第3話 バンドマン
私の彼はちょっと変わっている、のかもしれない。
高校1年の9月をほんの少しだけ過ぎた、10月の始めの頃。
放課後の、部活終わりの時間を告げる放送が、校舎に、グラウンドに響く。
19日ぶりに彼と待ち合わせをしていた私は、学校から最寄り駅までの下り坂を一緒にてくてくと歩いている。
よく晴れた気持ちのよい天気だった今日は、途中にある公園へ少しだけ寄り道をする。芝生でおおわれているもこっとした丘の手前にあるベンチに、2人並んで座る。
この場所は、私にとってのちょっとしたお気に入りの場所。
夕焼けが2人の影を伸ばして、なんだかくっついている様に見えるから。
「まだ風がけっこうあったかいねー」なんて言いながら、自動販売機で買ったホット紅茶を飲む。彼の夏服姿も好きだけど、冬の学生服のほうが似合っている。
特に、ツメエリからのぞく首のラインが、うん。
なんて思いながら、コーヒーを飲んでいる彼の横顔をちらっとのぞきみる。前の方を見ていたはずのたーさんが急に首を横に向け、私の顔を見つめてくる。
どことなく、深刻な顔つきでじっと私の目を見つめてくる。
「聞いて欲しい話があるんじゃ。しばらく会わんようにしよう」
え! まさか? 別れようなの……という悲しい予感は、実のところ6%も無い。
分かっている。だてに、長く付き合ってはいない。94%の予感が当たる。
「ギターって、いいよな。こんどの学園祭で、バンドしようと考えとるんじゃ!」
……きた! たまに入ってしまう不思議モード。
たーさんの目がランランと輝いている。その切れ長の目元を見ているだけで、私は口元がゆるんで、笑顔になってしまう。
いけない。理由を聞いて、がんばって撤回させないと!
「おにい……兄貴が言うんじゃあ。音楽は人間性を豊かに育んでくれる。なにか楽器をひけてこそ一人前だって。ちょうど、文化祭もあるしのぅ。今日の昼休み時間に、友達とバンド作ろう~って盛り上がって。結成することに、決めたんよ」
……予想通りだった。意味が分からない。クラスで班分けをする時に、席に応じて決めてしまうような、とても安易な感覚なんだろうなってことは分かる。
「えーっと。うち、吹(奏楽)部じゃろ。だから、楽器で演奏をする楽しさはよう分かるんよ。でも学園祭まであと1ヶ月ちょっとしかないんよ。ギターなんて、すぐに弾けるようなものじゃないと思うんよ。だいいち、陸上部を、走るのをどうするん?」
うーん、といって悩んでいるようにみえる感じの彼の顔がみえる。
こんな何の変哲もない説得? で悩んでしまうくらいだなんて……。私の方が逆に不安になる。うん、間違いない。たーさんを含めたバンド希望な友人達の中に、誰一人として音楽を経験者なんていない。もしいれば、バンドそのものはともかくとして、たーさんをギター担当にするはずがない。そのバンドメンバーは、音が出る=演奏できる、という信じられないまでの不思議思考に違いない。
なんだか、疲れてくる。説得が成功したのであればいっかなーと半分くらい投げやりな気持ちになる。
あ。……たーさんが首を少し上に傾け、公園の入り口の方を、遠くを見つめている。これはあやしいサインだ。
私もたーさんの視線を追うかのように目を向けると、犬の散歩をしている子供がいた。
「練習は部活終わってからじゃしね。平気! 弾き語りで、おまえに歌をプレゼントしてみたいんよ!」
えっと、何かズレテマセンカ?
そんなプレゼントをもらえたら嬉しくないはずがない。ただ、そんな練習時間があるのならもうちょっとくらいは一緒に過ごせる時間を作れるのではないだろうか。
私もたーさんもいわゆる部活バカに属している。朝も放課後も、土日祝祭日も、私は吹いているし、たーさんは走っている。
そもそも、目の前にいる私にもっと何か言うことがあるでしょ?と、心の中でつぶやく。
たーさんは「好きだ」とか「愛している」という言葉は、めったに言ってはくれない。
メールだと見たことが無い。……断言できる私が哀しくなる。
実はちょうど1年くらい前に、回数を数えてみたことがある。
11月1回。12月2回。1月3回。
記録が伸びています! と当時の私はひそかに喜んでいた。今振り返れば、オアズケ状態がアタリマエという世界に順応しきっていて、喜べていた自分が怖くなってくる。
しかも、2月に事件は起きた。絶対に破られない最低記録0回を記録した。
私はメモを捨てていた。そもそも3月の受験直前に計測するようなことではないと、自分に言い訳をしていた。
なお、先月には、もうとっくにメモってはいないけれど! 2回も聞けた。
6月も7月も1回あったことだし! 4月とか5月とか8月は……人間は忘れる生き物だって、生物だか現国の授業で習ったので気にしないことにしている。
幼稚園の頃からの親友サチは、その話題となるたびに「実は愛されとらんのんじゃろ?」なんていって笑う。
「自分、不器用ですから」ってなんだっけ。誰だったっけ?
それが、なんでも、誰でもどうでもいいんだけれど……そういう人。なんだと思う。私の好きな彼は。そうじゃないかな。きっとそう。
なんてことを思い出していたら、たーさんが口を開いていた。
「明日からはの、部活が終わったら練習なんじゃ! ワクワクしてくるんよね!」
体力あるなーと変なところに感心してしまう。
ただ、その反則級の微笑みが、その表情が大好きな私は、つられて微笑んでしまっいた。
いけない。いけない。もう少しがんばろう私。止めさせよう。
でも、どう言えばいいのだろうか?
不思議スイッチ(私が勝手に名付けている)が入ると、一直線に進んでいく。
自転車の乱、チョコ騒動、髪の毛事件、誕生日ファイヤー、携帯事変などなど……過去にも色々あったけど、止めることに成功したことは1度もなかった。
……実際ちょっとギターを弾くところを見てみたくはないの? 2人で演奏なんてとってもステキなんじゃない? なんて心の声がささやいてくる。
うん、つまり、これはアリだ。
「がんばりんさい! 応援するよー!」
「一緒に帰れんのが残念じゃねー」
いや、だったら初めから止めておこうよ、と思う。そもそも、今でも、今日にしても19日ぶりに放課後デートをしているわけで。それも学校から駅まで一緒に歩いて、電車に乗って3駅目にはバイバイすることをデートと、私が名付けているだけで……。
その日、彼と別れてからの家までの帰り道、やっぱり寂しくなってくる。
でも、応援すると言ってしまったからには、何かとんでもない奇跡が起こって、たーさんがわずか1ヶ月でギターを人前で弾けるくらいに本当になれたらいいな、と願っていた。
それから、1週間後の10月中旬のちょっと前くらい。
私が所属している吹部の練習は、日がたつごとにあわただしさを増してきている。まず、週末に控えた3年生の先輩方への追いコン(追い出しコンサート)の準備。次に、11月上旬の文化祭での演奏発表の練習。更に、11月中旬に開催される毎年恒例市民ホールでの4校合同演奏会の練習。3イベントに向けての並行進行は、気を抜くと何を今していたんだっけ? と自分を簡単に見失ってしまえる。マーチ(行進しながらするあれ)がないだけまだヌルイ、と言い切る顧問の先生が、人間以外の何者かに見えてくる。
そういった事情もあって、とても気にはなっていたのだけれど、おはようメールとおやすみメール、たまに電話と学校でのおしゃべり。
たったこれだけで、たーさんの笑顔成分の補給を我慢していた。バンドのことはあえて触れずにいた。きっと、私の本能がフレルナキケンと告げていたのだろう。
そんなある日のこと、事件は起きた。
たーさんがちょっと揉めていたよーっ、とサチが部活で一緒に体幹トレーニングをしている最中、そっと教えてくれた。たーさんと同じクラスのサチが、HRの後で部活に来る前に、男の子たちが数人揉めているのを見たらしい。聞こえてきた内容から、多分文化祭でやるバンドのことだと思うって。
どうしたのだろう?
タイミングよく、というべきなのだろう。トレーニングを終えて着替えていると携帯電話が光っていた。たーさんからのメールが届いていた。
今日、時間を合わせて一緒に帰ろう、と。他には何も書いてなかった。
そっけなさ過ぎるメールには思うところもあったけれど、今はそれ以上にたーさんの様子が気になって仕方がなかったので、急いでokの返信を送っておいた。
会えるのは単純に嬉しいのだけれど、心配の方がまさる。
その後の練習中、時折集中力が欠けていたみたいで、パーリー(楽器ごとのグループリーダー)から怒られたりした。
放課後の、部活終わりの時間を告げる放送が、校舎に、グラウンドに響く
1週間ぶりに、私は彼と一緒に学校から最寄り駅までの下り坂を歩いている。
たーさんは、見るからに元気をなくしていて、しょげていた。
凹んでいる時は、まずは物を食べよう。それから考えようというのが、私のモットー。
駅までの道にある公園前で、私は「暖かい物を買ってくるね! いつものベンチで待っておいて!」と、出来る限りの精一杯の表情で元気良く告げた。
ほぼ全速力で一番近いコンビニまでの道を駆け抜けていく。
彼が夕飯をあまり食べられなくなってしまうかもしれない。でも、今は緊急事態だった。これはアリな買い食い、と思う。
私は、おでんとから揚げ、肉まん、彼の好きな全然甘くないホットコーヒーを買うと、公園のベンチまで再び全力で走った。スカートの裾がぱたぱたとはためいていたけれども、気にせずに駆け抜けた。
「お待たせー」と少しだけ息を弾ませながら、でも笑顔で言い切る。
最近伸ばしている髪の毛が、2本ほど口の中に入ってくる。そんなことを気にしている場合ではないことは分かっていたけれど、かっこ悪いところを見られてしまった、と少しばかり焦りを覚える。
そんな私の心配をよそに、たーさんはちらりと私の方を見ただけで、再びうつむいていた。
いよいよ心配がつのってきたのだけれど、でも悟られないように、ベンチに座っているたーさんの隣に腰掛けながら、私は努めて明るく話しかける。
「はい、にがにがコーヒーだよ」
つい、ほんの1週間前。夕焼けが綺麗な影をあちこちになげかけていた公園は、もはや夕暮れというより日暮れという方が正しくて、そこかしこが薄暗くなっていた。照明ポールも、人工の灯りで辺りを照らしていた。
「ありがとう」
元気なくそういってアルミ缶のボトルを捻ったたーさんは、ため息をつきながらコーヒーを飲んでいる。
私は「あとこれも、お腹も空いとるんよね? 食べんさい」といって、から揚げと肉まんの入ったコンビニ袋も渡しながら、最終兵器おでんの出番がきませんように、と祈っていた。
しばらくの間、無言のまま黙々とから揚げをほおばったり、肉まんをつまんでみたり、コーヒーを飲んでいた彼の表情が、ほんの少しだけれども明るく変化したように見えた。 私を、私の目をじっと見ている。
「実はさー……」
とても言いにくそうな表情をしている。見ている私の方が辛くなってくる。ちょっとした助け舟を出してみた。
「サチから聞いたんよー。放課後の教室でなんだか揉めよったって。どうしたん?」
「そうなんよぉ。バンドの連中と意見が食い違うてのー。陸上も休んでずっと話し合いをしとったんよ……」
そう言うと、再びたーさんは沈黙状態に入っていく。
驚いた! 私が知っている限り、高校に入って病気以外で、部活を休んだのは初めてだと思う。
なんだか思っていたより、事態は大問題だったのかもしれないような気がしてくる。少し混乱しかけていた私は、随分と場違いというべきか能天気な声を発していた。
「ジャーン。おでんも、あーりまーす」左脇に置いておいた、おでんカップの蓋を取って、割り箸と一緒に手渡す。
その間の抜けたセリフは、アホの一歩手前くらいの趣きはあるように思えてしょうがなくて、情けなくて、私は声とは裏腹に少し涙目になりつつあった。
だけど、不思議なもので、結果的には間抜けなセリフが大正解だった。
「お! ハンペン好きなんじゃ~」と言いながら、ハフハフしながら食べ始めていた。
「卵もあるんかー!」というような声を出しつつ、一口一口噛むごとに、たーさんの顔が上を向き始めていた。
ヨカッタ、と私は心の中でそっとつぶやいた。
しばらくおでんに熱中していた彼が、糸こんにゃくを箸で摘まむというより、ひっかけていた。
「実はのぅ、バンドが解散になったんよ」
「ほへ? 」ビックリした。思わず我ながら、間の抜けた声が口から飛び出していた。
「そうじゃろう、驚きじゃわいね。わしもびっくりしたんよ」
私は続きが気になって、たーさんをせかす。
「そりゃあ、びっくりじゃね。えっと、理由は?」
「うん。……」
たーさんが再び黙りこくっていく。なんだろう、気になる。すごーく気になる。
「ベースを誰がやるんかで、揉めに揉めての……。ほら、バンドっていうたらギターじゃろ。まあ、妥協してドラムとかかのぅ。ベースはなんだか地味じゃろ。あ、ボーカルはカラオケで一番点数を出した奴がやるうて決まっとったんじゃ。ほじゃけど、最初にジャンケンでベースになった奴が、急にベースは嫌だとか言い出してのぅ。今更じゃろ~。ほじゃけん、ずっと話し合いをしとったんよ」
「うん。……」
そのベースの子の気持ちは、ちょっと分かる。吹部でも、パートの人数調整などで希望している楽器から移動しちゃうケースは珍しい話ではないのだけれど……。
弦楽器は専門外なものの、バンド演奏にとってベースがいないと音がバラバラになる、という知識くらいは私にもある。
少なくとも、地味だとか派手だとか、そういう問題ではないことくらいは分かる。
そもそも、なんで最初がジャンケンなのだろう? そこからして、大きく間違っている気がした。
そんな、私の頭の中でぐるぐると回っている疑問には全く気づいてもいなさそうな表情と口調でたーさんが言う。
「話し合いの結果、ベースの奴もギターをやるいうことで納得しとったんじゃが……」
なんだ、解決したんだ! と一瞬喜んだ私は、あれ? でもそうなら、今、一緒にいれるわけないよね。部活を休んだけれど戻って走っているか、みんなで練習しているかよね、と思った。
ん? 何かを見落としいた。何だろう。私は首を少し傾けてつかの間考えていた。頭の中で会話を巻き戻していくと、すぐに答えが見つかった。
たーさんのバンドはベースがいなくって、ギターあ~んどギター、そしてドラム、というバンドではなく、少なくともコメディアンの親戚くらいに変化を遂げていた。
「次は、何を演奏するかで揉めてしもうたんよ。みんなの意見が割れてしもうての。1人はジャズやりたい言い出すし。後、洋楽じゃー、邦楽じゃーとか。アーチストの好みもバラバラしとって。もう……なんだかのーって感じになったんじゃ」
マッテ! ちょっとマッテクダサイ! 演奏したい曲があるからバンドを作りたかった、ではなく、文化祭の1ヶ月前にバンド結成してから担当を決めて最後に曲を決めようとしていたと……。
ステージ使用抽選会がまだ先でよかった!
私は、なんだかどっと疲れてきていた。何と言えばいいのか、言葉が見つからなかった。今日の夕ご飯は何だろうなーとか軽く現実逃避していた。ところがそんな私に、たーさんの声が容赦なくトドメをさしていく。
「結局、音楽性の違いで解散になってしもうたんよ。これはバンドマンとしては譲れんところじゃろ。ぶり残念なんじゃけど。ホンマはがええのう」
たーさんは、私が飲み物を口に含んでいなかったことを感謝すべきだ、と断言出来る。
間違いなく、たーさんの顔に向かって、吹き出していた。
神様、いえ八百万の神さま(私の家は神社なので「神様」っていうとセツナイ顔を祖父がする)。
音楽性って! その前に楽器をまともに扱えるの! と、音楽にたずさわっている者の端くれとして、言ってもいいでしょうか? あなたはバンドマンでは絶対にない! と叫んでも許されるでしょうか?
言っちゃおう! そんな声がどこからか聞こえてきた、気がした。
口を開いて、すぅっと大きく息を吸い込む。肺いっぱいに吸い込んだ息を吐き出す。再び息を吸う。準備ok。最初の音が声に成ろうとする。そんな時に、たーさんの声が、とても明るいトーンでかぶさってきていた。
「ま、よくよく考えたら、みんな部活が忙しいんじゃ。無理だったんじゃろうね」
……タイミングが、ずれた。タイミングが、大事だった……。
ちょっとした、どころではない疲労感が私に押し寄せてくる。私の気持ちはぐったりする。
「そうなんねー。うん、それはぶり残念じゃね。もともと、文化祭まで時間もなかったもんね。でも、ギターは続けるんじゃろ?」
「え?」彼は、きょとんとしている。
「え?」私も、きょとんとしている。
「なんだかやる気が、の」
そう一言言うと、たーさんは糸こんにゃくをひっかけた箸を口に持っていき、つるつるっと吸いこんだ。
「弾き語りしてく」私の口の中に、ぴちょっと何かが飛び込んできた。タイミングが良いのか悪いのか、彼が食べている糸こんにゃくについていたおでんのツユが。
ケホケホとむせる私の背中を「大丈夫かー」「あわてんぼうさんじゃのー」なんて言いながら、心配そうに優しくさすってくれる。色んな意味で、私は涙が出そうになる。
全てわかっているから! 言葉にすれば、たーさんはそんな表情を浮かべている。
「いつかの!」
……そのいつかが本当にやって来たらいいなー。ものすごーく楽観的に考えても5年……10年くらいはかかりそうだなーって思えてしかたがなかった。
キラッキラしたたーさんの、夢追い人のような瞳が私を見つめていた。
家に帰り、夕飯を食べて、家族とおしゃべりして、お風呂に入って、その後で勉強をしていたら、サチが電話をかけてきた。
どうだったの? って、すごく心配そうな親友の声が、私の耳にしみわたる。
「聞いてえよ~。あのね……」
しばらくすると、ヒィヒィと笑いながら泣いているかのような声が、電話越しに私の耳に響いていた。
「前から思っとったんじゃけど。たーさんって、時々不思議君になるよねー」
神様。いえ八百万の神さま。
私の彼はちょっと変わっている? のでしょうか?