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第5話 夏の終わりに

 7月に入る。まず試験。次に野球部応援。2つのイベントが終われば、いよいよ待ちに待った長期休み! その名は超夏休み……なんてものは文字だけの存在。きっとどこかのたちの悪い大人が嘘を付いて、いたいけで純粋な高校生を騙し、影でほくそ笑んでいるに違いない。

 少なくとも、私は連日のように高校までの丘を登っていた。むしろ! 夏休みに入ってからの方が厳しい。8月のお盆を過ぎた今は、9時~4時というスケジュールで学校に通っている。

 なお、少し前までは夏コン(クール)へ向けて7時~6時半だった……。それも毎日! 土曜も日曜も祝祭日すら関係なく。もっとも土日祝日に関しては夏休み以外でも、それほど大してかわらないのだけれど。

 ダメ金(支部大会には出られない残念賞)で終わったしまった夏コン。神であり鬼でもあり時々は人であらせられた1コ上の3年生は、事実上引退(10月の追い出しコンサートが終わるまでは、まだ編成上に残ってはいる)されて、楽器と楽譜の世界から鉛筆と参考書の世界へと移られていかれた。

 残された1・2年生による新体制はゆっくりと動き始めたものの、コンクールやコンサートの類は少しばかり遠い日程となっており、最も近い演奏披露の場はただの演奏疲労の場に等しく、モチベーションを上げていくだけでもけっこうきついものがある。

 本来ならば、というかべきか予定では明後日に開催される支部大会へ向けて最終調整に入っているはずだったというやりきれない事情が、精神的な再建を困難なものにしている。


 夏コンに向け、個人で、パートで、基礎合奏で、部分練で、合奏で、体力作りで、各自が文化系部活の自称爽やかな仮面をかなぐり捨てて、どこに出しても恥ずかしくないほど立派な泥臭い体育会系部員へと変身していた……。私にしても、サーキット走も筋トレすらも手を抜かずやっていた。

「ずれとるよ! なに寝ぼけとるんね!」叱咤の声が懐かしい。この程度のお言葉、むしろ優しさに満ち満ちていた。マゾ検定があれば余裕で全員合格しそうだった。

「やる気無いなら出て行きんさい! とっとと帰りんさい!」追い込む声が轟いていた。本当に席を外そうとしたり帰ろうとすれば、しゃれにならなくなるのは言うまでもなかった。言葉には裏の意味もあるものだ、と幼稚園児にでも容易に理解し得るであろう環境で過ごしていた。

「その口は屁理屈言う為にあるん? 吹く為じゃろ!」情け容赦のない声が突き刺さっていた。木管、金管はともかく、打楽器相手でもそのセリフは1語たりとも変化などみせなかった。村人(吹奏楽部部員)達は、いつか打楽器部門からアタリマエのツッコミという名の剣を持つ伝説の勇者が現われるのではないかと、毎年のように秘かに期待している。だが、実のところ村人達も分かってはいる。現われないからこそ伝説なのだ、と。


 今は、残念ながらというか当然ですがというべきか、ゆるく緊張感をいくらか欠いてしまっている空気が吹奏楽部部員の間を蔓延しているようにみえる。私にしても、早くやる気を立て直さなければいけないと、分かってはいるものの気持ちだけが空回りしている。


 なにしろ一番近い演奏披露の場として設けられているのが9月下旬の体育祭。それも昼休憩中である。生徒も父兄さんも先生方も来賓の方々も、皆がワイワイガヤガヤとお昼ごはんを食べている最中に……10分以内に食事と合奏準備を済ませなければいけない。8月終わりの今、練習に身が入らないのも無理がないのでは、と思えてしまう。

 体育祭競技プログラムにすら記されないただのBGM扱い。

 分かっている。これはお詫びなのだ。

 少なくない予算を毎年のように使う吹奏楽部への風当たりは、他部活からそれなりに強いらしい。

 ほらこんなに協力的なのです。あくまでも自発意思そんなわけがないで集まった吹奏楽部の有志が演奏します。よければ、聞いてやってください。という趣旨の元に、体育祭においてのお昼演奏はおこなわれる。

 しかしながら、あくまでも建前上であって、笑ってしまうくらいの、いっそ清々しいほどの矛盾を堂々と抱えている。

 県代表を経て支部代表となり全国へ行った去年の、私が1年生の時の体育祭では昼演なんてものはなかった。去年同様全国へ進んだ14年前も10年前も6年前も、支部大会で終わった11年前も4年前も、時々演奏指導に来てくださるOGやOBの話によれば、なかったという。

 言葉としては一言も発しないけれど、県大会で終わってしまったことへの公開謝罪会見の席。

 もっとも、理屈としては理解できるものの、次の公演は体育祭の昼演ですと言われてモチベーションを上げようというのは、なかなかに難しいと私は思う。


 それでも部活動は日々続いている。

 廊下に、教室に、外階段の踊場に、体育館の端に、講堂の裏に、校庭のベンチに、外通路に、食堂のテラスに、部室棟の階段に、駐輪場の屋根の下に。とにかく校内の至るところに吹部員は顔を出し、奏でる。それぞれに譲れない場所というべきか、お気に入りのスペース持ちな人やパートが多い。


 私は少数派である非定住民族Flフルートに属している。パー(ト)練(習)を行う場所は日によってマチマチなので、それを記したメモの貼られている掲示板チェックが、パートメンバーとしては毎日の必須行動となっている。必然的に個人練習をする場所もふらふらと定まらない。

 場所が変わると気分転換になるんだよね! とパートメンバーは公言している。

 人数が少ないから全員集合しやすいパートではあるし、楽器自体も(他に比べれば)それほど重量もないので、行動範囲の制約が少ないんだよね! と、尋ねられれば、私もそう言っていたりする。

 ……えっと、それらは全てが虚構ではないけれど真実でもない。

 私の高校の吹部は、どの楽器を吹くのか、入部後にオーディションを受ける。基本的には本人の希望が優先されるのだけれど、例外パートもいくらか存在する。その中で、希望者数に対して枠が明らかに少ない代表格がフルートで、1学年で3人しかパートに入れない。

 オーディションの結果フルートパートへ正式にメンバーとして迎え入れられてから、初めての雨が放課後になっても降り続いていたある日のこと。練習場所が急遽変更となり、いつもですら音楽室から遠かったというのに、校舎すら別棟へ移動してのパート練習へ私は加わっていた。

 その休憩時間中、2・3年生の先輩方がすっと1年生全員(といっても3人だけど)を取り囲むと、パー(ト)リー(ダー)がパートとしての心がけを諭してきた。

 うちらのパートは見ての通り少人数だ。にもかかわらず、部内には中学ではフルートを吹いていた人がそれなりにいる。うちら全員合わせた9人より明らかに多いのは、仮配置時やオーディションの状況を思い出せば分かると思う。だからと言うわけではないけれど、常に見られていることを忘れず、演奏に取り組むんだ。そして、演奏以外のことでは他パートの顔を立てろ。例えば今日の急な移動。君ら1年は顔に不満と書いてあった。明日からは絶対に許さない。そんな顔をしている暇があったら練習しろ、と。

 なんでも、14代前のフルートのパーリーが(表向きは)コトナカレ主義をうちだして以降、無用な軋轢が目に見えて減ったということで、その精神はフルートパートメンバー代々に渡り秘かに受け継がれているそうで、練習場所に関しては安住の地を求めず望まずの精神で放浪し続けることが当然とされている。


 3年のパーリーから、このどろっどろな裏事情に基づいた不文律を告げられた時。私はやったー高校でもフルートだー、がんばろー、とけっこう単純に、随分と素直に喜んでいただけだった。

 正直なところ、仮扱いでフルートパートに席を置いて、他の人の演奏を聞いたりしていたので、これは他の楽器に転向だろうなと思っていた。

 そして、中学の時とは違い、受け入れることに心理的な抵抗なんてなかった。強豪校とはそういうものだろうと覚悟もしていたし、自分自身の力はオーディションで出せたことに満足していたから。どの楽器に配属されるのかな? と期待する気持ちもあったほどに。


 けれど、パーリーの話を聞いて、中学の時の転向の一件が頭の中にまざまざとよみがえった。

 浮かれていた気分に冷や水を浴びせかけられたようなもので、これはとても効いた。


 私は、中学1年の秋から2年に上がるまでの間、フルートではなく他楽器を吹いていた。要するに、フルート失格扱いを顧問の先生から言い渡された。

 県のコンクールにおいて金賞どころか、全国大会の常連中学すら複数擁していた吹奏楽の盛んな地区において、銀賞を取って満足という周囲の中学と比べればほぼ参加しているだけのような吹奏楽部で、フルートから他楽器へ転向させられた過去がある。

 その後、試験のようなものを2年生進級時にしてもらい、フルートへの再転向を果たし、どころかそれからは手のひらを返すかのような扱いを受けるようになる……。

 転向そのものが嫌だったのか、悔しかったのか、諦めきれなかったのか。(結果としての)感謝の気持ちすらある。感情が千々に混ざり、今でも上手く説明できるものではない。

 当時、失格の烙印を押されてからは、平日の夜に週3ペースで、週末にも月3ペースで隣市にあった個人経営のフルート教室へおよそ半年ほど通って個別指導を受ける生活(半年後からは月3ペースで。結局その先生がだんな様の転勤の都合で教室を閉鎖されるまでの約2年間ほどお世話になった)をしていた。もちろん、自宅では毎日吹いていた。きっとやかましかったと思うけれど、何も言われなかった。

 その教室は、先生の教え方も楽器の選び方も私にぴたりと合っていたようで、自分でいうのもなんだかなーと思うものの、めきめきと実力が、まさに見違えるように伸びていった。

 私は、とてもとても恵まれていて、しかもつきまでもあったのだ、と当時のことを振り返れば、そう言い切れる。

 良い先生にめぐり合えたこと。

 親が深く事情を問い詰めるようなこともせずに、遠くの教室へ通わさせてくれたこと。

 中学で入部してしばらくしてからの時期に買ってもらった、つまり1年どころか半年くらいしか使っていないフルートを、教室の先生の薦めてくるままに安くはないフルートへ買い替えるお金を、とてもあっさりと出してくれたこと。

 かなり多めな頻度で家の人が送迎をしてくれたこと。

 家での練習が何も言われずに思う存分出来たこと。

 相談したサチが誰にも言わずに、ずっと応援し続けてくれたこと。

 ……それから、当時単なる同級生の1人に過ぎなかったたーさんのことを深く知るきっかけになったこと。




 中学時代の私の転向話はともかく、諸々な事情の影響を受けて、今日の午前中の個人練習を、私は3年生の教室でおこなっている。なんとなく選んで……ううん、空いていただけだ。フルートパートのメンバーとしては、それは正しく立派な行為とされている。

 吹いて、吹いて、休んで。

 風を通すために開けっ放しにした窓からは、テニスコートがよく見える。休憩中にボーっと眺めていると、テニス部の人たちが動き回っている。真夏の太陽がギラッギラに容赦なく照りつける中で……走って、止まって、ラケットを振って、またボールを追いかける為に走って。早朝のサーキット走すら億劫な私から見れば、凄いとしかいいようがない。日射病とか大丈夫なのかな? とふと心配になる。


 隣の教室からは、さっきから長い時間Fgファゴットの低音ロングトーンが聞こえてきている。安定を保ちながら、音も遠くへ飛んでいる。ずっと、じっくりと丁寧に。ロングトーン以外でも、ひたすら基礎をやっている。とはいえ、楽譜をさらう気はまるでないみたいだったりもしている。その堂々と開き直っているかのような姿勢は、とても男らしく潔く思える。壁を隔てた隣の教室にいる、吹部でただ1人のファゴティストであるシノミ(同級生の女子)の生き様に、素直に感心してしまう。

 あっさりと感化された私は、少しばかり予定を変更して、ソノリテ(モイーズという人の残した教本)でアンブシェア(口の形)、音色、音量を確認しながら黙々と基礎練習に励でいった。

 なお、気がつけばロングトーンをどちらからともなく合わせるようになり、音が動いていると感じていたら、シノミが教室を移動してきて二重奏となり、ちょうど通りかかったクラ(Clクラリネットのナオコ(同学年の女子)も加わって三重奏へ変化する。

 個人練習の時間が3分の2くらい過ぎた頃に、サチが愛器モッチィ(吹奏楽部員は自分の楽器にニックネームを付けている。モッツァレラチーズから取ったと彼女は言っているけれど、本当の由来が別な所にあることは、サチと私の間でのみな秘密になっている)という名のバリサク(B.Saxバリトンサックス)とともにやって来て、四重奏へと更なる進化を遂げる。

 お腹空いてきたねーなんて言いながら、木管4人なのに通称バラ肉(薔薇の謝肉祭という曲)を無理くりに鳴らしてみたりした。4人が4人とも楽器として不向きな音域を奏でたり、あえて表メロ(ディー)や裏メロを鳴らしてみたりした。終わるとともに誰からともなく「オニク腐ってる!」「悪臭がしてたよ!」「このばら肉、100gで10円もしない!」「ただでもいらんよ!」なんて言い合っていた。


 この個人練習時間が終わる頃には、私は音を奏でることへのモチベーションが、夏コン直前とまでは言わないものの、それの親戚程度には復活してきていることが分かった。

 来年の夏は早々に終わらせたくない、とそんな思いが心の中で湧いてきていた。



 お昼休憩を挟んで、パー練や基礎合奏、曲奏などに取り組んでいると、部活終了時間が近づいてくる。

 実のところ、今日はこれからの時間こそが私のメイン活動でもあった。かなり久しぶりにたーさんとの、ずばりデートな日。

 学校からの帰り道を時間をかけて一緒に過ごすだけなのだけれど、それでも随分とごぶさただったりする。

 最後に30分以上一緒にいるという随分と贅沢なひと時を過ごせたのは、なんと夏休み前まで遡れてしまう。10分以上会ったのですら7月の終わりに1回ほど。もっとも、5分程度に限定すればほぼ毎日デート? をしてはいる。お互いの休憩時間をすり合わせて、学校の自動販売機前や校庭の片隅でちょっとした会話を満喫することを、デートと呼んでもいいものならば……。

 こんなに会えないのには、明確な、そして解決不可能な原因が存在している。私の所属する吹奏楽部とたーさんの所属する陸上部は、やたらと日程の相性が悪い。特に夏は最悪を極めているみたいなのだ。

 夏休みに突入してすぐの合宿を経て、8月中旬に開催されたコンクールへ向けてその後も連日ハード日程続きだった吹奏楽部。

 つい先日終わったばかりだという県選手権に向けて吹部とすれ違うかのように合宿へと出発していき、戻ってからも練習スケジュールが徐々にタイトとなっていった陸上部。

 合宿やホール練習、大会前日や当日を除けば、2人ともほぼ同じ空間(学校)で過ごしていたというのに。

 なんというべきか。そう、笑えるくらい日程がかみ合わさっていなかった。

 けれど! とにかく! もうすぐデート。わくわくな時間は、もう目の前に迫っている。

 私は時間合わせをする為に少し居残って自主練をしながら、彼を待っている。

 お! やる気あるな! と顧問に勘違いされてしまい、臨時個人レッスンを受ける事態を招いて少し焦ったりもしながら。

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