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現代神話ヒロイズム  作者: 石上士悟朗
第二章 狐の嫁入り
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第四十六話 届いた声

「――みんな、伏せろぉ!!」


 巴が叫ぶ。誰よりも早くその危機を察知した彼女に迷う時間など無かった。

 高まり合った神気の衝突。刹那、それによる余波が校舎を襲ったのだ。

 起こり得る現象全てが、まるで神の怒りの具現である。災厄が降り注いだかのように、誰しもが己の終わりを予感する。

  

「きゃあぁああああ!?」


 女子生徒の悲鳴があがる。

 体育館の小窓が一斉に弾け飛び、壁や扉が砕け散る。そしてそれは女子生徒に襲いかかり――、

 

「っ、のぉ!!」


 ――間一髪。モップを振り上げ扉をたたき落としたのは佐伯だ。

 いかに瓦礫といえどそれをたたき落とすという芸当、並みの技量ではない。

 だが当の本人はまったく気にした様子もなく女子生徒の無事を確かめていた。


 だが危機は変わらない。生徒たちはそれを否応無く眼にした。


 取り払われた壁の向こうに合った景色。

 そこには黄金の太陽があった。己がいかに矮小であるかを叩きつける炎の色があった。

 距離など分からない。そんなものは関係ないぐらいにただ巨大なのだ。

 こちらを胃袋に納めんと大口を開ける獣のように。

 その熱を感じる。肌が焼けただれるほどの熱量が。


 けれど。


「あ、あれは」

「麻雛、さん!?」


 その中で、一人立つ小さな背中がある。

 そうだ。戦っている。守ってくれている。

 絶望などさせはしないと、そう語るかのように真っ向から立ち向かう英雄がいる。


      ●


 美朝の神気が雷となって迸る。

 灼熱の太陽に向け放つ雷砲。総てを焼き尽くす破壊の炎に、自身の乾坤一擲を撃ち込んだ。


「はぁぁぁあああああああ!!」


 己に残る全てを使い尽くすかのように美朝が吠える。

 圧倒的な神気の前に、『鳴神之雷切』が触れたそばから呑み込まれていく。

 それでも美朝は神気の放出をやめなかった。


 ――ここで私が諦めるわけにはいかない!! 今までも、そうしてきたようにッ!!


 美朝にとっての停滞していた日々。しかし、それは意味のないものでは無かった。


 ただ凶を葬るだけではない。

 美朝が救ってきた命がそこにはある。


 そして今も、この背中には、守るべき者がいる。


「――っ、ばれ!!」

「――、るなぁっ!!」


 ふと、耳に聞こえた声。

 己の背に向けて、誰かの声がする。


「頑張れええええええええええ!!」

「負けるなぁああああああああ!!」


 ――ああ。


 なんということだ。こんなことがあるのだろうか。


 自分は嫌われてもしょうがないと思っていた。

 誰かに認められなくとも、それで良かったはずなのに。


 その運命を呪った。何故自分がと吐き捨てた。

 それでも手放すことなど出来なかった。自分が自分である理由がそこにあって。それを失ったらもう、生きてなどいけないから。


「頑張れええええええええ!!」

「麻雛ぁあああああああああああ!!」


 声が届く。まるでそれは孤独な場所に射した光。

 求めていたのだ、誰よりも。報われる時を待ち望んでいたのは誰よりも自分だったのだから。


「負けて、たまるか」


 そうだ。


「私は――英雄なんだから!!」


 再び友と並んで歩ける喜び。並び立つ者の存在。


 ひとつひとつ、失ったモノが美朝の中に帰ってくる。

 

 だから終わりになんて――させない、させやしない。


 この声が届く限り。自分は満たされ続ける。力が沸き上がる。

 それが神の力を使うということ。


 だから、


「いっけぇえええええええええええ!!!!」


 超える。過去の自分を。今の自分を。

 振り返るな。そこに道は続いている。自分が切り開いていく道がここにある。

 立ち止まっても支え、励まし、導いてくれる者が美朝にはいるから。


 何も、怖くなんてない。


 放った神威が力を増す。それはより強大な力の流れ。

 呑み込むことなど出来ようもない。そこにあるのは人々の思い。

 英雄に望む、救いの顕象だ。


 消える。太陽諸共全てをなぎ払う。そこにあった絶望すらも彼方へと捨て置いて、未来へつながる命の輝きへと。


 そして繋いでいく。人々の想いは新たな救いへと繋がっていくから。

 

 だから――立ち上がれ、英雄。


 救いを、人々は求めているのだから。


「寝てんじゃないわよ!! 渋谷――!!」


      ●

 

 無謬の世界がある。

 上下左右何もない。ただ真っ白な部屋があって、そこにはただ己だけがいる。


 どこにでも行けそうでどこにも行けない。何も阻む枷もないというのに、捕らわれているという絶対矛盾。


 ――ああ、またか。


 それを「俺」は知っている。


『よぉ、気づいたか』


 ふと、声が聞こえてくる。この声も知っているはずだった。


『大丈夫、直に慣れるさ。そう、何度もあることじゃあない』


 そう気安く話しかける声だけだったものが、やがて像を結ぶ。朧気だったそれは人の形となって、ようやく姿が現れる。


 もう一人の、自分だった。


『ハハ、ざまぁないな』


 いきなりこちらを嘲るように笑った。ひどく、苛つく声だ。以前も似たようなことがあったが、それとは全く違う。この自分は「俺」を奮い立たせるようなことを言いはしない。ただ自分に馬鹿にされるのはなんだか苛ついた。


『無様だったよ、お前の姿は。修羅にはならないんじゃなかったのかよ、バァカ。守れない誓いなんて何の意味もない。……おっと、怒ったか? でも事実じゃないか』


 その通りだった。「俺」は力を欲して我を失った。もう二度とならないという誓いがあったはずなのに。そんなことは頭の隅にも残っちゃいなかった。

 ただ溺れたのだ。自分を満たした力が心地よくて。


『弱くちゃなにも守れない。英雄は救いでなくちゃいけないもんな? こんなところで倒れたんじゃ話にならない。それじゃお前が憧れた背中には到底並べない』


 英雄は救いだ。だから弱くちゃそうはなれない。自然と求めた力は「俺」の身に余るものかもしれない。


『でも、勝てなかった。それだけじゃあ届かない。アイツは並みの神格じゃない。今のお前じゃ、まぁ無理な話だった』


 ならばどうすればよかったというのか。スサノオに力を求めた。それで得た力は「俺」を修羅へと変えるかもしれない。それでも届かないなら、どうすればよかったんだ。


『違う違う。あの女に頼ってもあれ以上は引き出せない。あの女を通して渡せる力にも限界があるからな。余計なモンまで混じっちまうし。だが、今なら違う』


 もう一人の自分は、また笑った。酷く汚く、そして純粋な笑み。それはとても魅力的に思えた。


『あの狐、存外使える。おれがこうして出てこられるのはアイツのおかげだ。そしてその今だからこそ、お前には選ぶことが出来る』


 そして、


『修羅になれ』


 その提案はしかし。


『あの女が導こうとした紛い物じゃあない。たった一つを求めてのみ至る求道。その果てにある修羅ならば、お前はもっと強くなれる』


 強くなれる。それは、救えるということ。


『そうだ。強さは全てを内包する。全ての欲求を為す事が出来る。それは神と同じだ。己のしたいように世界を創る。一度やっただろう?』


 ――神意顕創。


 それは世界を創る法。己の存在による法則の改変。


『お前がやったのはまだまだ序の口だ。お前自身の声が足りない。心の底から望む欲が足りていない。他人の望んだ答えを出すのがお前の世界? 違うだろうが、お前がお前であるだけで世界は完結している』


 「俺」が望むもの。それは何だ? 

 強くなることじゃないのか?

 救いである事じゃないのか?


 全部、違うのか?


『違うな。お前は――』


 「俺」が――。

 「俺」が、望むのは――。


『寝てんじゃないわよ。渋谷――!!』


 と。

 そんな声が聞こえてくる。


 それは「俺」の思考を強制的に中断させる。

 

 それだけでやるべき事を思い出す。

 あぁそうだ。行かなくちゃ。自分にはまだやるべき事があった。


 そう思って、もう一人の自分を見れば。


『あぁ、クソッ。またアイツだ。ハハ、もうちょっとだったんだけどなぁ』


 頭を掻きながら毒づいて、


『良かったじゃないか。どうやらお前はまだ必要とされているらしい。英雄様が呼んでるよ』


 英雄という響きが空々しく聞こえる。でも「俺」にとってはそうじゃない。何よりも強く響きわたる。心に染み渡る。そうだ、自分は英雄だ。その声に並び立つと決めたのだ。


 こんなところにいつまでもいられない。


『おいおい、こんなところとはなんだよ。ここはお前の中だぜ? 案外住み心地がよくて気に入ってるんだ、しばらくはいさせてもらうつもりなんだがなぁ』


 気安い口調で言うもう一人の自分の影が、薄くなっていく。声が聞こえている。「俺」を呼んだ声とは別。暖かい声がいくつも重なってこちらに届いている。


 意識が浮上していくのが分かる。「俺」はもうすぐ目覚める。


 だから、と。


『餞別をやるよ。なぁに気にするな、そう怖いものじゃない。より強く繋がれるだけ。お前が英雄であろうとするのならそれを応援してやろうというだけだ。強さがいるんだろ。ほら、待ってるぜ「みんな」が』


 白い光が「俺」の中に入っていく。チクリと射すような痛みがあって、見れば虫に刺されたみたいな跡がふたつ出来ている。いや、これは牙か何か噛まれたみたいな――。


『そうだ。あの女にあったら伝えてくれよ。余計な事は考えるなと、脅え、畏れているのであれば、守るために何が必要なのかよく考えろとな。己はいつもお前を見ていると』


 その言葉の意味は分からなかった。それでもその言葉は消えないような気がした。

 あの女、と言ったもう一人の自分は、これまで語ってきたどの軽口よりも重く愛おしそうになぞるようだった。


『さようなら「渋谷」。またゆっくり話そう。今度はアイツもいてもいいかもしれないなぁ』


 クククと、喉を鳴らすように笑って、消えていく。

 白い。どこまでも透き通るような白さを持った、もう一人の自分が、消えていく。

 純粋がゆえに、歪んでいる。

 気づかないのだ、既に蝕まれていることに。


 これは自分の中に埋めこまれた毒。

 

 もう一人の自分がもたらした力が、沸き上がっていく。でも構わない。「俺」を呼ぶ声が待っている。


 美朝――今、いくよ。


 そして「俺」は――渡会渋谷は、目を覚ました。


 そんな渋谷を、白い蛇が睨んでいる。


      ●


「ほぅ、なんぞ、まだ立つか」

「あぁ、声が聞こえたんでな。立てってよ」


 浮上した意識は、先ほどとまるで変わらない景色を見せている。

 超然と立つ過去最高の敵、九重。

 そして、校舎の前でこちらを見る英雄、美朝。


 だがひとつ、違うこともあった。

 みんなが、いる。


 そして、声が聞こえているのだ。


「頑張れ!!」

「わたらぁい!! 立ってくれぇ!!」


 美朝が守ったみんなの姿。かつて、英雄として戦う存在に対し忌避を示した生徒たちが、渋谷を、美朝を応援してくれている。


「渋谷君!! 負けないで!!」

「渋谷ぁ!! いっけぇぇえええ!!」


 それは琴音たちの声。清春、渚、遠弥、愛莉。友たちの声だって届く。渋谷が英雄だと知りながらも声援を届けてくれる。


 たったそれだけのこと。

 だがそれは、渋谷に最大級の力をくれるのだ。


『渋谷様……お身体は……?』


 見やればスサノオがこちらの身を案じてくれている。彼女の様子は変わりない。いつだって渋谷に忠を尽くしてくれる巫女の姿がある。


『ッ――渋谷様!?』


 スサノオが何かを感じ取ったように顔をしかめる。

 

 そして渋谷も自覚した。


 どくん、と跳ねる鼓動が一つ。歓喜に打ち震える力の脈動がある。

 九重の技によって渋谷はスサノオからの力を受け取ることが出来なくなっていたはずだった。

 しかし内から沸き上がる力は、スサノオとの繋がりをより強固にし、もっともっとと力を求めている。それは渋谷の意志とは無関係に。


「大丈夫か、スサノオ!?」

『い、いえ、平気でございます渋谷様。どうぞ、お好きにお使いください。渋谷様の望むままに』


 全てを差し出したスサノオに渋谷は感じたことのない情欲を抱く。

 この女を全て手にしたい。その全てを食らいつくしてやりたいという強い感情。それは今までの渋谷には無かった、肺腑の底から染み出してくる昏い欲望だ。

 まるで毒。自分を内側から染め、蝕んでいく。

 

 果たしてそれが自分にどんな変化をもたらすかは分からない。

 しかし、それでも構わない。みんなの声が渋谷を正気にしてくれる。


「スマン。最後まで付き合ってくれ、スサノオ……!!」

『何をおっしゃいますか。貴方様に望まれること、それがわたくしの至上の喜びなれば。どうかお気遣いなどなさいませぬよう、存分に』


 その甘い囁きに溺れそうになる。だがそれでは駄目だ。己を律し、そしてなお立ち続ける。


 聞け。声がある。

 答えは生まれた。迷うことなど何も無い。

 

 自分というたった一つを研ぎ澄ませ、向かうは神格、名は九重。


 いざ、告げよう、これが英雄たる渡会渋谷が抱く、たった一つの応えだ。


「確かにお前の言うとおり、人はきっと誰かを傷つけて、それでも救いがあるなら手を伸ばしちまうような、勝手な生き物なのかもしれない。でも――」


 届く想いがここにある。

 それはきっと、何かを為したいという想い。

 それこそが、人の欲望なれば。


「救いに縋ってしまうことがあったとしても、誰かを救いたいという想いだってあるはずだ……!!」


 今までの願いは一歩通行だった。救いあれという人々の願い。それを為すための英雄だった。

 しかしここにあるのは、声を力として届ける人々の想いだ。


「聞けよ凶、この声を! ここにある想いを! 人が無価値だと? ふざけたこと言ってんじゃねぇ、ここにある想いは全部同じだ!! 神も人も英雄も関係無い、違いなんてどこにも無ぇ!! この想いを背負って俺たちは戦うんだ」


 だから、


「もう一度言うぜ、九重。英雄は――救いだ。俺がこの町の英雄である限り、俺がみんなを救ってやる!!」


 この言葉を刻み込め。

 妄言だと切って捨てるな。


 全てを救う英雄であること、それが渋谷のたったひとつ純粋な欲望。

 渋谷は人を超えた英雄になった。だからどうした。欲深く、罪深い事で人が無価値だと断ずるのなら、渋谷にもまた価値など無い。


 何故なら全ては同じなのだから。


「――アンタだけじゃない!!」


 そしてそれは彼女も。


「私だっている。私だって、この町を守るヒーローなんだから!!」


 そうだ。彼女だって英雄だ。だから渋谷は、その隣に並び立つと決めた。


 彼女は今も超然と立っている。震えた脚を意志の力で動かしている。神気はもう戦えるだけの余力を残していない。美朝はみんなを守るために最後の力を使い切ったのだ。

 もう一人の英雄である、渋谷に託して。


 だから、吠える。これが最後の戦いだ。人々がそれを望んでいる。


「行くぞ、九重。これが俺に託された人の想いの力だと知れッ!!」

 

      ●


 儚く、脆い。人とはそういう存在だった。

 無邪気な魂は、生き足掻くにつれて汚く醜くなっていく。それが九重にはどうしても許せなかった。


 人は無価値。神にはなれない、欲深き者共。


 あぁ触れてくれるな。これ以上踏み込まないでくれ。己の心に何故土足で踏み込んでくる。


 退いてくれと振り払おうものなら壊れてしまう飴細工。大切にしまっておこうとも関係ない。いずれは溶け消えていくモノ。


 だから。


 だからここまで、惹かれるのだ。


 見るがいいこの光景を。たったひとつの純粋な想いが紡ぐ声を。

 救いだけを一心に求め、そして声をあげる人々の想いを。

 

 確かに汚れている。手前勝手な想いは、どこまでも自らを省みない欲まみれ。

 しかし、だからこそ、彼らはここまで強い想いを成すのだろう。

 認めたくはない。戯れで終わらせてくれ。これは一時の余興なのだから。

 

 かつて出会った少女のように。

 またの逢瀬は己を変えてしまう。


 神とはなんだ。たとえ全てを成す力を持とうとも、何一つ不変でなどいられない。

 それが人とどう違う? 

 こんなにも変わらないではないか。


「あぁ、来るがよい英雄よ。主の答えはもう、儂には届いておるよ。だからもっと見せておくれ、主らの輝きを」


 この気まぐれの行く先を教えてくれ。

 まるで晴天に降る雨のようなこの戯れを、意味あるものへと変えてくれ。


 その応えがたとえ危うかろうとも。それが人の価値だというのならば。


 神格はただ己の権能を持って世界となって人に還るだけなのだから。


「我が全力を持って相手しよう――英雄よッ!!」


      ●

 

 英雄、渡合渋谷と凶、九重の死闘の幕が上がる。


 全ての死力を尽くす渋谷の前に立ちはだかる九重もまた全力だった。

 お互いの技量は天と地ほどの開きがありながら、しかし生まれた熱戦は熾烈を極めている。

 それを成すのは単純な力ではない。

 願い、祈り、想いが渋谷を動かす。その背に託された力が渋谷を英雄へと押し上げるのだ。


「おぉ!!」


 吠える。猿叫じみた声は対峙する者に与える一撃と同じ。

 対する九重は沈着。無機質な白面の下の美貌は渋谷の一挙手一投足を見定めるかのように、こちらをまじまじと見つめている。人々の想いとはそんなものかと挑発するように。


 だから渋谷は一刀を持って応えた。

 

 迸る神気が風の刃となり駆ける。神速の疾風は命を刈り取る鎌。九重の首を狙って渋谷は放つ。


 しかしそれは読まれている。その一撃は渋谷が持つ数少ない手札の一つ。もはや幾たびの交叉は九重に渋谷の動きを把握するには充分すぎる時間だった。

 視界で神気が爆ぜる。炎狐。ひとつひとつが神威級のそれが渋谷の風刃をそよ風か何かとばかりに燃え揺らぐ。


「だけど、これならぁ――ッ!!」


 ならばとばかりに渋谷は疾走。そして懐に潜りこんだ渋谷が直接九重に斬りかかる。袈裟斬り――。


「それも知っておるわ」


 ギィンと、刃が受け止められる。渋谷の神器を受けるは扇。その太刀筋すらも九重の上をいかない。

 だがそれでも。


「ッ――」


 返す刃は九重の腕を狙う。剣道でいう小手打だ。

 その切れ味は、たやすく九重の腕を切り落とす。


「甘い」


 それより早く、九重の扇が渋谷の胸をトンと押す。

 軽い仕草だが、渋谷の重心をずらし狙いに僅かにブレを生じさせる。


 ただそれだけで生まれた一瞬の隙。それは九重にとって神気を練るに充分な時間だった。


 炎孤爆発。


「ガッ、は――!?」


 たまらず直撃を喰らった渋谷が吹き飛ぶ。地を滑り、二、三叩きつけられた渋谷が呻きを漏らす。


「っ、くぅ……」

「その程度では足りんなぁ。よもやこのまま終わるつもりではなかろうな?」

「ったりめぇだ!!」


 立ち上がる。この程度の爆発、痛くも痒くも無い。覚悟さえ決まればこんなものだ。

 負けてなどいられない。背負った重みに耐える方がよっぽど辛い。けれど美朝はそれを背負って戦っていた。ならば自分がそれを出来ずにどうする。

 俺は、英雄なんだから。


「スサノオッ!!」

『はいッ!!』


 渋谷の求めに、スサノオが応じる。

 そして力が渋谷を満たすが、それは今までの比ではない。  

 今まであった限界値が大幅に更新されている。渋谷が望めばどれだけでも与えられるのではないかという無尽蔵の力。それが渋谷が手にした新たな力だった。


 もう一人の自分がもたらした餞別とやら。それは渋谷を容易く狂わせかねない、麻薬でもあった。


「づぅ、ぐ、ぁあああああ!!」


 気を抜けば食い破られる。意識が薄れ遠退いていく。そうだ、それでいい。求め至れ修羅に堕ちろ。そうささやく己がいる。しかし渋谷は意識を手放さない。もう誓いを破るのは御免だった。それでも勝てない相手だったのだ。ならばその方法では意味がない。己の意志で修羅の力を手懐ける。それが渋谷に出来る唯一の方法だった。


 人と神。それらは全て比翼連理。どちらが欠けても成り立たぬ永久不変の不文律。

 なら英雄とは、それらを現世へと昇華させる媒介だ。

 神気が渋谷の血となり肉となり身体中を迅速に駆け抜け、のたうち回る。その流れが速すぎて、血管のいくつか、内蔵さえもが破れていた。だがその瞬間にも渋谷の身体は再生を始めている。


 この瞬間全てが、渋谷自身をより神へと近づけているのだ。


「う、ぉおおおおお!!」


 そして渋谷が駆ける。いや、もはや縮地。踏み出した一歩が世界すらも置いてくる。


「――!?」


 九重が瞠目する。刹那、渋谷が眼前に現れたのだから。

 慌てて扇を振るう九重に、


「遅ぇよ――」


 渋谷は一刀両断。

 振るった刀が九重を縦一文字に斬り伏せる。勢いそのまま地にまで到達した斬撃が、地面すらも大きく分断した。

 が、しかし。像がズレていく九重の身体から炎が吹き上がる。そしてそれはやがて全身を包み込んだ。


 そして、渋谷はその後方で立つ九重の姿を見とめた。


「ハッ、偽物かよ」


 渋谷がたった今斬り伏せたのは九重の偽物。その正体は炎孤であった。

 神気を意のままに操る九重の術は、自らと瓜二つの偽物を造るのも容易いということか。


 しかし、


「面、拝んでやったぜ」


 刀を肩に担ぎ、渋谷が笑う。

 

 それは渋谷が九重へ向けた宣言の一つだった。


「ふむ、小癪な」


 そして応えた九重の声は仮面越しに聞こえるくぐもった声ではない。パンと縦に亀裂の入った白面が九重の足下に転がった。

 姿を現した素顔は、皮肉にもその美貌を歪めている。

 

 笑みだ。

 対峙する英雄の姿に、遂にとばかりに浮かべるは、笑みであった。

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