第四十九話 星を詠む少女
そこには、宇宙が存在していた。
暗黒の天体に浮かぶ遍く星々、その全てが、とある少女を中心として静謐な空間に展開されている。
彼女が纏うのは神気だった。神と契約することで得る力の根源を、少女は己の存在を通してこの空間に満たしていた。
「――星が、動いた」
白の外套に身を包む少女の声が、言葉を紡ぐ。
両手を組み、膝立ちとなった少女は祈りを捧げるかのように天体を仰ぎ見る。
――また一つ、星が流れた。
「神子様、失礼いたしますわ」
と、少女の後方から聞こえてきた、一室に立ち入る男の声。神子と呼ばれた少女は振り向いた。
「また、星詠みですか?」
男が独特なイントネーションで問うた。関西に近い言葉遣いではあるが、微妙な訛が違う。
男は白の狩衣に身を包んでいた。とはいえ烏帽子などを被っているわけでもなく、むしろ正装を小馬鹿にするように着崩している。またその面構えは不遜。釣り上がった口端に浮かぶ笑みは、少女に対して向けられた呆れを含んでいた。
「はい。最近は星の動きが騒がしいですから。こうしていないと落ち着かなくて……」
「まぁ、いいんですけどね、無理せんことですわ」
砕けた口調は親密さの現れか。男の糸のように細い目が、更に細まる。
「で、どうでしたか。あの星は」
言われ、少女もまた表情を引き締める。そして彼女は一つの星を指さして、
「――『羅睺』。他の星を喰らい、大きさを増しています。このままでは――」
「あの時の、再来ですか」
「はい」と、少女が顎を引く。
少女がおこなっていたのは『星詠み』と呼ばれる、陰陽道における占星術のひとつだ。
現代における神道は密教や、修験道といった外来の文化を取り入れた神仏習合を核としたモノだが、その中核には陰陽道からの影響が伏在している。
龍脈や龍穴といった相地の概念に加え、暦数や天文といった分野は陰陽思想によるもの。
己を中心として一部屋丸ごとを神域とすることでおこなわれる星詠みは、本来であれば有能な霊能者が何人もいなければ成すことの出来ない芸当である。
しかしこの少女がそれを成したという事実が、彼女自身の能力の高さを証明していた。
少女が見るのは星を通じた人の運命だ。
陰陽道において星は、人を含む森羅万象の動きをコントロールしているとされている。
具体的には、『属星』――という考え方がある。九曜星の九つの星や、北斗七星の七つの星の内の一つをその人の生まれ星として運命を司る星と考え、これらの星を供養することで自らの幸福を祈り災いを取り除くというものだ。
『羅睺』と呼ばれた星は、九曜星のうちの一つである。
日月火水木金土がそれぞれ太陽系における天体に対応していることは周知の事実だが、馴染み深い曜日の概念にはさらに、計都と羅睺という星が存在する。
計都と羅睺はそれぞれ日食と月食に対応しており、凶星としての側面を持つ。
そのうちの羅睺が輝きを増すということは古来より災いの前触れとされてきたのだ。
かつて、同様のことが起こった事がある。
羅睺星が輝きを増し、凶兆となった、神祇省が掲げる最大最悪の神災である五年前の悲劇――。
各地で発生する地脈の変動とそれに伴う禍津神の侵略はあの日を境に生まれたものなのだ。
だから、またしてもと。
神妙な顔つきを見せる少女。いかに彼女の年齢が幼かろうが彼女はその事実を重く受け止めていた。
彼女はそう、神子と呼ばれるモノなのだから。
だというのに、
「ついでと言っちゃなんですけども。ひとつお耳に入れたいことが」
男はそんな少女の頑なさを、飄々とした笑みを湛えながらさらりと受け流し、
「鳴海支部の熊谷からの連絡ですわ。鳴海の、新たな英雄について――」
「新たな、英雄?」
そして更にと、少女の心労を加速させる一言を告げる。
鳴海と呼ばれる地。
それはかつて起こった神災に対して、最も尽力した夫婦が住んでいた場所だ。
組織における重要度としてはさほど高くはなく、いくら龍穴があろうと、英雄一人がいれば対処には事足りるという場所だ。ましてやあの地に居るのは、組織が誇る特記戦力の愛弟子だというのに。
その地で、新たな英雄が――?
「渡会渋谷。あの渡会さんとこのボンですわ」
「まさか……そんなっ」
少女の驚きは、その因果にあった。
神災の功労者たる二人の子息。それがまさかこのような形で星が巡り会う。
英雄になるということは即ち、過酷な運命の潮流に乗ってしまった事を意味するのだから。
「命を、落とされたのですね……」
英雄とは神の人柱となり、その身体を神の依代とした者のこと。
巫女が行う神降ろしのように、高い霊力を持つ者にだけ許される神との交信を、己の魂だけで成した者。それらは大抵、死によって、魂が肉体という枷から解き放たれることでおこなわれる契約が許となる。
組織の構成員の大半がそうして一度死を経験し、神との契約を果たすことで新たな生を得ることが出来ている。故に、彼らの凶に対する代え難き怨念や妄執は、決して消え去ることのない炎となってくすぶり続けているのだ。
「あぁ……なんということでしょう」
だから少女は、その運命を哀れんだ。
神災の被害が最小にまで抑えられたのは、渡会夫妻が居たからだ。彼らの存在が、今、組織と凶の力関係を五分以上にしている。それこそ礼など尽くしても尽くしきれない程の功績なのだ。
だがこれではあんまりだった。二人の遺した子供が、自分たちと同じ運命を背負うことをどうして認められよう。
それこそ、恩を仇で返すようなものではないのか。
「そして、もう一つ」
男は一本指を立てる。
「渡会さんとこのボンが契約した神は――スサノオ、らしいんですわ」
「なっ――!?」
男の言葉に少女が瞠目する。
そしてよぎった予感に従って、再び見上げる天体に映るは――羅睺。
「っ――そういうことでしたか」
二人の中で一つの意見の合致が見られた。
当人達にしか分からぬ、導き得た解答は、果たして。
「――渡会渋谷を、ここに」
少女がこぼすように呟き、そして強くもう一度。
「すぐに、渡会渋谷を呼んでください、一刻も早く。星は人の動きを待ちはしない。星が、人を動かし続ける限り」
「了解しました。神子様」と男が頷く。振り向き、もと来た道を戻る男の口元に浮かぶは笑みである。
少女が出した指令。それは何よりも優先すべき事項。
――御統姫子。
彼女こそが、凶対策機動特課『DRAFT』のトップであり、神祇省を統べる者。
渡会渋谷の星は如何様か――その真贋は、一人の少女に委ねられた。




