女の持つ雰囲気とは明らかに違う、人
当たりの良さそうなメガネの男が立っていた。
「なに邪魔してんねん宇佐美。うちが折角不審者を退治しよう思た
のに」
宇佐美と呼ばれた男は宥める様に両手を動かしつつ、二人
に近寄る。
「雛子ちゃん、君の気持ちは嬉しいんだけどねぇ。っていうか、君
だって知ってるよね? 彼が人間である以上、敵じゃぁないって
事は」
(人間である以上……?)
「あっ。いやいやいやっ! せやけどこいつメッチャ怪しいやん
か!訳わからん服着て! おまけに同じ格好の女の子まで背負っ
てんねんで!? この上なく怪しいやろっ!!」
少女は、自分のうっかりを必死にフォローしようとしているようだ
った。もっとも言っている言葉自体は至極真っ当ではある。
「いや、まぁ…… うん。はははっ、確かに怪しいよねぇ。でも彼
は僕たちに危害を及ぼす存在じゃぁないよ。何しろ僕がここに呼
んだんだから」
「何だよ、それ。俺はアンタの事なんて知らないし、呼ばれた覚え
もないぞ。俺が此処に来たのは遠くからここの明かりが見え……
って、アレ?」
(おかしい。確かに空に浮かぶ明かりに向かって歩いてきたはずだ。
だがどうだ?此処にはそもそも明かりなんてないじゃないか)
「気付いたみたいだね。君が目指していた明かりっていうのは、僕
の用意した物なんだ。その辺の事や此処の事について、奥に見え
るあの建物の中で話さないかな?」
そういって宇佐美は、石道路の先にそびえる他の物より一回り大き
な建物を指差す。
(こいつらの事を信用するわけじゃぁないが、このまま何も判らな
いってのもな)
「ああ、判った。聞きたい事は山程あるんだ、色々聞かせてもらう
ぞ」
「宇佐美が言うんやったら、まぁええわ。せやけど勘違いすんなや、
うちはアンタらを信用してるわけやないで」
その言葉を聞いてクロウは、ある意味で意気投合してるなぁなどと
少し笑った。
「よし!それじゃぁ二人とも行こうか。クロ君、ちゃんと着いてき
てねぇ」
そういって三人と背負われた一人は道の奥へと歩いて行った。
余程疲れが溜まっていたのか、宇佐美が何故伝えても居ない自分の
名前を呼んだのかなど、クロウは一切気に留めなかった──。