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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第二章 狐の嫁入り
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第四十八話 天気雨の初恋

 一匹の狐を包む、心地よい微睡みがある。

 突き抜けるような蒼穹に、曇りなき輝きを放つ太陽。草の緑は狐の心を穏やかなものと変えてくれる。


「はい、これは九重の分だよ」

 

 それは一人の少女の声。草を編んで作った緑の冠。ままごとでしかないそれに神格たる己が付き合う義理もないのだが――、


「…………」


 狐は甘んじてそれを受け取った。ポンと頭の上に乗せられる。そしてニコリと笑う少女の輝くような心に。


「――――」


 狐はただ、己の心を化かされたのだ。


      ●


 長かった戦いに幕が下りる。

 渋谷が放った最後の剣閃。それは全霊をもって相対した九重に向けた渋谷の答えであった。

 九重はその一撃を受けてなお、その存在が消滅する事はなかった。それは九重に向けられた祈りが、九重の存在を繋ぎ留めているからだ。

 想いの刃の中にあったその祈りは、確かに渋谷にも届いていた。だからこそ、


「――渡会君」

「八神さん……」


 その祈りを捧げた少女の想いを、渋谷は邪魔しようとは思わない。


「九重と、話をさせて欲しい」


 千草と九重の中にある繋がりがなんなのかを渋谷は知らない。だがその繋がりがあったから今がある。


「分かった」


 渋谷は頷いて刀を納める。

 九重には戦意も、戦うだけの力も残ってはいない。それは渋谷も同じだ。

 もう、ここでの渋谷の役目は終わったのだ。

 

「――九重」

 

 そして千草は語りかけた。

 

「千草……」


 地に横たわる狐が、辛うじて掠れた声をあげる。九重の身体は昇華を始め、その魂は世界へと消えゆく最中だった。

 その九重の側に千草は寄り添うように膝を付いて、顔を覗き込む。

 千草の胸中は様々な感情が渦巻いている。ここでどんな言葉をかけることが正解なのか、千草は迷っている。

 

「あ……」


 そんな千草の頬に九重の手が触れる。愛しいものを撫でるように優しく。

 千草はその手に自らの手を重ねた。

 そして千草は、己の言うべき言葉に辿り着く。


「ありがとう、九重」


 それは感謝だった。

 千草が重ねてきた後悔の清算。そして一歩踏み出すことへの勇気ときっっかけを与えてくれたのはここにいる九重だった。

 たとえそれが間違っていた方法だったとしても、それで自分は救われたのだ。

 英雄がそうしたように。自分はこの神様によって救われたのだから。


「あなたに会えて、良かった」


 声は必死に絞り出した。気を抜けばそれはもう言葉にはならないから。

 でもそうなったら自分はまた後悔してしまう。それは嫌なのだ。後悔はしたくない。八神千草が変わったことを、彼に見せなくてはならないのだから。


「ココッ。儂は戯れに主を化かしただけよ。感謝される謂われはないのぉ」


 九重はそう言って茶化してくる。でも本心は伝わっているのだ。彼はただ照れているだけ。そんな不器用さを千草は知っている。


 そんな彼を、自分は好きになったのだ。


「聞け――千草よ」


 九重が千草の瞳をじぃっと見つめてくる。そしてそれは笑みを伴って、


「主はちぃっとばかし、優しすぎる。女子は時に男を誑かすぐらいでなくてはならぬよ」

「そんなの、わからないよ」

「なに、難しいことではない。ただ少し、甘えるだけ。父や母に甘えよ。主はもっと己のしたいことを口にするだけで良い」

 

 九重は諭すように千草に告げる。これが最期の言葉だというように。

 

 九重は千草を見てきた。千草は九重を見てきた。

 それは確かにほんの僅かばかりの時間に過ぎない。けれど確かに通じるモノがある。

 共に後悔をしてきた。果たせなかった事があった。諦めたことがあった。

 そしてその二人がこの地で出会い、果たせた事があった。だから通じ合えた。

 そんな彼の中にあるのは満足だった。

 そしてそれを叶えてくれた英雄に向けてもまた、


「英雄よ、主たちも聞け」


 渋谷。そして寄り添うように立つ美朝。二人もまたこれが最期と悟るがゆえ、その声に耳を傾ける。


「忘れるなかれ、主等もまた人なのじゃ。神だなんだと自惚れるな。己の心を常に持ち続けよ」

「――ああ」

「――わかってる」


 二人が頷く。その時の想いは千草には分からない。けれど、これこそが九重が愛した輝きなのだ。人であることの強さなのだ。


「――この地に、災厄が迫っておる」

 

 変わり、九重は神妙な面持ちで告げた。


「……災厄!?」

「それって……」


 そして二人の表情が強ばった。


「――鬼。人として我欲に堕ち、汚れ、至った神格。主等とは謂わば真逆の存在である鬼神共」


 新たな敵の存在。それは即ち、この町が再び恐怖に晒されるとということ。

 しかし、と九重は言う。


「じゃが案ずるな。主等は見せたのじゃ。人の輝きを。そして恐怖を振り払う強さを。ならば怯むなかれ、恐れるなかれ。そして努々(ゆめゆめ)忘れるな。主等は、神と共にある」


 言葉を受け止めた英雄達。聞いた二人の表情が決意へと変わる。


「――俺達は英雄だ。だれが相手だろうと、やることは変わらない」

「私達は、救いだから」


 その強き眼差しに、九重は笑みを浮かべる。  


「儂は満足しておる。あぁ素晴らしきかな。こんなにも晴れ晴れした気持ちで逝くことが出来ようとは――」


 終わりの刻が近付いていた。もはや彼が遺す言葉はこれっきりとばかりに。

 そして交わした言葉を、千草は忘れない。忘れたくない。

 そう思うから、千草の心には、ぽつり、雨が降る。


「どうしたのだ千草よ。何故泣く? 見よ、こんなにも空は晴れておるのに、主は何故笑ってくれぬのだ? 雨はいらぬよ。主にはもう、それは必要なかろう」

「ちがっ、ちが、うの。これは……っ」


 優しい声がこちらを心配してくれる。それがするりと心に入り込むから、また涙は止まらない。溢れ出してしまう。

 あの日、九重と出会った時のように降り出した突然の雨が、千草の心を打ち付けるのだ。

 

「笑っておくれ千草。愛しき娘よ。浮かない顔など見せてくれるな、主はもう儂のモノなのじゃ。ならば儂の願いをきいておくれ」


 そうだ。

 あなたは言った。儂のモノになれと。

 

「っ――」


 浮かない顔は似合わないと彼は言ったのだ。自分にそれは似合わないと。


「九重は、あたしにとって神様だった。信じて祈る、神様だったんだよ」


 願いを言えと言った。その彼が願いを聞いてくれと言う。

 なら千草がするべきことは一つだろう。

 

 雨が降る日を、せめて天気雨に変えてやろう。

 あなたがそうしたように、自分を化かして。


「ココッ。良い。良いなぁ」


 にぃっという大きな笑みは、まるで太陽だった。

 まなじりから滴る涙は晴天に降る雨のように。ただその笑顔という太陽をより輝かせる為に。

 八神千草が見せる、最大級の笑顔がそこにある。


「あぁ、天晴れ。天晴れじゃ――のぅ、『千種ちぐさ』」


 天晴れ、天晴れと。

 輝きを求め、現世をさまよい続けた一匹の狐は、己が愛した輝きに抱かれ、満足げに、逝った。  

 

      ●


 世界に溶けゆく魂の残滓。それが、鳴海町で一つになる。

 その光景を、巴は目にした。


「あれは…………」


 戦いの衝撃で積み上げられた瓦礫、吹き飛んだガラスといった校舎だったモノが、全て元通りになっていく。


 神気による再構成。

 それは九重が最後に起こした奇跡だった。


 校庭に空いた龍穴すらも何もなかったかのようにその大穴を閉じる。

 それが、この地へ災厄をもたらした神格のけじめだったのだろうか。


 その最期の時までしてやられた。

 そうだ。英雄たちは、真にあの狐に勝ててなどいない。

 

 凶が現世に顕現する際に起きる現象。空を覆う闇と、そこで蒼き輝きを放つ月。それらは凶が存在する位相と現世を無理矢理に繋ぎ合わせる事で起きる神域の侵略だ。その効果は凶という穢れた魂を最大にまで高めるというモノ。その余剰分が一つ眼の眷属となって現れる。


 しかし、狐はこの戦いにおいてそれをしなかった。

 己の持つ神格としての力のみで英雄と渡り合い、常に次の手を待って、危うく道を外れようモノならそれは違うと叩いてみせた。

 信仰を得ることが出来ない凶という存在が現世に留まり続けることは、自殺行為に他ならない。

 

 だが、そうした。

 それは奴が人を愛するがゆえ。人の輝きを信じるからこそ、その輝きを守る英雄達を試し、そして狐は空が闇に陰る事を嫌ったのだ。


 そして、巴もまた。


「化かされた、ということか」


 だがそれでもいい。

 己が繰る算段すらもこの時ばかりは忘れてもいいと思った。


 生徒達の声がする。英雄達を讃える声がある。

 その光景を巴もまた心のどこかで、望んでいたのかもしれない。


「まったく。ままならないなぁ」


 そうして巴は溜息をこぼす。

 きっと巴はまた、小言を言われるのだろうから。

 

      ●


「あぁぁあああああ、なんっということか!!」


 夜刀守の社にて、どこか焦った様子で般若面がわめき散らした。


「またしてもっ、またしてもっ!! 創界が成されたなどと、あってはならぬことではないか! それも神祇省の英雄如きが!! あぁ我らが夜須島の地はいったいどうなってしまうのだ!! わかっておりますな、姫様!!」


 詰問口調は巴に対する非難の表れ。こうなることが分かっていたから、巴は憂鬱だったのだ。


「ふぅむ、今回の件、鳴海高校にて禍の神の手が入ったことに関して、姫様はどう責任をとられるおつもりか?」

「申し訳、ございません」


 そしてこうなる。

 その責任を巴は強く感じているし、自分自身に対する憤りだってもちろんある。

 だが、この者達にあるのは、当代である巴をただいびりたいという感情だけ。自分が同じ立場になろうという気概すらなく、ただ端から声だけを出したい連中なのだ。

 巴の謝罪に心など籠もろうはずがない。


「ふぉっ、ふぉっ、そこまでにせんか。お主らとて、自分の家を荒らされぬかと冷や冷やしとったくせにのぉ?」


 そして、翁面がこの場を納めるまでがいつもの流れ。あと一歩遅ければ、影に潜んだ烏丸が噛みつくところだった。


「し、しかしですな元老。そもそもこの地が安定しないのは夜刀守の責任で…………」

「阿呆が。協会に属するお主がそれを言うてどうする。よもや神祇省と同じ事を言いおって。因幡のテーマパークに出資してやったのは誰じゃったかのぉ?」

「ひ、ひぃい!! そ、それとこれとは……」


 般若面が翁に睨まれ竦んでしまう。

 翁面はこの夜須島の市議を務めている。いや、そもそもこの場に集まる者達は夜須島の地における有権者である。

 そして因幡町に出来たばかりのテーマパークは、利用者の減った遊園地を建て直し作られたもの。その出資を行ったのが翁面である。

 因幡町において権力を持つ般若面と言えども出資者である翁面に逆らう事など出来ない。


「おぉそうじゃ、まだ視察も済んでおらぬし今度お主のテーマパークに姫様と行こうかのぅ、ふぉっ、ふぉっ」

「そ、その折にはチケットをお送りいたします…………」


 などという、この場にそぐわぬ世間話にまで話は発展し、


「姫様」


 すると、その場をぴしゃりと断じるような声。それは老女面のものだった。


「これからどうするおつもりで?」


 当主である巴の意見。それを彼女は求めている。


 鳴海高校はいわば巴の城。それを荒らされたという事実は巴の実力を疑問視することに繋がる事実だった。

 そして今回、狐が起こした事件は、巴の思惑を超えた事態となっている。


「狐に、『殺生石』を破壊されました」


 巴は起こった事実だけを端的に告げた。

 

「ば、馬鹿な!?」


 その新たな情報が般若面の威勢を取り戻させる。


「あれは、夜刀守の秘宝。それを壊されるなどと…………」


 『殺生石』。それは玉藻御前の悪性を封じた石。現在それは砕かれ、各地至る所に点在している。

 それ自体がとてつもない神気の塊であり、瘴気を封じ込めた魔石。それが、鳴海高校の地下において守護されていたものだった。

 そして夜刀守家においては、祀る神を呼ぶ為に必要な、御贄のひとつであったのだ。


「これで我らが神への道は一つ閉ざされたッ! 姫様ッ、謝罪一つで済むとは思いませぬなっ!!」


 故に糾弾されることは分かっていた。

 凶・九重がこの鳴海町に現れた真の目的こそが、この殺生石の破壊だった。

 真の持ち主であった狐は、己から切り離したはずの腫瘍が利用されていることに、我慢がならなかったのだろう。

 あの戦いの中で九重は殺生石から神気を引き出し、力を行使する姿が見えた。だからアレほどまでの力を発揮できていたのか。やはり、元の持ち主であるということなのだろう。

 

 そして巴は、


「神祇省の英雄はご存じでしょうか?」

「何を今更ッ、話を逸らそうなどと!!」

「聞け、般若!!」


 翁が諫める。


「――渡会渋谷。夜刀守の仇敵の息子にして二度の創界を成し、鳴海を救った英雄。それが?」


 蝉丸面が問い、


「ならばその英雄が契約する神が『スサノオ』だというのは?」

「なっ!?」


 という驚きの声が漏れ聞こえ、他の者達もまた閉口する。

 やはり知らなかったか、と巴は内心呆れ混じりに仮面を眺める。

 協会に属すると言っても皆が皆、霊能を持つ者ではない。それはきっと、かの神祇省とて同じだろう、こういう組織というのは基本的に役割分担、適材適所で成り立っているのだから。


 しかし、


「スサノオ…………よもやそういうことだったとは思わなんだ」

「ならば、二度の創界というのも話が違ってくる。これならば我ら協会の復権も夢ではない!!」

「おぉ、なんということか」


 彼らとてその重要性は理解しているのだろう。協会における『スサノオ』というワードは何においても重要視されるのだ。

 一転して殺生石を失った事実は、新たな希望によって上塗りされる。

 なんと単純なのだろう。その情報すらも真意を知ればまたこいつらは掌を返すのだろうか。

 だから巴は蔑む。この蒙昧共を自分は導いてやらねばならぬのか、と。

 狐は人の輝きを信じた。だが巴にはどうしてもその輝きに目を向けることは出来ない。


「流れは我らにあります。故にしばし、お待ちを」


 そうだ、待っていろ。

 自らの手を汚すことなく高見で良い気になっていればいい。そうして事態について来られず全てを失い喚くことになろうとも。人の愚鈍さに呆れた神によってその身を飲み込まれても。白痴のように呆けていればいい。


 貴様等の信じる神などもはやこの世にいないのだ。

 

 ならば創るしかない、人の手によって。

 神の贄でしかない存在だなどと、断じて認めてなるものか。

 

「あぁ、認めない。認めないとも」


 そんな運命は認めない。

 

「そうだろ、『スサノオ』」


 その呟きは誰の耳にも入らない。

 それは巴と本質を同じとする神に向けた言葉であるのだから。


 夜刀守巴という女がいる。

 神道協会の当代にして姫巫女であり、神に捧げし贄である。

 その彼女が仕える神は、彼女が生まれる以前より、決まっている。


 夜刀守家の家紋は――蛇。


 八つの頸を持つ、蛇である。

 


      ●


「こらっ千草、美朝ちゃん待ってるわよ!」

「うん、分かってるっ!」


 八神家の朝は忙しい。ただその風景はいつもとはちょっぴり違うものとなっていた。


「お母さん、起こしてくれたら良かったのにっ!」

「馬鹿言わないの。アンタ今までちゃんと起きれてたでしょ?」


 やれやれ、といった母の責めるような視線に千草はむっとふくれっ面をしてみせる。

 そうして靴を履いている千草に、


「はい、お弁当。気を付けてね」

「うん、行ってきます」


 それは今まで自分が言われてきた言葉。弁当にしたってそうだ。

 ただちょっとの違い。でもそれが千草の望んだ当たり前でもあるのだ。


 そうして勢いよく飛び出して千草は自分を待つ親友の許へ。


 学校での事件から既に三日が経ち、千草と美朝は元の関係性を取り戻しつつある。それでもちょっとのぎこちなさは抜けなくて、まずは一緒に登下校から始めている。まるで、付き合いたてのカップルのようだけど。


 でもこれでいい千草は九重との誓いがあって自分に素直になろうと決めた。

 まだそんなに自分を大きくは変えられないけれど、父や母と話したりして少しずつ何かが変わっている。


「ごめん、待った!?」

「うん、ちょっと」


 あはは、と笑う千草と苦笑を浮かべる美朝。

 かつてそうだったように二人は一緒に歩いていく。


「今日、お母さん起こしてくれなかったんだよぉ……」

「また、そんなこと言って……。千草、あなた甘えすぎだわ。お母さんはその為に部署替えになったんじゃないわよ」


 そうなのだ。千草は九重の言葉に従って父と母に普段の自分の気持ちをぶつけてみた。すると、どうやら二人も同じ事を思っていたらしく、千草に対して謝ってくれたのだった。

 それからすぐに母の部署が変わって、今までのようなタイトなスケジュールから解放され、家に居られる時間が増えた。とはいえ、父は相変わらず忙しいし、母だって警察官であるからして急な出動は避けられない。それでも前よりはずっと千草の理想には近づいた。


「今週はお花見に行くんでしょ? そんな調子じゃ当日になって寝坊しちゃうんじゃないかしら」

「もうっ、分かってるってば。その時は起こしてもらうから大丈夫だよ」

「全然、分かってない……」


 そうやって冗談まじりにからかって遊ぶのが美朝だった。それが千草の知る親友の姿。なつかしい。けれど思う。懐かしいと感じるまで時が経った。でも、それを今、埋めている。


「あ、そうだ。ゴールデンウィークの予定だけど……」

「えぇ、大丈夫」


 少し気が早いが待ちに待った大型連休が迫っている。千草たちは思いっきり遊び尽くす計画を立てていた。


「遊園地かぁ…………ホント、久しぶり」


 そう呟く美朝の表情が柔らかくなる。本当に楽しみにしている証だ。

 因幡町に出来た新しいテーマパーク。千草もまだ行ったことがない。美朝のその気持ちは分かる。


「あとは、琴音と犀川さんたちかぁ…………」


 そこそこの大人数だ。しかし驚くべきはその中に犀川達が入っていることだろう。

 この三日間の色々の中には、犀川達のこともあった。

 千草が招いた結果ではあるが、彼女たちとの間に生まれた不和を、千草はなんとか解消したいと思っていた。


「千草…………」

「大丈夫!! 犀川さん達だって分かってるよ。みんな同じ!!」


 そう、同じだ。彼女たちの反応は自然だった。当然、異常を前にして平静でいられる訳がない。

 それでも彼女たちは声をあげてくれた。美朝達に声を届けんとする中にちゃんと犀川達の声だってあったのを千草は知っている。

 だからあとは千草の問題。後悔をしない為の一歩は、千草自身の足で踏み出さねばならない。


「美朝も好きに誘っちゃってよ。例えば、渡会君とか?」

「な、なんでそこにアイツの名前が出るのよ!?」

「別に深い意味はないよ?」


 などと言いつつも、美朝がそういう反応を示すだろうということは分かっていた。その無自覚な熱を千草は尊く思い、そして美朝をより近くに感じさせてくれる。彼女も普通の女の子なんだと。


「でも、うかうかしてると、琴音に取られちゃうかもね〜。今日だって一緒に学校行くんだろうし」

「ふ、ふん。べ、別にどうだっていいわ、そんなこと。私とあいつはそういう関係じゃないし」


 確かに、そういう関係ではないのかもしれない。

 より強い繋がりがそこにはあって、千草にはやっぱりそこにはいけないのだろうと思わされる。

 九重に願って、美朝を理解して、けれど今はこの関係こそが自分たちの距離感なんだと思える。

 だから千草はそんな美朝の気持ちを尊重するし、けれど琴音の友達でもあるから、ただ影ながら応援するだけなのだ。


「美朝、後悔だけはしないようにね」


 そんな言葉が自分の口から出るなんて、前の自分からは想像できなかったろう。

 でも変わることが人なのだ。そう、九重が教えてくれた。


 同じであること。変わらないもの。違うこと。変わるもの。

 

 それらは全て、色々な立場によって見方の変わるものなのだ。


 けれどそれでいい。千草は自分がそれを知れたことが大きなことなのだ。


 だから千草は後悔しない。これからも、後悔しないために。

 今を、精一杯、歩いていく。


「あ………」


 ふと、ポツリと肌に何かが当たる感触がある。


 見上げた空からは雫がポロポロ落ちてくる。それが、千草に一つの想いを想起させる。


「――――っ」


 ひとつ。やっぱり後悔していることがあった。


「雨、ね。でも、太陽が出てるから、天気雨だわ」


 きらきらと輝く雨粒が、千草の想いを膨らませる。

 この光景こそが、千草が忘れることの出来ない運命の出会い。この景色がある限り、千草はきっと思い出し続ける。


「ねぇ千草、知ってる?」

「………なに?」


 ぼぉっと見上げた千草に、美朝がそっと尋ねてくる。それは儚げな笑みを伴って、


「お姉ちゃんが教えてくれたんだけどね。こういう天気のこと、『狐の嫁入り』って言うらしいわ」

「っ――――」


 美朝は知っていたのだ。千草が抱えた想いを。まだ、吐き出せていない後悔の形を。


 だからそう言ってくれる。後押ししてくれた。だから千草はそれに目を向ける。


 あぁ、やっぱりだめだった。悔やんで悔やんで、前を向こうと思っても自分はやっぱり振り返る。

 でもそれは今を向くために必要なことだから。


「すぅぅぅぅ――――九重の、バカやろおおおおおおおおお――――っ!!」


 心の叫びを天に向けて放つ。


 そうだった。最後まで化かされた。

 なんだよ、『千種』って。結局その気持ちは別のところに向いていた。

 知っていたはずなのに。彼の後悔を。でも、だからこそ――。


「――好き、だったんだよ。バカ野郎」


 そんなあなたに、恋をした。


 この景色は、あなたとの思い出。

 それは一生忘れ得ない、初恋という名前の後悔。

 

 けれどそれは今までの後悔と違って、どこか清々しく感じた。


 差し込む日差しは、あの日ずぶ濡れになった千草に差した金色の輝きだ。

 今もまた、その輝きは千草を包んで「ココッ」と笑いかけてくれた。


「美朝っ」


 だから千草も、パァっと笑って応えよう。


「学校まで、競争だよ!!」

「あっ、千草!?」


 あなたの好きな輝きを、八神千草は、忘れない。

 

 踏み出した少女はもう、後悔に、振り向かない。


      ●


 神も人も全ては同じである。そこには違いなど無く、あるのはそれぞれが持つ考え方の違いだけ。


 ゆえに、気まぐれが生んだ初恋は、ありふれた奇跡の一瞬だ。

 神だろうが人だろうが同じこと。そこに違いなどありはしない。

 けれどそれこそが、神の愛した輝きだ。

 

 これはお伽話めいた一人の少女の初恋語。


 ――現代神話の恋愛譚。

これにて二章終了となります。


今後の予定や、ネタバレを含んだあとがきのようなモノを活動報告に書く予定です。

よろしければそちらもよろしくお願い致します。

ご覧頂き、ありがとうございました!!

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