第9話 1年が始まる
10月の最終日曜日。私は講堂にいる。高校の敷地内で最も広い屋内ステージである壇上には87名を数える人々がいる。少しばかり窮屈そうに。ある者は座り、ある者は立ち、その時がおとずれるのをじっと待っている。
舞台の幕が、ブザーの音とともにゆっくりと上がっていく。
ステージ脇に設置されたマイクの前に立っている次期部長の声が響く。
「それでは、ただ今より、高宮北高等学校吹奏楽部追い出しコンサートを開催させていただきます。我々一同、精一杯の音を奏でます」
拍手は一切ない。しわぶき1つすら聞こえない。
響いているのは、次期部長が自分の席へと戻っていく足音だけだった。
やがて。その音も途絶える。
舞台の上の86名は、ただ1人の、指揮台の上に立つ顧問の一挙手一投足を見逃すまいと、顔を上げ視線を向けている。視線を一身に集めている両腕が、ゆっくりとした動作で上がっていき、首が小さく傾くとももに左右の腕が跳ねた。
私は息を吐き出していった。手に持つフルートを鳴らす為に。
コンサートは、藤井修氏作曲「鳥たちの神話」から始まった。
この曲は、現3年生が1年生当時のコンクールの課題曲であった。荘厳な、時には荒々しい調べがステージから観客席に座る人々へ届けられる。
続いて自由曲。樽屋雅徳氏作曲「ラザロの復活」が奏でられる。この曲はいわゆる木管の見せ場が多い。主だったところとしては、イングリッシュホルンやクラリネット、そしてフルートなどのソロが含まれている。
曲が終わる。私は担当していたソロの箇所を無事やり遂げたことに、ホッと一息をつく。もっとも、今日は通常の演奏とは異なる。ソロパートをソロ(1人)で吹ききるわけではなく、パート全員で分けて演奏するという随分と特殊な形式であった。
少し時間を挟んで、今日正式に引退される先輩方が2年生当時の、私の代が1年生だった年の課題曲松尾善雄氏作曲の行進曲「パクス・ロマーナ」の雄大な調べがステージから観客席へ届けられる。
続いて、自由曲。高橋伸哉氏作曲の「jalan jalan ~神々の島の幻影~」の、軽快かつ重厚な南国調の音色を再現するべく演奏する。
とはいえ、パクス・ロマーナはともかくとして、|jalan jalanの音は、あまり誉められた代物ではなかった。
何しろ、1・2年生86名全員の演奏である。技量の差もそれなりにある。しかも、曲ごとのパート別の構成人数バランス比についても、通常とは違い全く考慮されていない。
今日のコンサートは、各自が所属しているパートの楽器をパートメンバー全員で奏でているし、吹きまね(吹いているフリ)も一切認められていない。
結果、当然のことではあったものの、曲によっては特定の楽器パートの音が大きくなりすぎたり、小さくなりすぎたりしてしまう。おまけに、ジャラジャラは合奏としての完成度が如実に問われやすい曲であった。
インドネシアのバリ島で行われる神事をイメージして作られたといわれているジャラジャラは、残念ながら観光客相手に催されるショーのような、雑然とした雰囲気を持つ合奏に終始していた。
公演は続く。現3年生が3年生時の、つまり今年のコンクール課題曲である堀内俊男氏作曲の「吹奏楽のための一章」が静かな音色とともに講堂に鳴り響いていく。
木管の出来が大きく完成度を左右する曲だった。もともと、北高(高宮北高校)は伝統的に木管が強いといわれ続けてきた学校で、現3年生の代は特に当たり年とOBやOGの方々からいわれていた。
自由曲O.レスピーギ氏作曲「交響詩ローマの祭より チルチェンセス、主顕祭」の演奏が始まる。ズバリ、金管というかトランペットの為の曲だ。
今年の高宮北高校吹奏楽部は、贔屓目ではなく3年生のトランペット奏者に吹ける人が充実していた。それも1人ではなくパートが、特に3年生のうちの4人までもが、かなり高い水準で。
だからこそ、顧問の柳沢先生は木管を主とする曲ではなく、あえてこのラッパの為の曲を自由曲に選んだのだと思う。博打という言い方は好きではないけれど、明らかに勝負に出ていた。
2年連続で普門館へ行き、おまけに木管中心ではなく金管を全面に出した曲をあえて採用した、となればケンムと呼ばれる県内強豪6校の中において一頭抜きん出る可能性が少なからずあった。
だけど。課題曲の出来を重視する県のコンクールを、突破出来なかった。
部内を、今年も去年に引き続き県大会は大丈夫だ、代表になる、という空気が支配していたことは否めない。なにしろ、前年度、全国へ行った時よりも県コンクールの時点における課題曲の完成度そのものは高かった。
その先へ。支部大会の、更に先へ。
県さえ超えてしまえば、全国が見えていた。
課題曲についての審査員の方々の講評が記された評価シートは、おしなべて評価が高かった。
でも、ダメ金で終わった。他校が良過ぎた、と周囲からはいわれた。
結局、予想よりも随分と早く今年の夏は終わってしまった。
私の所属する木管は、しばらくの間、自分たちを責め続けて過ごした。
なお、県のコンクールで北高の上位を占め代表となった3校道陽、三葉、高宮西は、支部大会で1校も欠けることなく揃って代表の座につき、直近に開催されたばかりの全国大会でも金賞2校、銀賞1校という大変立派な成績をおさめている。
今ちょうど聴こえてくる現1・2年生だけで演奏しているTrpの見せ場も、それほど悪くはないと思う。
ただ、現3年を中心に構成されていたトランペットのパートとしての音に耳が慣れ、いまだそれを強く覚えていた。だから、どうしても比べてしまう。
同じ曲を2年続けてなんてないけれど。来年の夏まで練習したとしてもパートとしては今年のレベルに達するのはかなり困難だ、と音が無情にもそう告げていた。
木管が強みな北高吹部において、今年は金管の花形トランペットも充実していた。約束されていたはずの1年が8月に途絶え、今日正式に終焉を迎える。
演奏は勝ち負けではない、と私は思う。
けれど、絶対に勝たなくてはいけない時もあるんだ、と演奏がチルチェンセスから主顕祭へと移っている最中、詫びているかのようなトランペットの音色を耳にしながら……。 ふと、気がついた。
去年の追いコン以降の公演が終わってから、私はフルートのレギュラーメンバーに選ばれている。
しかしながら、今年の夏、全てを出し切ったのか? と問われれば、今は100%で明確に肯定は出来ない。先ほどまでは、100%のベストを尽くしたつもりだったと思ってはいたけれど。
北高吹部のおよそ4分の3は、中学での全国常連校や県や支部の金賞常連校出身者が占めている。彼ら彼女らは中学の段階で熾烈な団体勝負の場に晒され、更に自ら望んで高校でも同じステージに上がろうと、北高吹部の門をくぐってきている。
私の中学は、県コンクールでは銀賞で満足していた。弱いことを自ら認めるのはともかく、強くなる為の努力を放棄していた。
吹奏楽の強豪である北高に私が進んだのは、母校吹部の姿勢に反発する思いもあった。
だけど、分かった。
私は……団体競技での本当の勝ち負けを経験したことがないまま、今年の夏に挑んでいた。中学時代のありように反発しておきながら、無意識下では肩までどっぷりとぬるま湯に浸かり狎れていたのもしれない。
けれど、まだ間に合った。
先輩方すみませんという思いと、今気がついて助かったというどこまでも自分本位な思いが、胸の中で相反し荒れていた。
もっとも先輩方に言わせれば、2年が上から目線で何言ってんだよ、と小突かれそうだな、とも思ってはいる。
演奏は続いている。唇がいくらか震え、音の形が崩れそうになる。
私は、踏みとどまる。這いつくばってでも、吹き続ける。そう、決めた。
最後の曲であるR.シュトラウス氏作曲の交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」の演奏が始まる。
この曲は、高宮北高校吹奏楽部の代名詞とされている曲で、はるか昔の先輩方がコンクールで初めて県の代表校となられた時の自由曲でもある。
以来、演奏会などでは定番となっている。北高吹部員は、それぞれのパートを、少なくとも定期公演で吹けるようになって初めて一人前とされる。
それまでの6曲とは異なり、ステージ上の全員が練習時間を充分に取れている曲という理由に加え、86名という大編成ということもあって、音が講堂のあちらこちらに軽快なステップを踏みつつ飛び回っている。
まるで、いたずらっ子のティルが曲の中から現われでもしたかのように。
あと2~3曲は、吹いていたい。そんな気分だった
しかしながら、終わりの時はやって来る。指揮台に立つ柳沢先生が最後の音色に合わせ、腕の動きを止める。
本日の7曲。その全ての演奏が終了した。
柳沢先生がステージ上の皆に小さくうなずく。向きを変え、観客席に対して深々と頭を下げられる。舞台にいる私を含めた86名もそれにならい、各々の場で立ち上がると一礼を捧げ、ゆっくりと頭を持ち上げる。
観客席には現3年生46名が座っている。他に聴衆は1人もいない。クラッシック公演ではなじみの、ブラーヴォといった声の類は一切響かない。
静かに、座ったまま。立ち上がっていく。1人2人。やがて46人。
先輩方の鳴らす拍手の音は、それが鳴り止んでからも、私の耳にこだましていた。
およそ30分後。場所を移しての北高吹部追いコン第2部が始まる。
今日は日曜日にも関わらず、学校側から特別に食堂の一部開放してもらっている。ささやかながら慰労会を開催して、先輩方の引退を見送るために。
なお、その最終イベントの前に引継ぎ式が始まろうとしていた。
8月中旬に実質的には新体制となっていたもものの、現1・2年生の役職者の頭に付いていた次期という文字が今日をもって正式に外れる。
「それでは、新体制への引継ぎを始めます。部長 上川敏文」
「はい!」
奥まった場所には3年生がずらりと勢ぞろいしている。今日で正式に引退される西野部長から名前を呼ばれた新部長が立ち上がる。歩を進め、たった今、旧と付いたばかりの西野先輩の横へと並んで立つ。
「副部長 橋本雄一」
「はい!」
「同じく副部長 屋代幸子」
「はい!」
サチにしては、らしくなく幾分上ずった声をあげていたものの、声の印象とは異なりしっかりとした足取りで前へと歩いていく。副部長という役職は、代々男1人女1人が就任しており、演奏面でというよりも、主として人間関係を円滑に運ぶ為に設けられている。
何しろ現1・2年だけですら86名を数え、春になれば100人を超すのは確実な部なのだ。その大人数が織り成す複雑にして怪奇な吹奏楽部人間絵巻は、扱いを間違えれば容易にドカンと爆発してしまう爆弾が常に浮遊している。しかもそれは、見えない者には全く見えない、という大変にやっかいな状態で漂っている。
人の機微を察するのが早く、しかも傍観者に留まらず臨機に動くことをためらわないサチには適任だ、と私は思う。
もっとも、新体制が決まった8月の頃のサチは、バリサク(バリトンサックス)に集中したいとぼやいていたりしたけれど。
「木管コンサートマスター兼クラリネットパートリーダー 堀 奈緒子」
「はい!」
そうこたえて椅子から立ち上がったナオコの声もいつもより強張っていた。木管において他を圧倒する大所帯であるクラリネットのリーダーが木管コンマスを兼ねるのは北高の伝統とされている。
とはいえ、大人数パートを束ねつつコンマスとして木管全体を引っ張っていくのは、重責以外の何ものでもないと思う。
その後も新体制の発表は続いていく。金管コンマス、1年の学年長に続き、木管の各パートのリーダーが順々に名を呼ばれていく。
「フルートパートリーダー 三井亜希」
「はい!」
サチやナオコのことを、どうこうと言えたものではなかった。私の声も随分と硬くとがった音を周囲へ響かせていた。
あくまでも仮扱いではあったものの、実際はパートリーダーに就いてから2ヶ月以上が過ぎている。にもかかわらず、今日初めて指名されたような不思議な感覚を抱きながら、私は歩いていく。
その後も発表は続き、木管パートにおける最後の1人が名を呼ばれる。
「ファゴットパートリーダー。あー、お前最初からこっちにいろよ。弘中志乃美」
「はい! 空気を読んで現役側にいるべきかと考えました!」
緊張感に満ちていた食堂内にちょっとした笑い声が発生し、硬い空気をほぐしていく。
ファゴットを演奏出来る者は、この2年間で1人しか北高吹部に在籍してはいない。
理由はいくつか存在する。学校側でファゴットを用意するには少々値が張り、購入費用が高いだけならまだしも、大きいというか長い。よって、ちょっとした不注意で倒れたりすればほぼ確実にリペア(修理)コースとなってしまうこと。加えて、この点が最も重要なのだけれど、扱える指導者が限られていること。更に、他楽器で代行出来ないものでもないこと。
入学当初のシノミは、他楽器との合同パートへ配属されていた。1人しかいない楽器ではパートも何もあったものではないので、当然といえば当然といえる。しかしながら、先輩方にしろ先生にしろ、誰も具体的な指導を出来なかった。にもかかわらず、彼女は実力でもって1年生の6月頃には早くもレギュラーの座を掴み、県の支部の全国のコンクールのステージに上がっていた。その結果、1人しか所属者がいないパートではあるものの、去年の秋以降は正式に独立パートのリーダーとして、部内で認知されて今に至っている。
木管の後は金管、打楽器の各パートリーダーが名前を呼ばれた者から順々に前へと進み、新部長から1歩下がった位置にいる集団へ加わっていく。
やがて、新体制の役付き者全員が揃う。
引継ぎを終えたばかりの旧部長が現3年生を代表してこの1年間についての総括をされ、次いで新部長上川君が新執行部としての抱負を述べている。
私はその話を聞きながら、改めて決意を心に誓う。
来年の夏を夏で終わらせることなく、秋まで続ける。その為に、私が出来ることへの努力を惜しまないことを。
新部長が「えー、注意事項としましては」と言っている声が聞こえてくる。ここから先は聞かなくても分かる。というか、リハで散々聞かされて覚えてしまっていた。お酒がでるわけでもないのに、慰労会における注意事項というのも妙な話だと思うものの、きっちりしている新部長らしくもあった。
ふと、視線を感じる。先代パートリーダーの花村先輩が、私の方を見て口をぱくぱくと動かしている。目がニヤニヤと笑っているような。その左右には同じくフルートパートの岡本、菊池両先輩がいた。
私は読唇術なんてマスターしてはいない。
分からないまま、花村先輩同様に口を動かして返答する。すると、驚いたような顔をされ、更に何かを私に告げようとしている。小さくうなずいた私は、声は出さずに口だけを動かす。そのやり取りが3度ほど続いた頃、ようやく新部長上川君の話が終わろうとしていた。「それでは慰労会のスタートです」
私は、3人の先輩方の方へと早足で向かい、満面の笑みで言う。
「3問とも分かりましたよ。きれいだね。かわいいね。かっこいいよ。ですね!」
「全然違うわー。かすりもしとらんよー。アキをパートリーダーに推したの誰なんねー」と言いながら私の肩をぽんぽんと花村先輩がはたいてくる。「注意事項いらんじゃろ? まだ続くんね? そこでぼけて! が正解なんよ」
「まあまあ、先輩方。あそこのテーブルでうちらのパートが待っていますので」と言って案内の為に先導する。
菊池先輩が私の耳へ口を近づけてそっとささやいてくる。
「ひな壇から、一番遠い場所じゃね。パートの伝統はきちんと守られとるね。ホント言うとね。今日の座席どこじゃろうねって、ちょっと3人で心配しとったんよ」
私は、口元を右手でそっと隠しながら、少し芝居がかった口調で小声でこたえる。
「演奏以外はコトナカレ主義のフルートスピリット。次代に繋げますので、どうか、ご安心を」
「それにしても、全員集合したらあれじゃね。うちら人数少ないにもほどがあったよね」と感慨深げに言っている岡本先輩の小さな声がすぐ後ろから聞こえてきた。
「少数精鋭じゃけーね」という花村先輩の声は更に小さいものの、パートとしての誇りが多分に含まれていた。
しばらく歩いてパートの皆が待っているテーブルへと近づく。これからの3時間の演目は盛りだくさんだった。曲名あてクイズ大会、ビンゴ大会、1年や2年のダシモノ、大メインイベントでもある3年生によるぶっちゃけトークの場などなど……。
ステキなひと時となることは間違いなかった。私は、多分、いやきっと泣いてしまうのかもしれない。でも、最後は笑顔で見送ろう、と。そう思う。
県立高宮北高等学校吹奏楽部の1年がこうして終わりを告げた。
そして、新しい1年が始まる。