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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第一章 英雄を救うのは
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第六話 夢幻の少女

「今日はありがとな。美味かったよ」

「お礼はあの二人に言ったげて。私は君をあそこまで連れて行っただけよ」


 食事を終え、二人は朝日荘へ戻る途中だった。

 来た道を並んで歩く二人は、どことなしか距離が縮まっているようにも見える。

 それもこれも同じ釜の飯を食べたことによるものかはわからない。ただ心の距離は確実に縮まっていることは間違いでは無いはずだ。


 この美朝のつんけんしている様も何度も見れば慣れてくる。素直じゃないこの少女とは上手くやっていけそうだと渋谷は確信を持って言えるまでに好感を持つことが出来ていた。

 

 美朝の胸の裡はわからない。超えることの出来ない線引はあっても、自分と同じように好感を持ってくれていれば良いのだが。


「……何?」


 と、表情を伺うように見ていた渋谷に、美朝は片眉をあげ、怪訝そうに言った。

 渋谷は「いや、なんでもない」と手を振る。美朝はふん、と鼻を鳴らして前を向いた。

 

 星を見ることもなく、ただ目的地へと向け歩みを進めるだけの二人は無言だ。けれど早歩きではない。それが二人の距離感だった。


 沈黙が続くと、やがて朝日荘に到着した。

 熊八食堂から朝日荘はそう遠い距離ではない。五分も歩けば着く距離だ。

 

 先に足を止め、美朝が振り向く。


 「ちょっと待ってて」と、小走りで裏手の母屋へと向かっていった。

 渋谷がしばらく待つと、美朝が戻ってくる。

 

 頬に朱が指している。心のどこかで何かを躊躇いながら、けれど決意したようにも見えるその表情。

 美朝は淀みなく、言った。


「ようこそ朝日荘へ。そして――鳴海町へ」

 

 美朝は手の平を渋谷へと突き出した。

 そこにあったのは鍵。これを取りに、美朝は部屋へと戻っていったのか。

 

 美朝の言葉は、聞いた者だけが分かる思いが込められていた。

 確かに何気ない言葉には違いない。けれど、この言葉を口にするのに、美朝は相当の逡巡をしたはずだ。

 それは美朝と渋谷を分かつ境界線。

 渋谷はこの瞬間にその場所へ立つことを許されたのだ。


「ありがとう。これからよろしく」

 

 そう言って、渋谷は鍵を受け取った。同じ様に、何気ない言葉で。


「……うん。じゃあ、おやすみ」

 

 美朝はぎこちなく頷くと、踵を返して自室へと戻っていった。


 ――さて、俺の部屋は……。

 

 渋谷は自室へと向かう。鍵には六号室と書かれていた。

 朝日荘は共通の玄関がある。そこは正面に構えられている。

 渋谷は玄関口から中へ入る。六号室と書かれたプレートが張り付けてある下駄箱に靴を入れて上がる。

 外観ほど、古いという印象は受けない。フローリングはしっかりしていて綺麗だし、廊下もそこまで狭くない。

 

 目の前すぐに階段がある。渋谷の部屋は二階だ。

 階段を上がって自室へ。

 通路を左に曲がり突き当たった場所が六号室だ。

 

 鍵を開け中に入ると、祖父の家から送った荷物が積まれていた。

 流石に今日は疲れている。段ボールの山を崩す程の体力は渋谷に残っていない。

 

 渋谷は畳の上に寝転がった。

 身体中から悲鳴が上がり、これ以上動けないと警報が鳴っている。

 思っていた以上に疲れていた。長旅の疲れもあるだろう。足や腰がガタガタだ。

 けれど、それだけじゃない。

 

「そういや俺、死にかけたんだよなぁ」

 

 この世在らざる者に遭遇し、命を失いかけた。もっともそれは、渋谷自身が招いた事でもある。

 必ず、とは言えないまでも事実逃げる事は出来たはずだ。一瞬の隙に賭け、走る事を止めなければ。

 しかし渋谷は足を止め、怯える一匹の犬を助けるために動いた。

 

 その上で――死を覚悟した。

 

 尋常ではない。その思考は普通ならばあり得ない。

 自分の命をなげうつ事が美徳とされるのは、漫画や小説の主人公だけだ。

 人間は打算的で、自己中心的だ。例外なく渋谷もその枠から出ることはない。けれど、あの時の自分の思考回路は紛れもなく、自己犠牲を是としていた。

 

 渋谷自身、その事は気付いている。


 ――命知らず、ね。 

 美朝がそう言ったのを思い出す。

 確かにその通りだろう。渋谷の採った行動は紛れもなく無茶であり、無謀だった。

 ただ、あの瞬間。渋谷は確かに死を覚悟しつつも、心のどこかでこう思ってもいたのだ。

 

 俺はここでは死なない、と。

 

 なんの根拠もない、ただの虚言に違いない。

 自分でも何を馬鹿な、とは思う。しかし、現に渋谷は生きている。

 所詮それは後付けの結果論。現実的ではない。

 

 ――分かっているとも。そんな事。

 

 渋谷はなげやりに胸の裡で呟く。

 

 分かってはいるのだ。馬鹿げている事など。

 ともすれば、自分は異常なのだろうか、と思うくらい。

 

 そう考えた刹那。


『いいえ。貴方様は確かにここで死ぬ御霊ではありませぬ』

 

 不意に、脳に直接、声が語りかけてきた。

 それは思念の介入。意識を直接流し込まれたような、違和感だった。


 声の主は少女――だろうか。年若い、ソプラノボイスが滑らかな旋律で語りかける。

 けれど、どこか歳を経ているかのような落ち着きと気品を兼ね備えている声でもあった。

 

 突然の違和感に、渋谷は驚きを隠せない。

 一体なんだ? と渋谷が思っていると、少女の声は再び言葉を紡いだ。


『貴方さまこそ、益荒男の魂を持ったお方……。あぁ、本当にこうして再び言葉を交わす事が出来ようとは、夢にも思いませぬ』

 

 声は感激と興奮の色を含みながら、滔々と言った。

 

 ――アンタ、なんなんだよ……?

 

 渋谷は声へと語りかける。


『出来る事なら、今すぐにでも貴方さまにお会いしたい。わたくしのこの焦がれる想いの丈を、貴方さまに知って頂きたい……。しかし、それは叶わぬ夢。それが出来ぬ今のこの身のなんと歯痒い事でしょう……』

 

 声は渋谷の言葉を無視して一方的に言う。


『けれど、その日は近い……。その時こそ、わたくしは貴方さまの剣となり、共に歩むことを許されるのです。御身の無事を心より祈っております。かつて、貴方様の寵愛を一心にお受けしたわたくしの、悠久の時を経ても変わらぬ、想いにございます。何卒、ご自愛くださいますよう……』

 

 それが、最後だった。


『愛しの――さま』

 

 一瞬、声にノイズが走る。声が呼んだ名前の様なものは、ノイズに掻き消され、渋谷には分からない。

 と、同時。渋谷の瞼の裏に、人影が映り込んだ。

 

 後ろ姿しか見えないが、長い髪を帯で結わえた見るからに美しき少女。白と緋袴のコントラストは紛れもなく、巫女の装束だった。

 薄ぼんやりと、その少女は遠くへ消えていく。同時に声も届かないところまで行ってしまう。だが、一瞬振り向いて、少女は微笑みを口許に浮かべ――。

 

 そこで渋谷は、はっ、と身を起こした。

 汗が滲んでいる。動悸が激しくなり、頭が痛みを訴えた。

 

「夢、だったのか……?」

 

 いや、夢にしては鮮明に過ぎる。その声も、最後に映ったその後ろ姿も。

 そして何より渋谷は、その声もその姿にもどこか懐かしさの様なモノを感じたのだ。

 

 記憶には無い。しかし遠い昔、彼女とは共にいた……そんな気がする。

 それは理屈じゃない、根拠の無い勘のようなモノだった。

 

 ――くそっ、なんなんだよ一体……。

 

 渋谷は頭を振って、心中でぼやく。

 鳴海町では訳が分からない事が起こる。この現象もまた、その一種なのだろうか。

 ともすれば、美朝に聞くことも一つの策かもしれない。彼女は誰よりも、この町の異常について詳しいはずだから。

 

 ただ、どうにも気になるのは彼女が自分を呼んだ時だ。


『愛しの――さま』

 

 ノイズが走ったその名。およそ、現代における名ではない。

 その名自体が、まさしく特別な力が込められた名前。その名は確かに自分に向けられていた。


 夢であるならいい。けれど、渋谷の感覚はあれが夢ではない事を感じていた。

 

 だからといってどうすることも出来ない。これ以上考えてもらちが明かないだろう。

 渋谷は一先ずは手打ちにする事にした。

 

 身体は汗ばんでいて気持ちが悪い。風呂に入って汗を流したい。

 朝日荘は入浴の時間が決まっている。事前に電話で聞いた時には十九時半から二十一時までが女性の入浴時間とのことだった。

 

 腕時計を見やれば、ちょうど二十一時。これから向かえば一番乗りだ。

 厳密に言えば、先に女性陣が浴槽を使用しているので一番風呂ではないのだが、そもそも入居者が少なくなっている朝日荘でそこまでの数が浴槽を使用したとは考えにくい。

 ましてや、女性陣が使用した後の風呂場というのは、一男子である渋谷も多少ではあるがドキドキしてしまうモノだ。

 

 ごくり、と唾を飲み込む渋谷。

 

 こうしてはいられない。今すぐに準備して風呂場へと行こう。

 渋谷は山積みになった段ボールの中から洗面用具を手早く出すと、直ぐ様部屋を飛び出した。

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