第四十二話 それぞれが見るもの
全校に流れた放送によってクラスメイト達が一斉に駆け出す中、三年一組には一人残る少女の姿があった。
織部四季。剣道部女子部の主将を務める彼女は窓の直ぐ側に立ち、校庭をまっすぐに見つめている。彼女の視線の先には、数日前に知りあった後輩の少年の姿がある。
彼――渡会渋谷は、自らを英雄と名乗り、戦場へと躍り出た。
超常とも呼べる化物相手に、苦戦を強いられども渡り合う姿は、自分と対する時の少年の動きではない。
彼が持つ才覚は、この戦場においてのみ発揮され、此処でのみ己を高める事ができるとばかりに斬り払う姿に、四季は眼を離すことが出来なかった。
同時に生まれる感情。
そこにあるのは嫉妬や羨望といった仄暗いモノで、どうして彼処にいるのは自分ではないのかと、そんなことばかりが頭のなかを巡っている。
自分と互角にやり合える、高め合える存在を求めていた四季には、突然現れた渋谷の存在はまさしく理想であった。だというのに、その相手が意識せずとも手を抜いてたという事実が、とてつもなく悔しい。
自分が彼を高みへと導く存在足りえていないことが、まるで自分の思いあがりを突き付けられているようで、いたたまれない気持ちにもなる。それでも眼は離せない。
それは少年と共に戦場に立つ、少女の存在もあったからだろう。
彼女もまた、彼と同じ力を持つ者。だからああして、並び立つことができている。
だが違う。それはただの足枷でしかない。少年の才覚は、己の刃にのみ向けられるべきモノで、それ以外の不純物などは必要ない。あの少女の存在は、ただの邪魔でしかないのだ。
もし、あそこにいるのが、自分であったのなら――。
その感情ばかりが四季の裡で強くなる。
「――先輩っ!」
と。
不意に自分を呼ぶ声がある。聞き慣れた声の主は、
「高槻、さん………」
剣道部の後輩の一人である高槻沙彩だ。
「どうして、ここに」
「先輩っ、もうみんな体育館に向かってますよ! 先輩も早くっ」
彼女は学年も違うというのに、自分を心配してここに来たという。慕ってくれる後輩の存在は、人付き合いに関心のない四季には恵まれすぎた存在だ。
けれど、
「ですが………」
まだここで、彼の姿を見ていたい。
剣とはかくあれかし、という武の粋はこの戦場でしか生まれない。
その追求者として、四季は見逃すわけにはいかないのだ。
「行きますよ、ほらっ」
だが高槻は強引に四季の腕をぐいっと、引っ張った。
しかし抵抗するように足を動かす気配の無い四季を見て、高槻は四季の視線がどこへ向いているのかようやく気付いたようだった。
「っ、アイツ……!!」
どこか苦虫でも噛み締めたようにように表情を歪め、
「アイツ、ずっと私達を騙してたんですよ!! 私達と同じふりをして!!」
高槻もまた、渋谷と試合形式の練習をしたことがあった。彼女は渋谷にコテンパンにされ、悔しがっていた。
だが、その強さすらも自分とは違う場所に存在するがゆえ。その強さの理由を知ったことで、彼女の渋谷へ向けた嫌悪感は増しているようだった。
しかし四季にすれば、それは違うのではないかと思う。
ふり、などではない。きっとそれは違うはず。
彼は悩み、迷っていたはずだ。それでも彼は己の欲求には逆らえなかったから、剣をとることを諦められなかった。それが力を求めるということ。剣を振るということをどうしてやめられようか。
それはまるで、自分と『同じ』理由ではないか――。
「――高槻さん」
「セン、パイ?」
四季の視線がようやく高槻に向く。だがそれは普段の彼女とは違うもの。どこか、突き放すようで――
「私とあなたは違うかもしれません。あなたと、渡会渋谷も。しかし、私と渡会渋谷は、『同じ』なんです」
だから、四季は高槻に告げた。邪魔をするな、と。
「――――」
四季の言葉に呆然とする高槻。それ以上、彼女は何も言葉を口にしなかった。
●
「っ……くっ……」
度重なる衝撃と轟音によって、気を失っていたはずの千草が目を覚ました。
混濁する意識をなんとか繋ぎあわせ、自分が置かれた状況を一つ一つ確認する千草は、己の眼下に広がる有様に愕然とした。
土は抉れてクレーターばかりが無数に出来ている校庭。そこに佇むは、息を切らせた少年と少女、そして――九重。
「――――」
――あたしの、所為だ……。
波が押し寄せるように襲ってくる後悔と自責の念。今の状況を招いたのは自分の責任であると強く認識した事で、胸が酷く苦しくなった。
行き場のないやるせない感情をぶつけるように、自分を覆う薄い膜をおもむろに叩く千草。
「――づぅ……」
硬い。決して自分の力では割ることが出来ない殻。
まるで、千草の心を現しているかのように、内側からそれを破ることは叶わない。
うなだれ、そして滲んだ涙は、千草の心に降った雨のようだった。
九重との出会いで、変われると思った。
後悔していることを乗り越えて、昔の自分を無かったことに出来ると思った。
でも、そうはならなかった。自分の浅はかな考えではまるで至らない事が多すぎて、結局はまた、裏目に出てしまう。
憧れていた。
今もぼろぼろになりながらも戦う美朝の強さに。
けれど同時に、嫌いでもあった。自分がひどくちっぽけに見えたから。
主体性も無い自分。流されるだけの日々で、美朝の存在はどこか非日常的で眩しく映った。まるで漫画の主人公みたいに、両親を亡くしているのにその弱さを見せたりしないところに、千草はひどく感銘を受けた。
だからこそ、彼女が見せた弱さに、暗い愉悦を感じたのだ。
ああ、美朝も自分と同じなんだ、と。
彼女が化物と戦っていることが知れ渡り、皆が去っていくなかで、自分も美朝から離れた。
その時の彼女の顔が忘れられないのはきっと、そんな仄暗い感情が千草の中で芽生えたからだったからだろう。
だが同時に、後悔もしていたのだ。この表情をさせてしまったのは自分なんだと。
彼女を裏切ってしまった。
友達だったのに、最後まで信じてあげることが出来なかった。
美朝の持っていたはずの強さを。
美朝の持っていたはずの弱さも。
「美朝……………」
あの日からもずっと、今まで戦い続けてきた美朝を、一人にさせたのは自分だった。
そんな彼女を今は支えている者がいる。
「渡会君……………」
辛い戦いだった。今も状況は美朝達が圧倒的な不利にある。この瞬間にも、美朝が爆発によって地に身体を投げ出されていた。だがすぐさまか駆け寄った渋谷が、美朝の肩を抱いている。
そうして並び立つ姿は二人の間にある確かな信頼を感じさせた。
自分はそうなれなかった。美朝を支えてやることが出来なかった。
自分は弱くて、逃げ出してしまったから。
ならば、千草に出来ることはなんだろう。
この状況を招いた者として、出来ること。
友達として、出来ること。
「すぅぅっ、美朝ぁぁぁああああああ――――!!」
息を大きく吸い込んで、名前を呼んだ。
届くかもわからない。こちらに気付いてくれるかもわからない。
だけどそれでも叫ばずにはいられなかった。
彼女を今なら応援できる。もう、見ないふりはしない。ここで美朝を見ているから。
ちゃんと、あなたの姿を見られる自分になるから。
「ごめんっ!! ごめんね、美朝っ!!」
薄い膜一枚隔てて、突如浮かび上がってきた感情に任せ、千草は乱暴に膜を叩く。
「もう、見て見ぬふりなんてしないっ!! あたしはもう逃げないからっ!! ちゃんと、見てるからっ!!」
積りに積もって言えなかった言葉を、ここぞとばかりに吐き出す千草。ただそれを届かせたいという一心で、千草は膜を叩き続ける。
手は赤く腫れていた。でも同時に心の底から熱くなるものがった。
その熱は、何かを諦め、全てを流れにまかせ、選びとってこなかった千草にとって初めての感覚だった。
そしてその熱くなる感情はきっと、九重に初めて出会った時のそれに、よく似ていた。
――だからもう一度、言うよ、九重。
「私は、変わるよっ!! もう後悔したくないから!!」
それはあの夜、千草の部屋で九重に願った言葉。
九重から流れ込んできたのは力と彼の記憶だった。
人と触れ合い、愛して、そして輝きを尊いものとしていた彼が唯一残した後悔の感情。
それは紛れも無く自分と同じだったから。
化物も、英雄も、人であろうとも、千草には全て『同じ』だった。
誰もが後悔を抱えている。
なんとかしたいとそう願っている。
救いを――求めている。
だからこれは我儘だった。でも千草の願いでもある。神様がどこかにいるのなら、この祈りをどうか聞き届けて欲しいという、祈りでもあった。
後悔しないために、千草は今この声を届けたいと、そう望んでいた。
「――――え?」
不意に――千草の拳が輝きを放った。
それは神気の輝き。千草も一度は己の裡に取り込んだ、九重が宿した力の流れ。
しかし、九重が自分に与えた力は既に消えていたはず。でも、今はその理由を確かめる術がない。
この場所から、この殻から、内から飛び出ていかない限りは――。
再び千草が拳を握る。
望みを叶えると言った九重。一度は化かされたかもしれない。でも再びこうして千草の願いを叶えんとする力を、千草は信じたい。
九重にも、届かせたい言葉があるのだから。
「いっけえええええええええええええ――――!!」
そして、千草は己の拳を叩きつける――。




