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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第一章 英雄を救うのは
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第五話 食堂

「ここよ……」


 少女が指差したのはやや古びた外装の飲食店だった。町に一軒はある大衆食堂といった雰囲気だ。

 熊八食堂――そう書かれた看板を見やりつつ、ここが少女の言う馴染みの店なのか、と渋谷が思った時だった。

 

 匂いがする。鼻孔をくすぐる芳しき香りが、メンチカツ一個でごまかしたはずの渋谷の空腹度を跳ね上げた。

 渋谷ですらこうなのだ。先程から空腹に喘いでいた少女が耐えられるはずがないだろう。


「速っ!?」

 

 気付けば重さが消えていた。渋谷の背に少女はいない。反射的に少女は動いていたのか、暖簾をくぐり、もう店の中へと消えていた。

 

 一体どこにそんな力が残っていたのだろうか、と感心しつつ、渋谷も少女の後へと続いた。


「おう、らっしゃい!! 待ってたぞ坊主」

 

 ガラガラという戸が開く音の後に続いたのは、ガサついた野太い声だった。

 

 渋谷の前に立ちはだかる三十代ぐらいの男性。

 見上げる様な巨駆と、骨太な骨格に相応しい盛り上がった筋肉。頭にはタオルを巻いており、口許には無精髭をこしらえている。

 いかにもな風貌の彼は、この店の店主だろうか。


「あらあら、どうしたのかしら? 八さんの顔があまりにも怖いから固まっちゃった?」

 

 やや警戒気味に表情をこわばらせていた渋谷に別の声が掛かった。

 

 男性の脇からひょっこりと顔を出したのは、一人の美女だった。

 魅惑的な色香を漂わせる肢体。出るところがこれでもかと出た、歳を経るごとにその魅力を熟成させていった様なプロポーションに、渋谷は思わず目を奪われてしまう。

 笑みの浮かぶ口許のほくろがこれまたセクシーだ。


「おいおい、俺はいつも通りに客を出迎えただけなんだが……」

 

 と、男性は左手で頭を掻いた。

 よく見ればその薬指にキラリと光る指輪がある。女性の方にも同様の物があった。

 どうやらはこの二人は夫婦らしい。対照的なこの二人はまさしく美女と野獣だ。


「あの……さっき、俺を待ってたと仰いましたけど、それってどういう事ですか……?」

 

 渋谷は質問する。


「ん、なんだ? 美朝から聞いてなかったのか?」

 

 たくっ、しょうがねぇなと男性は呟くと、


「おいっ、お前、ちゃんとこいつに言ってあったんだろうな?」

 

 振り向き、先程からそこにいた少女へと声を飛ばした。

 渋谷もその方向へと目線をやる。

 

 ――あ、アイツ……。

 

 奥のテーブルに座し、黙々と料理を口に運んでいたのは一目散に店内へと消えたあの少女。

 見るからに食欲をそそる料理を口に運ぶと、表情を綻ばせ、「ん~」と悶えるその様子はこちらの事などまるで眼中に無いようだった。

 

 やれやれと頭を振った男性は、女性へと目配せする。

 意を得たりと頷いた女性は、少女へと歩み寄ると、


「一旦お預けね、美朝ちゃん」

 

 今まさに箸をつけようとしていた皿を、ひょいと取り上げた。


「あー! あー!」

 

 まるで玩具を取り上げられた子供のように、頬を膨らませ抗議の姿勢を見せる少女。

 初めて会った時のような、凛とした姿は微塵も感じられない。


「酷いっ! 茜さん!!」

「美朝ちゃんがやる事ちゃんとやってないからでしょう?」

「やる事って――! あ…………」

 

 少女はようやく現在の状況を把握した。


「えぇっと……」や「そのぉ……」と、あらぬ方向を見やりながら少女はコホンと咳払いして居ずまいを正すと、


「~~~~君が悪いっ!!」

「お、俺っ!?」

 

 いきなり立ち上がってバンッとテーブルを叩き、渋谷を指差した。


「そう。君が遅刻したのがそもそもの原因なのよ。……まったく、どこほっつき歩いてたか知らないけどね、あの後すぐに来なさいよ。そうすれば、私がお腹を空かせたあげく半ば気を失うなんて事にはならなかったのに!!」

 

 無茶苦茶な事を捲し立てる少女。ともすれば渋谷としても黙ってはいられない。そんな道理が通らない責任転嫁は認められる訳がないだろう。


「勝手な事言うなよ。別に俺は遅刻なんてしてないだろうが。電話ではちゃんと言ってあったろ。夕方ぐらいにはお伺いしますってな」

「ふんっ。夕方、なんてどうとでも取れるじゃない。寮長である私を待たせたという事が問題なの」

「ちょっと待ってくれ。勝手な自分ルールで話し進めてんじゃねぇ。というか、腹空かして動けなくなるとかあり得ねぇだろ。象かなんかかよ」

「好き勝手言ってくれるじゃない。……誰が象ですって? もういい、分かったわ。君のその腐ってる両目、私が風穴空けてあげるからちょっと動かないで」

 

 お互いに譲らない主張が交わされている――訳ではない。

 端から見れば単純な子供の口喧嘩に過ぎない。修復不能になる前にここを治めるのは、やはり大人の役目だ。


「はいはい。そこまでね美朝ちゃん」

「坊主もそう熱くなるな。ここは喧嘩する場所じゃない。飯を喰う場所だぞ?」

 

 割って入る形で二人がそれぞれに相対する。


「坊主、流石に象は言い過ぎだ。アイツにも事情が有るんだよ。デリカシーってやつだ」

 

 どんな事情だよ、と半ば突っ込み気味に胸の内で呟きながら、渋谷は、


「そうですね。すいません」

 

 と、反省の意を示した。

 少女との事はともかく、この店に迷惑を掛けるつもりは渋谷にはない。だからこの様ないざこざを引き起こしてしまい申し訳無いと思うのだ。

 もっとも、件の少女に謝る気などは起きないが。

 

 その事は男性も察したようで、それ以上は何も言わずに苦笑した。

 同じ様にどうやらあちらも一応の落ち着きは取り戻したらしい。視線は未だに雷の様にこちらへ放たれているが、それでも区切りは着いた。

 

 それを確認するかのようにうん、と頷くと男性はこう切り出した。


「さて坊主。お前はここに自分が呼ばれた理由が分かってない……そうだな?」

「まぁ、自分がここに来る事になっていた、という事すら知らなかったんですけどね」

「そうらしいな。これはちゃんと伝えなかった美朝が悪い」

 

 そう言って、男性は少女をたしなめた。ばつが悪そうに視線はぷいっと横を向いた。


「まぁそれはいいとして。実はな、美朝の所の寮に住む事になったやつにはこの店で歓迎会を開いてやるってのが通例でな。最近は入寮者も、在寮者もめっきり減っちまって、こうして集まる事も無くなってたんだけどよ、久しぶりの入寮者が来るってもんだから美朝が張り切って俺の所に電話掛けてきてな」

「張り切ってません」

 

 少女は否定するが、構わず男性は続ける。


「それで、お前が来るのを俺らは料理を作って、美朝は腹を空かせて待ってたんだわ。だからまぁ美朝も悪気があって言っている訳じゃない。そこのところは酌んでやってくれや」

 

 事情を聞けば渋谷も納得する。

 自分の為にその様な事を計画してくれていたというのに、怒るというのも筋違いだろう。

 確かに色々あったにせよ、そこにある気持ちは偽りではない。

 この少女は少し、そういった感情を表に出すのが苦手なのだろう。

 現に今も少女は、違うと抗議の眼差しを渋谷に向けているが、こうして事情を知れば、ただ恥ずかしがって強がっているという風にも受け取る事が出来る。 


「私は別にそんなつもりじゃない。これはそういう決まりなんだからしょうがなくよ」

 

 と、嘯く少女。

 強気な姿勢は今となってはただの強がりにしか見えない。

 雰囲気が、ぴりぴりとしたものから弛緩していくのが分かる。

 ここから先は和やかな雰囲気で過ごせそうだ、と渋谷は思った。


「……でも、まさかあの時あそこにいたあんたが寮長だとは思わなかったな」

「なんとなく、君が渡会君かなとは思っていたけど、まさかあんな命知らずの馬鹿だなんて」

 

 ――こ、こいつ……!

 

 未だに険が抜けきらない様子の少女に渋谷のこめかみがヒクついた。

 ただ、いちいち声を荒げていたのでは話が進まないと思い渋谷はぐっと堪えた。


「ねぇ――渡会君」

 

 と、静謐な瞳が渋谷を真っ直ぐに見詰めた。


「君、やっぱり考え直すつもりはない?」

 

 渋谷は何を、とは聞き返さない。

 少女は再三自分に忠告してきていた。

 

 ――この町には化け物がいる。

 

 その事実は今日初めて目の当たりにしたことではあったが、思えば少女がなかなか寮に入る事を認めてくれなかったのはそういう裏があったからだろう。


「一度はここに来る事をあんたは認めたんだ。 今更俺には引き返すつもりもないよ」

 

 でも自分の意思は曲げられない。渋谷は柔軟ではないのだ。意見や主張を臨機応変に対応させるような器用な真似は出来ない。

 それに、やる事もやらずに逃げようなどと、祖父にどの面を下げて会えというのか。

 渋谷は選んでここにいる。

 それは紛れもない、自分の意思によるものだから。


「……分かったわ。もう、好きにしなさいよ」

「助かる」

「ただし、命知らずの馬鹿はもう卒業して。守る方は大変なんだから」

 

 そうだ――少女はこの町のヒーロー。

 怪物と戦う、英雄。


「なぁ、なんであんな事を――」

 

 続けているのか。何故戦っているのか。

 そう聞こうとした渋谷は、


「まぁ坊主。聞きたい事が山程あるのはわかるが、今は飯を食べようや。折角こうして作ってあるのに冷めちまったら勿体ないだろ?」

「あ――」

 

 その通り。渋谷ももう空腹が限界だ。

 疑問を解消するのはいつだって出来る。ましてやこらから先はこの町で暮らしていくのだから、そのチャンスはいつだってあるのだ。

 

 それよりも、この瞬間にしか味わえないモノも確かにある。

 渋谷は微笑みを返しながら、テーブルにつくと、皿に向けて箸を伸ばすと、


「ねぇ」

 

 と、美朝は声をかけてきて。


「――美朝。麻雛美朝。……よろしく」


 そこでようやく少女は、名乗ったのだった。

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